野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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金沢鈍行旅日記・一日目(一)

 夏休みも終盤の日々。重要な用事も入っていないし、青春18きっぷもちょうど二日分余っていたので、新潟無機終焉都市から石川の小京都・金沢まで、鈍行を使った一泊二日旅行に出かけた。無機終焉都市を生活の拠点にして以来、何かと金沢は話題に上り、昨年に仕事で訪れていた父親の話も聞いていたりして、かねてから金沢には特別な興味があった。実を言うと、私は一度金沢に行ったことはあるのだが、それは我が黒歴史たる大学の部活動(私は大学一年生の時だけ部活動をやっていた)の行事の一環によるものであって、その際、観光の類は一切することができなかったし、ひとりで街を歩くなんてことも当然できなかった(その頃の私はまだひとり旅の魅力は知らなかったのだけれど)。それから四年の間温め続けていた計画が、ここにきてすんなりと形になったのは、少しあっけなく思った。
 新潟駅から金沢駅までは、信越本線、北陸本線と乗り継いでいく。思えば、故郷の秋田県発の旅は何度かしているが、ここ無機終焉都市から鈍行旅行に出かけるのは、案外これが初めてかもしれなかった。新潟駅から鈍行で秋田に帰省することは何回かあったが、純粋な旅行としてはおそらく初。となると、この旅行では生まれて初めて見る線路の上をひたすら走ることになるのだが、これほどワクワクすることはない。
 金沢にお昼頃に着きたいので、朝六時台に新潟駅発の列車に乗らなきゃいけない。早起きは得意だが、これは流石に早い。出発時はまだ空も薄暗いままだが、線路を走るうちにやがて日が昇り、だんだんと一日が始まっていく様子を眺めていることができる。旅の始まりにふさわしい体験だ。見事な車窓景も好きだが、私は何の変哲もないその地域の住民の暮らしを、電車から眺めているのが割と好きな人種で、家の隣の小さな畑や洗濯物が干されているのをいいなと思う。犬と散歩をしている人を見ると切なく思ってしまうのだが、どういうわけかみんな柴犬を連れている。どういうわけか。
 長岡、柏崎と、何気に初めての駅を巡っていくが、柏崎から直江津の区間、特に鯨波から柿崎のあたりまでは日本海に近接して走っているので、その間の車窓の風景が楽しみだった。その期待どおり、外から電車を写真で抑えたらなんとも絵になるようなところを往く。青海川駅は「日本で一番海に近い駅」として有名で、降りはしなかったが、ホームから眼下に望む日本海に、列車の中からでもうわぁと感動してしまった。いつか実際に降りてみたく思う。また直江津―糸魚川間にある筒石駅は、ホームがトンネル内にある“トンネル駅”であり、ここも降りはしなかったが、有名な駅をちらりとでも見られてよかった。難所・親不知を過ぎ、やがてはるかに能登半島を認めるうちに、富山駅に着いた。乗り換えまでいくらか時間があるし、ここももちろん初めての地なので、少し散策をしていくことに。
 来年の北陸新幹線開業に向けてか、富山駅では大規模な工事が行われており、ホームから改札までの距離が長くなっていて疲れる。富山市といえば、路面電車が走っているが、富山駅から路面の駅まで微妙に距離があり、外は日差しが強く暑かったので、見に行くのは諦めることにした。乗車記念スタンプを押し、昼食にW7系弁当を買ったら、あとはホームに戻って、初めて見る特急サンダーバードなどを撮影していたが、この時ふと思いついたのが、「ひょっとしてこの旅の間にトワイライトエクスプレス見れるんじゃね?」というアイデア。トワイライトエクスプレスは大阪と札幌を結ぶ豪華寝台列車で、金沢や富山、そして私が先ほど通ってきたような日本海沿いの線路を走るのだ。来年春に廃線することが決まっている。ホームにある時刻表を見てみると、どうやら富山駅での対面は叶わないようだったが、しかし、時間の融通の利く金沢ではどうか。これはこれは、旅中に思わぬ楽しみが増えたものだ。
