野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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旅の途中(最終莫迦列車)



  一、郡上八幡

のどかな長良川鉄道に揺られて、ちょいと郡上八幡を訪れる
長良川支流の吉田川の走る小さな町は清流の里
日本の名水第一号の宗祇水をはじめとして
町民の生活は水の流れと近いところにあるのが印象として残った
駅員さんの話す「小さな町ですから」
ですからチャリを借りてきままに走り廻るのが気持ちいい
城登りは膝に大きなダメージをくらわすが
山頂から町を望んで飲む特産のサイダーがまたたまらない経験
行き先で触れる人々の気さくさもどこか清廉に思えて
町も食も人も、澄んだ水流に育まれているようだ
鉄道よし、駅よし、町よし、食よし、人よし・・・
前から訪れたかった郡上八幡は
今まで訪れたなかで最高の場所


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  二、飛騨高山の夜

飛騨高山だ
あたりはすっかり夜の色である
本格的な観光は翌日に回すとして
この夜は軽く酒でも飲んで休もうとした
町に出てふらふらと宿り木を探せば
あるある、よさげなお店が
とあるカジュアル・バーのカウンターに落ち着く、いちばん端の席
お兄さんお姉さんと話す流れで、人気の飛騨牛煮込みをつっつきつつ
当地の地酒を幾らか試してみる(こうなりゃどこまでも酒に肥えようではないか)
「それ、何食べてるの」―隣の旦那が口をきく
「ふきのとうとベーコンのキッシュです」
「それこそ燗じゃなきゃな。このお酒は燗にするとうまいんだよ。俺が飲ませるよ。ちょっと、この人に、燗で飲ませてやって」
こんなベタなことがあってもいいのか
いやでも、貧乏学生には心から嬉しい顛末!
なんてこともあれば、旅の気分もほぐれる
軽くどころか、普段以上に酒を摂り
ホテルに戻れば文字通り、バタンキューでこの夜を閉じたのだった


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  三、犬山明治村

時代モノの建築好きの私の聖地・博物館明治村にやってきた
広大な敷地内に大小様々の建物が立つ
驚くべきはそのすべてが明治から現代まで生き永らえてきた“本物”たちだということだ
邸宅や庁舎、教会や学校
さらには写真屋、芝居小屋、風呂屋、床屋までと幅は広い
そのどれもが“本物”
そこに路面電車やSLも走るとなれば
ここはまさしく私のHEAVEN
だがしかし、じっくり見るには一日二日では足りない・・・
閉園間際、ひとり乗車の路面列車で車掌さんと鉄道談義
新潟無機終焉都市から名古屋まではどのような交通がいいのか?
一旦、長野に出るのがいいか、新幹線を使うのがいいか
最終的に私たちが導いた結論は、飛行機を使う


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  四、大井川鐡道

少し前には抒情的なSLやアプト式鉄道の旅に浸っていたというのに
その時の私は、大井川鐡道井川線接阻峡温泉駅から
一つ隣の奥大井湖上駅を目指す自然遊歩道を、えいこらと歩いていた
奥大井湖上駅とは、名の示す通りに長島ダム貯水湖の上に建つ駅である
駅の建つ半島に架かる鉄橋は、線路脇に歩道があって自由に歩けるのだという
私がわざわざ徒歩で駅に進んでいるのは、ただその歩道を歩きたいがためである
自然遊歩道とは聞いていたが、自然要素が大きく
果てに人工物たる駅があるとは思えない
一抹の不安を感じながらもひたすら信じて歩くしかない
―キュイ!
こんなところで、キュイ!とはなんだ・・・
聞き慣れない音の方向を注視すれば
ガサガサと揺れる木の枝、うごめく影、影、影
「猿だ・・・!」
猿だった、しかも、群れでいる
そうか、自分は今、本物の獣道を歩いているのだな
猿たちの姿は見失ったが
全方位を囲む木々の上から視線を落とされているようで、歩いてもなかなか気不味い
不安もいよいよ大きく膨らんできた頃
とどめと云わんばかりの階段の連続、それを登りきれば・・・
「あ。駅」


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  五、沼津

旅の合間、沼津で久しぶりの親戚と会う
沼津は私にとって幼い思い出の残る場所
記憶を辿るように町を廻り、あれこれの四方山を交わして
共通項を一つ一つと確めていく
あの頃と見かけは変わり果てていても、胸の奥に変わらず生きるものがあるのだと知った
夜は親戚のレストランでフレンチのディナーをご馳走になる
貸切のお店に、お客は私ひとりだけ
白赤ワインを香らせて、地産の食材をふんだんに使った料理を頂く
嗚呼、なんて静かで落ち着いて、愛すべき時間だろう


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  六、東京

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級友との四国旅行とつながる気楽なひとり旅も
最後の土地・東京に舞台が移っているのだから寂しいもの
ここでしたいことは、それほどない
だからふらりと寄席を覗きに行った(好きな噺家が上がるらしい)
椅子ではなく座敷に座って聴く落語もいいもので
皆々堅苦しいところなく、気持ちよく笑いも出てくる
これが毎日やっているというのだから、この町に住む人が正直羨ましい

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シルク・ドゥ・ソレイユ「TOTEM」
自然の世界というだけならこれまでにもあったが
ここに生命や人類の進化といったテーマも加わり
珍しくサイエンティフィックなショーへと仕上がっている
主題としては難しい作品かなと思っていたが
演目、演出、音楽、衣装等のどれもが世界観をよく表現していて
一貫したストーリーはないが、最後までステージに引き込まれてしまう
演目一つ一つも作り込まれていて見応えがある
特に、マニピュレーションの魅せ方が凄まじくよかった

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故郷・秋田への新幹線で、私の旅が終わろうとしている
私の旅、というのは今回のシリーズのみを指しているが
もっと、以前から続いていたものを意図してもいいような気がしてきた
大学に入り、親元を離れた私はいつの間にか旅をするようになった
色々なものをこの眼で見たくて、あるいは今とは違った場所に行きたくて
どれもが本当に楽しい旅だった
それでも、その日々のすべてを覚えているわけではない
記憶はところどころで途切れていて
まるで、いつか見た夢であるかのようにぼんやりとしている
車窓から、白い雪が未だに積もっている集落が見える
故郷はまだまだ寒そうだ
あーあ、全部終わっちゃった
私の旅も、大学生活も―
大曲で在来線に乗り換え、乗客の口からは懐かしい訛りが聞こえてきた

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  1. 2016/03/23(水) 21:00:00|
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「浪漫鉄道」を聴きながら(四国瀬戸内旅行記)



  一、京都

級友との合流前、その合間で過ごすひとりの日
その地・京都でしたいことが思い浮かばず、終日無計画に廻り
某刻、新京極の映画屋に座を据えた
「秋刀魚の味」―新潟無機終焉都市で見損ねた映画
初見の眼に映ったのは、影と鏡の像がいい働きをしているということ
だがしかし、酒を飲むシインが多く、ゴクリと喉を鳴らすことしきり
案の定、宿までの帰路にそこらの店にアルコオルを求めたのだった


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  二、瀬戸大橋

おだやかなる海の文様は、日の傾きに沿って様々な姿を見せる
刻一刻と、その形なき形を変えていく
その瀬戸内の凪に大小の島々が浮かんでいた
さらに深みをますシアンの空に走る瀬戸大橋線の灯り
一様に塗られたオレンジの夕焼けに映る造船所のシルエット
私たちの島渡りの終着、間もなく坂出、香川、そう、そこはもう四国―
橋を往け、橋を往け
ひたすら真っ直ぐ、橋を往け


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  三、讃岐

「うどん県」を自認・喧伝する讃岐国、今は香川県
その実力には正に帽を脱するしかない
私たちが二十四時間内で訪ねたうどん屋は五軒
どの店のうどんも個性が違っていて多様性にまず驚く
そしていずれでも、一口目の感動は人生観が転回するかと思われるほど
御託のあれこれはほどほどに、只ひたすらにすすり食うといい
すると、雰囲気に云わされたものでなく、心からの「うまい!」が勝手に口から出てくるのだ


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  四、祖谷渓

大歩危・小歩危の奇岩を窓に見て、蛇行した山道を上っていけば
平家の隠れ集落の説も伝わる秘境・祖谷渓に至る
あ!日没が近い
怪しげな人形が見守るパーキングに車を置いて、かけ足
日本三大奇橋に数えるかずら橋が見えてきたろう
平家の落ち人伝説に由緒を発する、かずら造りの吊り橋
滅多に体感しない橋の揺れ、傾き
植物製というなんとなくの頼りなさ、歩きづらさ
極めつけが橋床の木組みの隙間から覗く、足下を走る川、岩・・・
あまりにもよく見え、落ちたら死ぬことが酷なまでに解る
感じるのは恐怖そのもの
へっぴり腰の旅人は、蔓を手放すことなく、そろりそろりと必死に歩く
ここで、とある発見
手ぶらで歩いた方が安定するじゃないか
この証明に、もう一度歩いてみたら、やっぱりそうだ!
だがしかし、安定を手に入れたからと云って、生々しい恐怖は霧散はせず
渡りきった背中は、妙な汗でジットリと湿っていた


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  五、夜土佐

高知に着いたのは夜のことで、晩酌には都合が良い
級友たちが調べていた飲んべえ市場に入った途端
ぎっしりと卓を埋め、酒に宴に興じる人々の陽気に少しくたじろいだ
「ハロー、マイフレンド!」
胡散臭いインド料理屋の席を押さえたら、各々、肴探しの小冒険に出る
カツオは当然として、地鶏にクジラ
土佐の夜でしか嗜めないものを集めれば、鼻も膨らむというもの
迷路のような市場を歩き廻りながら、同僚と、カップルで、家族で、ひとりで
それぞれのかたちで酒飲みを楽しむ人を何度も見た
その気軽さ、純粋さ、やさしさ
嗚呼、やっぱり自分も飲んべえだ
この時間が愛おしくてたまらない・・・!


