野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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クリクラ日記1 生活について

 新潟無機終焉都市からおよそ百キロ、上越市はロマンあふれる城下町・高田にて、私のクリニカルクラァクシップが始まった。この町で私は、およそ一か月間の臨床実習に励み、それに伴い、当地での仮初めの生活を営むということになる。この実習に関した記録はおいおいやっていくとして、まずはこの地での生活について記しておきたい。
 妙高山の残雪をはるかに望み、田畑の広がる高田は、どこか私の故郷にも似ている。それは、私の宿舎や実習先の地域に顕著なのだが、そこから少し歩けば公園、さらに歩けばアーケードや駅があり、町としての一応の機能は備えられているみたいだった。だが、ここでは自動車社会を想定した都市計画がされているようで、徒歩のスケールで物事を測るのは、どうやら適当ではなさそうだった。色々の大型店や目星の飲食店には、車がないと行くのは難しい。
 一か月の実習期間中に私が暮らす宿舎には、病院が借りたアパートをあてがわれた。新しくて広い部屋はキレイめで、まずここで一安心であった。そして室内には、事前に案内されていたように洗濯機や冷蔵庫などの大きな家具家電が備え付けられている。机やクローゼットなど、資料になかった設備があったのは心強かった。だがしかし、基本的にその他の調理器具や食器、日用品などの用意はなく、自前ということになっている。自ら持参したものや、新潟無機終焉都市から郵送したものもあったが、それでも足りないものが多すぎて、近くのショッピングセンターに求めに行った。大学一年目の春、新生活を迎える時のような期待感も多少は覚えたが、それでも今回は煩わしさの方が圧倒的に強い。実習が終わり、この町から無機終焉都市に戻るときのことを考えると、この煩わしさは一気に倍増される。そうして初日を過ごしてみれば、例えばお風呂の足ふきマットなど、すっかり見落としていたが実は生活において重要な役割を有っていたものたちの存在に気づき、次の日に再び例のセンターに買い足しに行く羽目になった。普通の生活をするためには、自分で思っているよりも多くのものが必要だということを、強く実感させられた。
 今回、私と実習先を同じくするクラスメイトが四人いる(うち二人は二週間ずつの交代でやってくる)。普段から遊んだり話したりする人ばかりなので、普段の生活や、実習先での休憩時、また色々の相談事などは、何の気兼ねもなくていい。一緒に外食に繰り出したり、小さな宴会などやっている。もしこの中に、思わぬ方向から飛んでくる人がただひとりだけでもいたら、これほどに落ち着いた日々は送れなかったことだろう。また、自家用車を所有する人もいて、その心強さから、何かと用事に付き合わせてしまっている。高田までの移動、荷物の運搬をはじめ、ここでの買い物や外食などはすべて彼らの心遣いによるものである。今は、最初の一週間が終わったところだが、私が、この町で何不自由なく暮らすことができているのは、この親切な友人たちのおかげである。
 宿舎や病院のある地域は高田の町でもはずれの方で、のどかな住宅街といった風情である。中心部と比べると、たしかに街並みとしては派手さに欠けるが、食事処も数軒あるし、また嬉しいことには、スーパーマーケットとドラッグストアがすぐ近くに建っているのだ。新潟無機終焉都市の自宅の周りには、こういった生活に不可欠な店が全くと言っていいほどないので、高田での暮らしの方がはるかに都合がいい。特にスーパーマーケットは宿舎と病院の間にあるので、実習からの帰りに立ち寄ることも可能なのである。帰宅の途中にスーパーに寄ることができるというのは、私が心から望んでいた悲願である。ちなみに、宿舎は学生ごとに違っていて、私のアパートは病院から距離のあるところであったが、歩いて十五分というのは、歩くことを苦に思わない私には大したことのない数字である。むしろその往復の時間は、色々な考え事をするのにちょうどいいと思える。朝には清廉な空気を吸いながら、夜には星を見上げながら歩くその道は、日々の楽しみの一つである。
 いまだに心配事は完全には消えないままだが、こうして一週間を過ごしてみると、なんとかうまくやっていけそうな自信も湧いてきた。だが、それは友人や指導医先生方、先輩方の心尽くしがあってのことだということは、決して忘れてはいけないだろう。私は部活動もバイトもやらない堕医学生で、何らかの組織に隷属する機会が極端に少なくて、単独行動が普段から多い大学生活を送ってきた。それでもこれまで何事もなく生き抜いてきたし、なんだかんだで学年の中でも指折りの生活力を持っていると思うので、ひとりでも十分にやっていけるとすっかり自惚れていたが、この一週間でその幻想は完全に打ち砕かれた。
 高田での暮らしは始まったばかりだが、実習や勉強の合間に、この町の色んな姿を見て回れたらと思う。それは、私がここを実習先に選んだ理由の一つでもある。実習の疲れや勉強の必要性、その他諸々の用事から、当初思っていたよりも赤面レポートの執筆が捗らないのは大きな悩みどころだが、これはもう仕方のないことだと割り切ることにする。


