野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

白衣がほしい!

24.jpg
↑2014/01/11-14 核P-MODELライブ「パラレル・コザック」にて、会場の馬の骨を驚かせたアヤしい白衣衣装。


 第五学年に進級して以来、私は病棟での臨床実習の毎日である。これまでも病棟に出てあれこれする機会はあったが、正式に臨床実習に臨むとなると、今までとは違って、自分の服装にも気を遣わなければいけない。ラフな私服は控えて、それらしい格好をする必要があるのだ。
 クラスメイトの中には、市販されているスクラブやケーシーなどを購入して着用している人も結構いるが、私は一着も持っていないので、今のところは主にフォーマルな襟付きシャツにフォーマルなパンツ、その上に白衣を羽織るというコーデで実習を回っている。デニムはご法度。嗚呼、お気に入りのラグランTシャツが洋服ダンスで泣いているよ。襟付きシャツは何かと窮屈なので、楽チンさを求めて、私も近いうちにスクラブ、ケーシーの類は買っておこうと思っているが、どういうわけかそれ以上に、今、新しい白衣がものすごく欲しい。新しい白衣、欲しい。
 とはいうものの、実は私はすでに白衣を二着所有している。洗い替えという意味でも、十分に足りる数である。だいたい、白衣を買うお金があったら、スクラブかケーシーを買った方が後々便利だ。楽チンだし。だが、そういうことを頭で分かっていても、今、ものすごく白衣が欲しい。白衣、欲しい!
 白状してしまうと、私は白衣という衣料(「“医療”用の“衣料”」とか言ってみたりww)が好きである。白衣を着た女性が好きとか、そういうフェティシズム的な意味では決して・・・、いや、別に決してとは言い切れないけど、とにかくそういう方向ではなく、単に自分が羽織る衣装として好きなのだ。白衣の丈は長ければ長いほどいい(そもそも丈の長い服が好きなのだが)。ショート丈なんて論外だ。膝のあたりまで隠れるくらいの丈はほしい。歩いているとき、座っているとき、足を組んでいるときに裾が脚に引っ掛かる感じがもうたまらないのだ。現在所有している二着も無論丈の長いタイプである。
 そして今、私がどんな白衣が欲しいのかといったら、ジップアップタイプ。ジッパーのついた、所謂「やらないか」タイプが欲しいのである。白衣ではボタンで前を閉じる型が一般的で、私の二着もそのタイプだが、私は少しひねくれたところがあって一般的ではないものを普段使いしたがる傾きがある。一般的でない白衣といったら、そう、このジッパータイプになるのだ。また、あるクラスメイトがジップアップタイプの白衣を着ていたので、それに触発されたところもある。丈はもちろん、長めのものがいい。着丈100cmは欲しいところだ。イメージでいうと、一月の核P-MODELライブ「パラレル・コザック」で平沢進氏とPEVO1号氏が着ていた研究員風の胡散臭い白衣。アレがいいね。
 で、最近はネットでもいろいろなモノが買えるので、現在絶賛調査中なのだが、丈が長いジッパータイプの白衣、全然ない。やはり一般的ではないのか。ジップアップのハーフコートはあるんだけど、いかんなぁ・・・なんでこうなる、という気持ちだ。私は丈の長いのが欲しいんだけど。時たま着丈の長いのが見つかるが、それはレディースもの。それでは肩幅、胸囲その他諸々が規格外なのだ。全く買い物とは難しいものだ。東京に白衣専門店というのがあった覚えがあるので、いっそそこまで行ってやろうかと思い始めている。
 お願いですが、メンズの白衣でジップアップタイプ、かつ着丈長め(100cmくらい)のものが販売されているお店をご存知でしたら、どうか私めに教えて下さいまし。










にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/04/19(土) 11:05:52|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