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  六、松山

友人との旅行、とはいえ隙を計って己の趣味心は満たしたいもの
高松は琴電、高知は路面電車の土佐電
集団を離れたひとりになって、その地その地の鉄道に乗っていた
さて、ここ松山にも伊予鉄道―憧れの路面電車がある
当地中心部の交通は路面電車が最も便がいい
城も温泉も繁華街も、これ
平面交差の騒々しさも、街の空を幾何学的に飾る架線も
変遷する松山の地を、変わらぬ真面目さで走り抜けた路面電車が生みだした
街並みの景色一つ一つがとにかく新鮮で新鮮で
それでいてなぜかしら、こんなにも懐かしさが滲み出るのは


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  七、下灘駅旅情

松山での一日は、おはようからおやすみまでの個人行動となった
その利が落ちてきた時から、私の念頭に浮かぶもの
松山から予讃線で約一時間揺られて降り立つ
下灘駅
小高いところから伊予灘を望む、かつての「日本一海に近い駅」
思わず降りてしまう、旅人が辿りつく場所
沈み行く太陽に呼応するように瀬戸内の波や空が色を直す
歩廊に広がる景色に、一瞬と同じものはない
さあ海面に潜らんとする頃、信じられないほどに丸く、紅く燃える火の玉があった
戻りの列車、光の粒を残した凪を車窓のフレームに当てはめて、聴いた「浪漫鉄道」
久しく失いかけていた感覚に胸が熱くなる
鉄道旅行とはこんなにも楽しいものだったのか―


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  八、広島

戦争の終わった時代に生まれたことがずっとコンプレックスだった
勿論、話しを聴く限り、あの頃のような経験はしたいとは思わない
しかし、それを経た人間はそれだけで深みのあるような、気位が高いような・・・
戦争を知らない者は、人として“足りてない”かのような
まるでそんなことを言いたげな世間の風潮
それを真に受けてしまう自らの強迫のようなもの
それらはずっと私を鈍く苦しめ続けていた
だから、いつしか避けるようになった
話すことも、考えることでさえ
そんな私の目の前に、できれば見たくなかったものが立っている
広島県産業奨励館
人々は「原爆ドーム」と呼んでいる

焦げた壁面、剥き出しの鉄骨、当時そのままに周囲に散乱している瓦礫がいやに生々しい
広々と清廉な現代の平和記念公園の内で
その一画だけが一九四五年八月六日のままでいるような違和感
その差七十年のスケールの広大さに眩暈を覚えてしまう
見ていて嫌な気持ちだ、それは絶対に払拭できないだろう
だが、どこかは知らない心の片隅、確かに芽生えた気持ちがある
―自分はこのままではいけない
単純な人間と思われても構わない
でも私は、何も知らない若造だからこそ、変わりたいと思ったのだ

今でこそ世界遺産の意味合いも変わり
かすかに残っていた崇高さは廃れて
いまその有難みを噛みしめているのは、認定されたもの周辺の観光界といったところであろう
しかし、原爆ドームは真の意味で世界遺産にふさわしいと感じた
信じられないが本当に起きた人類史上最悪の事件の証拠としての意味
だからこそこの世界に遺すべきなのだ
だが、世界にはこの遺産に学ぼうとする人はそれほどいないのかも知れない
穏やかじゃないニュースを耳にするする度に、ふとそう考えてしまう
今もこの世界には様々な摩擦が存在するのだ
偏見や狭量の誹りを恐れずに云うなら、その摩擦のほとんどに、某国が関係しているような気がしている
かつて広島に、そして長崎に、もてあそぶかのように原子爆弾を落とした大国のことである
彼ら自らが生んだ遺産なのだから、そこから多くを学ぶはずだろうが
今も彼らはどこかの国に、時々爆弾を落としているらしい
朝のニュースキャスターはあっさりと、そう云う


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  九、別れ(京都2)

およそ一週間の旅行だった
それにしても一週間程度などは一瞬の夢である
寄り道しながらも、気がつけば始まりの地・京都に戻っているのであるから
一瞬の夢であるというのは、六年間のこの生活もそうかもしれなかった
振り返ればそう思うだけのことかもしれない
だが、今の私には一瞬の夢でしかないのだ
その一瞬の夢の中で、私は日陰者なりには、たくさんの人たちと交流をしたと思っている
その人々との意思の受信送信を経て
もしかすると自分は、どこか変わっている人間であるのかもしれないという思いを得るに至った
少なくとも一般的ではないのだろう(あくまで客観的に、だが)
私の普通は彼らの異常、私の異常は彼らの普通
振り返れば、その事実をひたすらに突きつけられ続ける毎日だった気がする
辛くはないが、ただなんとなく寂しかった
だが、困っていたのは私だけではなくて、チェス盤をひっくり返して考えてみると
私の異常な行動・言動には、彼らの方でも困っていたのではないか
それでも私を突き放さずにいて、時に遊びなどしてくれた彼らには感謝を思うしかない
これから彼らと何度会うことが出来るのだろうか
もしかするともう二度と会うことはないのかもしれない
だがそれでもこの関係は、一瞬の夢となってはほしくない

  1. 2016/03/22(火) 21:00:00|
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キス・グッドナイト(アメリカ旅行記)





  一、パサデナ

 高度一万メートルに初期値を置いて
 自転の方向を腹ばいに飛行機は滑る
 馴れぬ国際線に身体はざわめき
 わずかな揺れにも心騒いで少しも眠れずにいた
 寝息も聞こえるさなか、機内チャンネルの曲名を覚えている
 「Alone in the Universe」
 一時間、二時間、・・・・・・、嗚呼、ついに九時間!
 長旅の果てに降り立ったのは二月十二日午前十一時
 私は一度、この時間を生きたことがある


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 唐突に目覚めた真夜中は、考え事をするのにちょうどよい
 出国のターミナルの景色も瞼に留まるままに
 街に出て、ピザとコーラに決め込み
 マーケットで買い物をした
 私はいまアメリカにいる
 俄かには信じがたいが・・・
 家も草木も看板も、皆アメリカの顔つきをしている
 見上げる月とオリオンだけは変わらぬ姿だが
 私の異邦人の胸はそわそわとして
 その結果として、パサデナの夜に目覚めて、この項を草している
 この時間にも、モーテル沿いの道を走る車の音は絶えない
 往きの飛行機、機内チャンネルで聴いた曲をふと思い出す
 「Alone in the Universe」


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  二、ラスベガス
 
 シルク・ドゥ・ソレイユ「O」
 水深が瞬時に変わるプールで繰り広げられるアクロバット・ショー
 世界のエンターテイメントの最高峰
 私はこの芸術作品の観劇を、一生の念願に据えていた
 それが観れる、この緊張感
 私の鑑賞眼は少しく歪んでいるのか
 念願としての期待や思い入れが先行して
 素直な感興が兆さない
 それよりも悲しかった
 自分が積み重ねてきた多くのものが終わってしまったような気がして


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 至るところにネオンのケミカルな煌き
 ここは不夜城ラスベガス
 人々の叫声尽きることなく
 隅々に配された誘惑に囲まれて歩く
 ラスベガスの夜は素敵な夜
 こんなに綺麗な夜には、ふと立ち止まってみたい
 カラフルな街の姿をずっと眺めてみたい
 しかし、私を待つものはいない
 ああ、こんなに素敵な夜なのに―


  三、ラスベガス2

 誰も寝ぬ不夜城の朝
 蠱惑の漂う夜とは一味違い
 ストリートには健康的な活気がみなぎっている
 道ばたで思い思いのパフォーマーが日銭を稼ぐ
 多くを受け入れる土壌がここにはある
 私はこの街が好きになったのだった


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 「O」と並ぶラスベガスエンターテイメントのツートップ
 シルク・ドゥ・ソレイユ「KA’」
 ショーは劇場に足を踏み入れた瞬間にはもう始まっている
 巨大なシアターと舞台装置に、まずは圧倒される
 珍しくストーリー仕立てで、その合間に演目が挟まれる
 サーカスというよりは演劇の要素が強い
 しかし、凄い、凄い、凄い!
 自在に可動、回転するステージや
 映像が連動するハイテクの数々に、思わず身を乗り出してしまう

 夜はカジノ
 私は賭けごとは嫌いだったが、行く所行く所の派手な賭場と
 そこでギャンブルに興じる人々の熱気に当てられて
 最早、勝負せずにはいられない面持ちとなった
 ディーラーとのかけひきは初めてで、緊張しながら卓につく
 ギャンブルは運頼みでなく、いかに謙虚でいられるかの勝負と見た
 ブラックジャックで五十ドル勝ち、スリーカードポーカーで六十ドル負けた
 まあ、おおむねこんなもん


  四、カナブ

 レンタカーを借りて回っていた
 アメリカのドライブは刺激的だ
 ハイウェイはどこまでも真っ直ぐに伸びているし
 見渡す限り、どこか造り物のような荒野と岩山が広がり、また連なっている
 ドキドキのロードワークにトラブルはあって然るべき
 スピード超過をコップに見つかり
 ナビが示す先は途方もない砂漠の真ん中だった
 (ここがお前たちのモーテルだよ!)


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 誰かが「普通」と云った
 グランドキャニオンの大峡谷
 私の眼には「普通」ではなかった
 断崖の下に臨むのは、地割れ、地割れ、そして地割れ・・・
 そのスケールの大きさ、広さに眼がくらむ
 谷に向かってすっと突き出た、小さな足場に立ってみる
 一つ足を滑らすと文字通り命を落とす
 安全圏に復帰して程なく
 その状況の深刻さがじわりと真に迫って
 しばらく冷や汗を滲ませていた


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  五、カナブ2
 
 ナバホの聖地へはトラックバスで行こう
 ビッグホーンシープも身動きせずにこちらを見ている
 アンテロープ・キャニオンの
 幾重にも薄く重ねられた地層が
 円形にえぐれられて岩肌はあくまで滑らか
 どこか他の惑星にいるような
 空想的な景趣を往く


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 アメリカ西部の田舎町
 カナブは静かで星が綺麗で心地好い町
 荒地の真ん中、ひっそりとしたこの町には
 もう二度とは来ないだろう
 メキシコ料理屋で食べたタコサラダがおいしい
 アメリカでは野菜を摂れる時に摂るのがいい


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  六、ラスベガス3

 心の故郷、ラスベガスに「ただいま」を
 腰に疼く下心をぶらさげて、真昼間からジェントルマン・クラブ
 ストリップは日本でも行ったことがあるし、下調べもしてきた
 本格的なポールダンスを観たかったのだ
 そう、これは俗なエロ目的ではない
 芸術としての女体を堪能したかった、その純粋な一心である
 が、ダメ!
 思っていたのと大違いで、終始ビクビク
 ポールダンス等のショーは全く行われず
 私たちはひとりに分断され、そして各自にひとりの女性があてがわれた
 よく分からないままに、あれよあれよとプライベート・ダンスへ
 よく分からないままに、あれよあれよとベンジャミン先生を見失う
 (いや、しかし外国人の豊満な身体にぱふぱふされるのは気持ちよかったし)
 (ケツも揉めたので、よかったのだが)
 すきを見て逃げるように店の外へ
 見合わせるのは完全に敗者の顔
 流れるのは典型的な賢者の時間
 愚かな賢者たちがそこに集っていた・・・


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 シルク・ドゥ・ソレイユ「ZARKANA」
 割引の当日券で用意された席は
 劇場中央の真ん中、つまりいい席!
 キャラクター、演目、コンセプトはクラシックかつゴシックながら
 音楽は痺れるロック、映像技術や舞台装置もメカニカルで、その折衷がハイセンス
 サーカスの伝統は守っていて、ラスベガスの他のショーと比べると、カジュアル
 そして素直に楽しい、素晴らしい作品


  七、アナハイム

 レンタカーの旅が終わった
 実を云うと、ドライブ旅行に不安がないわけではなかった
 それは最後まで変わらないままだった
 私は車の運転はできないが
 事故やその他のトラブルが起きるのが恐ろしく
 揺られている時はいつも、全く気が気でなかった
 それが終わった、安堵感
 一つ大きな関門を抜けた、達成感
 さあ、これからはただ、ただ、遊ぼう

 私には、意味のある行動や言動が出来ない
 複数人の中でも、私はひとりになる
 しかし、もう少し立ち止まることをしてもいいのではないか
 一体何を急いでいるのだろう、それがまず分からない


  八、アナハイム2

 アナハイムの空からさし込む日差しはとにかく強い
 ナイロンのロングコートを脱いで、チェックシャツを脱いで
 Tシャツ一枚になっても暑い
 耐えかねて、グッズショップで帽子を求めたのだった
 「タグはお取りしましょうか」
 「ええ、お願いします」
 「賢明な選択ね。今日はとても暑いものね」


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 ディズニーランド・パークは開園六十周年だ
 「ワールド・オブ・カラー」も、それを記念するバージョンになっている
 メインショーが終わって、あたりのゲストも散り散りになってからも
 水は踊り、光は色づき、音楽は奏でられる
 この瞬間に、「余韻」の二文字を押したい
 切なさと美しさの溢れて、感情がしめつけられ、自然と涙が滲む
 「グッド・ナイト」
 とウォルトが云った
 そう、今夜は本当に素敵な夜