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↑小川未明先生が高田の生まれと聞いてすかさず買ってしまいました











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  1. 2015/04/25(土) 18:56:22|
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“人魚”に会いに行く / 紀伊半島鉄道でぐるりの巻

 紀伊半島の東に位置する伊勢、あるいは鳥羽の町は、思い切った気持ちがなければ行けないところである。そりゃあ近郊からは電車で一本なのかもしれないが、ここ新潟無機終焉都市から発つとなると、話は別となってくる。というのも、新潟―伊勢を直通している経路はなく、一度名古屋、大阪等を経由する必要があるからだ。時間的にも距離的にも、おいそれとは行けず、いざ訪れようとするならば数日の用意はほしいところだ。
 また、貧乏学生たる私からすると、経由地の大阪、名古屋に行くのにもちょっとした(経済的)覚悟がほしいのだが、そこからさらに足を伸ばして伊勢鳥羽となると、これはいよいよもって「破産」の二文字も見えてくるというものである(実際、この旅行のために定期預金崩しましたからね・・・・)。そういった事情もあって、伊勢鳥羽というのは、これからも滅多に行けない土地だと思っている。もしかしたら今後一切訪れることはないかもしれない。先の春期休暇、クラスメイトとの伊勢鳥羽旅行を思い切って決め、又とないチャンスを得ることになったのだ。これは思う存分堪能しなければ大きな損である。
 観光のハイライトである伊勢神宮の参拝という目標は達成できた。それでは他に何か・・・・と考えたとき、是非とも足を運んでみたいスポットが一つあった。全国一億六千万人の水族館ファン垂涎の、鳥羽水族館である。
 近鉄鳥羽駅を降りて、水族館へ数十分の道を歩いていく。駅を出てすぐに、風が磯の香りを醸しているのに気づいた。そう、すぐそばには伊勢湾が広がっていたのだ。昨日は神宮を中心に見物して回ったので、伊勢鳥羽にいるといっても、正式に伊勢湾と対面するのは実はこのときが初めて。強いていうなら、しまかぜやその他の列車の車窓から垣間見た程度だろうか。前日の煮え切らない曇天から一転、この日の空は見事な快晴で、海も日差しに映えて余計に綺麗に見える。潮風(もしやこれが「しまかぜ」というやつか?)も爽やかで気持ちがいい。
 ミキモト真珠島を見過ごし歩いていくと見えてくる建物がお目当ての鳥羽水族館である。飼育種類数日本一の、名実ともに日本を代表する名水族館だ。日本屈指の水族館と聞いていたから、きっと八景島シーパラダイスやその他都市型アクアリウムみたいにファッショナブルに気取っているのかと思いきや、外見や内装はどこにでもある地方の水族館といったようにそれほど垢抜けていないのが好感をもてた。
 飼育種類数日本一の肩書きはダテではなく、館内では本当に色々な生き物に出会うことができる(「へんな生きもの研究所」で数を稼いでる気もするが・・・・)。ラッコやアシカにペンギンと、水族館の人気者は勢揃いの一方、スナメリやカブトガニなどちょっと珍しい生き物たちや、日本で唯一あるいは世界で唯一の飼育ということで大きな目玉となる生き物も多い。
 その中でも最大の目玉といえるのが、ジャングルワールドに暮らすアフリカマナティー(世界唯一)と、人魚の海で待っているジュゴン(日本唯一)だろう。外から見えない後ろ足、水平に平たい尾、ひれのような前足で、そのあたりはクジラに似ているが、二種類とも海牛類に分類される草食の水生動物である。胸に乳があること、歯の生えかわり方、海藻を食べることなど、どちらかというとゾウに近い種類なのだという。ちなみに、マナティーとジュゴンの違いは、尾びれと前足で分かる。尾びれが丸くてうちわのような形をしているのがマナティー、魚やイルカのように中央がへこんでいるのがジュゴン。また、前足はどちらもひれのような形をしているが、マナティーには痕跡のように爪が残っている。