 富山から石動(なんて読むか分かる?)を抜け、倶利伽羅峠を越えて、ついに旅の目的地・金沢に到着した。新潟―金沢の鈍行旅は、夏の日本海の爽快な景色を堪能できるParadise Lineだった。旅行地までの移動の様子を綴るだけでこれほどの文章量を割くのも分かるだろぅ?ホントはもっと色々書きたかったが書けばいいというものではない。
 金沢駅に降りる。今まで新幹線が走っていなかったのが不思議なほどに大きく、モダンで洗練されていて、かつ清潔な駅である。東口を出ると、そこの広場はもてなしドームと言われガラスとアルミ合金で覆われていて、開放的になっている。また、そこには金沢のシンボルとなりつつある驚きのオブジェ・鼓門がそびえる。“小京都”などと呼ばれているが、駅前の景色は伝統のエッセンスを織りまぜながら、どこまでもモダンでどこか近未来的でもある。広場のベンチに座り、鼓門を見ながら例のW7系弁当を食べたが、そこでふと自分の現住所でいちばん大きい駅を思い出してしまう。新幹線が通っているのに、連絡が分かりづらく、駅前にはくつろげる広場もなく、トイレも不潔で使う気になれない。一応こちらの方が政令指定都市なのだが、このセンスの差は一体何なのだろう。何かにつけて比べるのはナンセンスであるが、流石にこの差については嘆かずにはいられない。
 実は金沢において、とある場所に予約の予定を入れていて、その時間的にすぐにそこへ向かった方がよさそうだったので、昼食を食べて休憩もほどほどに、目的地へ歩き始めた。私のひとり旅といったらレンタサイクルだが、金沢が提供しているサービスは、その仕組みがよく分からなかったので、今回は利用しないことにしていた。市の中心部は観光に便利なバスも走っているが、歩いた方が街の様子や地理関係がよく見えてくるので、まずは歩行に努めるのだ。
 駅前の大通りを行き、近江町市場にぶつかるところで右へ。百万石通りを香林坊方向に歩いていくのだが、その途中に尾山神社がある。これは本来の目的地ではなかったが、予定の時刻まで余裕が出てきたので、今のうちに立ち寄ってみることにした。金沢には様々な名所が揃っているが、この尾山神社はなんとも微妙な位置にいる。加賀藩祖・前田利家公と正室・お松の方(「利家とまつ」である)を祀っている神社なのだが、ここで注目すべきは神門である。厳かな社殿に不釣り合いな和洋折衷の楼門であり、三層アーチはレンガが積まれ、上層部は色鮮やかなステンドグラスで飾られ、異国情緒を漂わせつつ、どこか薄気味悪い建造物に仕上がっている。前田家といえば、東京の旧前田侯爵邸や鎌倉の鎌倉文学館(旧前田利為鎌倉別邸)を思い出してしまうが、やはりこの一族は洋風趣味なところがあったのだろうか。境内には利家公の銅像とお松の方の石碑もあり、私が歴史好きであれば加賀百万石の栄華に思いを馳せただろうが、生憎その方面への理解はなく、単純に旅の無事をお願いした。
 金沢最大の繁華街・香林坊(ここのショッピングビルも垢抜けている)を通り過ぎ、そのまま犀川にかかる犀川大橋を渡った。ここで明かしてしまうが、私が予約していた場所というのは、寺町寺院群の一つで通称“忍者寺”と呼ばれる妙立寺である。私が金沢旅行でいちばん楽しみにしていたのは、兼六園でも武家屋敷通りでもなく、この“忍者寺”だった。旅行案内書には「要予約」と書いていて、私もそれに倣って電話にて予約をしていたのだが、実際には当日申し込みもできるみたいだった。しかしそうなると、自分の都合のいい時間に見学することができなくなるので、予め寺に電話をしておくのがいいと思う。
 さて、そして私は第一に忍者寺に歩みを進めていたのだが、ここにきてもまだ約束の時刻までゆとりがあるので、寺町近くにある、“金沢三茶屋街”に数えられる、にし茶屋街を見物してみることに。金沢で茶屋街ときたら、ひがしの方が有名であるが、実はにしにも残っているのだ。現在も数多くの料亭が軒を並べており、なんとも風情のある街並みになっている。気温も高かったので、少しお茶していきたかったが、そこまでの時間は残されていなかった。なんとなく残念なのは、茶屋街は普通に車が走るということだ。茶屋街には今も営業しているお店があるのだから仕方のないことだが、街並みを見ながら歩いていると結構危ない。また、茶屋街の端のところにいい感じに時代モノの建物があったが、案内にも記載されておらず、結局あれは何だったのか分からず今でも気になっている。
