野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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ロスト・ヴァージン

 私というのは文章上でそう云っているだけで筆者自身ということではない。

 私は超低空を飛ぶ人である。
 そう云ってもよく分からないだろうからこれからきちんと説明をしていくが、これは私の本業での話である。間もなく職替えを控えているが、今なお私の本職は学生のままである。学生は、各講座の試験を適時受けてそれで合格点を取り、卒業に必要な単位を奪っていくのが主なお仕事である。
 私も、今の学校に入ってから今日に至るまでに試験を数々と受けてきたが、実は私は今の今まで、試験というものに落ちたことがない。所属する学部学科の都合上、それなりの人数が不合格の判を押される試験もあったのだが、それらもことごとくかわしてきたのだ。とはいえ、私のような人間は他にも何人もいるだろうから、それほど珍しくはないと思われる。だから別に自慢するほど大それたものではないし、私だって自慢をしたいわけではない。ただ、これが私の学校におけるアイデンティティの一つだと云いたいのである。
 こういうことを云うと、ハハァ、こいつは自分がいかに優秀であるかを誇示したいだけなのだな、などと考える短絡者が出てくるかもしれないが、それは大きな間違いである。実力としては、私は中の中の上くらいにいる。試験に落ちないということは、決してその人間の優秀さを示しているということではない。そんなことがあるわけがない。確かに、いつもいつもしくじっている学生には碌な奴がいないようにも思えるが、それはただの偶然であり、決して悪意のあるこじつけはしてはならない。
 試験には元から合格の基準というものが決められている。基準は各学校でそれぞれだと思うが、大体のところで、点数が過半を超えればそれでいいのである。そのため、試験に対する取り組みも、実はその程度を目標とする労力で済んでしまう。何も、毎度毎度満点の努力をする必要は一切ないのである。もし優秀な学生になりたいというのであれば、それなりの努力をすればいい。だが私は別に優秀な学生になりたいわけではないし、ただ手っ取り早くこの学校と決別したいだけなので、そこまでしなくてもいい。
 その伝で、私はこれまでできるだけ少ない労力で、ただ一つ、合格という結果だけを掴んできた。先日に、自分の成績通知表というものを見てみたが、どの科目においても、パッとしない実に微妙なラインの得点ばかりが並んでいる。それでも絶対に落ちることはない。この処世の形式から、私は自らを超低空を飛ぶ人と称しているのである。