 世界唯一、日本唯一という意味合いでも、彼らとの対面は実に貴重なものである。また私は幼い頃に動物図鑑を見るのが好きで(今でも好きだけど)、普段の生活や並の動物園・水族館では会えない海牛類には憧れのようなものを抱いていたので、あたためにあたためた念願を叶えることができて感無量なのだ。
 アフリカマナティーは体長三~四メートルもあろうかという巨体かつでっぷりとした中心性肥満の持ち主で、ぶっちゃけ顔は不細工にできているが、あの体躯でのんび~りと泳いでいる様はのんのんとしていて、見ていて落ち着く。このかわいらしいマナティーは世界でも数が減っている種の一つである。絶対に、ステラーカイギュウの例を繰り返してはいけない。ジュゴンは人魚伝説のモデルとなったという、ミステリアスな話がつきまとう動物である。白い身体や特徴的な口の形は神秘的だが、水槽内ではひたすらに好物のアマモを貪っていて、その姿は人魚とはほど遠い(苦笑)。たまに思い出したように水面に顔を出しに行く(彼らは肺呼吸だから時々水面に顔を出して空気をすう必要がある)が、そのゆったりとした泳ぎは、成程、確かに神秘的であるかもしれない。とてもマイペースに生きているのね。
 「へんな生きもの研究所」というコーナーがある。その名の通り、カラッパやウミケムシ(なんじゃそりゃ!?)など、今まで見たこともないようなへんな生きものたちが集っているのだが、ここに、我々共通のお目当てである、ダイオウグソクムシがいるのである。深海に棲むダイオウグソクムシは未だに生態が謎に包まれている生物の一つで、そのダンゴムシのような、それでいてロボットのようにも見え妙に愛くるしいルックスから、今、人気が沸騰している。絶食実験も有名で、某コメントが右から左に流れる動画投稿サイトでも話題である。日本で飼育しているのはここと、確かサンシャイン水族館だったかと思うが、グソクムシ人気を牽引してきたのは鳥羽水族館であろう。高鳴る鼓動を抑えつつ、ダイオウグソクムシの展示を一直線に目指すと、水槽内は真っ暗でレッドライトが灯されてうっすらと中が視認できるかなという感じであった。なんか思ってたんと違う!しかし、水槽の隅でじっとして少しも動かないグソクムシの鎧を確認することはできた。しかし、思っていたよりも感動はしないものだな。なんだかなあ。
 鳥羽水族館は、アシカショー、セイウチパフォーマンス笑(ショー)、ペンギン散歩と、イベントも連日開催している。私たちはなんだかんだかんだなんだで全部のショーを見てしまった(大の大人が二人してアシカショーを見ている光景は名状しがたいものであっただろう)が、どれも面白くて楽しめた。特にセイウチのショーは“イケメン風”のお兄さん二人の軽妙な関西弁トークと二頭のセイウチのコミカルな掛け合いが面白い。セイウチがヒレで「バシンッ!」という生々しい音を立てながら思いっきりお兄さんにツッコミを入れていたけど、あれ痛いよなあ・・・・。
 鳥羽水族館を満足して出た私たちは、次なる電車まで時間もあるので、伊勢名物赤福の鳥羽支店に立ち寄り、例によって「盆」で一服する。この旅行で何回食べたか分からない。店の中でゆっくり赤福餅を味わっていると、鳥羽の爽やかな青空をバックに、しまかぜがそばを駆け抜けていった。ああ、私は今、本当に伊勢にいるのだなあ。にしても、伊勢鳥羽の町を歩いていると、「赤福」という文字を頻繁に見かける。東西南北方角を変えても、どこかしらには「赤福」を認めるし、歩いて一分に一回くらいは「赤福」を発見するのだ。電柱広告も全部「赤福」だし、もちろん土産やののぼりも「赤福」、駅のホームにも、イベントのポスターの主催にも「赤福」だ。この地域を支配しているのは誰かを誇示しているかのようである。