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  九、アナハイム3

 ウォルト・ディズニーが鉄道好きだったことは、誰もが知っている
 だからディズニーランドの構想に、最初期から鉄道はあった
 そのディズニーランド鉄道は、諸事情のために運行をしていなかった
 走る姿を見れない、かつ乗れないのは残念だったが
 そのおかげで駅に停車した機関車を、間近で見、触れることができた
 このことは貴重ではないだろうか
 ディッキーズのつなぎを着た熟練の機関士が、蒸気機関車の仕組みを説明してくれる
 英語はすべて聞き取れるわけではないが、云いたいことは分かる
 ひとしきりの講義を終えて、その機関士がぼそっと口にした
 “It is fun.”
 何気ない言葉だが、とても簡単な一言だが、だからこそ心に残った
 鉄道は楽しい―
 その思いから、自らのテーマパークに鉄道を走らせたウォルト
 その魅力を半世紀経ったいまでも受け継ぎ、守る者がいる
 そして、ここに集まる私のような者もいるのだ


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  十、アナハイム4


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 六十年の歴史のあるディズニーランド・パークはただ楽しいだけの場所ではない
 一つ紐解けば、文化遺産の宝庫と知ることができる
 ホーンテッド・マンション、カリブの海賊、蒸気船マークトウェイン号、ディズニーランド鉄道
 ウォルトの足跡、思いのこもったアトラクションがたくさん残されている
 ことに、魅惑のチキルームがよかった
 一九六三年オープン、晩年のウォルトが力を入れた新技術「オーディオ・アニマトロニクス」を初導入したアトラクション
 余計な演出なく、オープン当時とほぼ同じショーが行われているという
 そのタイトル・ロゴに“Walt Disney’s”という冠を見つけた
 説得力、重厚感、深み
 日本のパークが忘れてしまったもの、消してしまったものが
 ここには未だに息づいている、そしてそれを愛する人もたくさんいる
 それがただただ嬉しかったのだ


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 ディズニーランド開園六十周年記念のいちばんの目玉は
 「ディズニーランド・フォーエバー」だと云っていい
 プロジェクション・マッピングとファイアーワークスの融合したショー
 眠れる森の美女の城に、手をつないで歩くウォルトとミッキーマウスが映された
 これは「ワンマンズ・ドリーム」を結晶させたスペクタキュラーなのだと感じる
 メインショーの終わりに、リチャード・シャーマンがウォルトに捧げる「Kiss Goodnight」が流れる
 その優しい旋律に、あまりに幸せな時間に涙が止まらない


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  十一、ロスアンゼルス

 およそ十日の“アメリカぐらし”を終えてつく帰国の途
 その帰り道は海の上にある
 往きより長い十一時間のフライト
 結局一睡もせず、身体中がムズムズと疼くのをこらえていた
 アメリカ時間で深夜二時のテンションで、二月二十三日午後七時の日本に着いた
 このうちに、一度も生きなかった時間が生まれたことになる
 そんなことよりも気持ちが悪い
 ああ、これが時差ボケというやつなのだな
 宿舎へ向かう電車は鈍いトドメを与えた
 しかし、生きながらえて国に帰ってこられた安心、喜びを噛みしめる気持ちもある
 ふと思い返せば、どの夜もそれぞれ違って魅力的だったのを憶えている
 そして、こうしてコンビニで買ったフルーツゼリーを食べる日本の夜も、またいいものだ
 “A kiss goodnight is the start of a journey”
 “A kiss goodnight is the door where your dreams live”
 素敵な夜を過ごすたびに、あの歌を口ずさむのだろう

  1. 2016/02/26(金) 19:00:00|
  2. 旅行記
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上越線莫迦列車

  一 始発列車
 H君とはいまの学校のクラスメイトである。
 イニシアルがSで出席番号も遠い私がどうやって彼と知り合ったのかは今更憶えていないが、連れだってトレーニングをしたりして、今では級友の中でもとりわけ気安いひとりになった。
 H君は一度どこかの大学を出てからこちらに入ってきたので、いくつか多く年を食っていることもあり、よくそんなことまでと、思わず感心してしまうくらいに物を知っているのだが、その引き出しのひとつに鉄道というものがあった。
 私は鉄道に乗るのが好きである。処で、ここに「鉄道」という共通項が生まれて、自然とそういう方面の会話をすることもあるのだが、私は鉄道に乗りこそすれ、その他詳細な知識は全くといいほどに有っていないため、H君の重箱隅クラスの話には付いていけず、彼の講釈を私が「ふうん、ふうん」と聞いているのがほとんどである。ちなみに私は鉄道に乗れればそれでよく、知識を仕入れること自体にはそれほどの関心がないため、彼の話はそれほど真面目には聞いてはいない。すなわち、「ふうん、ふうん」と聞いているのである。彼と鉄道旅行をすることもあって、春のしまかぜ乗車記や伊勢志摩旅行記に登場するクラスメイトこそ、このH君であった。
 彼に誘われるかたちで、今秋に私は北越急行のイベント列車超低速スノータートルに乗ることになった。この催事では、北越急行が持ち得るあらゆるサービスが総動員されており、それはもう楽しいものであった。ところで、私が鉄道旅行記を書く時はできるかぎりこの文体でというふうに決めている。しかしどういうわけかこの日のことは常時の調子では書けずに、最早ただのイベントレポに成ってしまいそうだったので、今回はいっそ書かないことにしたのだが、いざ書かないとなると、以下の本題で所々分かりづらくなるところが出てくるかもしれないので、冒頭の内にH君の素性も含めて、予め記しておいた。
 さて、スノータートルに乗る際に、乗車券代わりに私たちが求めた切符はえちごツーデーパスなるものであった。この割引の切符は、その名の通りに連続する二日に亘る効力を有している。その一日目をスノータートル乗車に充てて、それで十二分に経費の元は取れている。だから無理に二日続けて乗る必要もないのだが、やはりこの一枚で相当広い区間を走れるというのが、実に魅力的で忘れることができなかった。
 この切符一枚さえあれば上越線は越後中里にまで行けるのだ。そこからわずか二駅のところには、あの土合駅がある。私は土合に降りたことはないし、それはH君もそうだった筈である。これは利用しない手はないと、H君と北越急行の旅中にあれこれと話して、果たして翌二日目に我々の土合行きが決まることとなった。そのついでに、私の希望で水上にも立ち寄らせてもらう。
 いちばん早い時刻に土合に到著する計画を取ると、新潟駅からの始発列車に乗らなくてはならない。その時間帯にはまだバスなどは走ってないし、周辺には気軽な駐輪場もないためにチャリで行くこともし難いので、自宅から駅まで一時間ほど徒歩で向かうことになる。この移動の他に色々な準備もあるので、始発に乗るためには、遅くとも発車時刻の一時間半前には布団から抜けている必要があるのが見えた。
 だが、この前夜、これつまりスノータートルに乗った日の夜のお話だが、私には別の案件で級友たちとの集まりがあった。この会合は毎回、テッペンを割ってからのお開きが恒例で、然るに帰宅をするのも日を跨いでからになる。いつもはそれでもいいのだが、しかし今回ばかりは条件が異なっていて、始発に間に合うために、日頃よりもはるかに早い時刻に起きないといけない。いつも十分な睡眠を取りたい私には事である。睡眠時間が、明らかに短くなってしまうのであるからして。しかしながら、少しでも寝る時間を長くしたいがため、その寄合は私だけ途中で抜けさせてもらって早めに帰宅できたが、それから入浴なり準備なりはしないといけないので、すぐに寝れるわけではない。それらの諸事を一つずつ済ませて、遂ぞ床には付けたのだが、そのわずか二時間後に私は再び目覚めるのだった。魂の二時間睡眠。ついでにいえば前日もスノータートル乗車のために、始発に近い列車に乗るべくかなりの早起きをしている。鉄道旅行者の朝は早いとはいえ、二日連続でこの起床時間は流石に堪える。
 午前五時十七分、新潟発の上り始発列車には、それなりの乗客数があった。前の日にH君は「かなり混む」などと私を脅したが、それほどではない。日曜日だが学生の姿がちらほらと見えるのは、おそらく部活動の朝練習のためだろう。中高の頃の私は部活動に熱心であったが、朝練の経験だけはない。だからあくまでイメージのみで話をするが、朝練というものはどうも、あまり効果的な練習法とは思っていない。
 長岡で乗り換える上越線車内でいよいよH君と落ち合った。H君は鈍行の始発には乗らないで、新幹線でここまできた。新幹線を使う案を採ると、ほんのわずかに長めの睡眠を取ることができるのだが、せっかく有効な切符があるのに余計な運賃がかかるのがかなり癪で、私は鈍行に乗ることを頑なに決め込んでいたのだった。そもそもの貧乏症に加えて、卒業旅行経費の懸案から、近頃はさらに余分な出費を抑えるように努めているのである。今回、起床時間を無理くり早めて、新幹線に乗ることを控えたのは、これはすなわち自分の時間を売るということである。
 六時三十三分、上越線の越後湯沢行が滑り出した。ここからの沿線はそれなりにのどかな風景が見られるのだが、曇と怪しげな天象の下、そもそも昨日に同じ経路を通っていることもあって、この日は両者ともにそれなりに冷静な眼差しで車窓を見ている。早朝となると、車窓を通して見る寂れた住宅路に、犬の散歩に連れ立つ人の姿のあるのがいくらか嬉しい。老人と老犬の組だとなおさら胸が締まる。H君は、訳もなく、単語の末尾に「マン」を付けて呼ぶ、気の違った習慣があるが、彼にかかれば件の光景を「犬マン!犬マン!」というばかりで済む。エクスプロイダー現象で、私もそういう時があるが、幼稚なはしゃぎ方をするのに、些かばかりの情けなさを感じないこともないが、はしゃげるものが目の前にあるのに、はしゃがないということをすると、途端に何にもはしゃぐことのできない人間インスタレーションになってしまう。これこそ救いようのない情けなさであろう。
「白菜食べなきゃなあ」
きっと、集落の一画、小さな田畑に生る白菜の束を窓外に見とめての言であろう。
「病院でたまに野菜売ってるじゃん。それで買った白菜が一玉あるんだよなあ」
「え。一玉って、一分の一?」
「一分の一って何だよ」
「いや、ほら。白菜って二分の一とか四分の一で売ってるじゃん」
「まあ、一個」
「そろそろ季節、順当にいけば鍋とかだけど、そもそも白菜って料理のメインにはならないよな」
「ああ。そういやさ、その病院で、たぶん近所の人だと思うけど、白菜六個買って、両手に袋でこう持ってった人がいた。」
「六?それはまた、買い過ぎだろ。どうやって食いきるの」
「さあ」
「実は相撲部屋の人なんじゃないの?ちゃんこに使って」
「いやいや」
「もしくはおすそ分けとかするんじゃないか」
「お。葱。うわ、デカいなあ」
「さっきから大根干してる家も結構あるな」
「大根・・・。ワタシ、大根食えないんですよねぇ」
「え、嘘。じゃあ、おでんとか、ブリ大根とかも。損してないか、それは」
「いや、なんか食感が」
「切干大根とかも食えないじゃん」
「切干大根なんて屁の匂いじゃん。あれは屁だよ」
「おいしいのに。似てるので云ったら、カブとかは」
「カブ!あれ、人が食うもんじゃねえだろ」
「マジで。ポトフとかうまいのに」
「口に入れた瞬間の、あの何とも云えない食感は無理」
「しかし大根って、弁当とかにもよく入ってるし、ほら、ああいう旅館でも三食、朝昼晩確実に出るぞ」
「そしたら他のに変えてもらうわ」
「予め備考欄で伝えろ」
「うん」
「大根の漬物が出たら。すいません、私大根食べられないので他の物に替えてください。それは申し訳ありませんでした。その替わりに、カブの浅漬けです」
「やめてくれ!」
 欧州メルヘン風の趣向を張る、ただただ眼に煩い上越国際スキー場のヒュッテとすれ違って一、二、三と過ぎれば越後湯沢に到著した。あまり時間もないので、土合への切符を求めて、御不浄に寄ったりすればすぐに乗り換え。八時十三分、上越線の水上行である。バブル期に完成したような典型的スキーリゾートの某ホテルを見て「お。あれは“ブラックNEXT21”だ。タイガーマスクで云うところのブラックタイガーのような、NEXT21の永遠のライバル」などという、思い返すと全く意味の分からない“ほら”を吹けるくらいには頭が冴えてくる。リゾート地帯を抜けて野趣溢れる山間部に入り、付近に集落等もなく一体何の用途があるのか分からない土樽駅を過ぎて、長いトンネルを抜けると、次なる停車駅は我々の目的である土合である。土合駅は日本一のトンネル駅として名高い。目当ての下り線とは異なり、上り線のプラットホームは頭上に空が広がっている。雨に降られるのは覚悟のこと、とはいえ、案外と粒が大きくなってきたので、たまらず傘を開いた。だが、晴れていればそれに越したことはないが、この冷やかな天候や山肌に低迷する真っ白い霧霞などで、本邦屈指の秘境駅を訪ねる感慨がさらに深いものになるとなれば、「生憎」などという後ろ向きな言葉を冠する必要もない。構内へ、いざ。