 そして現在は、卒業試験期間の最中である。当初は二か月に渡る試験のマーチに戦々恐々としていたが、いざ始まってみるとそれほど重くはなかったので、意気を落として例の超低空飛行に切り替えたのだが、それでも落ちない。そして卒業試験、案外チョロいじゃんなどと思っていた矢先のことだった。
 私の学校の場合、試験結果は不合格者の学籍番号を並べることで提示としているのだが、某科の結果の用紙に、全く見慣れぬ、それでいて誰よりも身近な数字が書かれてあった。 
 それもその筈。それは私の学籍番号だった。
 目を疑ったが、紛れもなく私の番号である。大学において、学生の名前など何の意味も有たない。だから学校では、各種管理に使われるこの番号こそが私そのものだから、その大事な数字を間違えるはずがない。
 私はこの学校に入って初めて試験に落ちたのである。この瞬間に、入学以後粛々と守ってきた清らかな我が貞操を奪われてしまったのだ。マジウケる。
 それだけではない。それから数日後、また別の科目の試験結果にも、私の番号があったのである。一度貞操を奪われてからというもの、すっかりと堕ちぶれていったような気がした。しかも、これらの試験はたくさんの学生が落ちるものでは決してないというのが、余計に胸に苦しく、思わずリバるところだった。私を含めて試験の不合格者は前者は十一人、後者に至っては八人しかいない。ルージング・イレブンとワースト・エイトという不名誉を獲得することになって超ヤガモ・・・・。
 前者の試験は、まさか落ちるとは微塵も思っていなかったが、しかし心当たりが全然なかったわけではない。ここには詳細は秘すが、なんというか私には誠意というものが足りなかったのだ。
 しかし、後者に至っては完全に青天の霹靂。落ちる要素はどこにもなかったし、そもそも試験を解き終わった時の手応えからして違うから超MMだ。一応の対策はしていてそれなりにAIモードだったし、事実、しっかりと解答ができていた。それなのになぜ落とされたのか、全く分からない。
 この試験には記述式で医者の倫理を問うような問題があったのだが、事情を知るクラスメイトには、この記述問題の文量が足りなかったのではないかと云う者がいた。しかし私は常日頃から文章を書いている人間だし、その文字数からして結構なものだから、自然と記述問題にはそれなりの文量で当たっている。いつもなら試験会場をいちばんに退室するところだが、この試験ではその記述問題に時間がかかってしまい、他の学生が数人出ていってから解き終わったのである。だからその線はない。
 ならば、そもそも書いている内容がずれていたんじゃないかと云う人がいた。しかしこの問題は一般的な倫理というよりは、各人はどのように考えるかを問うようなものだったので、書いていることがそれぞれで違って当たり前である。それなのに、書いていることが採点者の意見と合致しないという理由で評価されないというのは、腑に落ちない。
 ついに、きっとイケメンな私に嫉妬しているのだろうというトンデモ仮説が挙がるというレベルで、もう意味不明な不合格である。私としては自ら落ちたというより、学校に脚を引っ張られてつまずいたとしか思えない。
 聞くところによると、この学校の卒業試験は単位を有っているわけではないらしい。実は私たちはすでに卒業に必要な単位は揃えているということなのだ。だからこの卒業試験は形だけで、本当はやらなくてもいいものということになる。だから、そんな試験に落ちたところで、そう気に病むことではない。
 卒業試験期間はあと一か月続く。AYモードだとまた足元をすくわれてしまうかもしれないから、残りの試験は超AIモードで、完璧を目指すべきであろう。だが、見たところ、これからは足元をすくうという嫌がらせをしそうにない科目ばかりが残っている。それに、今回の事件で、何が起こるか分からないという教訓を得、正当な過程が必ずしも正当な結果をもたらすわけではないということを学んだので、やっぱり超低空飛行のままでいいやと改めて思った。










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  1. 2015/10/30(金) 19:00:00|
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「ディズニー・オン・クラシック ~まほうの夜の音楽会 2015 I Love You ~きせきの言葉」新潟公演感想レポート

 もはや私の生活で毎年の恒例行事となっているDisney on classicの新潟公演を観に、馴染みの劇場・新潟県民会館に出かけた。公演日は学校の卒業試験期間中にあったので、今年は観に行けるかどうか心配だったが、幸い、この日はちょうど某科の試験日に当たっている。試験の前日なら諦めるところだが、試験当日となれば、試験が終わったあとの一晩くらいは気ままに過ごしても問題はないので、これで今年も無事にコンサートに出かけることができたのだ。
 私の座席は1階の1桁列だったので、これは結構な良席では?と思っていたが、座席を見つけてみると前は前でも壁際のいちばん端であった。かなり斜めの位置からの鑑賞だが、そもそもクラシック・コンサートなのだから実際はそれほどの不便はなかったとはいえ、なんというか胸にちょっとしたしこりは残る。これでも先行販売で購入したS席なのよ。