 さて、これから私たちは、その日のうちに大阪に向かう予定であった。近鉄を使えばすぐなのだが、せっかくここまできたのだから、これから一生乗らないような路線を利用しようという認識を我々は共通していたので、参宮線、紀伊本線、阪和線と乗り継いで、紀伊半島をぐるりと一回りする心づもりであった。大袈裟じゃなく、一生一度乗れるかどうかという路線ばかりである(特に紀伊本線は)。
 まずは鳥羽から快速みえで松阪へ。ここで少し待ち時間があるので、昼ご飯に駅弁を調達したいところであった。松阪といえば蒲生氏郷が築いた松阪城の城下町で、本居宣長が暮らしていたことでも有名である。松阪城下の町並みを歩いてみたくも思ったが、そこまでの時間はない。駅周辺で何か弁当屋さんでも探してみるが、駅前には驚くほどに何もない。念のために近鉄側の方にも足を運んでみるが、こちらの方が何もなさ加減が強く、落胆と失望を隠すことができない。ブーブー文句を言いながら、もとのJR駅に戻る。構内のニューデイズにもお弁当が売られているのだが、種類が少ない。売店のお姉さん(四十代)に薦められる形で、お弁当を注文することになった。列車の出発までにはおそらく間に合うし、ホームにまで届けるというお姉さん(四十代)の談だったが、少し心配だなあ。ホームで電車を待っていたが、お姉さん(四十代)が無事にお弁当を持ってきてくれて安心した。間に合わなかったときの悲惨さは想像するだけでも恐ろしい。なお、売店からホームは階段の上り下りがあり、その労作を余儀なくなってしまったことは少し申し訳なく思う。お弁当は当地松阪ということで、牛めしである。出来立てでホカホカあたたかい。どのような場合であれ、料理はできたてが一等ということくらい、オセアニアじゃあ常識なんだよ!乗り込む特急車内で頂いたが、赤ワインで煮た牛肉が上品な味でおいしい。付随する黒コショウをかけて気分を変えて楽しむこともできるぞ。ちなみに、松阪で私たちが乗ったのは、ワイドビュー南紀である。ここからは贅沢をして特急を乗り継いで行くのだ。太陽光線が容赦なく差し込んできて眩しい&熱いで大変だった。日除けに時々空いた座席に移動したりするのだが、なぜか今度はその席に日が射してくるものだからやるせない。
 和歌山県新宮駅に到着した。ここでもしばらくの待ち時間がある。駅を出た瞬間に確信した。『花粉強ぇ・・・・。』確かに、和歌山はなんか強そうだもんな、花粉。駅の周辺には、当然のように何もない。手持ちが寂しくなったので郵便局のATMを求めて歩きまわったが、結構距離がありクラスメイトを付き合わせてしまったことを申し訳なく感じる。夕食を求めがてら、局までの途中で気になっていたローカル臭ただようスーパーに入る。ロゴマークの色合いとデザインが、大手スーパーのそれと似ているような気がしたが、きっと私の思い違いだろう。その日は何か、特売の日だったようで、妙に耳につくテーマ曲をひたすら聞きながら買い物をする。食べやすいものがよかったので、シンプルにおにぎり数個と、から揚げ串などの片手で食べられる総菜を買った。このスーパーは買い物袋は与えないシステムなようで、旅行にマイバッグを持ってきて本当によかったと思った。
 今度我々が乗車するのは、特急くろしお。『絶対に乗れないだろうな。』と思っていた列車の一つである。「オーシャンアロー」と呼ばれた283系ではなく、381系の車両である。撮影に繰り出し、先頭車両を目指していくと、明らかに飛びきり浮いているものを発見した。それがパンダ座席である。紀伊本線はパンダで人気のアドベンチャーワールドまでの起点となる白浜駅を擁している。パンダを推したい気持ちは理解できるが、これは流石に・・・・。まあ、子供にはいいんじゃないかな?
 この時点ですでにだいぶ日が落ちていたので、出発して走り始めると程なくして車窓外は真っ暗となる。これでは南紀白浜の見事なオーシャンビューは堪能することができない。しかし、この日は月夜で、雲のない夜空に、真ん丸ではないにしろ、ぷっくりと太ったお月さまがのぼっていた。淡い月明かりに海や断崖がほのかに照らされ、これはこれでいい風情を醸している。それでも、暗闇を走る列車で過ごす時間は、基本的には退屈なものである。
 そのまま四時間を過ぎた頃、ついに大阪の明かりが見えてきた。カラフルな通天閣が大阪に着いたことを教えてくれる。この日はほとんど列車に揺られて過ごしていたが、それでも結構疲れてしまうもの。宿舎に入ってからは、簡単に翌日の打ち合わせをして床に着いた。