  二 土合駅(行きはよいよい帰りはこわい)
 土合駅のことは、たしか何かの雑誌を読んで知った。「日本一のモグラ駅」というキャッチコピーを添えて、例の四百六十四段の長階段の写真が載っていたのが衝撃的だった。ちょうど私も旅行に味を占め始めた頃だったし、賑々しい観光スポットよりも、寂しげな土地に惹かれる嗜好にもはまり、その時から土合は、行きたい場所のリストに加えられたのだった。
 その土合駅構内、幅広の通路をまさに今歩いている。ここを歩くのは私たちだけで、いやに静か。窓枠や左右の壁に蜘蛛の巣が張り、そこかしこに羽虫の死骸やら、黒染みのような汚れが眼に入るところは、無人駅らしい光景か。しかし、山中の無人駅というイメージから辺鄙な姿を勝手に想像していたところで、その実、意想外に駅舎は大きい。広々煌々とした待合には長椅子も用意され、自販も置かれていたりと、予想よりも設備は整っている。
 土合は谷川岳登山への玄関口でもある。下り線のトンネル歩廊が目的だが、それだけでは手持無沙汰と、まずは谷川岳を上るロープウェイに向かってみる。次の水上方面の列車は十二時三十分発。まだ、それなりに時間は余っていると思っていた。
 外に出れば、砂利が敷かれただけの広場が広がり、その向こうに野山が峨々と並ぶ荒涼な風景が網膜に映る。今なお立ち込める濃霧の煙たさがその野趣をさらに演出していてなんと寒々しいことだろうか。集落はなく、駅以外の人工物といったら、片隅に潰れた廃屋と左手の彼処に大きなドライブインが見えるばかりである。出入のガラス扉の頭上に眼をやれば、「ようこそ日本一のモグラえき土合へ」と書かれた木製の板が掛けられている。その企画自体は別にいいが、この形の板を採用したのかが分からず、何ともしっくりこない。何かを表しているのかもしれないが、当地のキーワードであるモグラには全く似ていないが、どこか抹香鯨のようでもあり、中央部だけ窪んでいるところは職業病から潰瘍限局型の胃癌のようにも見える。H君が貼り紙を指す。
「おっ。かきげんきん」
「は?」
「ほらほら。『かきげんきん』」
「ん?あ。『火器厳禁』」
「『火器厳禁』」
「ということはつまり、ライターはもちろんダメだし、チャッカマンとかもダメだし、石もダメってことになるな」
「ん」
「やっぱり無人駅だし、山火事も恐いだろうし」
「いやあ、また秀逸な誤字見つけちゃったよ」
「いやいや。だからって別に写真撮る必要ないだろ」
「撮りたくなっちゃうんですよ。見つけたら撮る」
「ふうん」
「こないだも図書館に『四肢』を『四股』って書いてんのがあって」
「はっはっ。それはひどい。そういえば、誤字とは違うかもだが、とまれっていうのもややこしいよな。『止まれ』と『止れ』で」
「え。それそんなにある?」
「田舎だとよく見るんだよ。あとはたしかめるとか。『確かめる』と『確める』」
「ああ」
「これ、『たし・かめる』が正式でいいんだよな」
「そうじゃないと『何々なことはたしかである』とか云う時に、『確』って一文字で書くことになって、何か変だよな」
振り返ってみれば、巨大な三角屋根を基調とした土合の駅舎が聳えている。周囲の静けさと山々に漂う真白な霧のおかげで、屈指の秘境駅としての貫禄をこれでもかと云わんばかりに発している。
 雨がしとしと降っているが、それもまた辺境の趣を深める。ロープウェイを目指して山道を歩いていくのだが、道すがらの景色が眼に留まり、立ち止まっては逐一感嘆してしまうので、そう簡単には進まない。
「いやあ。いいですね」
「いいね」
「いい」
「うん。やばいね」
「やばっ!」
「ん」
「某が」
「某が何?」
「あいつボキャブラリー少ないから、いっつも、やばっ、とかしか云わない」
「あはは、そうかも」
「いいね、とか」
「あぁあぁ。あ、それいい、とか」
「そう。で、前、あいつがどっかの店で何か食った感想聞いたんだけど」
「うん」
「『やばっ!ってなって、うまっ!ってなった』って」
「あははははは!」
「いや、オレ、え!?って思って。こんなに何が云いたいのかちっとも分からないのはなかったな」
「超ウケる。『やばっ!ってなって、うまっ!ってなった』って。しかも何?食べるモーション付きで?」
「いやあ、訳分かんなかったよなあ。何が云いたいのかちっとも伝わってこない」
「『やばっ!ってなって、うまっ!ってなった』ってことは、やばいとかうまいってのは、“なる”ものなんだな」
「でも厄介なのが、あいつ、結構プライド高いからイジらせてくんないんだよな」
「へえ、それはまた。いやあ、しかし『やばっ!』『うまっ!』か。超面白ェな。使える」
辺りの紅葉を見ては「やばっ!」「うまっ!」、他に異色の風景あれば「やばっ!」「うまっ!」とばかり云ってはしゃいでいる。さらには渓流の音を聞いては「かわっ!」、全方位を囲む山を改めて見ては「やまっ!」と云うようになって、ここまで来ると、いよいよ抑えが利かなくなってくる。
 ロープウェイまでは歩いて十五から二十分という触れ込みであったが、歩いても歩いてもその乗り場に着く気配がない。私たちが一々立ち止まって「やばっ!」「うまっ!」などと興じていることも大きな要因だろうが、それにしてもやけに道程が遠く感じてしまう。ふと見上げてみると、並び連なる小山の上に、明らかに場違いな大きな建物が眼に入る。どう見てもそれはロープウェイの駅なのだが、山の上にあるし、駅から脇目も振らずに歩いても、二十分以内に到著できるような立地ではない。しかし、いくら文句を云っても事は運ばない。経路にも傾きが出てきて、大カーブを覆うスノーシェルターに潜れば、いよいよ路は山中の車道然としてくる。到底、人が歩いて通るような路とは思えないが、他にやり方もないのでえいこらと歩いているのである。すれ違う自動車からは奇異に映っていたことだろう。
 山道を登るにつれて霞の濃度も増す。その辺りでロープウェイの施設が見えてきた。無人のゴンドラが、上空のケーブルを一つまた一つと滑っては霧の中へと消えていくのが、中々に薄気味の悪い景色だった。
 谷川岳のふもとの土合口と天神尾根を結んでいるロープウェイは、スキー場のリフトのような循環式で、複数のゴンドラが絶えずグルグル回って登下山をしている。駐車場に観光バスが一、二台停まっていたが、少なくとも土合口の乗り場には私たち以外に観光客の姿はない。然るに、私たちで一つのゴンドラを独占することになり、
「おお。高い」
「そりゃそうでしょ」
「紅葉は」
「もう終わっちゃてる」
「ううん。いやあ、高いなあ。あっ。たかっ!」
「あっ。やばっ!」
「やばっ!ってなって、うまっ!ってなった」
「たかっ!」
「やまっ!お、柱だ。これ結構揺れるんだよな」
「いやでも、車輪が上下に付いてるのはあんまし揺れないんじゃないか」
「おっおっおっおっ」
「おっおっおっおっ」
「揺れるじゃん」
「おかしいなあ」
H君は高所恐怖を有っているので、窓際の座席には座れず、ゴンドラ中央部のベンチに腰かけている。煙とナントカは高い所が好きの例で、私は高い位置から眼下を見下ろすのが好きで、窓に張りついて真下ばかり見ていた。
 霧は相変わらずで、序盤はそれでもうっすらと枯れた山肌も見えたのだが、高度が増していくとどんどん濃度も高くなり、ついに我等がゴンドラは全周囲を白色で包まれている世界へと突入した。眼下の木々はおろか、左右を挟んでいた山々さえも見えなくなった。視界にあるのは、ゴンドラ内の景色と、その外部のすべてを覆う白色だけ。最早、ゴンドラが進んでいるのか止まっているのか、見た目だけでは分からない。H君は恐ろしがっているが、これは私だって多少はこわい。
 頂上に着かない。そりゃ、谷川岳は名山だ。新潟の弥彦山などと比べるまでもなく、正真正銘本物の山である。だからロープウェイの規模だってきっと大きいはずなのだが、そうだから、いつまでたっても頂上に着かない。霧に視界を奪われているせいで、ケーブルの先がどうなっているのかも分からない。眼のやり場に困り、ちらと時計を見てみたりするのだが、そこで怪しからんことに気が付いてしまった。ロープウェイの往路を済ませて、さらに復路にかかる時間、加えて土合駅まで下山する時間を考慮すると、私たちが乗る列車の時間ギリギリになってしまうのである。それはつまり、土合の名物であるトンネル歩廊を少しも眼にすることなく、そこを去らねばいけないということである。私たちの旅の主目的はそこであるはずなのに、一目も叶わないとはなんとも傷ましいことではないか。俄かに不穏な空気が漂い始めた。