 今年のディズニー・オン・クラシック、テーマは「I Love You ~きせきの言葉」で、これは第2部で特集される「美女と野獣」の名シーンからきているが、それ以外の曲目はあまりこのテーマに合わせているという感じはしなかったので、各方面から曲を集めたごった煮的なプログラムだな~という印象。
 恒例としてオープニングはパーク・ミュージックから。第1曲目、今年の7月にリニューアルした「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ」でスタート。新しく「塔の上のラプンツェル」のフロートが加わったので、それに合わせて「輝く未来」などが組み込まれている。シンガーの皆さんも登場し、「白雪姫」「シンデレラ」「小さな世界」のフロート音楽が演奏されて、ほとんど2012年公演時と同じ編曲になっている。このパレードの印象があまりにも強すぎて、「バロック・ホウダウン」は少し幼稚に聴こえてしまうこともあるけれど、そういうことを抜きにして改めて聴いてみると、これ、結構いい感じのなテクノだよなあ。
 次は2曲続けての演奏。まずはパーク音楽の流れで、これまた今年の4月にリニューアルされた東京ディズニーシーのマーメイドラグーン・シアター「キング・トリトンのコンサート」から新曲「I will sing」を。私はまだ新作を観れていないので、あまり感情移入はできない。アースラのいないマーメイドラグーン・シアターなんて・・・・と思っているが、スクリーンに映るショーのスライドを見てみると、結構楽しそうだったので、機会を設けて一度は観に行きたいところですな。
 2曲目はNintendo3DS対応のゲーム「ディズニーマジックキャッスル マイ・ハッピー・ライフ2」のテーマ曲「Sparkle -輝きを信じて-」。こんなゲームがあるなんてちっとも知らなかったので、この歌も知らなかった。初めて聴いたが、なかなかいい曲。スクリーンにゲームの場面が映されていくが、これは「どうぶつの森」のディズニー版といった感じなのだろうか。まあ、キャラクターに執心なマニア向けだろう。
 続いての演目は、「ディズニー・オン・クラシック ファン・セレクション」というもの。講談社の月刊誌「ディズニーファン」の読者アンケートで選ばれた2曲の演奏である。演奏前のMCでフランチェスコさんが、観客の皆さんでどれくらいの人が投票しましたか~と聞いて挙手を促していたが、会場にどよめきが起きてしまうほどに少なく、これにはフランチェスコさんも苦笑い。私も手を挙げているのが恥ずかしかった。ある意味、端っこの席でよかった。
 さて、まずはパーク部門で「ワンス・アポン・ア・タイム」。昨年の2014年公演でも演奏されたが、私も大好きな曲なのでこれは嬉しい。ファンファーレ~ピアノイントロの時点でウルっとくるというのに、ショーの映像を流されてしまったら、もう駄目である。などと云っているけど、実は私は未だにこのキャッスルショーを観れていない。でも、素晴らしい音楽と、ついに日本のパークでプロジェクションマッピング・ショーが観れるという感慨だけで、何度でも瞼の裏が熱くなってしまうのだ。
 次は映画部門で、定番の超人気曲「アラジン」の「ホール・ニュー・ワールド」。ディズニー作品の土台はあくまでミュージカルなので、どの作品を観ても音楽に力を入れていることがよく分かるが、でもこれほど良質なバラードがアニメ映画の挿入曲というのは、改めて考えれば驚くべきことである。
 そして第1部の最後を飾るのは、ディズニー・オン・クラシック初登場「組曲:『スター・ウォーズ』」。今年の12月に公開されるシリーズ新作にあやかっているのだろうが、公演に「スター・ウォーズ」関連が加わると、プログラムの密度が一気に高くなるような気がする。「メイン・タイトル」で始まり、ああ「スター・ウォーズ」だなあと思っていたところで、続いてはいきなりクライマックス「運命の闘い」なのだから痺れてしまう。しかも組曲の半分くらいがこの場面だったのでは?と思うほどの力の入れ具合。コーラスも生で入るし、もうかっこいいのなんの。この演目は「オーケストラと光のコンチェルト」として、演奏に合わせて趣向を凝らした照明やレーザー光線も飛びかう演出になっているので、見た目にも圧倒されて終始鳥肌が立ちっぱなしだった。これで第1部は終了。いつにも増してあっという間に時間が過ぎた。

