野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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港の見える丘の洋館

 少し用事があって横浜に出かけた。新潟から朝の新幹線に乗ってまずは東京へ。そのまま横須賀線に乗り換えて鎌倉に向かう。鎌倉に着いた時点でまだ午前の時刻である。約束の時間はその日の夕方遅くだったために、それまでの空き時間を観光にあてようと考えていたのだ。目星をつけていた所はだいたい見て回ったが、それでもまだ時間があったのでひとまず横浜に移動しておいて、予定の時間まで洋館を見物して歩くことにした。
 横浜は開港以後多くの外国人が住むようになり、洋風の住宅や教会、外国人墓地など、彼らのコミュニティを支える多くの施設が作られ、今も当時の異国情緒漂う街並みが残っている。特に山手地区には、後に移設されたものも含めたくさんの洋館が建っている。昨年友人たちと横浜に旅行をしたときに、私のわがままから山手の本通りの洋館巡りをさせてもらったのだが、その時に港の見える丘公園の二つの洋館には足を運ぶことができなかったので、今回はいい機会と思い、見学をして回ることにした。
 みなとみらい線の元町・中華街駅を元町方面に出ると、途端に異国の雰囲気が漂う。通りを歩く人に外国人の姿も目立つ。そこから歩いてほどなくすると港の見える丘公園に至る。その名の通り、この丘の上からは横浜港やベイブリッジを望むことができる。この公園近くに残る洋館で特に目立つものが横浜市イギリス館である。もともとは英国総領事公邸として作られたものだが、現在は会議室やホールを利用できる市民施設となっている。外観は白を基調とした直線的でシンプルなデザインながら同時にどっしりとした重厚感もある。館周辺には洋風の庭園があって、これの意匠も見応えがある。市民利用施設ということで、館内は家具などは取り払われている印象があるが、バルコニーの丸窓や照明のデザインがかわいらしい。

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 イギリス館を囲む庭園を、港の見える丘公園の南端方向に歩いていくと、この辺りでもとりわけ小ぢんまりとして愛らしい洋館に出会うことができる。それが山手111番館。またの名を旧ラフィン邸という。白い外壁に明るい橙色の瓦はまさしくスパニッシュ・スタイル。小さい庭には花が植えられていてここでもかわいらしい印象を抱く。この洋館は地上二階地下一階のつくりだが、建物の背面に回ると地階の壁が露出していて一見三階建てにも見える。でも正面から見るとしっかりと二階建てなのである。ちなみに現在地階は瀟洒なカフェとなっている。館内は一階のみ見学が可能である。内部もやはり小ぢんまりとしているが、鮮やかで清涼感のある外観と異なって、暖炉や照明その他の家具のつくりは格調高いものとなっていて、そのギャップに驚いた。入ってすぐのホールが吹き抜けとなっていて開放感がある。二階部分に上がってみたかったが、建物の保護のために一般開放はされていないらしく、階段から上への立ち入りは制限されていた。残念だが仕方がない。

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  1. 2014/03/31(月) 19:24:46|
  2. 旅行記
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「貧困旅行記」つげ義春

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 「ねじ式」などの作品でひっそりと漫画表現の革命を成し遂げ、その後多くの漫画家に影響を与えたとされるつげ義春は旅好きとしても知られ、その独特の文才で各地方を旅した時の紀行文も幾つか残している。「貧困旅行記」は雑誌への寄稿用に書いたものに、この本を出版する際に書き下ろしたものを加え、合わせて十三篇を集めた紀行文集である。
 つげ義春は世捨ての人である。これまでの関係を一切断ち、どこか他の場所で違う人物として生きていきたいと欲している、いわば蒸発願望の持ち主であった。願望は九州への蒸発行へと実を結んでいるが、その時の様子は当書籍収録の一篇「蒸発旅日記」に記録されている。その後仕事も増えて妻子も持つようになったつげ義春は、大がかりな蒸発を企てることはなくなったが、日常的に出掛ける旅の行き先には、世間や社会との関係を断つという彼の根本の嗜好の片鱗が現れる。彼は有名で賑やかな観光地や名所は避けて、とかく鄙びた山間の集落や温泉宿、宿場町、漁村などを好んでいるのである。この本に収められているものも、鎌倉や伊豆大島など数少ない例を除けば、そのほとんどが世間の人々が名も知らぬような辺鄙な土地を訪れたときの文章である。
 他の人からするとあまり楽しさを見出せないような侘しい旅行を重ねているわけだが、つげ本人は「ボロ宿考」でこのようなことを書いている。

「世の中の裏側にある宿屋、貧しい宿屋を見ると私はむやみに泊りたくなる。そして侘しい部屋でセンベイ蒲団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持ちになり、なんとも言えぬやすらぎを覚える。」