 金沢を走る二つの川のうち、犀川は比較的流れが速く“男川”などと呼ばれている。その犀川に平行している寺町通りには、その名の通り現在も個性豊か寺院群が残っている。その中でも特に有名なのは、“忍者寺”こと妙立寺である。ぱっと見、何も変哲のない寺―これは少し嘘で裏口のところはひっそりとしていて緊張感がある―だが、実はここは加賀藩の武士が居起する寺町の中で、監視所の役割を持っていた場所なのである。どうしてこのようなものが作られたのか、その歴史的経緯は省くが、簡単に説明をすると、この時徳川幕府は完全の全国統一を果たすために、ささいな理由で多くの大名(おそらく外様だろう)を取り潰していたらしく、外様であった加賀藩の三代藩主・前田利常公が、幕府の取り潰しに防ぐために建立をしたのだという。
 私は正面ではなく裏口から入ったが、意外にも本堂前には多くの観光客が集まっており、休憩所なんかもある。てっきりもっとひっそりとした、知る人ぞ知る的なところかと思っていたが、しっかりと観光地化されていて少し萎えるような心持ちであった。しかし、騒がしい人は“あまり”いなく、全体的にひっそりとしていて、どこかお化け屋敷に入る前のような雰囲気である。実際、入る前は結構ドキドキします。案内のされ方はかなりシステミックで、「○○時に予約した人」として呼び込み拝観料を集め、一度本堂で見物者全員にテープによる説明を聞かせ、今度は三つほどのグループに分けて(この時、名前を呼ばれる)、グループ別で順番にガイドさんと一緒に寺内を巡るというものになっていて、もう一度言うがかなりシステミックになっている。
 ここが“忍者寺”と呼ばれる所以だが、幕府の攻撃を防ぐ、あるいは幕府の目を欺く目的で、かつここは加賀藩の祈願所であり藩主もよくお参りに出向くことから、お殿様を守るあるいは逃げさせる目的で、内部には数々の複雑な仕掛けやからくりが仕掛けられており、忍者屋敷のようであることから、そのように称されるようになったのだ。当時幕府により三階建て以上の建築は禁止されていたが、この妙立寺は外見は二階建てで、実際は内部は四階建てで七層。この時点でかなりえげつないトラップが仕掛けられている予感がするだろう。中二階、さらに中々二階などの複雑な構造に、二十三の部屋、二十九の階段があり、堂内は迷路のようになっている。本堂正面入り口に賽銭箱が埋め込まれているが、これは箱を取り除くことで、落とし穴になり、攻め込んできた敵がいきなり落っこちるようになっているのである。えげつない。寺には他にも落とし穴があり、その下で待ち受けて敵が落ちてきたらすかさず攻撃ができるようになっているのである。えげつない。他にも明かり取り階段(敵の足の影を見て攻撃できる)や隠し階段、街を一望できる物見台なんかも備わり、複雑な構造でいて建物自体も屈強に造られており、台風や雪圧にも耐えうるほど防御力も高いという。えげつない。しかし、流石は加賀百万石の文化というか、上層部には藩主の部屋があり、そこでお茶なども楽しめるようになっている。ちなみに、お茶用の水を汲み上げる井戸は水面上に横穴があり、金沢城にまで続いており、非常時にはそこから逃げることもできたという。えげつない。
 そんな複雑な寺内は、少人数のグループで案内されるため無理や窮屈さがなく、ガイドさんの説明も分かりやすくて、この“忍者寺”を十分に楽しめることができた。えげつない仕掛けの数々に何度戦慄したことか。すっかり観光地化されていたので、信仰は死んでいないのかガイドさんに尋ねてみると、ここでは今でも仏事が行われており、寺本来の働きも持っているのだという。寺や仏教の神秘性と、武家、武士の屈強さ、そして加賀文化の風流さ。それらが絶妙な均衡を保っていながら建っている“忍者寺”妙立寺は、全国にも類を見ない唯一の建築であった。