タイムトラベルの学び舎

 長野県松本市は昔から「学都松本」と呼ばれ、教育を重んじてきたが、そのシンボルと言えるのは日本最古の小学校と称される重要文化財旧開智学校である。開智学校は1872(明治5)年の学制発布をうけ、全久院という廃寺を利用して筑摩県学として開校、翌年に第一番開智学校となった。現在の校舎は、当時の筑摩県参事(つまりは知事)の永山盛輝計画、地元の棟梁立石清重設計・施工のもとに、1875(明治8)年に工事が始まり、翌年に完成したのである。このときの工事費用は莫大なものであったが、そのうちの7割が松本町民からの寄附でまかなわれており、住民が新学校に大きな期待を持っていたことを思わせる。
 町民の期待を一身に負って完成した校舎―現在見物できるのがそれだが―は、当時流行していたという擬洋風建築の代表作である。屋根高くそびえる八角塔には東西南北の風見が配され、各窓には舶来のギヤマンが取り付けられている。外壁は白亜色が基調だが、窓枠や正面車寄の絶妙な配色によって軽やかな外観に仕上がっている。車寄の庇(ひさし)の下には日本風な(少なくとも洋風ではない)天使像が二体、さらにその下には龍の彫刻があったりと、ところどころに和風と洋風が入り混じった意匠が施されている(どこか中国風にも見えなくもない)。
 現在校舎内は当時の机や椅子などが置かれたり、松本の教育の沿革を学ぶことのできる展示室がつくられている。展示品も貴重なものであることに違いないが、やはり扉や照明など、往年にタイムスリップしたような錯覚を起させるインテリアに非常に見応えがある。広大な講堂は、あえて照明を落していて、どことなく荘厳にも見える。時間旅行をしているような奇妙な感覚を覚えるが、私はこの感覚を味わうために各地の時代物の建築を訪れるのかもしれない。
 旧開智学校と一つ通りを隔てて建っている鮮やかなブルーの洋館は松本市旧司祭館である。松本に布教に訪れたクレマン神父によって設計建設されたアーリーアメリカン様式の住宅である。主な特徴は各部屋に暖炉があること、そして1階2階ともにベランダが設けられていることである。長野県宝に認定され、保存されているが、家具などはほとんど撤去されていて、少ししょんぼりとしている。しかし、小ぢんまりとした建物の青色の外観や、ファイアーキングのジェダイを思わせるベランダの色合いは可愛らしくて、中々見所がある。ベランダは開放的で日が差し込むとさぞ気持ちよかったろうが、このときは今にも雨が降りそうな曇天でどんよりとしていて残念だった。

CIMG3300.jpg

CIMG3302.jpg

CIMG3392.jpg

CIMG3307.jpg

CIMG3310.jpg

CIMG3315.jpg

CIMG3324.jpg

CIMG3329.jpg

CIMG3352.jpg

CIMG3369.jpg

CIMG3371.jpg

CIMG3394.jpg

CIMG3403.jpg

CIMG3417.jpg

CIMG3416.jpg










にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/04/17(木) 19:34:17|
  2. 旅行記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