 第2部、つまり公演のメイン演目は「美女と野獣」の音楽。アニメーションという枠を超えて、もはや映画史にも燦然と輝く名作で、「リトル・マーメイド」「アラジン」と並んで「新・ディズニー三部作」などと呼ばれているが、やっぱり完成度としてはこの「美女と野獣」がいちばんだよなあと個人的には思う。
 「ひとりぼっちの晩餐会」や主題歌「美女と野獣」も素晴らしいが、オーヴァーチェアの役割もある「プロローグ」からオープニングの「朝の風景」の流れが、とてもミュージカルミュージカルしていて好き。軽やかな音楽をバックに物語が始まるワクワク感を抱かせつつ、きちんとベルの紹介や、ガストンの立ち位置をコンパクトに説明している。この場面で一気に物語に引き込まれてしまうわけだ。
 私はもともとヴィランズの曲が好きなのだが、今作の「強いぞ、ガストン」は他の曲とは少し毛色が違う。「哀れな人々」や「準備をしておけ」などは、ヴィランズの強さや美学などが反映されていてスタイリッシュでかっこいいが、この「強いぞ、ガストン」は盛り上がるけれど決してかっこよくはない(ミュージカル版だと物凄くかっこいいけれど)。ただなんというか、こいつら馬鹿だなあと思うだけというか(苦笑)。ガストンは野獣と徒手格闘ができるほどに、確かに強いことは強い。だけど他のヴィランズと比べると、ガストンはただ自分勝手で野蛮なだけで、洗練された哲学や美学というものがなく、悪役としての凄みがあまりないからかもしれない。
 ミュージカルで、ストーリーを一旦脇に寄せておいて、会場をヒートアップさせ大いに盛り上がる曲をショー・ストッパーというが、「ひとりぼっちの晩餐会」は最強クラスのショー・ストッパーである。この曲の、特に大サビの多幸感というか、“もう何とでもなれ感”はすさまじい。
 そしてこのあたりから、最初は剣呑としていたベルと野獣の関係が和らいで、お互いに心を通じ合わせていくのだが、「愛の芽生え」~「人間に戻りたい」(最後の大サビだけの演奏)~「美女と野獣」のコンボは、涙腺には全くよろしくない。「愛の芽生え」が流れる前、ベルと野獣が朝ご飯を食べるシーンからしてもう涙腺によろしくない。うまく食器を使えない野獣に合わせて、ベルもお皿を持ってスープを食べるシーンは、全く、涙腺によろしくない。そして曲単体でもよろしくない「美女と野獣」のダンスホールのシーン、野獣の胸に顔をうずめるベルとそれを見てルミエールやコグスワースにとても嬉しそうな顔をする野獣は、もはや涙腺には毒である。この一帯の流れはひたすら双眸から落涙してしまうので、それが口の方にまで流れ込んできて、もうしょっぱいったらない。
 それからは民衆の狂気に満ちていて私も大好きな「夜襲の歌」を経て、物語のクライマックス~ハッピーエンドと辿って、大きな満足感をいっぱいに噛みしめつつ演奏は終了。いつもながら満足度の高い演奏会である。
 恒例の「星に願いを」の合唱は、毎回毎回うまく歌えるかどうか心配になるが、まあそこそこで歌える。いつもなら合唱が終わったあとで、アンコールとして一曲演奏するのだが、どういうことか、他の観客の皆さんがこの時点でスタンディング・オベーションをするものだから参った。スタンディング・オベーションは公演の最後の最後にするもので、演奏を立って聴くなどはただ失礼なだけだから私はしばらく座っていたが、スタンディングしてオベーションしている前の人たちの壁でステージが少しも見えないので、シンガーさんたちが再登場するタイミングで仕方なく起立してしまった。だがそういうことがあっても、今年のディズニー・オン・クラシックは、いつも以上に満足度が高い内容だった。


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  1. 2015/10/27(火) 19:00:00|
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馬鹿だなあ