 真っ白な霧の中から、天神尾根の駅がボウッと姿を現した。しかし、我々は急いでいたので、駅の外も霧に覆われて何も見えないことを確認してすぐに、下りゴンドラに飛び乗り復路に臨んだ。このうちに、ロープウェイを降りてからのタイムスケジュールを組み直す。件の列車を逃すと、次は三時間後の便となる。こんな辺境でそこまで時間を潰せるわけがなく、その事態はなんとしてでも避けなくてはいけないのだ。
 リフトを降車して急いで施設を後にする。タクシーがあればよかったのだが、そんなものが山奥にあるわけがなく、とどのつまり、これはもう自力で下山するしかない。行きはよいよい帰りはこわい。意思疎通をしたわけでもなく、覚悟を決めたように、私たちは復路を走り始めたのだった。先程、ヤイヤイとはしゃいでのんびりと登ってきた山道を、今度はひたすら駆け下りていく。すれ違う乗用車や上りの路線バスから奇異の眼が注がれているようで、なんだか情けなく、赤面する思いだった。
 この日の私は、足元をレッドウイングのエンジニアかナイキ社のスニーカーかで迷っていたが、スニーカーを選んで本当によかった。重いブーツを履いての坂道ランは地獄であっただろう。それなりの傾斜である路を走っている最中「箱根駅伝の走者とはこういう気持ちかしら」と考えた。しかし彼らはこのような下り坂を、私たちとは桁違いに速いペースで、文字通り駆け下りているのだから、その凄みが体感から理解できる。
 普段、走るという行為をするのはほぼ皆無であるから、これは久しぶりに左脇腹の鈍痛案件かなと思っていたが、ペースがそれほど高くなかったためか、体力は意外と保ち、予想より早いタイムで土合の駅舎が目に入ってきた。だが、ここで儲けた時間で件のトンネルに寄れるということにはならない。ただ、次の列車に少し余裕をもって乗ることができるというだけである。
「案外、早く着いたな。すごい」
「結構走れるもんだな。列車にも間に合いそうだけど、下りホームは見れそうにない」
「でもまあ、バスもあるみたいだから」
「バス。あ、そっか。」
「駅に着いたら、まずバスの時刻を調べてみないと」
「だな。そうだ、バスがあった」
確かに土合から水上温泉までを結ぶバス路線もある。そのバスは列車の発車とずれて走るだろうから、そうなると、俄かに下りのトンネルホームも見れるような気がしてきて、胸のあたりがすっと軽くなった。
 往きに一々注目していた景色には目もくれずに、程なく土合駅に着く。下りの路を走る時は、膝に負担をかけないように気を遣うので、日常的に使わない筋肉を稼働しなければならず、駅に到著しクールダウンに歩く私の脚はバンビのそれであった。気を抜いたら何かが離れてしまいそうである。H君がバスの時間を調べると、次の水上行きバスは十三時十八分の発。ここに、下りホーム見学の猶予を賜ることができた。
 細かな雨粒が落ち、霧が湧く冷ややかな天候だというのに、一気に走り下りてきたからか、身体が火照って湯気が立つ。眼鏡はすっかり曇ってしまった。汗もダラダラと流れていて気持ちが悪い。待合で少し休憩と、実際の気温は低いというのにハイカラーネックコートとシャツを脱ぎ、インナー一枚の恰好になって、H君のポケットティッシュで顔面と上半身の汗を拭いている。そこへ下りホームの方向から、揃いのジャージの中学生らしき小集団がぞろぞろとやってきた。遠足なのかもしれないが、うら若い少年少女に、薄汚い下郎二人が息切りながら汗を拭き拭きしている光景を見せるのは忍びなかった。容易に回復はしないので、しばらく空間を共にしていると、彼らの点呼中に引率の先生や、H君のスマートホンがほぼ同時に鳴りだした。何かの警報かとワクワクしたが、何のことはなく、ただの地域の防災システムの予行演習であった。
 待合から下りのホームに向かい始める。薄暗い監獄のような廊下を抜け、ドーム屋根の長い通路に出る。そこの窓から外の様子を窺うと、駅舎の三角屋根が見えた。位置関係を考えてみると、どうやら私たちはロープウェイの往復時にこの連絡橋の下を潜っているようだった。その時はデカい建物だなあと思って見過ごしていたが、これは土合駅の一部であった。後で再びこの通路を外から観察してみたが、確かにこの通路はそのまま真っ直ぐトンネルの内部へと突入している。土合駅の規模の大きさに改めての一驚を覚える。
 先を見ると、行く手に通路がなくなっている。途切れたわけではない。下り始めているのだ。私たちはいよいよ土合名物、トンネル内の下り線ホームに至る四百六十二段の長階段に直面した。
 絶望的な光景だった。地下世界をくり抜くように伸びるトンネルの内部に、等間隔で並んだ蛍光灯に淡く照らされた階段が、決してその最果てを見せようとせず、私たちを飲み込もうと待ちかまえている。
 一段また一段と下りていく。未だに先程のランニングが堪えているのか、大腿の筋肉が何とか頑張ってこらえているというのが伝わる。下りる方向から見て右手に、ただ小石が敷かれただけの坂が平行に伸びていた。頭上から滴り落ちるのか、それとも自然と湧きあがるのかもしれないが、地下水が滲んで流れて、極小の渓流が形成されている。トンネルの側壁も天井もコンクリート剥き出しで飾りっ気はなくどこまでも無機質。それでも照明の光が当たる辺縁に沿って苔が緑々と生しているのは、生物が何世代も遡った頃から有つしぶとさからか。
 途中に、休憩用の木製ベンチが何個か置かれてある。だが、それらのお世話になることなく、意外とすんなり最下段を踏んだ。そこから見上げる四百六十二段はまた違った絶望感を来す。上と下とでは景色がだいぶ変わってくるようだ。
階段を囲むトンネルと直行するように造られたトンネルには上越線の下りホームがある。照明はあるがどこかぼんやりとしていて、ホームは薄暗く、そして冷んやりとしている。コンクリの天井や壁の至るところに配線ケーブルや銅線が何本も何本も、時には束になりながら規律正しく走っている。一昔前のSF物の秘密基地めいたその景色は、男心をこれでもかとくすぐる。
 驚いたことに、こんな地下深くの歩廊にも御不浄が設備されている。H君はどうやって処理するのかを不思議がっているが無理もない。丁度催していたこともあり、ものは試しと私自ら使用感を検証してみたが、近づくと自動で流れる洗浄水のハケるのが遅く、果たして小便もろとも溢れだしてきたので辟易してしまった。事は途中でやめざるを得なかったので、微妙な感覚が下腹部に遺る。
 トンネルの薄闇にできた駅のホームは、創作の世界にいるかのようだ。ブルーに光る新しい電灯に照らされて、とある区画は青白く映るのがその非現実の味を高める。退避用と思しき線路もあるが、いまは使われていないのかもしれない。特急が走っていた時代の遺物ということになりそうだ。現在、主に使われている線路、その両端には暗闇が待ちうけ、いかなる物の影も見えない。完全なる闇。真っ暗。今やどんなに廃れた田舎にいたとしても、誰もが寝静まった真夜中にもどこかに明かりは灯っていて、本当の暗闇を体験することはできない。しかし、その時の私は、地下に走る線路の果てに、不気味で得体の知れない真っ暗闇を見た。
 行きはよいよい帰りはこわい。階段ということであれば、やはり下りよりも上りの方が辛い。しかも、こちらの脚はバンビ同然ときているから、なおさらに困難となる。一段ずつ、えいこらえいこらと踏みしめていく。ベンチで休むこともせずに、無心で上る。階段には定期的に段数が記されている。それが三百、四百と刻まれて、ついに最上段の四百六十二段を数えた時は、達成感のような感情で胸が満ちる。例の連絡通路を戻って、あとは薄暗い廊下という際に、そこを隔てるガラス戸に「お疲れさまでした。(階段数462段) 改札出口まで後143メートル 階段2ヶ所で24段です。 がんばって下さい。」という言葉がプリントされてある。御丁寧に「がんばって下さい。」と傍点付きで、これは作者の悪意の有無に関わらず、紛れもない煽りの技法である。私たちは思わず笑ってしまったが。
 水上へのバスを迎えに、路傍にひっそり建つ待合小屋に入ると、ゴミばかりが落ちてあるようで、かつては何らかの事務所、いや、そうでなくとも人が寛げる空間があったような痕跡も見えてくる。壁には、おそらく程度の低い登山あるいはスキー客が書き残していった「○○見参!」といった実に粗末な落書きが、数えきれないほどにされている。これらは近頃の若い衆の産だろうとうんざりしながらよくよく観察してみると、「S.62」や「S.58」という年号が添えられていて愕然とした。落書きのコロニーを探すと、出てくる出てくる「S」というアルファベット。結局いつの時代も若者はヤンチャするものと知るこそ、可笑しい。そういうあたりでバスは来る。バンビの脚で乗口に掛る。