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  1. 2014/09/30(火) 20:25:01|
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神聖かまってちゃん「英雄syndrome」




 九月十日(水)に発売されていた、神聖かまってちゃん二年振りのアルバム「英雄syndrome」をやっとこさ購入をすることができた。来月十月二十四日(金)に新潟無機終焉都市でライブをするから、そろそろ買っておきたいところだったのだ。店頭での宣伝文句は「かまってちゃんの最高傑作!」という、なんとも大仰なものだったが、曲目などを見てみると、名盤「つまんね」は超えることはできないだろうと思った。かまってちゃんもメジャーになってきているから、おそらくこれまでのようなコアなファン以外だけでなく、もっとライトな層の購買も以前より期待できるようになって、だからワーナーや販売店的には「最高傑作!」と言えるのだろう。業界は、バンドのや足跡や本質はことごとく無視している。
 今年神聖かまってちゃんは、配信限定を含めて三枚のシングルをリリースした。アルバムにはそのシングル曲三曲はもちろん収録され、あとはデモ曲から三曲と、新曲が五曲入っている。これまでのアルバムに比べて、デモ曲CD音源化の比率が小さくなっている印象だ。
 今回のアルバムは全体的に聴きやすい曲が多く、奇抜な曲やブっ飛んだ曲「ロボットノ夜」くらいで、それほどではないかな。新曲もおとなしめのものが多い印象で、以前のような、一度聴いたら忘れられないポップさやキャッチーさも控えめ。おそらくこれらは何回か聴いていって馴染んでくるタイプの曲なのだろう。デモ曲からは「おかえり」「ひとりぼっち」「砲の上のあの娘」がCD音源化。「つまんね」のボーナストラックで、時折ライブでも披露される「ひとりぼっち」の収録が個人的には嬉しい。「おかえり」の収録は少し意外で、このまま“幻の曲”になっていくか?と思っていたので、少しおおーっ!と思った。アルバムのラスト・トラックとなった「砲の上のあの娘」は納得のような、意外なような、なんとも微妙な感じだ。最後の曲らしく(最後はデモ曲で締めてくれるのが嬉しい)気持ちのいい疾走感のある曲だが、最近の曲だと「マイスリー全部ゆめ」なんかも聴きたかったので、これは次回に期待するしかない。
 まあ、やはり「最高傑作!」であるかは疑問だが、比較的あたりさわりがなく爽やかな曲が多くて聴きやすいアルバムになっている。ところで、川本真琴って誰?










