野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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上越線莫迦列車

  一 始発列車
 H君とはいまの学校のクラスメイトである。
 イニシアルがSで出席番号も遠い私がどうやって彼と知り合ったのかは今更憶えていないが、連れだってトレーニングをしたりして、今では級友の中でもとりわけ気安いひとりになった。
 H君は一度どこかの大学を出てからこちらに入ってきたので、いくつか多く年を食っていることもあり、よくそんなことまでと、思わず感心してしまうくらいに物を知っているのだが、その引き出しのひとつに鉄道というものがあった。
 私は鉄道に乗るのが好きである。処で、ここに「鉄道」という共通項が生まれて、自然とそういう方面の会話をすることもあるのだが、私は鉄道に乗りこそすれ、その他詳細な知識は全くといいほどに有っていないため、H君の重箱隅クラスの話には付いていけず、彼の講釈を私が「ふうん、ふうん」と聞いているのがほとんどである。ちなみに私は鉄道に乗れればそれでよく、知識を仕入れること自体にはそれほどの関心がないため、彼の話はそれほど真面目には聞いてはいない。すなわち、「ふうん、ふうん」と聞いているのである。彼と鉄道旅行をすることもあって、春のしまかぜ乗車記や伊勢志摩旅行記に登場するクラスメイトこそ、このH君であった。
 彼に誘われるかたちで、今秋に私は北越急行のイベント列車超低速スノータートルに乗ることになった。この催事では、北越急行が持ち得るあらゆるサービスが総動員されており、それはもう楽しいものであった。ところで、私が鉄道旅行記を書く時はできるかぎりこの文体でというふうに決めている。しかしどういうわけかこの日のことは常時の調子では書けずに、最早ただのイベントレポに成ってしまいそうだったので、今回はいっそ書かないことにしたのだが、いざ書かないとなると、以下の本題で所々分かりづらくなるところが出てくるかもしれないので、冒頭の内にH君の素性も含めて、予め記しておいた。
 さて、スノータートルに乗る際に、乗車券代わりに私たちが求めた切符はえちごツーデーパスなるものであった。この割引の切符は、その名の通りに連続する二日に亘る効力を有している。その一日目をスノータートル乗車に充てて、それで十二分に経費の元は取れている。だから無理に二日続けて乗る必要もないのだが、やはりこの一枚で相当広い区間を走れるというのが、実に魅力的で忘れることができなかった。
 この切符一枚さえあれば上越線は越後中里にまで行けるのだ。そこからわずか二駅のところには、あの土合駅がある。私は土合に降りたことはないし、それはH君もそうだった筈である。これは利用しない手はないと、H君と北越急行の旅中にあれこれと話して、果たして翌二日目に我々の土合行きが決まることとなった。そのついでに、私の希望で水上にも立ち寄らせてもらう。
 いちばん早い時刻に土合に到著する計画を取ると、新潟駅からの始発列車に乗らなくてはならない。その時間帯にはまだバスなどは走ってないし、周辺には気軽な駐輪場もないためにチャリで行くこともし難いので、自宅から駅まで一時間ほど徒歩で向かうことになる。この移動の他に色々な準備もあるので、始発に乗るためには、遅くとも発車時刻の一時間半前には布団から抜けている必要があるのが見えた。
 だが、この前夜、これつまりスノータートルに乗った日の夜のお話だが、私には別の案件で級友たちとの集まりがあった。この会合は毎回、テッペンを割ってからのお開きが恒例で、然るに帰宅をするのも日を跨いでからになる。いつもはそれでもいいのだが、しかし今回ばかりは条件が異なっていて、始発に間に合うために、日頃よりもはるかに早い時刻に起きないといけない。いつも十分な睡眠を取りたい私には事である。睡眠時間が、明らかに短くなってしまうのであるからして。しかしながら、少しでも寝る時間を長くしたいがため、その寄合は私だけ途中で抜けさせてもらって早めに帰宅できたが、それから入浴なり準備なりはしないといけないので、すぐに寝れるわけではない。それらの諸事を一つずつ済ませて、遂ぞ床には付けたのだが、そのわずか二時間後に私は再び目覚めるのだった。魂の二時間睡眠。ついでにいえば前日もスノータートル乗車のために、始発に近い列車に乗るべくかなりの早起きをしている。鉄道旅行者の朝は早いとはいえ、二日連続でこの起床時間は流石に堪える。