 ふと、「馬鹿だなあ」と思うことがある。
 誰を指してこう思うのかというと、他ならぬ自分自身のことだ。そしてこれは、保育園、小学校、中学校、高校、大学と、今までの自分の越し方を顧みて、それぞれの世代の自分たちに向けての「馬鹿だなあ」なのである。
 思い出は美しくあってほしい。だが、物事はそう簡単ではない。ひょんなきっかけで過去に思いを馳せれば、できれば思い出したくなかった苦い記憶ばかりが次々と浮かんでくる。しかもこういう昔の記憶というのは、浮かんでくるときに後悔や羞恥などといったものまでくっつけてくるのだから余計に性質が悪い。そのせいで、思い出が戻ってきた途端に何だか身体がムズムズしてきて、耐えきれずに身をよじってあたりを転げ回りたくなるような、そんな発作に襲われることになる。
 とっくに終わっていることについて、後から「何々していたらよかった」「どうして何々しなかったんだ」などという結果論を説くのは、ただただ時間の無駄である。だがそうはいっても、在りし日を振り返っていると、するかせざるかの分岐に当たり、あの時に進まなかったもう一つの路の果てに何が待っていたのか、その結末への思いが少しずつ滲み出てきて、気がつくと頭の中で大きく拡がっていた、なんていうことはよくある。
「どうしてたった一言、あんなに簡単な二文字を言えなかったんだろう」
「あの時、もっとあいつに優しくしてあげればよかったのに」
 そして、結びに思う。
 あーあ、「馬鹿だなあ」と。
 こうして、幼い自分を「馬鹿」呼ばわりするのが今の自分なのだが、そうはいっても私もまだまだ青い。毎日を過ごしていれば、様々な選択の場面にぶつかり、その決断に迷うということはたくさんある。問題と選択肢はそれぞれで変わってくるが、単純に考えれば、どれもするかせざるかの分かれ道である。
 今までと少し違うのは、どちらを取るべきなのかは何となく分かっている。だが、その方には大抵困難があって、何だか辛そうに思えるというところである。そしてもう一方は、そのような苦難に遭うことはないとても楽な路。さあ、それを踏まえて、するべきか、せざるべきか。
 答えを決めかねている時、どこからか「馬鹿だなあ」の言葉が聞こえる。それはおそらく三十代、四十代、五十代と、今よりもずっと後の年代に生きる自分たちから、現在の幼い自分への「馬鹿だなあ」なのである。
 未来の自分の声は、それまで、今というとても狭い範囲に囚われていた考えを、もっと先の方までに拡げる。すると、不思議と落ち着いてきて、現在の状況や今後の展望が見通しやすくなってくる。するべきことは分かっているのだ。今は辛い思いをするかもしれないが、これから生きていけば、それもいつかは過ぎ去ったことになるだろう。そうなると、もう迷う必要はないわけである。
「ちょっとちょっと何迷ってんの。これからずっとチャンスはないんだぜ」
「やんなきゃやんないで後悔するぞ。あとで悔しがるのはお前じゃなくて俺なんだからさ。後悔したくないんだよ。頼むよ」
「なんだ、お金のことが心配なの?大丈夫だって。ほら、こうして今何とかなってるしな」
「ちょっとは辛いだろうけどさ。喉元過ぎれば何とかって言うし」
「ま、やりたいことをやればいいさ。そのほうがだいぶお前らしいぜ」
「大丈夫大丈夫。これから案外なんとかなるもんだ」
「お、なんだ。ほら、最初から答え分かってたんだろ。そんなにうじうじ悩む必要なんてなかったんだよ。はーあ、全く」
「馬鹿だなあ」
 私は何度か、この声に助けられている。










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  1. 2015/10/23(金) 19:00:00|
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堕医学生漫記

  一
丙「丁さん。おうい、丁さんったら」
丁「あ、なんだ丙か。いや済まない、ちょっと呆けていて気づかなかった。で、何か用」
丙「それがですね、実はこの間、僕もブログ始めたんですよ」
丁「あら、そう。題名は何て云うの」
丙「『Hey the Idaisei』です」
丁「『Felix the Cat』みたいで、古風でいいじゃないか。で、どんなものを書いてるんだ」
丙「いえね、僕も最初は丁さんみたいなのを書こうと思ったんですけど、これがなかなか難しくて」
丁「それはそうだ。俺も君のようには書けっこないからな。それで」
丙「それで、学校での出来事を元にして医学生の生活について書くことにしました」