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↑いや、「ん?」じゃなくてね。










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  1. 2015/04/19(日) 19:38:43|
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クリクラ日記 はじめに

 実習先の病院に、今回の宿舎について電話で問い合わせてみると、その条件は、想定される中で最もよくないものだということがわかった。宿舎を貸してくれるのは実にありがたいことだが、どうもこちらから持参すべきものが多くなって色々と煩わしい。これはもう、ちょっとした引っ越しである。
 だが幸いにも、同じ実習先のクラスメイトが自家用車を所有していて、私も、荷物も乗(載)せて行ってくれるというので、この煩わしさは大幅に軽減される。渡りに舟とはこのことである。あの大荷物を携えての、電車や高速バスでの移動は、実に骨の折れるものであっただろう。想像するだけで恐ろしい。それと、すでに宿舎の所在地は把握しているので、実習先での暮らしに必要だがそれほど急がないものは宅急便で送るという方法もある。自分から自分への贈り物である。数日後の自分を頼りにして、送料は着払いということにする。



 新年度が始まってからというもの、私は全くと言っていいほど講義に出ることがなくなった。もともと講義には熱心な人間ではなかったが、ここにきて、さらに“無関心”が強化されてきているように感じる。ここで、「出席」という問題がある。大学の講義はその内容云々よりも、この「出席」という、実に些末な問題の方に学生の関心が集まることが多い。昨年度、私は「出席」で痛い目を見たばかりだ。もちろんその全責任は私にある。それでもあの仕打ちは嫌がらせにしか思えなかった。だが、この不条理な経験は全くの無駄ではなかった。学校が行っている学生管理の、稚拙なからくりを知ることができたのだ。このからくりを知ってからは、それほど出席という懸案について考えることもなくなった。不要な心配事がなくなっていくのはとても楽しい。
 第一、あの講義室は空気が悪いときている。風通りも悪いし、空気が淀んでいて新鮮味がない。なぜか未だに暖房がついてるしよぅ。あんな悪質な空気が充満している部屋に長い間座っていたら体調がおかしくなってしまう。「一日中講義に出たら体調崩した。」とおどけているやつがいたが、まさにその通りだ。新年度の第一日、流石の私も『初日くらいは・・・・。』と思って、その日は一日中講義を聞いてみたが、放課後はしばらく頭痛に苦しめられた。それから何日かは体調を崩し気味であったが、講義に出なくなってからは、明らかに体調も回復してきている。
 だが、講義室に行かなくなったことで、うっすらとあるような気がしていた孤立のようなものが、いよいよ確固たるものになりそうで少し怖くもある。部活に入らない、バイトもしない、その他の行動や言動。大学生としてイレギュラーなことばかりしてきている私だが、別に孤独になりたいわけじゃない。むしろ仲間と和気あいあいを愛する性質だ。それなのに、自分のやりたいことをやろうとすると、どうして周囲から離れていってしまうような気がするのだろう。これは、私が大学生の“邪道”を歩き始めたときから抱いているジレンマである。周りとの関係がどんどん希薄になっている一方で、私はいつも周りとの関係に悩んでいる。最近は、大勢の人間の中にいるのも辛くなってきた。知らない顔ばかりの大勢ならおそらく平気だろう。誰もがみんな知っている顔の大勢だからこそ辛くなるのだ。あの顔見知りの集団の中に、自分の落ち着ける居場所が見つけられない。



 授業のある時間は学校の図書館にこもって、ひとりで黙々と勉強をしている。今まで図書館を使うことはあまりなかった(図書の貸し出しはよく利用していたけど、そこで勉強することはなかった)けど、今や毎日のように通っているのが自分でも不思議だ。図書館はやっぱり静かでいいし、あの独特の、古い紙の匂いは好きな匂いの一つだ。ああいう空間にいると、勉強がはかどる。
 家に帰ってからは、書き溜まっているレポートに取り組んでいることが多くなった。先の春期休暇の出来事で、まだ文章に起こしていないのが結構残っている。旅行記がほとんどだが、こういう類は資料がないと書けないので、できれば実習に出掛ける前に書き終えておきたかったのだが、今のペースだとそれは達成できそうにない。さらに荷物が多くなってしまうのだが、実習先に資料の一部を持って行って、向こうでもちょこちょこと書き進めていこうかなと考えている。
 しかし、書こうと思っている心の中にはいつも、『無理して書かなくてもいいじゃないか。』と囁く自分がいる。『そんなものは時間の無駄さ。それよりも勉強をしたほうがいいよ。』と囁く自分が。



 この間、「クラクラ日記」という本を読んだ。この本は、坂口安吾の妻・三千代が書いた随筆集である。戦後文壇の奇才などと謳われた安吾に対し、私はまるで得体の知れない印象しか抱いていなかったが、当作を読み進めるにつれて、彼のありのままの姿が生々しく伝わってきて、やっと安吾の人間味というものを掴み取れた感触を得た。
 それにしても、この坂口安吾にしたって、太宰治のような他の文豪にしたって、私は彼らが羨ましくてたまらない。彼らには、安吾にとっての三千代のように、彼らがどんな人物であったか、何が好きだったか、何時何時になんてことを話したか・・・・。そういう一つ一つを憶えていて、そして時おり思い出してくれる人がいるのだから。

 それじゃあ、私はどうだろう。
 私のことを誰が憶えていてくれるだろう。

 このブログには、一種の備忘録という意味合いもあるのだが、これはつまり、自分が自分を憶えているための方法だということにもなる。「小遣い稼ぎ」には興味がない。「情報発信」にも関心はない。私にとって、自分のことを書くということは、自分をこの世に遺すということに他ならない。自分が生きていた証である。だから、自分が体験したこと、見た物、感じたことは、出来る限り書き記しておきたいのだ。『書かなくてもいい。』と囁いているのは、おそらく心の中のどこか、疲労している部分であろう。疲れて書けないなら、少し休めばいいだけだ。『書かなくてもいい』という声は幻覚である。本当の私はいつも、『書きたい。』と思っているのだから。



 これから始まる臨床実習のことを、「クリニカル・クラークシップ」、略して「クリクラ」などと呼ぶらしい。自らが所属する学校の外で、それも一か月の長期に亘る実習というのは、生まれてこのかた初めての経験である。具体的にどんなことをするのかは、実はあまりよく分かっていないが、なんだか高校時代の部活動の合宿のようで、楽しみなところも大きい。

 向こうであったこと、見たこと、感じたこと。いくらでも書き遺していこう。私の「クリクラ日記」のはじまりに、今の心境を書き記しておこう。
 
 『実習先の病院に、・・・・』



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  1. 2015/04/18(土) 20:04:56|
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新津鉄道資料館(新潟を遊びつくせ!2)