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  1. 2014/09/29(月) 20:30:05|
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ふんわりあたたか会津の旅・二日目

 家族での会津旅行二日目。宿で、これまた美味な朝食を摂り、私たちが朝一で向かった先は、湯野上温泉にほど近い景勝地である塔のへつりだった。「へつり」とはこの地方の方言で「川に迫った断崖や急斜面」のことを言う。阿賀川沿いに切り立った崖がそびえているのだが、思ったよりもスケールが小さく感じた。岸と岸とを吊り橋が結んでいるが、これが歩くだけでかなり揺れて楽しいのだが歩きづらい。また、ガードレールのような役割も持つであろう橋の手すりが、私の膝の高さしかなく、少しバランスを崩しただけで簡単に川にポチャンといってしまいそうで恐ろしかった。崖の中には仏堂があり、そこには自然に宗教的な意味を持たせる日本独特の信仰風景がある。吊り橋に至る道(というか階段)の途中に売店があり、各地にありそうなチャチな土産物やマムシ酒なんかを置いてある。こういう地方の景勝地によくある土産物屋は応援したくなってしまう。塔のへつりの最寄りの駅は会津鉄道塔のへつり駅であり、帰りに少し立ち寄ってみたが、森の中にある無人駅で、凄まじい旅情を発していた。
 そのまま車を走らせ、この南会津地域でも人気の高い観光地・大内宿を目指した。家族旅行のメインは、この大内宿探訪であったのだ。宿舎のあった湯野上温泉からは自動車で十数分で着き、思ったよりも行きやすいところにある。時刻はまだ午前九時代であったが、流石に人気の観光地ということか、駐車場周辺にはすでに多くの観光客が歩いている。山を越えたその先、田んぼに囲まれてひっそりと残っている大内宿集落。江戸時代に会津と日光を結ぶ会津西街道の宿場だったが、後に湯野上から芦ノ牧温泉に続く道ができ、やがて大内宿は宿場町としての役割を終え、静かに農家集落となっていったのだという。現在は沿道を挟んで何軒もの茅葺き屋根の民家が軒を連ねている。観光地として人気が上がり、俗化してしまった印象は拭えないが、しかし通り沿いに向こうまで茅葺きの民家が並んでいる光景は、訪れる者に時代錯誤を引き起こす。通りの最深の小高い山に建つ子安観世音から街並みを見下ろすと、目の前に広がる光景は今の時代のそれではないような錯覚を覚える。現在民家は大内宿を訪れる旅人をターゲットにした土産屋や食堂になっている。土産物や食べ歩きに興味のない私は、当初はあっさり見尽くすだろうなと思っていたが、辺りを見渡すと絵になる光景で溢れているため、何度も立ち止まり、通りの奥に達するまでに結構長い時間を要した。大内宿には独特の名物グルメがある。私は、ご飯を半つきにして握って竹串にさしてじゅうねん味噌を塗って炭火で焼いた、この説明だけでおいしいことがわかる「しんごろう」を目当てにして食べた。当然のようにおいしい。また、豆乳とおからで作ったドーナツも食べた。甘さは控えめで、とげのないおいしさは、何か身体にいいものを食べているように思わせる。他にもネギで食べるそばなど、食べ歩きには事欠かない。街を流れる清流で冷やしたラムネもあり、なんの変哲もないラムネだが、ここで飲むと特別なものに感じられる。大内宿は犬も入れるので、愛犬を連れている観光客の姿を本当によく見かける。入口付近のお店にも小さなチワワ犬がいて、人懐こくてかわいかった。ナデナデスルー。また、一度集落を外れて、高倉神社へ参拝をした。大内宿の産土神ともいえるこの神社には、参道を横切るように山からの清流が流れており、参拝者はそれで口をすすぐのが習慣なのだと、私の偉大な小耳に挟んだ。境内には見事な杉がそびえ立ち、そこだけ空気の温度や感触が全く違っている。大内宿は自分の予想以上に楽しめ、色々な思いに馳せることのできる場所であった。新潟無機終焉都市から日帰りもできそうであるため、もう一度訪れてもよさそうである。
 秋田県に帰る家族と違って、私は会津若松から出る高速バスで無機終焉都市に戻る必要があった。若松への道中、つまり昨日の夕方に宿舎へ向かう道を逆行することになるのだが、途中で再び会津鉄道芦ノ牧温泉駅に立ち寄った。昨日にここのネコ駅長・ばすに会えなかったのが一同の心残りであったのだ。日中なので事務所も開いていたし、件の駅長室(ネコ小屋)を覗いてみると、いたいた。有名なネコ駅長・ばすが、こちらにお尻を向けてすやすやと寝ている。起きる気配などは微塵もなく、結局、お顔は一度も見ることが叶わなかった。まあ、ネコってのはこういうもんだよな。なお、ばすはお触り厳禁、あらゆる撮影も禁止されている。無遠慮な観光客のこういう行為はばすにとっては大きなストレスであるらしい。らぶの体調が心配である。実はこの駅には、らぶという見習いネコ駅長もいて、こちらはまだ幼く元気がある。撮影は禁止だが、触ることはよくて、私もふわふわな毛並みを撫でたり抱いたりして至福の時を過ごした。そうこうしている内に、駅に電車がやってきた。会津若松方面への列車である。最後には若松に行く必要があるのだし、単純に興味から言っても、この列車に乗りたくて乗りたくてウズウズしていたのだが、家族のこともあるし、若松に着いてからの予定がどうなるのか分からなかったので、最後まで言いだせずに、入場券を買って見送るに終わった。しかし、結局若松で私を降ろして、家族はそのまま秋田に帰るだけだったので、やはりこの時列車に乗ればよかったのだった。この雪辱はいつか晴らしたいところである。
 私はひとりで会津若松駅で降りた。時間的に新潟駅発のSLばんえつ物語が到着する頃だったので、入場券を購入して出迎えることに。どういうわけか、最近“走る貴婦人”によく出会う。ちなみにこの列車には次週に乗る予定であった。またちょうど会津若松駅に会津鉄道のお座敷トロッコ列車が停まっていたので、列車が出発するまで観察していた。その名の通り、座席は座敷になっていて、窓は大きく開かれている。いつかこういう素朴な列車にも乗りたく思う。
 新潟無機終焉都市までは高速バスで戻る。別に若松駅から乗ってもいいのだが、なんとなく始発で乗った方が気が楽だし、その始発のバス停は鶴ヶ城に近く、開催中の会津まつりがどのようなものか気になるので、観光循環バスに乗って鶴ヶ城に向かったが、城に着いたところで高速バスの時間にギリギリになってしまい、すぐさま停留所に走るという、なんとも本末転倒な結末になってしまった。