  三 水上温泉入湯記(水上廃墟案内)
 水上温泉には―子供の頃の話だが、一度だけ来たことがある。小学時代の、両親、姉、祖父母との家族旅行の話で、たしか二泊はくらいしただろうと思う。祖父母も連れだって旅行をするのは珍しいことだったが、すなわち戦時中に祖父が疎開していた寺を訪れるというのを主目的に出来上がった旅程なのである。今思えばこそ、祖父にとっては実に尊重すべき旅行なのであるが、当時小学生のお坊ちゃんだった私にはその意味の大きさも解らず、楽しみだった水族館に行けないで駄々をこねるという始末であった。それも同一の自分自身のエピソードとはいえ、そこまで過去の自分など最早別人、そしてあまりにも幼い。駄々をこねる稚さを思い出し赤面しないこともないが、自分にも年相応な可愛げもあったことに何かと胸を撫で下ろしもするのだが、そんな一個の思い出自体よりも、その旅行が自分の感性的成長に大きな影を落としているということに、今ではより一層の思いを寄せるべきである。
 して、この度、級友たるH君と上越線の土合駅を訪ねることになったわけだが、そこから駅路で二つという所に件の水上がある。私にとっては、上述の挿話から、名前を耳にするだけで当座の楽しげな思い出も甦る縁の地で、今後またとない機会の予感も兆して、時間割を組む時点で希わくは是非とも水上訪問を申し出たという顛末があったことを、まず記す。
 土合からのバスで湯檜曽を経て後、終点水上駅の停車場へと降り立った。列車よりも、バスの運賃が余計に掛かってしまうのは大いなる癪。そもそも鉄道旅行というのに、バスに乗っていることからして本末転倒の類なのだが、列車の本数が少ないという動かざる事情の前では、バスという選択にも一定の道理はある。
 水上旅行の記憶は複数の断片に分けて有っていた。しかし、あまりにも細かく分割してしまったため、今までにその断片の大半を失くしてしまっている。だから、かつてのことはよく憶えていないのだが、初回は自動車で訪ねていることもあり、少なくとも、水上駅をこの眼に映すのは初めてということは分かった。いつかのうちに改修されているようで、事実新しいが、微妙に大きな地方の駅と似通った改装がされ、ごくごく平凡で無個性な姿形をしているのが却って印象的にさえなる。無個性の個性。無意識の意識。
 駅の正面に細い車道が一筋真っ直ぐし、それを挟んで食堂土産屋の立ち並んでいるのが水上駅前の風景。一路に沿って細身やチビデブの建々物々が狭っこく軒を連ねる内に、何となく一昔の映画セットのような不自然さを見つけ、どことなくハリボテの観をも感じる。
 腹が減った。先に坂を走り下りた肉体的な疲れに諸々の気疲れも加わって、改めて胃臓の実在を思い知るほどに、さっきから空腹が身に沁みている。筋肉を使った後だとしたら、やはり動物的な蛋白質を摂りたくなるというのが、二人の共通の認識だったが、H君の顔に店を決める気配のなく、かつ何を思ってかH君が「あまり迷ってる時間はないぞ」という言葉にも追い込まれてなお考え及ばず、のぼりの文字にも誘われ、いよいよ適当なそば屋ののれんをくぐってしまった。こんにちは。ええと。二階、空いてますか。はい。お二階へどうぞ。
 そして、「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」とは、更年をとうに果たした女性店員のお迎えだが、いずれの座敷にも座椅子や座布団の用意なく、凡そ私が想定していたもてなしと違っている。結局は隅に積まれた座椅子座布団を自ら設置してみる。雨に濡れた長ズボンの裾が肌に張りついて寒い。暖房をつけてくれればいい。
 そば自体にそれほど期待はせず、こだわりなく山菜そばの温かいものを頼む。H君が何を注文したかは忘れた。互いに、事あるごとにスマートホンに手垢を擦りつける習性はなく、注文を済ませてからもお品書きを眺めている。メニュウに(どれもうどんに変更できます)と書いてあるのを見て、例えば、山菜そばを、
「うどんそば」
などと肝腎な単語を変更しないで、そうじゃない単語ばかり変更して遊んでいる。一品料理の項に移れば、
「それじゃあ、鯉のうどん」
とくるし、飲み物に至っては、
「うどん酒」
「ノンうどんビール」
「いや、そもそもビールにうどん入ってねえから!」
とひたすら揚げ足を取り続けて、勝手に面白がっている。やはり疲れが祟っているようで、いつまでも笑いが込み上げてくるが、他の客もいる手前、あまり大きな声を出すのはこらえて、背を丸めて顎を噛み、口唇の隙間から息を漏らすように笑って、却って厭らしい感じだ。
 そばは思った通り。
 そばを食べてだいぶよくなったが、基本、雨に濡れ、汗も乾いた身体は冷える。そして、ここは温泉地。ならば一ッ風呂浴びなければ全くお話にならない。駅構内ではなくて、通り沿いにひっそりとしている観光案内に教えを乞いて、日帰り入浴を取り扱う旅館を一、二、三軒と数える。
 空中に漂っていた霧状の雨は、落下して地を潤すくらいに大きく強き粒となっており、傘を差さないと流石に煩い。温泉街方向へ歩いていくが、目星の一軒目が思っていたよりも小さく古かったので無かったことにした。道すがらに望む利根川の流れは厳しくてどこか男川の風情さえある。道から川の沿いの沿いまで下りて行ける歩道を見つけ、復りに歩いてみようというのがH君の云い分である。そこから彼岸まで掛かる吊り橋があり、なかなかの趣と思っていたらすでに崩れかけており、足場の板もほとんど落ち、どうにも格好のつかない姿になっていたのが、哀しく、またやはり可笑しくもあり、二人でせせら笑う。
 利根川の上を大きな橋で渡る時、いよいよ水上の温泉街に出合うが、ホテルその他の建物すべてが時代を隔てる古さで、漏れなく下へ下へと垂れている薄汚れがこびり付いている。ここで何を思ったかを言葉にして伝えるのは決して容易ではない。寂寥。敗北。堕落。絶望。死。後ろ向きの暗い言葉ばかりが浮かんでくるわけで、茶化すこともうまくできない。H君も「やばい」などと言葉ばかりは現代ドキの口だが、わずかに狼狽えの色が混じっている。私も一応、答えはするが、ひとりぼっちで対面していたら、確実に閉口して、愕然と立ち尽くしていたことだろう。
 ロゴからして昭和の産、今もやっているんだか潰れているんだか判らない某ホテルの名前に少し憶えがあった。母親の口から、この名を耳にしたことがあるような、ないような。次いで、それと対するような立地にある、橋の袂のホテルに注視を運ぶ。一目で分かる、廃ホテル。そしてそのホテルの名前が、どうしようもなく胸に引っかかる。こんなホテルなど憶えていない。だが、よく知っているような、一度出合ったことがあるような、奇妙な胸騒ぎが湧いてきだした。おい、おい。頼むからやめてくれよ。
 母親に連絡をしてみる。水上で泊まったホテルって何て云うんだっけ。Sホテル。ビンゴ。
 そういえば、この橋にも見憶えがあって、ここで並んで撮った集合写真があった。欄干からは利根川の厳しい流れを見下ろせる。これを湯原橋と云う。
 廃ホテルに入る機会は、全うに暮らしていれば、一般には皆無である。廃墟には、時々、業者や役所が管理をしているようなところもあるが、この、Sホテル跡には、人の手が加えられているような気配は、少なくとも見た目にはない。玄関に入ると、ウエルカムマットが無造作にめくれ、辺りは塵芥のうすく積り、ゴミや靴ベラ等の備品も散り散りの無残な光景。温泉旅館の(歓迎 ○○様)(歓迎 ××御一行)という黒板だけ綺麗そのままに遺るのも、薄気味悪く、なおさら哀しい。ロビーは見る影なし。壁には大きな穴ぼこ、天井は腐って抜け、隠れていた配線類が垂れるどころか、雨漏り水がドルドルと流れ落ち、それがそこらに積もった土砂を浸すものだから、どことなく汚い。そしてやはり恐くて、さらに奥地に侵入する気持ちにはなれず、足の奴だって前には進もうとしない。かつての帳場は型だけが残り、ホテルとしての一切の面影は消え去った。この廃屋が、私が幼い頃に家族と泊まったホテルだという。いきなり告知されるのは、あまりにも非道いが、子供の自分と、現在の自分がまるで違っていることも、案外これと似たようなものかも知れない。
 しばらく歩く水上の温泉街も、だいぶ悲惨なもので、日曜の恩恵もまともに受けず、観光客の姿はおろか、地域住民の影さえない。凡そ有機的な代謝が行われているようにはとんと見えず、灰色の空の下にあれば、「死の街」の連想をも呼び起こせずにいられない。きっと私も一度は歩いた街路と思うが、そのあたりの記憶がすっぽりと抜けているので、街並みは割合新鮮に映る。
 子供の頃、とは云え、私は平成の時代に生まれ落ちたので、つまりは平成からの話であるが、そこからさらに年号の数が増えた現在に見るその街は、明らかに平成よりも前の時代から停止しているかのよう。美容院のタイル貼りの柱や、昔気質の居酒屋など、それ自体、一種の感興だからこれでいい。だが、この先のことを考えれば、停止どころか、いずれは打ち切りの控えているようで、決して楽しいだけではない。
 角に遊技場の閉じているのがあり、一層哀しい気持ちに堕ちる。というのも、例の旅行で、温泉街に纏わる憶えというのが、遊技場でスマートボールや射的で遊んだというくらいしかなかったために。今、目の前で潰れている店が、記憶の店かは知らんが、遊び場が廃れた景色というのは、縁の有無に関わらず、ただただ哀しいもの。真っ暗な店内に、何かしらの景品だったか、とても大きなテディベアが日に褪せたように座っているのが不気味で、皮膚が毛羽立つような小戦慄を覚える。中途に、温泉郷の地図がプリントされた馬鹿にでかいシートが張られているが、あまりにも縮尺が大きすぎて、まさに今温泉街を歩いている向きには全く参考にならないが、これがどんな意味をもたらしているのかを調べてみれば、やはり地図そのものとしてではなく、そのシートを張っている建物―これが廃墟であり、それを隠そうという姑息的な手段であるようだ。廃屋をどうするかという根本、かつ第一の問題に目を向けず、まさに臭いものには蓋をのやり口でずっと放っておく―シートの絵柄のレトロさから、これはかなりの昔からやられているように思える―行政のセンスには首を傾げるしかない。この街は、本当に生きているのか知ら。
 さっきから寒々としっぱなしなので、いい加減、湯に浸かって帰りたい。観光案内で教わったホテルを見つけて寄ってみれば、
「こんにちは。ええ。日帰り入浴を、利用したいんですけれど」
「申し訳ございません。日帰り入浴は午後二時からになります」
ときたから参った。確かに、旅館、ホテルは午前に清掃を済ませて、午後から日帰り入浴を提供することが多い。しかし、悠長にその時間を待てば、今度は戻りの列車に乗り遅れる。
 こういう時間関係も、観光案内所で説明をするべきであろう。事前の詳細な説明とは、まるで医療者にのみ求められている案件のように錯覚していたが、本来は、どんな職業人にも普及しなくてはいけない自覚であろう。行政の人間は特にそうである。
 私たちが口々に、参った、参ったと云うのを見かねてか、ホテルの人が、ここから近くにある温泉施設を紹介してくれた。そこならどんな時間でもやっているだろうと。この温泉施設のことは、案内所では少しも聞かされなかった。
 とはいえ、せっかくの機会に、ただの温泉施設で済ませるのもどこか癪で、道すがらで見つけた、(日帰り入浴)の看板を立てたホテル―これも案内所では触れられなかった―から訪ねてみると、やはりここも午後二時からの開始。これでもう切れるカードも残っておらず、その温泉施設に足を運ぶ。ここまでの展開で温泉街を何度も行ったり来たりしている。というのに、途中にある、面白い名前の喫茶店は何度見ても笑い合える。
 温泉施設ということから、やはり規模は小さくて、もはや単なる銭湯などと見まがうほど。真に温泉?などと云う割に、使用料は中々結構なもので、タオルの分も別に回収する。学生の常套、別々に会計を申し出、それはいいことになったが、まず私が料金を納めると、受付のお母さんは、立て続けにH君にも催促をしだした。別段、断る謂れもないため、H君は素直に金子を渡すのだが、お母さんは何を思ったか、或いは何も思っていなかったのか、私が渡した分とH君の分を躊躇なしに一緒くたにして、それで「一緒になって、分かんなくなっちゃった」などと笑っている。全く、とんでもない手品を見せられた。後ろに控えていた老年の女性が解決しようとしゃしゃり出てきたが、あなたはいくら出したんですか、となぜか尋問をするようにこちらに問う。ぶん殴ってやろうと思った。
 浴場はとても小さいなんてもんじゃない。真に温泉?思っていたのとは、だいぶ格好が違ってくるが、しかし、雨、霧、街並み、人に冷たくなった身体に、風呂は等しく沁みる。髪を濡らさないように、気をつけて湯に浸かる。時々、お湯が注ぎ込まれなくなるこそ、訝しき。列車のことも気がかりで、それほど長湯はせずに上がる。脱衣所で、旅行者らしき男性と話をしたが、谷川岳が云々新潟が云々という取りとめのないやり取りだったので、憶えなかった。
 血の気の失せた温泉街を、駅に歩く。私が楽しい思い出として、ずっと大切に追いかけていた水上は、この程度のものだったのか。寂しいような、儚いような色々の感傷が頭の中を入り混じって回ってうまく考えがまとまらない。それもそうだなと、一つ息をついても、依然ショックは止まず、持参の傘を駅に置いて忘れるところであった。十三時四十二分、上越線長岡行の列車が滑りだした。
 接続の不便から、長岡で待たなくてはいけない。H君は肉を食べたいと云いだし、そういえば私もそうだったので、駅ビルのフライドチキンのチェーン店にて栄養を補給するのである。私はファストフードを自分では買わないので、帰省の折に家族が買ってきたのを食べさせられるのを抜きにすると、この店頭で買い食いするのは、最早数年ぶりの出来事。大したこだわりもないので、一般的なチキンのセットを求める。H君は、気になっていたらしい限定のハンバーガーを食べていたが、何だか渋い顔をしている。この店のフライドチキンは油っこく、いつもは箸で食べるところを、出先なので手で食べるしかない。付随の紙ナプキンを二枚重ねて揚げ鳥を掴むが、これでも油が染んできて思わず閉口。紙を次々と重ねて、遂に全枚を駆使しても変わらず油は染み込んでくる。これほど不潔な食べ物はない。滲んだ油脂に指先が煌々と照っている、その光の汚さよ。

