野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

SPRING VACATION-4 PHASE-3

 第四学年の春休みは、最終的に三つの期間に分けて考えることができそうだ。
 一つめは、試験が終わって、さあついに春休みが始まったぞ、という時期。長期休暇始まりたての、訳もなくなんでもできそうな気持ちやこれからの期待でいっぱいの時期だ。このときの私はサーカス観劇とオフ会出席のために一度上京したが、それ以外に大した用事もなく、主にゆっくりとひとりの時間を過ごしていた。
 二つめは田舎へ里帰りをしていた時期。私にとって、帰省は長期休暇の恒例行事である。毎回、田舎には割と長い間滞在するが、動きのない田舎暮らしはやはり退屈であるし、いつも嫌な思いをさせられ悩みが増えるのが常なので、これまでの休暇では、故郷から拠点に戻ってきたときには「今度は一週間だけ(田舎に)いよう。」と決意するのだが、その決意は時が経つにつれて風化し、結局私はいつでも性懲りもなく田舎に長期滞在をしてしまうのだ。
 そして三つめ。休み終盤のこのフェイズはまだ突入したばかりだが、前の二つとは比べものにならないくらいに忙しくなる。まずは三泊の予定で病院見学が一つ。その後にも泊りがけの旅行が二つ控えている。これら三つの予定の間に自宅で休養できる日はそれぞれ一日ずつ。休みが入るだけマシだとは思うが、私は朝早くから動き夜遅くまで出歩くのがほとんどであり、しかも一日でかなり動き回る方なので、たとえ一つの用事だけでも結構疲労がたまるのだ。おそらく合間の休日は次回の荷作りと服選びをする以外に大したこともできずに終わるだろう。
 などと書いていると、なにやら私が文句を言いたげにも思えるが、とんでもない。私はいつになくワクワクしている。そもそも私が自分で決めて入れた予定だし、忙しいとはいえ別に困難な労働を強いられるものでもない。言ってしまえば遊びの予定だ。何の文句が言えようか。それに私は案外忙しい状態に身を置くのが好きである(肉体的に過酷でなければ)。様々な案件が次から次へとやってくるのは、退屈しないで面白い。ひとりでのんびりと過ごす時間―本を読んだり散歩したり―ももちろん好きだが、それも日々の忙しさがあってこそより引き立つというものである。
 であるから、私はこの慌ただしい三つめのフェイズが楽しくて仕方がないのである。退屈な田舎暮らしの直後だからなおさらだ。予定が立てこむのはこれからだが、こうやって家にこもっていろいろな準備をしているときも、なんだか心がソワソワと浮足立ってしまい、音楽に合わせて思わず小踊りするような気分でいる。









にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/03/23(日) 13:22:06|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

犬に乗られる生活

 秋田県にある私の実家では犬を一匹飼っている。ミニチュア・ダックスフントの雄犬。たしか今年で九才になるのだが、この年齢を人間に換算するとどうやら働き盛りも過ぎる中高年頃となるらしい。完全に立派におっさんである。
 この犬は家族の中でも私にとりわけ懐いている。進学のために家を出ている私は家族よりも彼と過ごす時間が短いにも関わらず。かわいさ余って彼をちょんと蹴とばしたり(痛くない程度に、本当に“ちょん”と)床をころころ転がしたりと、私はいろいろと彼にひどい仕打ちをしてきたにも関わらず。犬同士(?)気があうのだろうか。理由はよく分からない。
 犬はよく私に乗る。これはどういうことかというと、私がカーペットに胡坐をかいたときに太もものつけ根と下腹部でできるわずかなスペースにのそのそと乗ってきて、そこでとっぷりと落ち着くのである。四肢を折り曲げ、アゴを私の手首に乗せ脱力してすっかりリラックスをするのである。そのままうとうとすることもよくある。彼が犬用のベッドに寝ているときも、冬場にはストーブの前に寝っ転がって腹あぶりをしているときも、私が胡坐をかく(あるいは、かいている)のを見つけるといそいそとこちらに向かってきてのっそりと胡坐の上に乗りにくるのである。また最近は直立している私を下からじっと見上げて、まるで「胡坐をかきなさい」と言っているような顔でおねだりをすることもある。私は慣れているので犬の表情をしっかりと読み取り、少しじらしてから胡坐をかいてやるが、やはりすぐさま犬は乗りにくる。このように私が意図して胡坐の上に乗せるのはいいが、犬は、例えば私がこの座位で読書をしているにも関わらず太ももに乗ろうとするのは正直煩わしいのでやめてほしい。

