野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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「蒸気船ウィリー」(ハッピーバースディ、ミッキー!)




 1928年11月18日、ニューヨーク・ブロードウェイのコロニー劇場(現在のブロードウェイ劇場)で、とあるアニメ映画が公開された。それこそ、世界初のトーキー・アニメーション映画として歴史に残り、アニメの枠を超えた世界的スーパースター・ミッキーマウスのデビュー作「蒸気船ウィリー」である。
 当時、ウォルト・ディズニーは「しあわせうさぎのオズワルド」シリーズを制作し人気を集めていたが、その「オズワルド」の著作権が、契約の関係で配給会社に奪われてしまった。失意に浸る間もなくウォルトらには早急に新たなキャラクターを考える必要が出てきたが、その時、彼の頭に、スタジオに住み着いていたネズミをモチーフにしたキャラクターのアイデアが浮かんだ。そうして、ウォルトのアイデアと、天才アニメーター・アブ・アイワークスのデザインでミッキーマウスはこの世に誕生した。
 同じ頃、それまでサイレント映画が主流であったハリウッドに大きな革命が起きていた。1927年、「ジャズ・シンガー」公開。世界初のトーキー映画である。その頃はまだまだトーキーの将来性を疑わしく思う映画関係者もいた。「ミッキーマウス」シリーズの実質的な1作目「プレーン・クレイジー」(公開2作目)と2作目「ギャロッピン・ガウチョ」(公開3作目)を完成させ、ニューヨークにいたウォルトは、そこでトーキーと出会った。先進的なウォルトはすぐさま「これだ!」とひらめいた。「次の映画はトーキーで行こう!」と。そうして「ミッキーマウス」シリーズの公開第1作目(実際には3作目)は、画期的な全編トーキー(「ジャズ・シンガー」は部分的にトーキーだった)で制作された。トーキー技術は莫大な費用を要するものだったが、ウォルトは経費のことは考えずにより最高のものを求めていた。
 アメリカ南部の川を進む蒸気船「ウィリー」号。その乗組員であるミッキーマウスが、船長のペグレグ・ピートにどやされながらひたすらサボり続けるという内容の、約7分の短編である。ストーリーとしては実に簡素であるが、世界初のトーキー・アニメーションと考えると、今作のアニメーションと音楽のシンクロは全く驚異的である。アニメーションフィルムの1秒間のコマ数24に合わせて8の倍数でギャグや曲のタイミングを作るという手法で制作されているが、口笛を吹きながら舵をとるミッキー、楽器にされる動物たち、食器のドラムなど、第一作目にして、これでもか!と言わんばかりに、映像と音楽の同期性を求められる場面が続くこの作品からは、新しい技術に向かうウォルトらの強い挑戦心が窺える。また、アメリカ民謡の「藁の中の七面鳥」が挿入されて作品のほのぼのとした雰囲気を演出しているが、この曲は日本でいうと「ふるさと」のようなポピュラーソングらしく、古き良きアメリカの田舎を愛したウォルトらしい選曲に思える。なお、ミッキーマウスとミニーマウスの声をあてているのは、あのウォルト御大本人ということは有名な事実である。やはりミッキーはウォルトの分身であったのだ。
 「蒸気船ウィリー」は公開されてすぐに人々の絶賛を集め、特に、イタズラなミッキーマウスは観る者の心をつかんで、一夜で人気者の座にのし上がったという。それ以後も「ミッキーマウス」シリーズは人気を保ち続け、活躍の場を映画からテレビへ、そしてパークへと広げながら、ミッキーは誰もがどこでも知ってるスーパースターになったのだった。










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  1. 2014/11/18(火) 20:43:36|
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にほんブログ村が10周年を迎えたようです、あるいは私と医大生ブログ村