 新津駅は信越本線、羽越本線、磐越西線という三路線が乗り入れている。かつては新津機関区(現新津運輸区)や国鉄新津工場、扇形の操車場なども有し、鉄道貨物および旅客の要地として機能していた。他に新潟鉄道学園などの鉄道関係の機関も所在し、鉄道に携わる人々が多く住んでいることから、いつしか新津は「鉄道の街」と呼ばれるようになっていった。
 一九八三年(昭和五十八)、地元の元国鉄職員や鉄道愛好家の「鉄道文化を後世に遺したい」という意思の下に開館したのが、新津鉄道資料館である。開館当時、新津駅の南西に位置していた資料館は、その後旧新潟鉄道学園の跡地に移転し、さらに昨年のリニューアルオープンを経て、今のかたちに収まっている。
 先日、この新津鉄道資料館を訪れる機会があった。私は鉄道旅行が好きな、俗に言う「乗り鉄」(のルーキー)であるが、こういった歴史関係にも、最近は興味が出始めてきた。

 入館する前にまず目を惹かれるのは、二○一四年(平成二十六)のリニューアル時に新しく加えられた屋外展示の、200系新幹線と、“貴婦人”ことC57系蒸気機関車である。こういった列車を駅のホームではなく、住宅地の真ん中で見かけてみると、その巨大さが際立って迫力が出てくる。この展示車両は実は入館をしなくても見るには見れるのだが、一層のフェンスが立てられていて、至近距離で見ることはできない。「細かい部分をじっくり見たいなら、入館料を払って、どうぞ。」と言わんばかりである。私は最初から入館するつもりだったけどな!
 地域のコミュニティセンターみたいな垢抜けない外観(200系をモチーフにしているのはお洒落!)とは裏腹に、館内は白色を基調にして、近代的に洗練されている。展示スペースは、①「鉄道の街」新津について、②鉄道の仕組み・歴史、③鉄道に携わる人々の仕事、④各路線について(メインは磐越西線だろうか)というように大別される。
新津駅開業は明治の時代にまで遡るが、往時の路線図や時刻表などの貴重な資料が多くある。近現代の駅時刻表もあるが、今はもはや珍しいものになった寝台列車の活躍が光る。かつて新津駅には、寝台列車あけぼのや、先日にラストランを迎えたトワイライト・エクスプレスが停まっていた。新幹線や空路の発達で、寝台列車の必要性は次第に薄まっていったようである。だが、旅における移動時間の短縮は絶対ではないように思ってしまう。利便性により消え行く風情。旅をするときまで、余裕を失ってどうするのだ。
 その後も、200系新幹線の“鼻”、蒸気機関車の“顔”など、普段まじまじと見ることのできない展示が並ぶ。特に、車輪などは見たくても見れないものだから見応えがある。また、奥の方には実際のパンタグラフが置かれてあるのだが、これを操作して昇降させることができる。私もやってみるのだが、昇のときはいいのだが、降のときにガッシャン!!と、予想していたよりも攻撃的な音が発生して驚く。参加型の展示としては他に鉄道シミュレータがあり、中央線を走っていた201系を実際の風景が映るモニターを見て疑似運転をすることができる。上京したとき、中央線はよく利用する(中野ブロードウェイに行きますので・・・・)が、にしてもどうして新津で中央線なんだろう。
 最深部から、ついに屋外展示に出ることができる。フェンス外からでも十分に大きかったが、こうして間近で見る列車はいよいよ巨大だ。屋外に展示されてるのは、東北・上越新幹線開業時に活躍していた200系新幹線K47編成の先頭車両、そして“走る貴婦人”ことC57形蒸気機関車19号車の二台。“貴婦人”は磐越西線を走るSLばんえつ物語(これは180号機)でも馴染み深いですな。
 最近の新幹線には奇抜化の傾向がある(特に東北)が、黎明期の車両はシンプルながらも、大きな鼻が特徴的な愛嬌のある顔立ちをしている。「できるかな」のゴン太くんに似てないですか?そういえば、こういうルックスの新幹線は社会科の教科書にもよく登場していたな。戦後日本の経済成長の証であり、これそのものがその時代の象徴であるかのようであった。いま私の目の前に、一つの時代がある。
 かつては旅客にしろ貨物にしろ、線路を走るのはすべて蒸気機関車であった。今だと、『何そのロマンあふれる時代!』と、魅力的に思うのだが、後退もできない蒸気機関車よりも、電気で走る列車の方が圧倒的に便利なのである。蒸気機関車が消えて行ったとき、いま寝台列車が次々と廃線するときと同じような悲しさがあったことだろう。最近は観光イベントや、各地の路線の目玉としてSLが復活することが増えたが、SLとは駅のホームで出会うことが大半で、このように隠された機関車両の下の部分や、車輪のすぐそばまで近づいて観察するなんてことはできたもんじゃない。何がどう作用するのかはさっぱり分からないが、滅多に見ることのできないものが見れて、これはいい経験である。
 私は鉄道に乗るのが好きで、実を言うと、歴史や車両の云々には大して明るくない。だが、鉄道資料館の展示には、そういう素人目から見ても貴重な、そして興味深いものが多くて、有意義な時間を過ごせたことに、大いに満足できた。