動物農場

animalfarm.jpg


 いや、なんというか、久しぶりにえげつない本を読んだ気がする。「動物農場」(ジョージ・オーウェル作)。この本は学校で空いた時間ができたときに読む用として持って行ったのだが、作品はそれほど長くない中編であったことと、作中の一文一文が私の集中を引き寄せるものだったため、あっと言う間に読み終わってしまった。
 ジョージ・オーウェルといったら、ディストピア文学の大傑作「1984年」で有名な(改まって有名と言うのも恥しいのだが)作家である。「1984年」の執筆を始める2年前に発表した今作「動物農場」に描かれているのは、残酷でグロテスクな動物たちのディストピアである。
 話のあらすじとしてはこうである。場所はイングランドのとある農園。人間たちによって過酷な労働を強いられてきた農園の動物たちは、ある日一念発起して農園主を追放した。そして彼らは、人間たちの支配から解放された、いわば“動物の動物による動物のための農場”を創り上げるために奮闘をしていく・・・。あらすじだけを見れば、一見微笑ましい小説に思えなくもないが、途中から雲行きがアヤしくなり、最後の方には、支配管理統制格差過酷な労働情報の隠蔽歴史の捏造欺瞞反抗者の粛清貧困見せかけの理想言論の弾圧愚民政策恐怖政治が氾濫する、完全なるディストピアができあがっているのである。つまりこの作品は地獄郷完成までの道のりを辿る物語であり、中盤から結末に至るまで、えげつない場面がひたすら続くのである。
 物語に登場するのは馬、牛、豚、羊、にわとりなどの動物たち(人間も数人出てくるが、引きたて役に過ぎない)。動物たちは人間ほどの知能がないと私たちは考えているので、人間社会が舞台となるディストピア小説を読むときより、なんとなくひどい仕打ちの場面でも、動物は愚かで鈍感だというイメージからか、いくらかコミカルにも見え、精神的なダメージも和らぐ・・・はずなのだが、確かにこの作品に出てくる動物たちは一部を除けば知性に欠けるものばかりだが、だからこそより純粋なのであり、そんな純粋な彼らがとんでもない仕打ちを受けている描写は、後味の悪い、鈍い痛みを心に与える。
 また、出てくるのは動物ばかりであるというのが、悪趣味で気味の悪い印象を抱かせる。もしこの物語が大体の筋書きは同じくして、舞台を人間社会だというふうに変えてみたとしても、大した感想はもたないだろう。作中の出来事はすべて動物たちが引き起こしたものだからこそ、その場面を想像して、背筋が薄ら寒くなるような気分になってしまうのだ。またこの小説では、多くの動物の中でも、豚がキーとなるのだが、物語の鍵を握るのが豚というところに、類稀なるセンスのよさを感じるのだ。これは豚でなくてはいけないのだ。牛や馬ではダメなのだ。この役ができるのは豚しかいない。豚だからこそ、この作品により一層の悲惨さやグロテスクな味が出るのである。
 「動物農場」は題名の通り、動物たちの世界を舞台としているが、それを通して描いているのは、明らかに私たち人間が創った社会である。またこの作品には「おとぎ話」という副題がつけられているが、オーウェルの創りだしたこの寓話を「寓話である。」と自信を持って言える人は果たして何人いるだろうか。この一冊を読んで「豚は誰なのか?」を考えてみる夜もあっていい。










にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください


  1. 2014/04/16(水) 20:04:10|
  2. 感想ルポ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

はじめてのお弁当

 病棟での臨床実習が始まって二週目。先週のうちにあることを学んだ私は今日から新しい試みを試してみることにした。臨床実習では日程に手術が入ることが多く、それに伴い、時間が不規則になることが多い。エネルギー補給に重要な昼休みも例外ではない。これまで私は昼休みごとに学校から近い自宅に帰り、昼食を作って食べてまた学校に戻るという生活を続けていたのだが、この実習が始まってみると、家に帰ってランチを摂るのが時間的にキビしいのがほとんどであった。となると学校や病院の売店で食べ物を購入して学校で食べたり、近くの食堂に食べに行ったりするのがよさそうだが、そうなると必然出費がかさんでしまう。そもそも私が頑なに昼どきの自炊を続けていたのは、何を隠そう、食費の節約のためである。ここまできて売店や外食に頼るのは、なんだか悔しいではないか。
 そこで私は考えた。学校で食べることができて、なおかつ食費も抑えることができる。そんなことができるのは、ただ一つ。そう、自分で弁当を作って行けばいいのである。この学校に入学して以来、昼夜問わず極力外食や総菜には頼らず、自炊の道を歩み続けていた私だが、そんな大学生活五年目にして、ついに弁当作りに行きついたのである。思えば遠くへ来たもんだ。
 突然だが、以下アニメやマンガでよくある会話。

A(活発そうな女の子。アホの子。ポニーテール)「あー!Bちゃんお弁当なんだ!これ自分で作ってるの☆?」
B(Aとは対照的に物静かな少女。ガタイがいい。大正義・黒髪ロング)「うん、そうだよ。(ニコリ)」
A「へー!すごいねー!」
B「そんなことないよ。夕べの残りをつめただけだから。」