 私がこのブログ(赤面)を開設して間もなく参加し始めた、日本最大級のブログランキングサイト・にほんブログ村が、今年、サービスを開始して10周年の節目を迎えるらしい。私が利用しているFC2ブログも今年で10周年。ひょっとすると2004年は、日本ブログ建設期の幕開けとなる年だったのかもしれない。
 にほんブログ村は、書店で売っているブログの指南書に毎回紹介されているほど有名なランキングサイトなので、パソコン関係の知識に乏しい私でも、その存在は知っていた。またブログ村は、間接的にではあるが、私がブログ(赤面)を始めるきっかけになっている。ひょんなことからブログに興味を持ち始め、自分も始めようか始めまいか決めかねていたある日、twitterのフォロワーのひとりが紹介していた、とあるブロガーさんの医大生ブログ村についての記事を読んだ。ブログを書いている医大生がたくさんいる。それが、新しい世界に踏み込めずにいた私の最後の後押しとなったのだ。
 ブログ(赤面)を始めてしばらく経った頃、私はにほんブログ村に籍を置いた。ランキングサイトに参加すれば、アクセス数も増えると思ったのだ。その時は訪問者数ゼロという毎日であり、寂しがり屋の私はとにかくアクセス数を増やしたかった。やはり国内最大級のサイトの影響力は大きいようで、日に日にアクセス数が増えていった。読者もいないのにレポート(赤面)を書き続けるだけのひとりよがりなブログ(赤面)運営をしていた自分にも、やっと相互方向的にブログをやっている実感が湧いてきたのだった。
 私は、自分が所属している医大生ブログ村のことしか分からないのだが、この集落に関して言えば、登録者同士の交流が盛んだと思う。ブロガー同士、コメント欄などでヤイヤイやっているのをよく見かける。その交流の盛んさたるや、ランキングに参加してからしばらくすると、オフ会が開かれ、居を構えて日の浅い私にもお誘いが来るほどである。オフ会は、この世にはそういうものがあるとは知っていたものの、どうもその話を信じられず、一種の都市伝説だとばかり思っていたのだが、そんな私が実際にオフ会参加のお話を持ちかけられる日が来るなんて。一度目は出席を見送ったが、続く二回目開催時の招待では予定の都合がつき、果たしてこの私もオフ会とやらに出向くことになった。比較的アナログな世界に生きてきた、否、今も“生きている”私が、ネット世界の産物たるオフ会に行き、今まで一度も話したことのない人、私の顔も知らない人と会って酒を飲む。自分の家族や友人があまり経験していないことを今まさにしている気がして、それでいてちょっと悪いことをしているような気もして、なんだかよく分からずにドキドキした。
 現在、医大生ブログ村には、いろいろなタイプのブログがある。まさに始めたての初々しいブログ、国家試験に向かって勉強をしている先輩たちのブログ、文章力勝負の日常ブログ、本当に様々だ。そんな中で私のブログ(赤面)はどのように見られているのか多少は気にならないでもないが、とにかく、いつかブログ(赤面)から足を洗うその日まで、にほんブログ村のシバケン-いかれたNeet-として居座り続けてやろうと思うのである。










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  1. 2014/11/16(日) 20:19:00|
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オレがうつになりやすそうでして

 四月に始まった臨床医学実習も、早いもので全日程の三分の二が終了している。二週間に一診療科のローテーションで、これまでに十三のシリーズを乗り越えた。どの科もそれなりに大変だったが、それ以上に病棟での実習は勉強になったし、患者さんとも交流できて楽しかったというポジティブな実感の方が、強く心に残っている。実習の山場はすでに終わっていることもあって、少し気が緩んでしまっているが、実際はまだまだ振り返るような段階ではない。残り七つのシリーズ、精一杯がんばろう。
 現在私は精神科での実習の真っ最中である。一般に精神科は他の診療科とはだいぶ色が異なっているが、臨床実習的にはたいして特殊なことは課されず、主に回診やカンファレンスへの参加、外来の見学、それらの合間に小講義を受けるといった、全くスタンダードな内容である。また、学生ひとりにつき、入院患者さんをひとり受け持って、毎日の診察、カルテ記載をしてレポートにするのだ。これもよくあるタイプの課題である。少し変わったところでは、とある文章を読んでその感想文を書くといった課題も。だが、それは指定された文字数が少なかったこともあって、今のうちにちゃっちゃと仕上げてしまった。ブログ(赤面)という習慣の賜物か、簡単な文章ならスラスラと書きあげることができるようになった。
 またもう一つ、提出するような課題ではないが、実習初日に配布された症例集のうち、何例かについての口頭試問というイベントが控えている。試問ということだから評価をするという話だったが、噂によると全く印象に残らないほど、緩やかなものであるという。最初から心配はしていなかったが、全く準備しないのでは勉強にならないので、予め読んでおくことにした。