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  1. 2015/04/17(金) 20:01:55|
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山形鈍行旅日記 一、山寺

 なし崩し的に購入してしまった青春18きっぷを、とにかく休暇中に使い切りたかったのだ。あらかじめ決まっていた予定で二回分を使ったので、残るは三回。最初の二回で十分に元は取れているのだが、18kipperとしては使い切らなければどうにも腹のこなれが悪い。
 これといって行きたい所はなかったのだが、帰省中の田舎から日帰りで(宿泊するだけのお金はない)行けてそれなりに趣のある所を考えると、第一に山形行きのアイデアが浮かんできた。「山形」と一口に言っても色々あるが、ここでは山寺と山形市の観光を考えた。山寺は大学に入ってから一度家族と訪れたことがあるのだが、その日はあいにくの天気で十分に堪能できなかった観があるし、ああいう頓狂なスポットはひとりで行ってみたくなってしまうものである。仙山線にも興味があるしな。そして山形市といえば、先の銀山温泉旅行の帰りに文翔館に立ち寄って感動を覚えたばかりであるが、よくよく調べてみると、市内にはこの文翔館の他にも見応えのある建築が二、三あるみたいだったので、これはもう一度足を運ぶ必要があるなと考えていたのだ。山寺と山形間の距離はそれほどではない、というかものすごく近いので、一日で二か所を観て回るのは容易そうである。実際、時刻表を参照してみると、朝が早い以外は無理のない時間計画になった。行く目的もあるし、計画もバッチリ。ここに、私の山形鈍行旅行が決定した。
 旅の始まりは、いつもの湯沢駅。私の故郷・羽後町には電車が通じていないので、隣の湯沢市の駅までは、家族に車で送ってもらうことになるが、こんな朝早くに、いわば私の道楽に付き合わせてしまうのは実に後ろめたく思う。この時間だと、外はうっすらと白いもやがかかっている。これは後で晴天となる徴候だ。この白いもやのなか、森の中を駆ける奥羽本線に揺られていると、『いまオレ、18きっぷのポスターに採用されそうな景色の中にいるんだろうな。』などと、取るに足らない気取ったことを考えてしまう。
 終着の新庄駅は、奥羽本線、陸羽東線、陸羽西線そして山形新幹線の起点となっていて、ホームが平面的に広くて面白い駅だと思う。ここで数十分の待機であるが、特にすることもないので辺りをぶらぶらしていると、衝撃の告知が目に飛び込んできた。なんと、山形新幹線新庄―山形間の車内販売および新庄駅ホームでの駅弁販売が中止されてしまったのだ!(ガーン!)新幹線はあまり利用しないのでいいとして、私が鈍行で帰省するときには毎回といっていいほど、この駅で名駅弁・「牛肉どまん中」を買って食べることをささやかな楽しみにしていたので、この販売がなくなってしまったのは、実に手痛い打撃である。
 まずは早い時間から訪問することができる山寺を目指す予定でいた。新庄から山形方面の列車に載り、普通にキジが歩いているのどかな風景を眺めながら幾時間、仙山線の乗り換え駅である羽前千歳に降りる。羽前千歳は驚くほど周りに何もない駅である。そこから待つこと数十分、仙台方面に向かう列車に乗り込み、十分ほどで山寺駅に到着である。駅のホームから山寺こと立石寺の五大堂を認めることができるが、下から見上げるとそれが本当に山の高くに建てられていることが分かって、今からそこまで自力で上ることを考えると、少し信じられないような気がする。
 山寺駅は仙山線というローカル線の駅でありながら、観光客が多く訪れるためなのか、各種ICカードも使えるし、お手洗いも清潔で、思ったよりも新しめの駅である。周囲の素朴な街並みに合わせてか、駅舎は木の風合いが生かされた外観になっている。立石寺は駅から歩いて十分ほどだが、そこまでの道のりには、時代に取り残されたような古き良き旅館や土産屋が立ち並び、とても牧歌的で好感がもてる。生活を豊かにし、心を乏しくする技術が次々と開発・定着する中、そんな世間の風潮に見向きもしないかのように、どこか侘しさを残して垢抜けないものが、私は好きなのだ。朱色の山寺宝珠橋から見る立谷川の流れや仙山線の鉄橋も、私の日本人の遺伝子にやさしく訴えかけるものがある。
 「山寺」こと、宝珠山立石寺は天台宗の古刹。この地を訪れた俳聖・松尾芭蕉が「おくのほそ道」に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という名句を詠んだことであまりにも有名である。参道には句碑や、芭蕉翁と弟子の曾良像が立っている。芭蕉翁の一息つきながらも、次なる旅の行き先を見つめているような表情が実に味わい深い。