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  1. 2014/09/26(金) 19:47:19|
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9.23プロレスリング・ノア「GREAT VOYAGE 2014 in NIIGATA~大航海×大花火~」観戦レポート(休日はプロレスへ)




 九月二十三日(火・祝)、新潟市体育館で行われた、プロレスリング・ノア「GREAT VOYAGE 2014 in NIIGATA~大航海×大花火~」を、学校のクラスメイトと四人で観戦しに出掛けた。ノアはよく新潟無機終焉都市で試合をやっているが、今回は趣向が大きく異なっており、“邪道”大仁田厚の「大花火」シリーズとのコラボ興行となっているのだ。ノアは早いうちからこの日の大会を決定していたのだが、「大花火」実行委員会も同じ時期に無機終焉都市での開催を検討していたことで、大会のプロモート会社の協力により、このようなコラボ興行になる形になったのだが、地方都市で、しかもノアと邪道による大掛かりな共同興行が開催されるのは、歴史的にもあまり類を見ないのでないだろうか。あのプロモート会社の社長(カミカミの開催宣言と選手権宣言をしていた人です)、よくプロレス会場でチケットを売っている姿を見るが、いい仕事するじゃねえか・・・・。
 今回の大会の三本柱は、①ノアと、「大花火」開催に協力しているプロレスリングゼロワンとの団体対抗戦、②丸藤正道対マイバッハ谷口のGHCヘビー級選手権試合、そして「大花火」のメイン③電流爆破デスマッチ、ということになろうか。GHCヘビーの試合、そして電流爆破が行われるとあって、サムライTVで中継もされていたようであり、私にとっては初めてのTVマッチ観戦ということになる。ていうか、こんなビッグマッチ自体初めてかもしれないぞ。
 大きな大会ということもあってか、会場にはたくさんのプロレスファンが集まった。私たちは二階自由席で観ていた(新潟市体育館は二階席がかなり見やすい会場)のだが、一階の座席はほとんどが埋まっていた。ノアファンももちろんいただろうと思うが、やはり“邪道”大仁田厚のファンの姿(見れば分かる)も多く見かける。
 団体対抗戦となると、リングから漂う雰囲気が殺伐としたものになるのが一般的だろうが、そういう感じになったのは終盤の二試合だけで、前半の三試合はお祭りムード、というか肩肘張らずに観れる楽しいものだった。古いプロレスファンには、大谷晋二郎と高岩竜一の久々のタッグは感動モノだったろう。二人ともベテランの域に達しているが、なんともノリノリで試合をしていた。また、森嶋猛率いるノアのヒールユニット・超危暴軍対ゼロワンのデーモン軍との六人タッグは、どちらともヒール軍団ということで、突っ込みどころ満載の散らかった試合になって、観ていてものすごく楽しかった。そんな中、二階席からのムーンサルトをやってみせたベテランKAMIKAZEに心からシビれた・・・・。
 対戦カード上でのメインイベントは、丸藤対マイバッハのGHCヘビー級選手権試合。メジャー団体の最高位のベルトを賭けたタイトルマッチは、生で観るのは初めてだった。試合前に「GHCヘビー級選手権のテーマ」が流れた時は、少し感慨深かったですヨ?個人的な話になってしまうが、私は2004.7.10ノアの東京ドーム大会「DEPARTURE 2004」のDVDで小橋建太対秋山準の“死線上の戦い”を、落ち込んだ時や気合を入れたい時にいつも見る習慣があって、なんとなくGHCヘビー級には思い入れがあったのだ。マイバッハは超危暴軍の一員であり、そのユニットが結成される前からも、ノア初のヒールマスクマンとして、さすまたを振り回して暴れていたが、この日はタイトルマッチであるためか、さすまたは使わず、セコンドたちも控室に帰して、最後まで正々堂々、クリーンなレスリングに徹していた。自分なりの道を模索しながら、ついにタイトルマッチに辿りついた“谷口”の成長、そして底力を見せつけられた試合である。マイバッハを応援するファンも結構いて(彼は本来ヒールレスラーですから、応援されるのは普段あまりない)、実を言うと私も“谷口”の方を応援していたひとりであります。なんとなく勝敗は予想できてしまうのだが、少し「十番勝負」の頃の“谷口”を思い出しまして。先輩後輩対決の構図だったが、勝利を収めた丸藤が勝利者インタビューで「さすまたよりもアイツ(マイバッハ)の実力の方が恐かった。アイツに底力があることはオレも分かっていたんで。」と話していて、ちょっと胸が熱くなった。
 そして実質上のメイン、ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチである。FMW時代に電流爆破は一世を風靡し、比較的クラシックな試合形式だが、最近その人気というか、一種の“神通力”が一周回ったように感じる。私は昨年の「越後大花火」を観戦しに行っているので、電流爆破を見るのはこれで二回目。リングの設営からして特別で、物騒で、見応えがある。物心ついた時から電流爆破はあったので、私は電流爆破は当然のように存在する試合形式だと思っていたが、よく考えれば、どうしてこんな頭おかしい試合をするに至ったのだろうか。全く不思議なものである。
 今回はノーフィアーと邪道軍の六人タッグマッチ(六人は流石に狭すぎるww)だったが、邪道軍は電流爆破専門だし、“帝王”高山善廣は「大花火」で何度かやってるし、初電流爆破で注目の杉浦貴は、なんだかんだ言ってノリノリに見えたのでいいのだが、ひとりだけ平柳玄藩の巻き込まれ感が凄まじい。試合中も、もうなんだか頑張ってほしかった。大仁田厚はレジェンドとして、いまだにカリスマ的人気(あるいは“崇拝”)を集めているが、やはり身体にガタがきているのか、得意のサンダーファイヤー・パワーボムもブレーンバスターも、きちんと相手を抱え上げることができていない。一度も炎攻撃を出さなかったのは、少し意外である。試合では全選手が必ず一度は被爆をした。やはり爆破の轟音は凄まじい。爆破の光景だけでも異様だというのに、その後の会場のどよめきによって、変な昂揚感が湧いてくる。どうして男たちは電流の流れる有刺鉄線に飛び込むのか。プロレスでは、時に常識や理屈をも通さないような空間ができる。私たちが決してできないことをリングの上でやってのけるプロレスラーは、やはり“超人”ともいうべき存在なのだ。試合後に、リング上で勝ち名乗りを受ける大仁田の元に多くのファンが集まり歓声を挙げる光景は、爆破の煙が残り漂い、照明も適度に落とされ、ミュージシャンとしても活動する矢口壹琅もいることから、何かのライブをしているように見えた。



第一試合 ○原田大輔 VS 小川良成 VS 熊野準×
 原田も出世したもんだな~。にしても小川が前座で試合しているのがもったいなくてしょうがないと思います。

第二試合 斎藤彰俊 ×北宮光洋 VS 大谷晋二郎○ 高岩竜一
 オールドファンには嬉しい試合。ノア組の先輩後輩感もよかった。

第三試合 森嶋猛 拳王 大原はじめ VS デーモン植田 KAMIKAZE 菅原拓也 (両者反則) 
 ツッコミどころ満載の楽しい試合。どっちもヒール軍団ということで案の定散らかした試合にwwこれはひどいww

第四試合 石森太二 ○小峠篤司 VS 日高郁人 藤田峰雄×
 みねポンがチャンピオンなのか~。時代だね~。腐女子が喜びそうな試合でしたが、近くの席の女性ファンが何度も「最低~。」って言ってて面白かったです。