  1. 2016/01/07(木) 19:00:00|
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弥彦線莫迦列車

  一 美少女に生まれていれば
 どうやら私は、人と話さないと駄目な人間だったらしい。
今まではひたすら講義の毎日だったし、今年の夏までは臨床実習などもあったから、一日一回は人と会って話す機会が必ずあった。それが今回の卒業試験が始まってみると、そもそも登校するのは週に二日だけと、一気に少なくなった。試験は午後からなので、それまでは校内の一室でクラスメイトと復習等をする習慣になっているが、ここでついに人と言葉を交わすことになる。
 卒業試験が始まってそれなりの日々が過ぎた頃に、自分の変化に気がついたのだが、それは試験日から次の試験日までのわずかな数日のこと。級友との勉強会などもせず、人と会う予定も滅多にない私が、ゴミ出しや手紙の投函以外に屋外に出ることもなく、自室にこもってひたすら机に向かっているような暮らしをしているうちに、時間が過ぎるに伴って段々と自分の気持ちが明らかに落ち込んでいるのである。この時に、気持ちだけでなく身体も重くなる気がするのだが、この症状は試験日に学校でクラスメイトと会うことで、たちまちに晴れるのである。これが試験から次の試験までの一つのサイクルとして廻っているようであった。
 自身の体調の変化から、冒頭に述べたような気づきに至ったのだが、未だに自分の内に、案外と可愛い性質が残っているということにまず驚いた。自分がこの性格だけをそのままにして、美少女に生まれていれば異性から相当モテるに違いないと思う。それもその筈で、美少女であれば性格はどうあれ異性からモテるに決まっているのである。
 さて、暦の上ではまだ秋だと思いたかったが、気候的に冬が訪れたことを肌寒さで実感して冬服を用意したというその頃に、とある祝日がポンと挿入され、それによって週に二日の試験日が一つなくなることになった。これはつまり試験日から次の試験日までの間が長くなることを意味するが、私にとってこれはあまり良いことではない。連休のようなかたちになるのでこぞって遊びに繰り出す向きもいるだろうが、大した用事もない私は、日々の買い物などをする以外にはひたすら部屋にこもりきりとなるに決まっている。実際、生活の必要性から外に出かける他には、ひたすら家にこもって机に根を張り、気づいた時に適当な食事を見繕って摂り、空いた時間には今まで何回も観たアニメの録画をただ観ていた。空の色も見るからに苦しくて、唯一の趣味である散歩に出かける気にもなれない。
 予め分かってはいたが、案の定日を追うごとに気分は落ちていった。些細なこともやけに不安に思え、何もないのに神経はどこか張り詰めたままだ。もはや気がおかしくなりそうである。
 このままではいけない。一度、この忌々しい気分を霧散させなくては、恐ろしいことになる。たまらず私は計画を変えて、合間の一日に予定を組み込むことにした。とにかく今はどこかに行きたい。そしてできれば列車に乗りたい。路線図と時刻表とを研究して、私は弥彦線に乗ろうと決めた。

  二 弥彦駅
 朝早くから出かけようと思っていたが、それほど早起きができなかったので、結局は八時五十分白山発の越後線に乗った。これは内野行なので、次の列車までだいぶ待ち時間ができてしまうが、白山駅で待っているよりも、まだ行ったことのない内野で待っていた方がまだマシと思って乗り込んだ。
 この日は平日だったが、通学・通勤ラッシュを寸でのところでかわしたようである。それでも時間の自由度の高い大学生や専門学生は沿線の各駅で見かけるのだが、それぞれに降りる学生たちの雰囲気が妙に似通っているのが面白かった。地味な学生ばかりが降りるところもあれば、程度の低そうな学生ばかりが降りるところもある。類は友を呼ぶを拡大解釈するのであれば、そういう学校はそういう学生を呼ぶということであろうか。かく云う私は、古い云い方をすれば一応新潟県の最高学府に通っていることになるが、頭髪は明るい金色で、どこから見ても軽薄そのものだから、誰ひとりとしてそうは思わないだろう。
 計画時に天気予報で調べたとおりに、この日は空一面が青で染められ雲一つない所謂日本晴れで、重くなった気分を刷新するにはいい日和に思える。只見線莫迦列車で同路線に乗った時は雨が降りつ上がりつと最後までハッキリせずにヤキモキしていたが、今度はそういう心配もない。
 私は、電車や自動車に乗って車窓を眺めて過ごすのが、昔から好きだった。家族旅行の車内でも、部活動の遠征のバスの中でも、少しも眠らずに窓に流れる風景をひたすらに追い、その景色の中に立っている自分の姿を当てはめたりしていたのである。そもそも絶景として名高い車窓景もいいが、何の変哲もない住宅街や田舎の集落の方が見ていて楽しい。物干しに掛けられた洗濯物や庭の一画の小さな畑などの、実に生活的な光景を目にして、この町に暮らしたらどうかしらなどと考えてしまい、その想像に胸がトクンと高鳴る。越後線は沿線住民の生活用の路線で、目を見張る光景は一つとして有ってはいないが、最後まで人が住んでいる場所を走っているので、窓の外を眺めていれば、私にはそれほど退屈なものではないのである。
 出発からだいたい十五分位で内野に着く。初めて降りる駅で、それほど大きくはないが意想外に新しい。ここで四十分ほど待つことになるのだが、駅舎の外に出る気はあまり湧いてこなかったので、記念スタンプを手帖に押してからは待合で本を読んで過ごす。
 九時四十七分に吉田行に乗り込み、三十分位でその吉田に到著する。ここでいよいよ弥彦線に乗り換えなのだが、平日だというのにどういうわけか、大勢の乗客が弥彦行の列車へと向かっている。平日に暇のある人種といえば、私のような学生か余生を過ごす老人たちくらいなものだが、この大勢の乗り換え客は、私以外はその老人ばかりで成り立っているのだった。いま思うと、これから向かう弥彦は神社があって簡単な登山もできる、いかにも高齢者が好きそうな観光地である。弥彦といえば紅葉も評判で、地域誌や観光案内では必ずと云っていいほどに特集され、毎年多くの旅行者を集めるのだが、この日はまさに紅葉のシーズンど真ん中に当たっている。これは後から知ったのだが、恒例の菊まつりがつい先日に始まったばかりということで、老人に限らず多くの人間を引き寄せる条件を、この時の弥彦は悉く所有していた。それは、列車も混み合うわけである。
 またそれだけでなしに、幼稚園か小学校かは分からないが、その辺りの年頃の児等も、遠足か何からしく、先生の先導でヤイヤイとはしゃぎながら並んで歩いていた。そもそも歩くのが遅いくせに無秩序に広がって歩き、周囲には気を留めず突然に予測できない動きをする老人たちと、ゾロゾロと列を成して人混みの中を縫ってあるく、まだ注意力も成熟しきっていない小児たちに囲まれて、いちばん歩きにくい思いをするのは私である。私の年代よりも、子供や高齢者の挙動をこそ優先するべきだという見えざる世間の目も何かと肩身を狭くさせる。私は偏屈ではあれど決して狭量な人間ではないと思っているし、自分に実害が加わらない限り、自分より上下の世代には親切にしようという世間的な常識も有っているが、それはそうとして、自分に合った歩幅とペースで歩けないもどかしさと気持ち悪さは、思ったよりも大きなストレッサーである。
 発車を控える車両にすでに座っていた人たちも多く、それに加わるかたちで、列車の中は九割が高齢者の乗客でいっぱいになった。嗅球が受容するのは老人ホームの匂いそのものである。対面式の長椅子もそれに沿った吊革にもびっしりと人がいたため、先ほどの子供たちは、中央の空いた空間に縦に並んで立つことになってしまった。吊革や手すりなどつかまるものが何もない中で立っていれば、列車の揺れに耐えられないで、色々と危ないはずである。実際、列車がカーブなどをする度に、揺れてバランスを崩している。どう見ても危ないので、見かねて「キミたち、電車が揺れて危ないから私につかまりなさい」と申し出てみると、舌足らずな「ありがとうございます」の言葉の後に、私の腕に二人の幼女がつかまることになった。それ以外に彼女らと話すこともないので、それからはずっと黙っていたが、金髪の青年の腕に二人の幼女がつかまっている光景は、傍から見ればさぞ風変わりなものだっただろう。ロリコンと思われたらどうしよう。
 弥彦駅に着いても、当然列車内の大勢の人が一斉に降りることになるので、そう簡単に外に出ることができない。この駅は自動改札もなく、よりによってたったひとりの駅員が切符を回収しているのだから、この事態がスムーズに収束することはまずない。
 同時に降りた人々と一緒に行動するのは嫌だったので、混雑のほとぼりが冷めるまでしばらく駅でぶらぶらとしていることに決めた。弥彦駅の外観は朱色に彩られた木造りの入母構造で、おそらく彌彦神社を意識した設計だと思うが、彌彦神社はこれほど派手ではない。簡単な土産も揃える売店もあって、新潟県屈指の観光地の玄関口らしく、それなりに大きな駅である。
 私は弥彦線に乗るのが目的だったので、別にそのまま戻ってもよかったのだが、せっかくここまで来たのだし、時間もあるからそれらしい所には行くことにした。ふと駅に貼られた横断幕に目をやると、「彌彦神社御遷座百年」と書いてある。由緒はよく分からないが、いずれにせよ今年は記念すべき年であるらしかった。加えて紅葉と菊まつりもあるのだから、あれだけ混むのにも頷ける。