 どれどれ、「25歳、独身男性のアンディ」・・・・?「彼の主訴は“神経質”であった。」“神経質”ねえ。「見知らぬ人やクラスメートと話す時、時には友人に話す時でさえ、“自意識過剰”になった。」うん。まあ、そういうことってあるよねー。「アンディは、社交的な場面などでますます居心地が悪く感じ始めた。」そうそう、こういうの気まずいよね。オレもどっちかというと苦手だもん。「彼は、公衆便所の使用を避けようとすること、また、そこでは、明かりが薄暗い時、わずかな人しかいない時、また、男子用の小便器よりも個室に入って用を足すことができる時により安心感があると言った。」あー、分かる分かる!落ち着くよね、個室。なんだかアンディとは気が合いそうだナ!・・・・って、ちょっとまて

 精神科の症例に共感してどうする。

 この症例はおそらく社交不安障害の一例。私はこのような疾患は持っていないし、ここに記載されているような他の極端な徴候は示したことはない。そうなのだけれど、疾患を診断する上でのキーワードやエピソードのいくつかには、私にも覚えがある。こんな感じで、精神疾患を勉強していると、各疾患の特徴の欄に、自分にも通じるようなことが具体的に書かれてあったり(他にも広汎性発達障害の「洋服のタグを嫌がる」とか)して、予期せずドキっとしてしまうことが少なくない。
 病気になりたくないと願う人はこの世の中に大勢いて、私も例に漏れずこの集団に属している。この、思わずドキっとしてしまう感情は、占いや心理テストなどでよく言われるバーナム効果のようなものだとは分かっているのだが、それでも日々の学習で、精神病は誰でも容赦なく侵すということも知っているので、なんとなーく不安な気持ちは拭えない。
 特に、厚生労働省の言う五大疾患の一つに数えられ、社会的に問題となっているうつ病についてだが、よく言われている病前性格で、テレンバッハが提唱した「メランコリー親和型性格」が、自分が思う自分の性格とほとんど合致している(几帳面、律儀、綿密、責任感強い、仕事好き、など)。その他のクレッチマーの「循環気質」、森田の「執着性格」についても、また然りである。自身の性格にそちらの気質への傾きがあるのは、もはや明確な事実。幸いに自分はストレスのコントロールが上手なところも持ち合わせているので、これまでにいろいろな災難があっても病状に臥すことはなかったのだろうが、今思うと、その手前まで行っていたような経験は何回かある。性格は性格でもはや変わりようがない。まあ、この性格とは長年の付き合いだから、これからも上手くコントロールして仲良くやっていけたらいいなと思う。










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  1. 2014/11/15(土) 14:05:38|
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石川雲蝶に会いに行く