  二
 瞼が疲れたから一寸だけ午睡がしたい。だが、これから二時間の内に荷物が届くことになっている。軽はずみで布団に臥せば、そのままで配達が来る音を聴き逃すかもしれない。だから荷物を受け取るまでは頑張っていようと思う。
 ただ待っているのは面白くないので、仕方なく夕げの煮物を拵えてみたり、百鬼園先生の随筆を読んだりしてうつらうつらと過ごしていたが、やがて八つ時を回ったので、小腹が空いていたこともあり、チョコレートを一つ二つ食べていたが、その時に配達員がやって来た。
 それで荷物を受け取って安心したが、その頃にはもう睡眠欲の方がどこかに散り去ってしまった。


  三
 ケミカルな髪色で目の大きな美少女が表紙に描かれた、軽小説の文庫を買った。その日は何かのキャンペーンの期間中で、特典としてブックカバーを、数種類の内から一つを選んで戴けるという話だった。無難な和柄にすれば大層穏やかに済ませられたところを、私はほぼ無意識の意識下に、別の美少女画が描かれたデザインのものを選んでしまった。
 ハッと気がついて見ると、表紙に美少女が映る本が、また違った美少女が映るブックカバーで覆われている。恥を恥で上塗りしているようで、しばらくの間、顔の表面に熱を感じていた。


  四
 成程と思ったことや覚えたいこと。以前はRHODIAなどに書いていましたが、最近は手製のメモ帖に綴っています。
 そのメモ帖は、家にある裏紙、つまりはゴミとなるはずの紙片が材料であるせいか、気がねなく何でも書けて、その使い勝手のよさが気に入っています。裏紙はまだたくさんあるので、市販のメモを買う必要もなくなり、いくらか経済的でもあります。
 こういうのも貧乏症の一種でしょうか。


  五
丁「いや君、いつも『丁さんに憧れている』とか何とか云って、結局は俺と真逆の方向に行こうとしているじゃないか」
丙「ええ、はい。いや、まあそうです」
丁「全く詰まらないことをしたものだね。第一そういうのは、もうすでに同じようなのが何個かあるから、今さら作ってみたところで時代遅れだよ」
丙「しかし僕は、別に誰かの役に立とうとしてやったわけじゃないんです。あ、そうだ。それなら、丁さんみたいに、書いた記事が読者の役に立つことはなくても、書いている僕さえ楽しければそれでいいのではないでしょうか」
丁「それだったら尚更だよ。考えて御覧、君が今を生きているなかで、学校生活は一体どのあたりの優先順位にあるんだ」
丙「九位くらいです」
丁「その程度のことについて毎日毎日書いて、楽しいと思うかい」
丙「云われてみれば、それほど面白くはないかもしれません」
丁「そうだろう。ところで、今のところ優先度の一位は何なんだい」
丙「『ごちうさ』です」
丁「よし」










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  1. 2015/10/20(火) 19:00:00|
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ゴン