  三 二礼三拍手一礼
 弥彦は初めてではない。数年前に一度、家族で彌彦神社へお参りに来たことがある。だが、その際は自動車で直接的に神社を訪ねて帰ったばかりで、今度のように列車で入り、駅からの道を歩くようなことはなかった。
 とりあえず神社に行ってお参りをして戻ることに決めたが、弥彦駅から神社まではそれなりに距離がある。土地勘も全くないので少し心配だったが、駅前の周辺案内を見てみると、道程は大通りを進めば簡単だったのですぐに憶えた。
 列車や駅の混み具合そのままに、多くの観光者が路を歩いている。この外苑坂通りは駅から神社への主要な経路だが、車通りがそれなりにある。というのに、大半の旅行者諸氏は広がって歩いているうえ、仲間との会話に気を取られ周囲への注意も働かず、見るからに危なく、かつドライバーにとっては迷惑だろうと思える。
 パンダ焼きが名物の製菓店を通り過ぎて行くと、弥彦公園が左手に見えてきた。公園は目当てではなかったが、「もみじ谷」と書いた看板や、やはり多くの人で賑わっているところを見ると、もしかすると今が紅葉の盛りなのかもしれないと思って、一寸立ち寄ってみることにした。誘惑的なテキ屋の並びを横目に見て園内を往き、曰くありげなトンネルを抜けてもみじ谷に至ると、そこには黄、橙、赤、紅と、思い思いに染められた紅葉のレイヤーが幾重にも幾重にも重なり、それが視界いっぱいに広がるという想像を超えて見事な光景が創られてあった。すべての暖色が揃っているのではないかと見まがうほど、各色においても実に様々な階調があり、黄、橙、赤、紅などと一言で片付けることはできないと感ぜられた。谷底まで生い茂るもみじを橋から望んでも、多種多様な暖色が網膜に隙間なく届く。弥彦の紅葉が毎々多くの人々を呼び寄せる理由が少しだけ分かったような気がした。
 神社通りに入ると、路の両側に旅館や土産屋も多くなり、いよいよ越後一宮に至る門前町らしくなってくる。そのまま歩けば一の鳥居に着くが、この間のことを思い返してみると、あの時は車で来たために駐車場からつながる東参道から神域にお邪魔したが、本来はこの一の鳥居から参拝を始めるのが正式ではないかと思われる。あの時は一旦一の鳥居から外界に出てすぐに鳥居をくぐって、改めて境内に入ったかもしれないが、何しろ数年前のことなので、そのような仔細な部分までは憶えていない。
 木漏れ日をかすかに受ける玉の橋の神聖な様を目にし、杉並木に囲まれる参道を歩いていると、やはり神域、いくらかは神妙な気持ちも兆すが、それ以上に、境内を闊歩するその他大勢の煩わしさにやられて、旅情や風情は逐一霧散していってしまう。ところで、近頃こういった催事や観光地など、多くの人々で賑わう場面において、犬を連れている人の姿をよく見かけるようになった気がする。私は犬が好きなので、それを見ても特に何とも思わないが、しかしこれだけたくさんの人間が集まっているのだから、例えば犬を苦手とする人が何人かいても決しておかしくはない。それに、人がたくさんいるというだけでただでさえ歩きづらくなっているというのに、そこで犬を歩かせては余計に足元に注意しなければならなくなる。犬を連れて行きたくなる気持ちはなんとなく分からなくもないが、それでも多くの人々のいる場で犬を歩かせることの周囲への影響は今一度考慮するべきである。それは飼い主のエゴやファッションではいないか、愛犬家の自認があるなら、まずは感情で動かずに、確りと頭で考えてから事を進めるべきである。
 菊まつりが開催中ということで、参道の両脇には無数の菊が飾られていて、たしかにその光景は狂気の沙汰とも思えるほど圧巻と云えるが、菊はあまり好きな花ではない(蓮やアジサイが好き)ので大して関心はなく、まずは本殿を目指す。とは云っても、参拝は後回しにして、最初はロープウェイに向かおうかなと考えていた。ロープウェイの駅までシャトルバスが出ていたはずと探していけば、拝殿脇の砂利道にバスの停留所を見つけることができた。この混雑だからバスの待合も恐ろしいことになっているかと思いきや、数人の旅行者が立っているばかりで、すんなりと乗車ができた。乗り合わせたのは、中高年の集団であるが、こういう年代の、特に女性は一々見たもの聞いたものをその都度口にする傾きがあるので、そういう集団と空間を同じくすると、目を瞑っていても、彼女らの代読サービスによって周りの様子が瞼の裏に浮かんでくる。
 万葉の道という自然道をバスに運ばれて、弥彦山ロープウェイ山麓駅に到著する。早速、往復券を購入して乗車待機の列につくが、実は待つことに関してはこれからが本番であるようだった。待機列は乗り場までの上り階段の最初から最後まで続いているようで、最後尾はなんとチケット売り場の時点から始まっている。ロープウェイは十分ほどの間隔で運行するとはいえ、これほどの人数を捌くのにはだいぶ時間がかかる。その間隔で少しずつ少しずつ進みながら、最早何故自分はこのようなことをしているのか疑問さえ思い、列を抜け出て参拝して帰ろうかとも考えたが、そんなことをした方が詰まらないだろうと踏み止まっていた。そのうちに、やっとのことで乗り場に来た。この混雑だと、十中八九定員ギリギリまで詰め込むに違いないので、少しの間でも、老人に囲まれた車内で過ごさなくてはならないのは、それほどいい気分ではない。係員の云う言葉にも応じない高齢者にほとほと嫌気が差す。
 私が乗り込むであろうゴンドラが山頂から下りてきた。扉が開き、乗客が次々降りていくのを眺めていると、親しいクラスメイトが降りてきたものだから大層焦った。その級友には妻子があるので、休日の家族サービスということなのだろうが、気安い仲とはいえこういう機会に顔を合わせるのは気不味い。それに私は先日にキャラクターデザインを大幅に変えたばかりで、それもまだ公にしていない頃だったので、その段階で知人に見られても、ただ向こうを戸惑わせるだけである。彼に見つかってはいけないと、顔を伏せてやり過ごすのだった。
 案の定、多くの高齢者に混じってゴンドラに詰め込まれたが、前方の位置を確保できたので、進行方向の景色はよく見える。これで車内中央に突っ立っていなければならなかったら、それこそ地獄である。程なく、頂上を目指してロープウェイがすべり始めたが、窓から覗く周囲には、色とりどりに化粧をした落葉樹の紅葉が山の斜面に沿ってびっしりと広がっている。それらが日本晴れの日差しを受けてことさら鮮やか映えているのだった。しかし、所々に落葉しきった木々も目立ち、どうやらピークをわずかに過ぎているような気もした。
 しばらく景観を眺めていると山頂駅に着到した。待合には懐かしいゲーム機が並び、駅舎を出てすぐには射的の遊び場がある。このデジタル時代に、未だに垢抜けない商売をしているところがやけに愛おしい。簡易遊園地が閉鎖されているのは少し物哀しいが、賑わっているよりもこういう寂しげな遊園地の方がかえって見ていて心が安らぐ。
快晴のおかげで、頂から望む風景も一層眩しくなる。彼方の日本海を高い山の上から見下ろすというのは少し変わった趣向だが、広々とした景色が広がり、その視界の中にぽつんと立っていると鬱憤も晴れて快い気持ちになっていく。気分転換はこうでなくちゃいけない。
 時間帯としてはお昼時で、昼食は門前町のどこかのお店でなどと考えていたが、それも面倒に思えて、頂上の展望レストランで済ませていくことにした。天気もいいので、この景色を長く楽しみたかった。レストランとは別のフードコートにはアメリカンドッグなどの私が大好きなスナック類も扱っているが、陽気に当てられて調子に乗っていたこともあり、奮発してレストランのきちんとした食事にする方針に傾いていた。
 ガラスケースに飾られたサンプルをざっと見ておき、レストランへの階段を上った。レストランとは云うが食券制で思っていたよりもカジュアルである。私は天ぷらが好きなので、天丼を頼んだ。店内もだいぶ混み合っていたが、ちょうどよく景色が見える窓際の席が空いていた。混んでいるのに、四人掛けの食卓にひとりで座るのは少し気が咎めるが、しかしそれはどうしようもないことである。天丼はサンプルよりもたくさんの野菜類が乗っていて嬉しかった。季節柄、舞茸の天ぷらがあったのがとてもよかった。私は滅多に外食をしないが、時々こうしてお店で食事をするとやっぱり楽しいものである。我が家には揚げ物を作る設備がないので、天丼のような普段食べられないものを食べると殊更にいい気分である。食べ終わってからも、しばらく窓外の景観を眺めて呆けていた。
 特に山頂でしたいことはなかったので、もう下山しても問題はなかった。これからは少しずつ戻りのことも考えていかなきゃいけなかったが、ロープウェイ駅に列車の時刻表があったので、それを参照して目星の便を見つけておいたが、そうなるとあまりのんびりとしていられないことにはたと気づいた。駅までの道のりを鑑みると、どうやらお参りは手短かにしなければならないようだった。下りのゴンドラは、それほどぎっしりというわけではない。今度は眼下の風景を見るような位置を陣取り、空の上から弥彦の町を見下ろしていた。同じ目線の高さをとんびが飛んでいる。
列車の時刻の都合から、山麓駅に下りてシャトルバスで拝殿脇に戻ってからは、迅速に事を進めなくてはならない。幸い、本殿にお参りする人はそれほどいなかったのだが、しかし、これだけ多数の人間が集まっておいて、実際に参拝する人はあまりいないというのはどういう料簡であろうか。しかし、多少急いでいたこの状況は素直に有難い。参拝をしたい人が行列を成していたら、私は参拝を諦めるつもりでいた。
 わけもなく賽銭箱の前についたが、ここ彌彦神社にはその他の社とはちょっと違った作法があることをふと思い出した。しかし、その肝腎の中みが思い出せない。たしか二礼二拍手一礼ではなく、どこかの数が違っているということは分かる。手を鳴らす数だった気もして、三拍手だったか四拍手だったかの二択には絞れたが、最後まで確実な記憶は戻らず、それだというのに賽銭を放り投げてしまってもう後に引けない私は、とりあえイチかバチか、二礼三拍手一礼だと決めてその場をやりすごそうとした。お参りを終えて拝殿を出ようとすると、私の後ろにいた壮齢の男性が徐に口を開いて、
「二礼四拍手一礼だね」
と誰に云うともなくつぶやくのが聞こえ、ハッとした私は、これは自分に向けられた言葉だとすぐ分かり、思わずその男性の方に顔を向けてしまった。先方でもやはりそのつもりだと見えて、続けて、
「お弥彦さんでは、二礼四拍手一礼っていうのが正式で」
「はあ」
「あなた今、三回手を打ったでしょ。そうじゃなくて拍手は四回ね」
「はあ」
「せっかくだし、もう一回お参りしたら」
「そうします」
 どうやら、四拍手の方が正解だったらしい。しかし、先ほどの私は拍手を三つしか打たない間違ったやり方を取ってしまった。しかも、私の拍手はとにかくいい音が鳴るので、越後の総鎮守の境内に、誤った作法を威勢よく響かせてしまったのだった。その恥ずかしさが火照っているのが自分でもよく分かる。それにその後、男性から正式な作法を習う姿は、まるで非常識な若者を演じるような気がして、何か見えない相手に負けたような情けない気持ちに陥った。男性に促されて二度目の参拝をするも、それは形式ばかりのもので、それらどうしようもなくむず痒い気分が頭の中でひたすらに渦を巻いていて、物事を考えることができず、自分が何を願うのかさえも分からなくなった。
 そもそも時間がないので、私は男性にどうもとだけ挨拶して、駅に急ぎたかったのだが、男性はまだ物足りなかったのか、
「彌彦では四拍手が作法ね」
「え、あ、はあ。それでは、どうも」
「出雲大社でも四拍手だったけど」
「そうですか。では」
「二拍手でもいいんだけど」
「へえ」
「とにかく神様は偶数なのね」
「成程」
「心意気があるのがいちばん大事だけど」
「それでは」
 長い寄り道をしなければ、電車の時刻には間に合いそうである。なので、火の玉石に立ち寄る。願いを込めて石を持ち上げた時に、軽く感じたらその願いは叶う、重く感じたら叶わないという、ありがちな曰くのある石だが、一度目は結婚できますようにという願を掛けて持ち上げたら、かなり重たかった。おやおやと思って、二度目は、明日急に死にませんようにと願って持ったらやはり重い。由緒通りならば、私は明日死ぬことになるのだが、そんな悲劇は起こらずに、こうして今も生き永らえているということからすると、火の玉石の伝説もだいぶアヤしいものになってくる。そもそもが重い石なのだろう。だから私が結婚できないということにはならない。
 神域を出てからは、周りの店などには一切目もくれずに弥彦駅に歩いていく。そのために、目星の列車には余裕をもって乗り込めた。以降は帰路を辿ることになるのだが、吉田から越後線に乗り換えればわずかに早く帰宅できるところを、私は弥彦線を乗り潰したかったので、そのまま東三条まで揺られている。弥彦線はどんなものかと思っていたが、特に言及すべきことのない生活用の路線で面白くはなかった。
 東三条でしばらく待ち、信越本線、越後線と乗り継いで最寄りの白山駅に戻った。所要のため、帰りに郵便局に寄って、高額の収入印紙を購入した。どうやらこの時期に収入印紙を求めると、局の人に立場が知られてしまうらしい。「国家試験頑張ってください!」という激励まで頂戴してきた。

  1. 2016/01/06(水) 19:00:00|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

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