 臨床医学実習の山場も乗り越えて、すっかり今年の仕事は終わったような気持ちに陥っている。最近のシリーズも、実習日程の多くを自習時間が占めており、だいぶ気が楽だったということも、この何とも気だるい気分を促進させている。そんな私の週末に、故郷・秋田から両親が新潟無機終焉都市にやって来た。その際、「どこか行きたいところはないか。」と聞かれたので、無機終焉都市から少し距離があるとは知りつつも、前々から訪れてみたいと思っていた、魚沼の赤城山西福寺(せきじょうざんさいふくじ)を希望した。
 西福寺は阿弥陀如来をご本尊とする禅寺であるが、幕末に越後で活躍した名匠・石川雲蝶(いしかわうんちょう)の大作が残されていることで、あまりにも有名である。雲蝶は神業のような作品を数多く残し、“日本のミケランジェロ”とも称され、最近注目を集めるようになった。さらに、今年は雲蝶の生誕二百年ということもあり、新潟県の観光キャンペーンの大きな目玉にもなっているのだ。その雲蝶の終生の大作と呼ばれる彫刻が、この西福寺にあるのだ。
 新潟無機終焉都市から車で一時間少々。高速道を小出で降りて数分、のどかな農村地域の中に、西福寺は建っている。この辺り一帯は日本でも一、二を争う豪雪地域である。かつ、雪下ろしという危険な作業をしてくれる人材がいないという田舎特有の悲しい事情により、防雪のための巨大な屋根が造られており、それに覆われて、慎ましい建物がひとつ佇んでいる、これこそが石川雲蝶の大作を保存している開山堂である。開山堂は上部が入母屋造りの茅葺き二重層の屋根を持つ建物である。これを覆っている巨大な屋根は、魚沼という日本でも有数の豪雪地域こそのもので、いくらかは物珍しいところがあるのだが、しかしこれによって、開山堂が本来有つ、この土地の静かでのどかな風景に溶け込むような風情は、残念ながら大きく損なわれている。お堂正面は唐破風の向拝が造られている。まず、この向拝に雲蝶作の彫刻が施されている。龍や唐獅子、童子や姫などをモチーフとした彫刻は、どれも精巧緻密、それでいて何とも人間味溢れる生き生きとした表情に仕上がっていて、大変に見応えがある。
 江戸の幕末一八五七年に建てられた開山堂は、内外に施された雲蝶の作品群が、日光東照宮にも劣らないほど素晴らしいものであるということから、「越後日光」とも呼ばれている。本堂を経由するように、薄暗い堂内に入り、天井や四方の壁を目にした瞬間、その異様な光景に、思わず息を飲んで言葉も出ない。それは、まるで仏教芸術の集大成に全身を包まれるような体験である。
 まず目を見張るのが、三間四方のお堂の天井一面に施された大彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」であろう。私の思う“彫刻”のスケールを遥かに超えている雲蝶終生の大作である。道元禅師の物語の一場面を、岩絵の具で塗り上げた透かし彫りで表現しているのだが、この鮮やかな色彩は、幕末の施工当時のまま今まで色褪せることなく残っている。睨み合う龍虎や道元禅師の涼しげな表情など、まるで彫刻が命を宿しているような迫力があり、天井が低くなっていることもあって、作品が真上から迫ってくるような錯覚に陥る。雲蝶の遊び心か、小動物が所々に散りばめられていて、緻密な仕事ぶりに感嘆しながらも、決して見飽きることはない。
 お堂を囲む壁や欄間、欄間上にも数多くの透かし彫りや、絵画、さらには漆喰細工までもが施されており、彫刻だけに留まらない雲蝶の技術の高さが窺える。どれも精巧でいて、時折ユーモラスな表情も見せ、何とも趣深い仕上がりである。何より、これほどの作品をひとりで創り上げた、石川雲蝶という職人の仕事に懸ける意気や、鬼気迫る仕事姿が伝わってきて、心が震えるのだ。日本の芸術や文化は、仏教信仰がルーツとなっている。だから、すっかり信仰は縮小してしまっている現代でも、仏教芸術は私たち日本人にいくらかは訴えかけるものがあるのだと思うが、この西福寺開山堂は、その仏教芸術最高峰の技が施されており、仏道を追求する者の熱意や一途な心、そして信仰に裏打ちされた“生”の力強さが四方から迫ってくる。時も忘れ、じっと眺めているだけで、身体中にエネルギーが満ちていくのを感じた。
 西福寺には、本堂の襖絵や障子戸など、見応えのある雲蝶作品が数多く保存されている。信仰の有無に関わらず、生涯に一度は出会う価値のある体験だと思った。