 いまの家、それはつまり郷里の実家ということになるのだが、そこへ引っ越したのは私が小学校に上がる時分であった。東と南の二方を田圃に囲まれ、三、四軒の家屋が建つ小さな住宅地に新築をしたのである。
 私たち一家が越してくる前から、通りを挟んで向かいの家に犬が一匹飼われていた。ゴンという名前である。
 ゴンは大型犬の雑種である。こげ茶の身体と顔に、黒い島が所々に浮いているといった毛色で、その配色だけはまるでシェパード犬のようであったが、あの犬種ほど鼻面は長くはなかったし、頭部は全体として丸っこく、耳は垂れていた。身体は大きいし、毛色もなんとなくいかめしい感じに思われて、幼い私にゴンは初め恐ろしく見えた。だが、何かをきっかけにして私はゴンを可愛がるようになるのだが、あまりに昔のことなので、実際に何があったのかは憶えていない。
 ゴンはいかつい見た目に似合わず、とても臆病な犬だった。通りを散歩していた小型犬や、さらには近所に暮らす子猫にまで吠えかかるという始末である。犬が吠えるのは威厳を見せようとしているからではなく、虚勢を張っているからだということを、ゴンの様子からは窺い知れた。
 向かいの家族はとてもいい人ばかりで、私や姉がゴンを可愛がるのを快く思ってくれているようだった。初めはその家の人がゴンを散歩に連れ出すのに付いていくだけだったが、そのうちに、双方の暗黙的に、私たちだけでゴンを散歩させるようになっていった。ゴンは散歩が好きな犬だったと思う。経路は決まって、家の脇の伸びる農道を往って復るだけだったが、それでもゴンは尻尾を振って快活に歩いた。横手盆地の大田園地帯では、農道はどこまでも伸びている。自分ひとりでは歩く気にはなれない、ゴンが横にいるだけでどこまでも行きたいと思えた。そして本当にひとりでは行かなかった遠くまで歩いて、夕食に間に合うように良いところで引き返した。
 車庫に繋がれているゴンに会いに行くと、ゴンはクーンとすすり泣いて私の足元に寄ってくる。とにかくゴンは私によく懐いていた。
 私は中学校に上がると、次第に学校での生活の方に夢中になった。部活動も割合によくやっていたので、そちらのほうに自分の時間や意識を割くようになっていた。その時にはもう、車庫にいるゴンに会いに行くことは時々あっても、散歩に連れて行くことは滅多になくなっていた。やがて私は高校生になった。この頃は、大袈裟でなく自分の有ち得るあらゆるものを部活動へと捧げる毎日だった。平日は遅くまで練習、土休日は一日中練習をして、時々は合宿や大会に出向いた。家で過ごす時間は短くなり、それによってゴンの顔を見に行くこともなくなった。そのままで三年が過ぎた。
 大学への入学が決まり、程なく私が新潟無機終焉都市に旅立つ日がやってきた。荷物を車に積み終えて、両家の祖父母(どちらも田舎町に住んでいる)が見送りにくるのを待って出発する段となった。しばらく空いた時間が出来たので、私は旅立つ前に、久しぶりにゴンの顔を見に行こうと思って、車庫の中を覗いた。すると、ゴンはいた。隅の陰のところで冷たいコンクリートの床に身を臥して、寂しげに佇んでいた。すっかり年老いて、いつかの活気は見る影もない。私もあの頃から身長も伸びたし顔つきも変わっている。私のことを覚えているだろうかと心配だったが、ゴンは私を認めると、あの日と変わらずにクーンと鼻を鳴らしてのっそりとこちらに寄ってきた。姿は変わっても、ゴンはゴンで私は私だったのであろう。
 この時、肋骨が浮きかけるほどに痩せたゴンの身体や頭を撫でているうちにあの日の思い出が甦ってきて、それで私の内に、空白の時間があまりにも長かったという実感が急に流れ込んできた。そしてなぜか、自分がいま古里を旅立つということを、ゴンの弱弱しい表情を通じて、はっきりと自覚するようになり、今まで一粒も零さなかった涙が双眸から溢れてきた。
 それからしばらくして、無機終焉都市から久しぶりに帰省した私に、ゴンが死んだということが知らされた。私はただ「そう」とだけ云ったと思う。
 その後、新潟での暮らしもそれなりに長くなったある年、私は床について眠りに落ちるまでの間、少しく昔のことを考えていた。その時に、ふと「ゴン」という懐かしい名前が瞼の裏に浮かんだ。それでハッとする瞬間に、今までどこに仕舞っていたか分からないほどの、ゴンとの思い出が止めどなく甦ってきた。
 散歩の時ゴンは農水路を歩きたがること、興奮するとゴンは尻を押しつけてきて思わずふっ飛ばされそうになること、軽トラックの荷台に乗せられビクビクとしながらもどこか愉快な表情で風に当たっているゴンを見るのはこちらも面白かったということ、私を見つけるとクーンと鼻を鳴らして傍に寄ってくるゴン。
 私はその時に初めて、ゴンが死んでしまったという事実を受け入れたような気がする。それからしばらく、布団のなかで涙を抑えることができなかった。私の内面に、まだ幼少の自分が生き続けているのか、それともすっかりいい年した大人になってしまったからこそ、不意に思い出にふれて涙がこぼれるのかもしれない。
 私はゴンに会いたい。もう一度あの鼻先や脇腹を撫でてやりたい。しかしゴンはもうどこにもいないのだった。










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  1. 2015/10/20(火) 19:00:00|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

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