140314_211939.jpg
↑筆者が胡坐をかいて読書をしているところに乗る犬。アゴを私の腕に乗せるので本を読みづらい。

 また私が食卓の椅子に座っているときにも、犬は腿に乗りたがる。いつもダックスフントに特徴的なあの短い後足で懸命に立ちあがり、前足で私の膝を小突いて「乗せなさい」と訴えてくる。私がその訴えを受理し、犬のスンドウな胴体を抱きかかえて太ももに乗せると、やはりここでもあのリラックスの体勢になって睡魔に誘われるのがオチなのである。アゴを私の手首に乗っけて脱力するもんだから、私の手関節にかかる負担はなかなかのものになる。負担というか、もはやうまいこと極まるのである。私が椅子に座り、犬がとなりの椅子の上にいるとき(母がよく椅子の上に上げる)も、犬はあの短い足で私に乗ろうと苦労する。こういうときは結局は私が自分から乗せてやるのだが、その後は例の結末に辿りつく。つまり手関節が極まる。まあ私が意図して乗せているときはいいが、例えば私が食卓でコンピュータを使っているときに手首にアゴを乗せるのは正直煩わしいのでやめてほしい(右手にアゴを乗せるとマウスがうまく使えない。左手の場合は文字が打ち込めない)。
 犬は私の太ももに乗ると安心するのかもしれないが、このとき私も犬のからだを撫でたりして落ち着く。犬と私を包む空間だけが世間と切り離されたようですがすがしい気分になる。私の好きな小説、小山清の「犬の生活」にこんな一文がある。
「そして、こういう動物達の方が、人間よりも、神様のそば近くに暮らしているということが、よくわかる。」
神様のそば近く。それは天上の国のことだろう。聖書に「貧しき者は幸せである。天上は彼らのものである」という一節があった覚えがあるが(誤りがあったらごめんなさい)、ここでいう貧しき者とはどうやら乞食のことらしい。乞食は社会や世間とは関係を結ばずに生活をしている者たちだが、天上、天国というのは彼らにしか達することのできない領域だそうだ。これは仏教における浄土の国にも通じるものがある。私は学がなくこれ以上ボロを出さないために専門外の話はこのあたりで打ち切るが、こういうことを知ったあとだと、私が自分の大腿に乗っている犬を撫でているときに感じるあの澄みきった感情、世間と隔離されたような感覚は、もしかしたら天上、天国、あるいは浄土にもつながるようなものなのかもしれないと、ふと思う。そこまで大袈裟ではなくとも、犬との交流が私にとって数少ない安らぎの時間であることは間違いない。










にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/03/21(金) 19:27:15|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「やわらかなレタス」江國香織