 寺内に入ると、まずは根本中堂がでんと聳えている。木造の大きな本堂は重要文化財に指定されている。軒下に安置されているのは布袋様の坐像であり、これを撫でながら願いを唱えると叶うらしい。こういうときには必ずと言っていいほど、不躾に頭や顔面を撫で回してしまう。願うのはもちろん登山の無事である。あとは健康と、金運と、国家試験の合格と・・・・、
 朝食を早く摂ったため、十時の段階で少しお腹が空いてしまったので、登山口前の休憩所の名物・玉こんにゃくで腹ごしらえをする。これにて登山の準備は万端だ。空からは日が差し込み始めてきた。いざ、意気揚々と山道に繰り出す。
 数日前の降雨と日当たりの悪さゆえか、石段はほんの少し湿っている。おそらく芭蕉が訪れたのは蝉の声が耳につく季節だったろうが、私の場合だと、蝉はまだ土の中で来るべき日に備えているので、あの騒々しい声はもちろん聞こえることはない。蝉の声の他に何か、岩にしみ入るような音は少しもせずに、山の中はとても静かである。「森閑」とはこういうことを言うのだろう。平日の午前ということもあって、他の参拝客が極端に少ないのも静寂を保つ一助になっていただろう。耳に入ってくるものといったら、野鳥のさえずりと、自らが石段を上がっていく足音、そして確実に体力が落ちている証拠であるぜえぜえ声くらいである。千十五段の石段を上っていくのはとても辛いものだが、この登山は修行の一種であるため、辛いのは当然なのだ。姥堂(安置されている鬼婆の像が怖い)を境にして下は地獄、上は極楽として、石段を一歩また一歩と踏みしめて上っていくことで、心の穢れを落として正しい人間となるという趣向なのである。やっぱりこういうのは、ひとりで黙々と臨む方がいい。
 木々がうっそうと生い茂る山の中、苔生した奇岩や無数の小さな祠を横切りつつ石段を上っていく。こんな頓狂なことをさせる仏閣は他には見当たらない。巨大な岩壁に岩塔婆が刻まれた彌陀洞(全体として阿弥陀如来の姿に見えるらしい。邪心の持ち主には見えないので私は見れなかった)や、信者の御骨を収めた無数の洞穴(正式名は分からない)など、「死後の魂は山寺に還る」というこの地方独特の信仰風景の一端も垣間見える。山道の途中から、無心になって上っていった(成程、たしかに修行っぽい)が、やっとのことで仁王門が見えてきたときの嬉しさったらない。実は仁王門は決してゴールということではなく、そこから奥の院まではまだまだ階段を上らなきゃいけない。ある意味では仁王門からの追い込みがいちばんタフだったかもしれない。
 頂上はとても日差しが強く、紫外線に弱い私には日焼けが心配であった。空が近くにあるように思え、天空に上ってきたかのような錯覚さえ覚える。成程、たしかにここは極楽なのかもしれない。この山の傾斜に沿うようにして観明院、性相院、金乗院、中性院が建っている。山頂部の最深にあるのが奥の院と大仏殿である。雪対策でかこいがされていたため、奥の院には参拝することができなかった。横道に入るようにして至るのは華厳院である。ここから向かって右側の岩屋には、国の重要文化財である三重塔がある。岩屋にすっぽりと入ってしまうくらいだから、これは日本全国で最も小さい三重塔で、見どころの一つには違いながら、何ともトホホなスケールの小ささである。
 山寺参拝のハイライトは、あえて最後にとっておいた五大堂である。五大堂とは宝珠山を守護する五大明王が安置された道場だ。納骨堂に参拝をして、その横から出る脇道を進み、幅の狭い石段を上るとそこは五大堂の舞台である。そこからの眺望は実に爽快。さきほど降り立った山寺駅や宝珠橋も見えるが、その小ささを見るに、現地点の標高の高さを実感させられ、ここまでえいこらと山登りをしてきた達成感に包まれていく。
 どうやらもともとの計画より一本早い電車に乗れるみたいである。今度は山道の下りである。ペースは上りよりも早いが、実は下りの方が足腰が被る疲労が大きいように思える。ふもとの土産屋でさくらんぼソフトクリイムを求め、宝珠橋で立谷川を眺めながら食べる。山寺での山行を経て、そしてこの純朴な町並みの中で過ごした時間で、少しは自分の精神の穢れも落ちたであろうか。脚はバンビ寸前であるが、気持ちはことの他晴れ晴れとしているのが分かる。ここに来てよかった。素直にそう思えるのだ。
 ホームに列車がやって来た。車窓から山寺に別れを告げて、一路山形へと走る。


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  1. 2015/04/14(火) 19:25:42|
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シバケン-いかれたNeet-

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Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

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