第五試合 マイキー・ニコルス シェイン・ヘイスト ×クワイエット・ストーム VS 佐藤耕平○ 鈴木秀樹 横山佳和
 相変わらずTMDKの二人はいい動きをする。

第六試合 ○モハメドヨネ 中嶋勝彦 VS 田中将斗 小幡優作×
 熱い試合ではあったが、特筆すべき点はあまりない。

第七試合 GHCヘビー級選手権試合
       ○丸藤正道 VS マイバッハ谷口×
 谷口の成長と底力がよく分かる試合。

特別試合 ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ
       杉浦貴 高山善廣 ×平柳玄藩 VS 大仁田厚○ 矢口壹琅 保坂秀樹
 がんばれ、玄藩・・・・。


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↑電流爆破デスマッチの準備の様子。










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  1. 2014/09/25(木) 18:16:10|
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さかた湊町チャリ紀行・四日目

 安部公房の小説「砂の女」冒頭に登場する“S駅”とは、実は酒田駅のことを指しているらしい。いきなりどうした。
 さて、酒田での二日間の用事も済み、早くも新潟無機終焉都市に戻る日がやってきた。ただ戻るのでは芸がないし、まだ見ていないところもあるので、無機終焉都市へはしばらくはまた町を巡ってから帰ることにした。帰りは酒田駅から新潟駅まで出ている特急いなほに乗る予定にして、つまりはいつでも帰れる状況にいたので、何かと気が楽だった。
 滞在していたホテルで観光自転車を借り、再び酒田の中心街へと走る。相変わらず大通りなのに歩道はないし、自転車が通るスペースも狭く、全く気が気でないチャリ路であった。時刻はまだ九時頃で、大抵の観光施設はまだ開館していない時間なので、通り道にある山居倉庫(ケヤキ並木と屋外の休憩所はいつ行ってもいい)に寄って、例の木陰のテーブルで一日の計画を立てていることにした。昼間は観光客や煩いツアー旅行の連中共が多く訪れるはずだが、この時間はまだ人の姿はまばらで、静かで落ち着ける雰囲気である。周囲に完全に私ひとりしかいない瞬間もあり、少し贅沢を味わったような気分だった。この観光地をひとり占めして過ごすのは、ひとり旅でしかできないことだ。
 ひとり脳内作戦会議の結果、まずは日和山公園方面にチャリを走らせることにした。この辺りに見てみたいところがまだ残っていたのだ。せっかくなので、朝の日和山公園も散策してみることに。倉庫の時と同様に、公園の芝生の広場も展望台にも私ひとりしかいない。私を急かす人も、耳障りな声を挙げる人もいない。こういう静かで落ち着いた時間が好きだ。
 私もたまには医学生らしいことをしてみようと思って・・・・、とはいえ別にいらぬ見栄は張ったわけではなく、最初から純粋に興味が湧いていたのだが、日和山公園から歩いてすぐの旧白崎医院を訪れた。この医院は当初は本町通りにあり、酒田大火でも幸いにして被害を免れたのだが、その後に市の指定文化財として保存するために公園地内に移築復元されて現在に至るのだ。一階が医院、二階が家人の住居として造られた建物なのだが、酒田市で初めてと言える本格的な木造洋風建築で、外科専門医院の建物である点などから言っても珍しいのだという。私は建築、特に明治から昭和にかけての洋館好きなので気になっていたが、昔の医院(しかも外科)がどうなっているのかという好奇心がうずいていた。旧“白崎”医院ということで、それに合わせて外観は上品な白色で統一されている。派手な装飾はなく、クラシックな雰囲気である。内部は、まずは一階の医院だが、たしかに洋風の造りになっているものの、医院ということでか、壁なんかは白を基調にデザインされており、こういう洋風建築特有の重厚感や圧迫感はあまり感じられない。かつての診察室や控室などは別に何も思わず、『こんな感じか。』とか『お洒落だな。』くらいの感想しか持たなかったが、医院最深部の手術室を覗いてみると、あまりにも現代と違うのでに大いにドデンして(驚いて)、思わず笑ってしまった。当時は他にも色々と設備があったのかもしれないが、手術台などがポツンと置かれ、どうも簡素すぎてなんというか頼りなく感じてしまう。超年代モノの照明(ドイツ製)も、絶対コレじゃ手術しづらかっただろうな、と思いを馳せてしまう。手洗いはどうしてたんだろうとか他にも色々考え込んでしまうところは、やはり私も医学生であったということだろう。二階の住居は、これは畳敷きの和風の造り。しかし、外壁など所々が洋風という奇妙な構造になっている。館内にはガイドを兼ねる管理者が(おそらく)常駐しており、私が移動するたびに後をついてきて、私が聞いてもいないのに説明を加えてくれる。最初はウザく思ったが、結果的に説明があった方が当時の背景とかが見えてきて理解しやすくなるので、途中からガイドの有難みが分かった感じだ。