 食べものや食事風景をおいしそうに表現できる人に憧れる。プロとは決して言えないまでも一応文章を書くことを趣味としている者のはしくれである私は、日頃読書をしているときも「なるほど、こういう書き方もあるんだナ。」というように、書き手の表現法にいつも(生意気にも)感心してしまうのだが、なんといっても食べもの!その場に立ちこめる料理の匂いや食べもののあたたかな食感、そしてそれらを食べ終えたときの満足感を言葉にしておいしそうに伝えることができる人には感心を通り越して尊敬や憧憬の念を覚えてしまう。
 先日、江國香織さんのエッセイ集「やわらかなレタス」を町の図書館で借りて読んだ。もともとこの本を借りるつもりはなく、館内をぶらぶらと物色していたときにエッセイの書架で見つけたのだ。自慢ではないが、私は江國さんの小説、エッセイはこれまで一つとして読んだことはなかった(本当に自慢にはならない)。江國さんの作品を読むことが私にはなぜか恥ずかしかったのだ。江國作品を読むことが人間として恥ずかしいとかいって非難するつもりではない。これはきっと私ひとりだけが感じるような恥ずかしさだ。だって考えてほしい。屈強な体格と強面を持って顎髭なんかも生やして実に雄々しい私が、いかにも女性的なイメージのある江國さんの作品を読んでいる姿を。ここにあるのはキャラクター・グッズでいっぱいのパンキッシュなファンシィショップに身体の大きなゴツめの男性がいるみたいな、光景のアンバランスさ。このような状況を連想してしまうので私は赤面するような心持ちに陥ってしまうのだ。
そんな私が図書館で江國さんの本を手に取り、しかもそれを貸出カウンターに持っていくというささやかな快挙を成し遂げたのである。「やわらかなレタス」というタイトルに引きつけられたように半ば反射的に他に書籍がいくつか並んでいる中からすっとこの一冊を引き抜いて表紙を見たとき、なんとなくいい予感がした。「む。この本は。」という予感。そしてとりあえず目次を開いてみたときに、このいい予感が当たっていたことを確信した。目次を見てすぐにわかったこと。それはこの本は食べものにまつわるエッセイばかりが集められているということ。タイトルの例をいくつか挙げると「あたたかいジュース」「列車旅と釜あげしらす」「のり弁の日」。タイトル一つ一つからしてセンスがいいのだが、これはきっとおいしそうな文章に出会えるぞ。そういう期待を抱かせるような目次になっていたのだ。
 はじめまして、江國さん。イメージどおりしなやかで女性的な文章をお書きになりますね。江國さんの紡ぐ言葉はなめらかでふんわりとしていて、かつあたたかい。劇的ではないが読んでいてなんとなく「いいなあ。」と思わせる。しかも書いている内容―江國さんが日頃どんなことを考えているか―が素朴であると同時に実に独特で、きっと江國さんは大人の女性でありながら今でも少女のままなのかもと勝手な想像がふくらむ(こういう想像をしてしまうから江國作品を読むのは今も恥ずかしいまま)。ムーミン谷のおはなしやピーターラビットのおはなしなど、とりあげるテーマもクラシックで感じがいい。そして、なんといっても食べもの!目玉焼きから行きつけのバーの料理など、江國さんの食生活を追体験できる話ばかりで、読んでいるとお腹が空くし、お酒も飲みたくなる。旅行記が好きなので、旅先での食事を書いたものはもうたまらなかった。
 実は私は食に鈍感でありたいと思っている。一流の味など知らなくていいと思っているし、味のよしあしなどはよく分からないので、特に毎日の食事にこだわりは持たず(偏食しないようには気をつけているが)、ゆくゆくはあまり量を摂らなくても過ごしていけるように年を重ねるのが理想なのだ。しかし、私もまだまだ青い。この理想実現の決意は未だに揺らぎ続けている。だって食べることは楽しい。誰もが知っているだろう。ちょっぴり贅沢をして買ったケーキのおいしさを、一仕事終えたときに喉を潤すお酒のおいしさを、旅先で食べるその土地の料理のおいしさを!またこの本を読んで思ったことがある。日々の習慣である食事が豊かなものであれば、習慣の積み重ねでできる生活も、生活の積み重ねでできる人生もきっと豊かなものになるだろう、と。










にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/03/20(木) 17:09:17|
  2. 感想ルポ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「Frozen」を観て