また、つげはこう続けている。

「世の中の関係からはずれるということは、一時的であれ旅そのものがそうであり、ささやかな解放感を味わうことができるが、関係からはずれるということは、関係としての存在である自分からの解放を意味する。」

関係からの解放の根底に、自己からの解放を見ていたつげは、旅に日常的な蒸発というべきものを見出し、それそのものに夢中になっていたのではないだろうか。夢中というのは「無我夢中」という言葉もある通り、まさしく無我、自己意識の消失を意味している。
 この文の後には、シュテルナーや親鸞の話も交えた自己否定論が展開され、思考の未熟で学のない私には到底ついていける領域ではなくなるのだが、つげの言う旅中でのささやかな自己消失の魅力には少しだけ共感を覚える。ひとり旅において周囲と無関係のままに初めての町を歩くときの妙なすがすがしさがそうなのだ。
 「貧困旅行記」は、その妙なすがすがしさを自室で追体験できる稀有な書物である。つげの旅先での出来事や体験、それに対する思いを読むごとに、私たちを虜にさせる旅の味を楽しむことができる。十三篇に描かれる在りし日の風景、土臭い寂れた町の様相に、どうしようもなく旅心をくすぐられる。









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  1. 2014/03/30(日) 19:30:04|
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鎌倉曇天洋館探訪

 用事があって横浜に出かけた。その用事は数日を要するものだったが、最終日の夜に横浜に泊まると翌日新潟無機終焉都市に戻るまでにほぼ一日の自由時間を設けることができるので、それを利用して鎌倉の洋館を巡ってみることにした。独特の武家仏教文化が根づいた鎌倉には、今も数多くの古刹が残っているということで知られ、やはり主要な名所はそれの類であるが、意想外に明治~昭和初期竣工の洋館がいくらか保存されている。
 その中でもとりわけ知名度が高く、観光客も集まるのが鎌倉文学館である。これは旧前田利為鎌倉別邸を再利用した施設で、常時鎌倉にゆかりのある文豪にまつわる展覧会を開いている。前田利為の本邸は東京の駒場にあり、そこは私も今年の初めに訪れている。江ノ電由比ヶ浜駅を降りて道を歩き、松鶴洞という石造りのトンネルを抜けると館が姿を現す。鎌倉の自然に調和するようなクリーム色の外壁に、対照的に鮮やかなブルーのスパニッシュ瓦が映える。一見シンプルな構造に見えるが、ところどころに透かし装飾などが見える。窓のバリエーションも豊かで、ステンドグラスのデザインも見応えがある。ステンドグラスは館内から見ると細かいところまでよく分かる。館内は現在展示室として使われているが、それでも要所の装飾は残されている。玄関ホールなどは洋風で重厚感があるが、その他の居室は直線的でシンプルにデザインされてあってすっきりした印象を与える。庭園も広く造られており、バラ園もあるのでシーズンになったらさらに情緒のある景色が見られるかもしれない。

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 その文学館から歩いてすぐのところに、観光地ではないが、見事な歴史的建造物が残っているというのでそこにも足を運んでみることにした。それは鎌倉市長谷子ども会館という施設で、旧諸戸邸とも呼ばれ、現在は地域の子供たちのための施設として使われている。そのために内部を見ることはできないが、なんと竣工は1908(明治41)年という長い歴史があり、外から眺めるだけでもあやしげな風情漂う名建築である。市が管理する施設であるため見物する際は迷惑をかけないようにしたい。

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 八幡宮から東へと走る金沢街道にも洋館が残っている。それこそが旧華頂宮邸(旧華頂博信邸)である。鎌倉駅からバスに乗って浄明寺で降り、そこから報国寺方面に歩いていくと辿りつく。柱が露出されたハーフティンバー・スタイルの屋敷で、直線的なデザインに見える。またテラスから眺める幾何学模様の庭が大きな特徴である。館内の見学はできなかったが、調べてみると期間限定で公開をしているみたいである。余談だが、この日の天気は曇天の霧雨であり、ひとりでこの鎌倉の自然のなかに佇む洋館を訪れてみると、なんだか物騒な雰囲気で背筋がそわそわと落ち着かなかった。

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  1. 2014/03/29(土) 11:58:32|
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鎌倉独歩記(かまくらひとりあるき)