 公園地内には下日枝神社という、結構大きな神社がある。酒田の産土神であり、現在の社殿は本間家三代当主光丘によって建立されたのだという。木が生い茂る森の中にある神社で、やはりここも私ひとりでいたのだが、外界と遮断されたような空気が流れ、少し背筋が薄ら寒くなるような雰囲気。入口の赤い鳥居に掲げられた額はなんと西郷隆盛の書なのだという。その先に随身門という立派な門があるが、その左右に置かれている像が、薄暗い中に佇んでいて、詳しく見てみようと近づいてみて、目が合った瞬間に思わずゾーっとしてしまった。目が怖かったよぅ・・・・。社殿はかなり大きい。かつ、彫刻が素人目に見ても、とても細かくできていて全く見事であった。龍や獅子の彫り物など、明らかにその辺りの神社にはない精密さがある。本殿の軒下にくぐり入って、再び上の方を見てみると、本当に心臓が止まるかと思った。そこには屋根を支えるような四匹の猿の彫り物があって、そのうちの一匹とバッチリ目が合ってしまったのだ。下日枝神社では猿は神の使いとされているらしいのだが、彫刻の造形もそうだし、薄暗い中で目だけを白く光らせている猿たちは超怖く、囲まれて見下ろされているのは今思い返してみても寒気がする体験であった。周囲に人の姿がなく、私ひとりであったのも、静かに恐怖を倍増させる。こんなに恐ろしい気持ちで参拝したのは初めてかもしれない。
 このあたりから空が曇りがちになり始めた。チャリで巡る旅行で一番恐れるべきは猿の彫刻・・・・ではなくて、雨である。天気が心配だったが、とりあえずいかにも酒田らしいポピュラーなところに足を運ぶことに決めた。本町通りに面する豪邸・本間家旧本邸である。本間家は酒田の大地主の家系であり、他の歴史的施設にも必ずと言っていいほど関連を持っているので、そういう点から言っても本間家の影響力の大きさが察せられるだろう。本間家旧本邸は酒田市最古の木造建築で、三代光丘が幕府巡見使一行の本陣宿として新築し、荘内藩主酒井家に献上、後に拝領したものである。全国的にも珍しい武家屋敷造りと商家造りが一体となっている建物である。間取りの広大(「広い」と言うよりもはや「広大」と言うべき)さや、欄間や釘隠しの細かな意匠に名家の暮らしぶりを見た気がした。同じく本町通りには旧浴び宮という、これまた大商家の屋敷がある。鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、日本海海運に大きな役割を果たしていたという。その繁栄ぶりは井原西鶴の「日本永代蔵」にも記されているほどだ。本間家旧本邸は住居であったが、この旧鐙屋はお店がメインになっている。
 もう酒田は見て回った観があるので、そろそろ駅の方に戻りつつ、酒田観光のハイライトである本間美術館に立ち寄った。本間家四代当主光道が建築した別荘を市民に開放し、全国に先駆けて地方都市の私立美術館として開館したのが、今の本間美術館である。別荘の本館は「清遠閣」と呼ばれ、酒田の迎賓館の役割を持ち、昭和天皇のお宿にもなったそうな。清遠閣からは、鳥海山を借景とした回遊式の庭園「鶴舞園」を眺めることができる。ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで二つ星の評価を獲得している名庭園である。私のお目当ても清遠閣と鶴舞園であり、実を言うと美術館の展示にはあまり興味なかったのだが、たまたま開催していた企画展が動物をテーマにしたもので、伊藤若冲や長沢芦雪の作品があって、普通に見応えがあった。清遠閣は和洋折衷で感じのいい建築である。館内が暗くなっているから、ちょうど額縁のような役割を果たし、そこから見える庭が映えて見える。調度品も上品、かつやはり欄間などの装飾が細かくて一々見応えがある。階段や、金箔を吹き付けた壁など、特殊な意匠もあって全く飽きない。どういうわけかここでも私ひとりであった(ここ、人気の観光地のはずだよね?)ので、風の気持ちいい二階の窓際で鶴舞園を見下ろしながらしばらく寝転がっていた。こんな贅沢ないよ!行儀悪いよ!清遠閣には喫茶スペースもあり、当時のものらしき食卓について寛ぐことができるのだ。アイスコーヒーを飲む。あまりおいしくなかった・・・・。鶴舞園はどうせ一方通行だろうなと思ってみたら、結構庭中を縦横無尽に行ったり来たりできるみたいで、予想以上に広かった。
 時間も時間だったので、駅に戻り自転車を返却して昼食を求めることにしたが、よさそうな食堂がなかったので、ホテルのイタリアンで優雅にランチを摂った。夕食にだだ茶豆を使った駅弁を購入して、午後二時台のいなほに乗って新潟無機終焉都市に戻る。いなほに乗るのは、新型車両になってからは初めてであった。かっこよかった。


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  1. 2014/09/24(水) 18:53:46|
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シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

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