生きる知恵はすべてアニメやマンガで学ぶ私は、上記のようなよくあるシーンを踏襲して、夕食の残りを翌日の弁当に詰めていく方針に舵をとった。また、最も身近にいる弁当のプロ(=母親)にお伺いを立ててみると、夕食の残りも(一部を除いて)冷凍して保存することができるらしい。他にも色々なアドバイスをもらって、私は心強く感じた。
 そして今朝早起きして作った(レンジでチンしただけの気も・・・)、私史上はじめての弁当のラインナップは、
・ラタトゥイユ
・プチヴェールとウインナソーセージの焼きサラダ
・プルコギ春雨
・自家製味付け卵
・白飯-SHIROMESHI-
といったもの。はじめてにしては我ながら上出来だと思う。なんというか、「弁当」というよりは「お弁当」と言った方が似合うような感じでしょう。
 これからもっと忙しくなって、こんな弁当を作るなんて悠長なことはできなくなるかもしれないが、これはできる限り続けていきたい習慣だ。節約にもなるし、それに、ほんのちょっぴりだけど、楽しい。
 ところで、私は高校生の時代に、毎日母親が作る弁当を昼休みに食べていたのだが、いざ自分でメニューを考えて作ってみるとなると、それを三年間、ほぼ毎日続けていた母親の有難さが改めて身に沁みた。
 









にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/04/14(月) 20:16:45|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

新潟無機終焉都市の春

CIMG3613.jpg


 野暮用があって市街地に出かけたが、新潟無機終焉都市には珍しく風も吹かないいい陽気でちょうど桜も見ごろだと思い、せっかくなのでいつもより遠回りをして、信濃川沿いの桜の木が並ぶ遊歩道を通っていくことにした。かつて堀が張り巡らされ「水の都」の異名をとる新潟市。その象徴と言うべきは日本で最も長い川、豊かな水流をたたえる信濃川であろう。市内を走る信濃川の下流両岸には芝生が整えられ、花や木も植えられ、とてもいい感じの散歩道が造られている。この季節は桜が咲いているので人が大勢集まり、木の下にシートを広げて花見と洒落こんでいる(物静かにやっているので好感が持てた)。また犬の散歩をしている人や、ジョギングをしているナイスミドル、はたまた芝生をごろごろと転がる(私もやりたかったが、警察の追跡から逃れる自信はないので控えた)子供なんかもいる。こういった市民の憩いの場をきちんと用意しているところは素直に評価できる。普段はその上を渡っているだけの万代橋も、そば近くで見てみると石造りの外観にどっしりとした重厚感があって中々よく思える。よくやっていると思う。
 ここまできたら市内の桜の名所を巡ろうと、桜の名所と名高い白山公園を通るルートで帰ることにした。ちなみに、私はよく白山公園に散歩をするが、桜が咲いているときに行くのは今日がはじめてである。友人たちは毎年ここで花見を開いたりしていて、私はいつもその話を聞いているだけだった。しかし、なんというか、人がたくさんいて、落ち着いて桜を見ることはできそうもなかった。辺り一面花見の酒乱で騒々しい。風情も何もあったもんじゃない。全体的に必死で節操がなく、甚だ低俗な光景であった。これだと、桜が咲いていなくとも、いつもの静かな白山公園の方が趣深いと言える。もちろん私も、花見はただの口実で、人々はただ騒ぎたいだけであるという事情は分かっているが、ただ騒いで楽しいなんて虚しいだけだと思う。そんななか池の隅っこの浅瀬に咲くミズバショウの可憐さが沁みた。









にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ






この部屋からトータルへ 私たちとつながってください

  1. 2014/04/13(日) 18:44:43|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ 次のページ

筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

レポート検索

最新レポート一覧

アーカイブ

2016 04 【1】
2016 03 【4】
2016 02 【4】
2016 01 【5】
2015 12 【12】
2015 11 【10】
2015 10 【14】
2015 09 【8】
2015 08 【15】
2015 07 【14】
2015 06 【11】
2015 05 【17】
2015 04 【12】
2015 03 【12】
2015 02 【9】
2015 01 【9】
2014 12 【8】
2014 11 【13】
2014 10 【22】
2014 09 【18】
2014 08 【2】
2014 07 【14】
2014 06 【13】
2014 05 【13】
2014 04 【22】
2014 03 【17】
2014 02 【28】
2014 01 【29】
2013 12 【28】
2013 11 【28】
2013 10 【29】
2013 09 【22】
2013 08 【20】
2013 07 【30】
2013 06 【18】
2013 05 【15】
2013 04 【19】
2013 03 【3】
2013 02 【6】

カテゴリ

コメント

トラックバック

メッセージ

質問・要望どんとこいです!

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。