 用事があって横浜に行くことになったときに少し時間ができたので、ついでにひとりで鎌倉に足を運んでみることにした。鎌倉に行くのはこれで二度目になる。昨年の五月に友人たちと訪れたのが最初だったが、八幡宮や大仏などの主要な観光地はそのときに大体見てしまっている。ひとりだと、一度目と同じルートで回っても見え方が違ってくるかもしれないのでそれでも別によかったのだが、せっかくなので今回は趣向を変えて、八幡宮の近くから東に走る金沢街道沿いの寺社を訪ねることに決めた。
 鎌倉駅からバスに乗り、杉本観音で降りてすぐのところに杉本寺がある。この寺は坂東三十三霊場の第一番札所なのだが、石段が有名で、この石段の苔むし具合が鎌倉最古とも言われる杉本寺の歴史を感じさせてくれるということだった。だが、この日は不運にも茅葺き屋根の補修工事が行われており、作業の必要性からこの石段には覆いがされてあってついに一目も見ることができなかった。なにもしないで戻るのも馬鹿馬鹿しいので、不揃いの階段(件の石段は見学専用になっており、その隣に別に階段が作られている)を工事真っ最中の本堂まで登った。工事をしているのは屋根だけなので、お堂の中に入ることはできる。この寺のご本尊は三体の十一面観音である。薄暗い堂内にあやしく佇む観音様を見ていると、仏教のよさがわかる気がする。工事でお目当てのものが見れなかったこともあって、観音様には道中、そして今後の無事平穏をお願いした。

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 そこから歩いて浄妙寺に行った。浄妙寺は鎌倉五山の第五位(その他四つは上から建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺)に数えられている名刹である。ちなみに最寄りのバス停や周辺地域の名前が「浄明寺」と漢字が変わっているのは、お寺に敬意を表してのことらしい。開けていて大きな寺である。境内では猫が気持ちよさそうに寝ていた。いくら撫でても全く起きて動く気配がない。境内には喜泉庵という建物(某旅行雑誌の鎌倉篇の表紙写真はここで撮影されたもの)があって、そこで抹茶とお茶菓子を楽しむことができる。せっかくなので私も頼んだ。某ゆるふわ軽音楽部アニメで抹茶の作法はだいたい心得ている。庵で抹茶を嗜みながら静かに日本庭園を眺めるというのは、とてもいいことだ。これがほんとうの洗練というものだろう。こんな生活をずっと続けるのはなんだか老けそうなので遠慮したいが、それでも時々はこうやって心を洗う機会を設けることができたら、どんなにかいいことだろう。

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 金沢街道にはもう一つ大きな寺があって、これこそが報国寺である。私はこの寺をいちばん楽しみにしていたところがある。報国寺は竹庭でよく知られている。「竹の庭」と言って、およそ二千本もの孟宗竹の間を静かに歩くのだ。空高くのびる竹に包まれてする散歩はどこか非現実的である。木漏れ日や風の音も涼しげでここでも心が清廉になる体験をした。竹の他にも松や桜など、手入れの行き届いた庭園は見ていて飽きない。今後鎌倉訪れる機会があったらもう一度(あるいは何度でも)行きたくなる感じだ。そんな中、奥の庵でお茶を飲んでいる中高年女性の騒々しい声が聞こえてきて思わず閉口。あれは反面教師の良い例である。

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 金沢街道の三つの古刹を巡ってみてもまだ時間に余裕があったために、少し長谷寺まで行ってみようと考えた。長谷寺は鎌倉でも有数の名所であり、私も昨年訪れているが、私は数ある寺の中でも長谷寺はかなり気に入っているので、先程の報国寺のように何度でも足を運びたいと思っているのだ。また長谷寺は、先日読んだつげ義春先生の「貧困旅行記」という本にも登場していたので、私にとっては二重の意味で聖地巡礼ということになる。
 金沢街道の浄明寺バス停から鎌倉駅に戻り、そのまま江ノ電に乗って長谷駅で降りる。平日だというのに、この辺りは相変わらず混んでいる。長谷寺に大仏の高徳院もあるからなおさら人が集まるのだろう。それなのに各所までつながる道はとても細いので危ない。いろいろな店が出ているが、食べ歩きはおろか立ち寄る気にすらなれない。抹茶や竹庭で洗われた心もいつもの調子に戻ってしまう。長谷寺の参道に重要な建物がある。對僊閣(たいせんかく)という名の旅館である。高浜虚子や与謝野晶子ゆかりの旅館で、建物自体歴史的に価値があるのだが、先程の「貧困旅行記」によると、どうやらつげ先生はここに泊まっている。玄関のガラスから中を覗いてみると、それは本に載っていた写真そのままの光景だった。長谷寺の近くとは書いてあったが、まさかこれほどまでに近いとは思いもよらず、私はひとりで驚いていた。對僊閣は現在も営業をしており、調べてみると素泊まりか一泊朝食付きで、案外と安価で泊まれるみたいである。