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  1. 2014/11/09(日) 17:15:08|
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新潟無機終焉都市の秋

 三連休といってもやるべき課題や大きな用事もなく、加えてお金もないし天気も悪いしで、昼間からアルコオル類を飲んだり、友人に貸してもらったマンガ本を寝転って読んだりして、もう、自堕落を体現するかのような生活をしていた。そして、連休中に何かを得たような充実感などもなく、実にぼんやりとした気持ちで最終日を迎え入れた。少し映画でも観に出かけようかなと思っていたが、朝から断続的に雨が降り強風も吹きすさぶという、全く新潟無機終焉都市らしい天気で、外出する気はすぐさま失せた。こんな天気の日には、ずっと自室に籠るのが吉であるが、必要性の問題から、雨が止んだ一瞬を見て、この一週間分の買い物に繰り出した。自宅から行きつけのスーパーマーケットまでは距離があるので、チャリで向かうという決断に踏み切ったのだが、幸いにして、曇天から雨が落ちることはなかった。億劫であったが、こうして生活の備えを済ませてみると、にわかに安心感のようなものが出てくる。自堕落な暮らしやぼんやりとした気持ちから抜け出すためのカギは、「いつもの習慣」なのかもしれなかった。
 しかし、帰宅してからは、再びダラダラと過ごしてしまった。気を張る必要がないと、とことんまで怠けてしまう。借りたばかりのマンガは面白いが、それ以外には何をしても楽しめずに、集中もできずにすぐに手放してしまう。何をしてもすぐに飽いて、何をするともなく時間を潰してしまう。このような、精神的に不健康な時期が、定期的に訪れる。私はこの徴候には自覚的だし、なおかつ自分でもよろしくない状態だと理解しているので、気晴らしのために、少し午後の散歩に出ることにした。
 道すがら、学校の敷地を横切ったが、かつてテニスコートや各部活の倉庫が建っていた場所は、いつの間にか荒涼とした更地になっており、新たに駐車場を設けるための工事が着々と進んでいた。私は少しも思い入れがないので冷静でいられることができたが、もしも、仮にほんの少しでも思い出というものがあったなら、もしかしたら私は正気ではいられないような、そんなあまりにも現実的で寒々しい光景だった。私の学校は、馬鹿みたいに部活動に執着するような風潮があり、部活動での関係や伝統(という名の、ただの“マニュアル”)が幅を利かせることも少なくない。だが、多くの学生が熱心になる部活動でも、ぽっと出の「必要性」相手には、あっさりと敗北してしまうようだ。
 とある公園に着いた。美術館が傍にある、普段からよく行く公園である。ここは車通りも比較的少なくて、静かで落ち着いているから気に入っている。季節柄、園内の木々は紅色や黄色に染まっており、小路にはたくさんの落ち葉が敷かれている。春夏秋冬、どの季節もそれぞれの魅力があって好きだが、今のような時期はいちばん落ち着いていて“疲れない”。
 それにしても寒かった。日に日に気温は低くなるのを感じていたが、この日は、最近でもいちばん冷えたんじゃないかと思うほど。すでに、愛用の皮の手袋(「殺し屋」と揶揄される)も、口元をすっぽり覆い隠すスヌードも活躍している。また、すっかり上着の生地は厚く、裾は長くなっている。一般に、新潟無機終焉都市の秋は短い。街の木々がすべての葉を落としきらないうちに、冬の季節はもうすでに、私たちの元に訪れているのかもしれない。自販機で何か温かいものでも買おうと思って財布の中を確認してみると、そこには二十円しか入っていなかった。


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  1. 2014/11/03(月) 18:17:00|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

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