Frozen-movie-poster.jpg
 

 第86回アカデミー賞で長編アニメ映画賞と歌曲賞を受賞したウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの最新作「Frozen」を映画館に観に行った。日本での公開はアカデミー賞の発表後であったためか、マスメディアも取り上げる機会が多く、売り文句は「『美女と野獣』『塔の上のラプンツェル』を超えた」というものだった。あまりに大袈裟な宣伝ぶりでディズニー・ファンとして露出が多いのは確かに嬉しいのだが、一方ではできれば先入観を抜きにして楽しみたいという気持ちもあった。この「Frozen」は日本語題は「アナと雪の女王」となっているが、個人的にこのタイトルは少し気に食わない。この映画はエルサとアナの姉妹が主人公のディズニー史上初のダブル・ヒロインの作品なのである。これは大事なポイント。しかし「アナと雪の女王」となってしまっては、あたかもアナだけが主人公みたいに思えるし、姉であるエルサを「雪の女王」と称してしまうのはあまりにも他人行儀でそっけなく思える。そういう違和感と、ていうか原題普通にカッコイイじゃんという理由で、私はこの作品は努めて「Frozen」と呼ぶことにしている。
 タイトルで察せられる通り、この映画は雪と氷が物語に関わってくる。ディズニー社では、この自然現象をコンピュータ・グラフィックで表現する、というのが大きな課題になっていたようである。この表現の出来に、私は冒頭から度肝を抜かれた。どう見ても本物にしか見えないのである。雪国生まれの私が見てもそうなのだ(雪国生まれっていうのあまり関係ないか)。氷の質感や雪の落ちる様子など、あらゆる自然描写がコンピュータ技術の粋で作られているというのが信じられない仕上がりだった。あれは実写と勘違いしても不思議ではなく、そのリアリティのままアニメ特有のカメラアングルや演出が加えられた映像はとても美しく、特にエルサが覚醒し名曲「Let it go」を歌って氷の宮殿を創り出すシーンは、予告でさんざん見たというのにその壮麗な様に終始鳥肌が立ちっぱなしだった。また、描写のリアルさゆえ、先が固く尖って凶器と化す氷の危なさや、顔に打ち付ける吹雪のもはや「寒い」を通り越して「痛い」と言ってもいい凄惨さや、冬の川の温度の身を貫く鋭さなど、美しいだけでなく厳しい自然の一面も画面から伝わってくるので、「Frozen」はディズニー映画の中でも珍しく「痛みの感覚」をモロに感じる作品だなと思った。
 主人公のエルサとアナは対照的な姉妹。姉のエルサは生まれつきの能力のために周囲と距離を置き塞ぎこみがち。一方、妹のアナはとてもおてんばで楽しいことが大好きでしょうがないといった風情。性格はまるっきし違う二人だがとても仲良しなのだ。エルサは控えめながらもしっかりお姉さんしているし、明るいアナも妹妹していてカワイイ。姉妹設定っていいね!アナのような活発なヒロインは最近のディズニー作品の伝統みたいなものだが、エルサのような閉鎖的ヒロインは少し珍しいかもしれない。
 余談だが、私はどちらかというと、いや、もう圧倒的にエルサ派である。引きこもりがちだが別に暗いというわけではなく、物静かで気品があるタイプの美人。その気位の高さに私はすっかりやられてしまったのだ。また、彼女の能力のゲーム的なかっこよさと、その能力で生み出した、「ゴースト・バスターズ」のマシュマロマンを連想させる雪のゴーレムのデザイン―あれエルサが考えて作ったんだなァと思うとなんかカワイイ―にも痺れた。エルサはその能力のためにひとり塞ぎこむように生きてきた。葛藤を感じつつも、愛する妹との間にも厚い壁を作ってしまうほどに彼女の悩みは深刻であった。だからこそ、その能力が国民にバレてしまい、山に逃げてひとりで生きていくを決心したときの、長年の胸のつかえが下りて、本当に―これまでの気品はどこいっちゃったの姉さん!?とこちらが思ってしまうほど―楽しそうに駆け回り、能力を思いっきり発揮する姿がどこかもの哀しかった。
 妹のアナもアナで実に愛くるしいキャラクターだ。何かにつけて元気いっぱいにはしゃいじゃう姿は見てて楽しいし、姉のエルサが本当に好きなんだなと何度も感じさせてくれる健気さも持ち合わせている。また、この映画はエルサとアナのダブル・ヒロインという触れ込みだったが、ストーリー中ではどちらかというとアナの方がヒロインとしての印象が強い。芯の強さはピカイチだけど、やっぱりアナは普通の女の子(王女だけど)、基本的に非力なのである。クリストフとのラブコメパートでは、屈強な彼との対比で一層非力なところが露呈され、おそらくそういうところに男たちはキュンとくるに違いない。オレもきた。キュンときた。
 二人のヒロインの脇を固める男性陣もいい味を出している。ハンス王子とクリストフの二人のハンサムに、表情豊かなトナカイのスヴェン、そしてコミカルな雪だるまのオラフと、みんな本当にいいキャラしているのだ。中でも間抜けだけどやさしいオラフは純粋で、身体は雪で冷たくとも心は温かで、彼のアナへの言動が何度も胸を打つ。
 日本語吹き替え版だけの見どころとしては、やはり吹き替えキャストの名演技だろう。エルサ役に松たか子さん、アナ役に神田沙也加さん、オラフ役にピエール瀧と、人選にディズニーの本気が垣間見える。さらにディズニーの本気が窺える点は、この豪華キャストに劇中歌も歌わせてしまうというところだ。松たか子さんも神田沙也加さんもミュージカルに出るので演技をしながら歌うことは専門分野だろうし、ピエール瀧も何かと芸達者なので、どの曲も本当にいい出来。特に松たか子さんの「Let it go」は流石と言うしかない。美麗な映像も相まってこのシーンは鳥肌がおさまらない。確実にディズニー史に残るワンシーンになるだろう。










にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/03/19(水) 19:34:12|
  2. 感想ルポ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

凍結の果てに

 ここ一週間、ブログの更新を停止させていた。この停止措置は当初全くやるつもりはなく、実に緊急的なものであった。先の停止措置を知らせる赤面レポートには筆者の春期休暇の都合によりと書いておいたが、これは停止に踏み切るに至った理由を説明するにはあまりにも不十分な記載である。また、私は現在ブログを回していくのに多少困難な環境にいることも確かな事実だが、これも停止を決定する直接的な理由とはならない。すべては私の神経質で面倒な人性からくるのである。
 私はこれまで長い間、一日に必ず一つは新しいレポートを提出するという、今思うと殊勝な慣習を守っていた。旅先という環境に身を置いた際には当例を欠かすことは度々あったが、これは全くやむを得ないことであったし自分でも納得できる事情である。また、一定の期間を決めてブログを完全凍結状態にすることもあったが、これは、この日からこの日迄といったふうに、以前から休ませることに決めていたのであり、一種の戦略的休息と言える。しかし、件の停止措置は、これまでに一度も覚えのないような異例の試みであった。
 先述しているが、今現在私はブログを回しづらい環境にいる。とはいえ、これについては私も前々から見越していて、対策する法も用意しており、それが案外と功を奏して、思ったよりも長い期間で例の一日一つの習慣を続けることが叶ったのである。だが、こうして私が日々のブログの回転にこだわればこだわるほどに、私の仕事が粗悪になっていくのが自分でも判った。読者諸君にはどう映るのかは私には判らないが、筆者自身では、現在のような環境下で書いたレポートには実のところ微塵の満足をも覚えていないのだ。このブログは備忘録の役割も有っていて、以前の私は、旅行記やライブの感想文など、自分が書いた文章を読み返すのが割と楽しく思う向きであったが、近頃のレポートのほとんどは書いた自分が読んでも全く面白くなくて、むしろ心苦しく思ってしまうような有様だった。この状況を判りやすく描写すると、つまり私は以前よりも文章を書くことが楽しくなかったのだ。それなのに毎日の更新に気が散って、集中を欠かせて推敲も重ねず実質の熟さないままに一種の惰性でズルズルと続けていたのである。この何の楽しみもない労動を続けることを次第々々に億劫に感じ始め、某日その鬱積がある程度を満たしたのか、テーマは構想されていても言葉が全く思い浮かばずに呆然としてしまうという自身初めての事件に行き当たり、ついに今回甚だ消極的な姿勢でブログという習慣から距離を置くことに決めたのだった。単純の極地のような表現をすると、ブログを書くのが疲れてしまったということになろう。

 日課であるブログから離れて淡々とした暮らしを立てていると、気分も変わっていつもとは違ったことを考えられるようになる。現在私は今後の予定についての事務的な仕事を三つ抱えているので、意識や時間をそれらに割くことができ、そのうち一つについては概ね落ち着いている状態にまで持ち込めたので、こういう点でも都合がよかったかもしれない。また、これまでのように躍起になってブログ執筆の習慣を果たしている最中にはあまり考えることのできなかった、私の生活におけるブログという一趣味の立ち位置について再確認することができたのは意義深いものがあったように感ぜられる。こういう機会を得たことで、今の私はことブログに対しての見方はだいぶ冷めている。
 そもそも毎日の更新に固執することはなかったのである。性格から言っても、自分には量より質を求めるタンデンスがあることは誰よりも私が判っているし、第一、私は文章を書くこと自体が好きなのだ。一日一つということに頑になって自身で納得のいく文章が作れなくては本末転倒である。また私には案外、牡牛座らしい芸術家肌のところがあるのか、類の差別なく自分の作るものに関しては細部に亘って工夫を凝らし、何よりも自分が満足できるものを作ることを楽しむ傾きがあるのである。レポートを書いても誰にも読んでもらえない日々が続いたせいか、だんだんとブログの読者が増えたりランキングが上がったりしたときは嬉しく思ったのだが、その余り私はだいぶ浮かれ、図に乗り、サービスの虫もうずき始めてきて、もしかしたらそれが私が毎日のブログ更新にこだわっていた理由の一つかもしれない。面倒だからいっそブログを消滅させてしまおうかと一度は考えたが、せっかく好きで続けられることができたのにそれを手放すのは、これまで私が様々なことに手を出しては程なく意欲も失せて取り組みをやめる経験が多いのを自分で情けなく感じていることもあって、それだけはやはりできないと心に決めた。そして今後についての思索は、一日一つのレポート提出は難しくなるかもしれないけれど自分で納得できるものを出すこと、これこそがのんびりした気性の牡牛座生まれにふさわしいやり方だという思いに落ち着き、意図せずブログの転換期を迎えたような気がした。