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 あまりにも商業的な自動券売機や、デカデカと長谷寺と書いた大提燈はあまり好きではないが、やはり長谷寺はいい。二つの池を配した庭園はクリエイティブだし、上から見下ろす海の眺望も格別。しまいには弁天窟という薄暗い洞窟まであったりと、どうにもここは見応えがある。観音堂に安置されるご本尊の十一面観音菩薩像(いわゆる長谷観音)の息を飲むような迫力は、筆舌に尽くしがたい。つげ先生もおっしゃっていたが、仏教はいい。静かながらも確かにこちらに押し迫ってくる迫力を直に感じると、神や仏を信じる値うちがあるように思えてくる。思うに神や仏の存在というのは、実体云々ではなく、それを信じる心そのものなのかもしれない。

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  1. 2014/03/28(金) 09:26:17|
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いつの間にか英語が喋れなくなっていた

 先日、とある病院の見学に行ったときのことである。
 その病院は国際交流に積極的なところがあって、常時海外からの留学生を受け入れているようである。私が見学をさせてもらったときも、ブラジル、中国、そしてタイからと、様々な国の医者たちが修行をしにきていた。そのうち、中国の上海からきている女医と言葉を交わす機会があった。彼女は日本語は話せないらしく、待機中で暇そうにしている私に流暢な英語で話しかけてきてくれたのだ。
 しかし参った。彼女の英語があまりにもスムーズだったために、私は彼女が何を言わんとしているのかがまるで分からなかったのだ。聞きとれた単語は“which”と“between”と“from”の三語だけ。肝心な部分を取りこぼしてしまい、どうにも答えようがなかったので、私は“Huh?”と言って(“Pardon me.”の方が丁寧だったかも)問い返してみたが、彼女は(おそらく同じことを)最初と同じ調子で繰り返し言う。結果、私は二度目のチャンスもモノにすることができなかった。
 しょうがないので、先程に聞きとれた三つの言葉とその場のシチュエーションから彼女の言葉を推察して、なんでもいいので答えを出すことにした。はて、“which”“between”“from”・・・、ん?“from”?そういえばこの病院にきてから何度もしつこいくらいに出身地を聞かれたな。会話の段階としてもまだ自己紹介程度だし、この人(彼女)もきっと会話のきっかけとして出身地を聞こうとしているのだろう。よし、出身地でいこう!
 何かひとつ答えが出ると、なぜかそれに妥当性が全くないにも関わらずどこからか自信が生まれるものである。
 そして私はこう返した。真顔で。
“I'm from Akita prefecture.”
「私は秋田県出身です。」完璧な返答ではないか。
 しかし、これを聞いた彼女は「はわ、わわわわ。」と、なんだか困ったような反応をする。(こんな反応をされるとこちらも困ってしまう)
 つまり私の返答は、どこか、いや、おそらくきっと完全に見当違いだったということだろう。第一、出身地を訊ねるのなら“Where are you from?”で事足りるではないか。“which”と“between”どこいったって話だ。
 その後すぐに担当の医者がきたので、結局彼女が何を言っていたのかが分からずじまいで会話は終わった。軽くパニックだった私は、正直その場から離れることができてかなりホっとしたのである。
 その、時間にして数秒のわずかなやり取りで、自分が英語を話せなくなっていることを強く実感させられた。元々完璧な英会話はできなかったのだが、それでも今よりは遥かに話せたはずである(昨年地元の英会話教室に数日だけ参加させてもらったときも結構話せた)。それが今ではどうだろう。もしかしたら“Nice to meet you.”ですらアヤしいところがあったかもしれない。
 そういえば、最近英語を話す機会、聞く機会が激減していることに気がついた。去年あたりまでは、英語の本を音読したり、英単語を覚えようとしたり、何かと英語を意識した日々を過ごしていたのだが、気がつけばいつの間にかその習慣は打ち切られている。その結果、現在私は、かつて毎日のように英語を話す時間があった中学高校時代よりも英語を話すことができなくなくなっているだろう。これはさすがにヤバいぞ、おい。
 また、この病院見学中にたくさんの医者から、研修先選びから私生活に至るまで色々なアドバイスを頂いたが、数人の先生が口々に「英語は勉強したほうがいいよ。」とか「英語勉強しておけばよかったな。」と助言されるのが、また私をチクチクと刺激した。ヤバいぞ、おい。
 英語の能力は大事。たとえグローバル化の風潮に納得がいっていなくとも、それに無関係であくまで仕事上のスキルとして大事。それは私にもよく分かることである。しかし、こんなにも強く必要に迫られることになるなんて。思うに、誰しもが無理に住んでいる世界や社会を広げるようとしなくてもいいんじゃないかしら。できるかぎり狭い世界で生きていたい人も中にはきっといるだろう。実は私も後者、あるいはそれらの中間あたりで生きていたいのだが、仕事上それはできそうもないだろう。そろそろ、今自分は大変な道を歩いているという自覚を持たなくてはいけないみたいである。

 なお、試しにタイの医者にタイ語で自己紹介してみたら、通じた。










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  1. 2014/03/27(木) 21:36:23|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

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