 午前五時十七分、新潟発の上り始発列車には、それなりの乗客数があった。前の日にH君は「かなり混む」などと私を脅したが、それほどではない。日曜日だが学生の姿がちらほらと見えるのは、おそらく部活動の朝練習のためだろう。中高の頃の私は部活動に熱心であったが、朝練の経験だけはない。だからあくまでイメージのみで話をするが、朝練というものはどうも、あまり効果的な練習法とは思っていない。
 長岡で乗り換える上越線車内でいよいよH君と落ち合った。H君は鈍行の始発には乗らないで、新幹線でここまできた。新幹線を使う案を採ると、ほんのわずかに長めの睡眠を取ることができるのだが、せっかく有効な切符があるのに余計な運賃がかかるのがかなり癪で、私は鈍行に乗ることを頑なに決め込んでいたのだった。そもそもの貧乏症に加えて、卒業旅行経費の懸案から、近頃はさらに余分な出費を抑えるように努めているのである。今回、起床時間を無理くり早めて、新幹線に乗ることを控えたのは、これはすなわち自分の時間を売るということである。
 六時三十三分、上越線の越後湯沢行が滑り出した。ここからの沿線はそれなりにのどかな風景が見られるのだが、曇と怪しげな天象の下、そもそも昨日に同じ経路を通っていることもあって、この日は両者ともにそれなりに冷静な眼差しで車窓を見ている。早朝となると、車窓を通して見る寂れた住宅路に、犬の散歩に連れ立つ人の姿のあるのがいくらか嬉しい。老人と老犬の組だとなおさら胸が締まる。H君は、訳もなく、単語の末尾に「マン」を付けて呼ぶ、気の違った習慣があるが、彼にかかれば件の光景を「犬マン!犬マン!」というばかりで済む。エクスプロイダー現象で、私もそういう時があるが、幼稚なはしゃぎ方をするのに、些かばかりの情けなさを感じないこともないが、はしゃげるものが目の前にあるのに、はしゃがないということをすると、途端に何にもはしゃぐことのできない人間インスタレーションになってしまう。これこそ救いようのない情けなさであろう。
「白菜食べなきゃなあ」
きっと、集落の一画、小さな田畑に生る白菜の束を窓外に見とめての言であろう。
「病院でたまに野菜売ってるじゃん。それで買った白菜が一玉あるんだよなあ」
「え。一玉って、一分の一?」
「一分の一って何だよ」
「いや、ほら。白菜って二分の一とか四分の一で売ってるじゃん」
「まあ、一個」
「そろそろ季節、順当にいけば鍋とかだけど、そもそも白菜って料理のメインにはならないよな」
「ああ。そういやさ、その病院で、たぶん近所の人だと思うけど、白菜六個買って、両手に袋でこう持ってった人がいた。」
「六?それはまた、買い過ぎだろ。どうやって食いきるの」
「さあ」
「実は相撲部屋の人なんじゃないの?ちゃんこに使って」
「いやいや」
「もしくはおすそ分けとかするんじゃないか」
「お。葱。うわ、デカいなあ」
「さっきから大根干してる家も結構あるな」
「大根・・・。ワタシ、大根食えないんですよねぇ」
「え、嘘。じゃあ、おでんとか、ブリ大根とかも。損してないか、それは」
「いや、なんか食感が」
「切干大根とかも食えないじゃん」
「切干大根なんて屁の匂いじゃん。あれは屁だよ」
「おいしいのに。似てるので云ったら、カブとかは」
「カブ!あれ、人が食うもんじゃねえだろ」
「マジで。ポトフとかうまいのに」
「口に入れた瞬間の、あの何とも云えない食感は無理」
「しかし大根って、弁当とかにもよく入ってるし、ほら、ああいう旅館でも三食、朝昼晩確実に出るぞ」
「そしたら他のに変えてもらうわ」
「予め備考欄で伝えろ」
「うん」
「大根の漬物が出たら。すいません、私大根食べられないので他の物に替えてください。それは申し訳ありませんでした。その替わりに、カブの浅漬けです」
「やめてくれ!」