 自分とブログの距離感を確認したついでに、ここで今一度このブログに向かうスタンスについても宣言してみようと思う。ずっとブログを書き続けていて何を今更と訝しがる読者もいるかもしれないが、そもそも私はブログを始めてまだ一年とわずかの青二才で、文章を書くということについても依然として不慣れであるため、その姿勢は盤石ではなく今も揺らぎ続けているのでこれくらいはまだ大目に見てほしい。
 まず、先ほどからの流れで、ブログを毎日更新することにはこだわらないようにしたいというのが一つ。自分で満足のいく文章を作ることにこだわっていきたい、作品として残すような心組で丹念な文章作りを心がけていきたいということである。この方が純粋に楽しいし、長続きの秘訣ともなってくれるだろう。そんなことは勝手にやればよかろうと思う読者がいるだろうが、私がこんな些細なことを宣誓しているのは、その誓いをおっぴらなものにして少しばかりの責任感を持たせるためであるから、どうかご容赦いただきたい。
 あとは内容についてだが、これに関しても実は停止期間中に一考を催した。それというのは、私の日常などには興味のない読者がほとんどであるだろうから現在主要なレポート・カテゴリである日記の類を一切書かないことにして、旅行記や観劇、映画鑑賞等の感想文を不定期に投稿しようかという議論であったが、私は、旅行や鑑賞などは生活の一部あるいは延長線上にあるものであり、根本にある生活こそが大事なのであると日頃から考えているので、その記録たる日常記を無下にすることはどうにもできそうになく、先述の案は却下という運びになったのだ。結局、今後の内容はこれまでと変わらずに、日常記をメインとして時折旅行記や各種感想文も提出するという形式に相成った。

 ブログは筆者が好きなことを好きなように書くのが一等だと思うし、これこそがブログを続けるコツであるとも聞く。この伝に則り、これから私は以前と同じように、自分の暮らしや思考、趣味、興味のことを文章に起こし、シバケンというあるひとりの人間についてのポータル・サイトと言うべきものを作り上げていこうかと思っている。おそらく内容は「多岐に亘る」というよりかは「煩雑になる」と言った方が正しいような仕上がりになるかと思うが、その煩雑な中からたった一つでも読者の琴線に触れるようなものを作れたら、そして自分ひとりだけのお気に入りが見つかる古着屋、古書店、雑貨屋あるいはヴィレッジ・ヴァンガードのようなブログができたらいいなと願っている。










にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/03/18(火) 19:35:42|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ 次のページ

筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

レポート検索

最新レポート一覧

アーカイブ

2016 04 【1】
2016 03 【4】
2016 02 【4】
2016 01 【5】
2015 12 【12】
2015 11 【10】
2015 10 【14】
2015 09 【8】
2015 08 【15】
2015 07 【14】
2015 06 【11】
2015 05 【17】
2015 04 【12】
2015 03 【12】
2015 02 【9】
2015 01 【9】
2014 12 【8】
2014 11 【13】
2014 10 【22】
2014 09 【18】
2014 08 【2】
2014 07 【14】
2014 06 【13】
2014 05 【13】
2014 04 【22】
2014 03 【17】
2014 02 【28】
2014 01 【29】
2013 12 【28】
2013 11 【28】
2013 10 【29】
2013 09 【22】
2013 08 【20】
2013 07 【30】
2013 06 【18】
2013 05 【15】
2013 04 【19】
2013 03 【3】
2013 02 【6】

カテゴリ

コメント

トラックバック

メッセージ

質問・要望どんとこいです!

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。