 欧州メルヘン風の趣向を張る、ただただ眼に煩い上越国際スキー場のヒュッテとすれ違って一、二、三と過ぎれば越後湯沢に到著した。あまり時間もないので、土合への切符を求めて、御不浄に寄ったりすればすぐに乗り換え。八時十三分、上越線の水上行である。バブル期に完成したような典型的スキーリゾートの某ホテルを見て「お。あれは“ブラックNEXT21”だ。タイガーマスクで云うところのブラックタイガーのような、NEXT21の永遠のライバル」などという、思い返すと全く意味の分からない“ほら”を吹けるくらいには頭が冴えてくる。リゾート地帯を抜けて野趣溢れる山間部に入り、付近に集落等もなく一体何の用途があるのか分からない土樽駅を過ぎて、長いトンネルを抜けると、次なる停車駅は我々の目的である土合である。土合駅は日本一のトンネル駅として名高い。目当ての下り線とは異なり、上り線のプラットホームは頭上に空が広がっている。雨に降られるのは覚悟のこと、とはいえ、案外と粒が大きくなってきたので、たまらず傘を開いた。だが、晴れていればそれに越したことはないが、この冷やかな天候や山肌に低迷する真っ白い霧霞などで、本邦屈指の秘境駅を訪ねる感慨がさらに深いものになるとなれば、「生憎」などという後ろ向きな言葉を冠する必要もない。構内へ、いざ。


  二 土合駅(行きはよいよい帰りはこわい)
 土合駅のことは、たしか何かの雑誌を読んで知った。「日本一のモグラ駅」というキャッチコピーを添えて、例の四百六十四段の長階段の写真が載っていたのが衝撃的だった。ちょうど私も旅行に味を占め始めた頃だったし、賑々しい観光スポットよりも、寂しげな土地に惹かれる嗜好にもはまり、その時から土合は、行きたい場所のリストに加えられたのだった。
 その土合駅構内、幅広の通路をまさに今歩いている。ここを歩くのは私たちだけで、いやに静か。窓枠や左右の壁に蜘蛛の巣が張り、そこかしこに羽虫の死骸やら、黒染みのような汚れが眼に入るところは、無人駅らしい光景か。しかし、山中の無人駅というイメージから辺鄙な姿を勝手に想像していたところで、その実、意想外に駅舎は大きい。広々煌々とした待合には長椅子も用意され、自販も置かれていたりと、予想よりも設備は整っている。
 土合は谷川岳登山への玄関口でもある。下り線のトンネル歩廊が目的だが、それだけでは手持無沙汰と、まずは谷川岳を上るロープウェイに向かってみる。次の水上方面の列車は十二時三十分発。まだ、それなりに時間は余っていると思っていた。
 外に出れば、砂利が敷かれただけの広場が広がり、その向こうに野山が峨々と並ぶ荒涼な風景が網膜に映る。今なお立ち込める濃霧の煙たさがその野趣をさらに演出していてなんと寒々しいことだろうか。集落はなく、駅以外の人工物といったら、片隅に潰れた廃屋と左手の彼処に大きなドライブインが見えるばかりである。出入のガラス扉の頭上に眼をやれば、「ようこそ日本一のモグラえき土合へ」と書かれた木製の板が掛けられている。その企画自体は別にいいが、この形の板を採用したのかが分からず、何ともしっくりこない。何かを表しているのかもしれないが、当地のキーワードであるモグラには全く似ていないが、どこか抹香鯨のようでもあり、中央部だけ窪んでいるところは職業病から潰瘍限局型の胃癌のようにも見える。H君が貼り紙を指す。
「おっ。かきげんきん」
「は?」
「ほらほら。『かきげんきん』」
「ん?あ。『火器厳禁』」
「『火器厳禁』」
「ということはつまり、ライターはもちろんダメだし、チャッカマンとかもダメだし、石もダメってことになるな」
「ん」
「やっぱり無人駅だし、山火事も恐いだろうし」
「いやあ、また秀逸な誤字見つけちゃったよ」
「いやいや。だからって別に写真撮る必要ないだろ」
「撮りたくなっちゃうんですよ。見つけたら撮る」
「ふうん」
「こないだも図書館に『四肢』を『四股』って書いてんのがあって」
「はっはっ。それはひどい。そういえば、誤字とは違うかもだが、とまれっていうのもややこしいよな。『止まれ』と『止れ』で」
「え。それそんなにある?」
「田舎だとよく見るんだよ。あとはたしかめるとか。『確かめる』と『確める』」
「ああ」
「これ、『たし・かめる』が正式でいいんだよな」
「そうじゃないと『何々なことはたしかである』とか云う時に、『確』って一文字で書くことになって、何か変だよな」
振り返ってみれば、巨大な三角屋根を基調とした土合の駅舎が聳えている。周囲の静けさと山々に漂う真白な霧のおかげで、屈指の秘境駅としての貫禄をこれでもかと云わんばかりに発している。
 雨がしとしと降っているが、それもまた辺境の趣を深める。ロープウェイを目指して山道を歩いていくのだが、道すがらの景色が眼に留まり、立ち止まっては逐一感嘆してしまうので、そう簡単には進まない。
「いやあ。いいですね」
「いいね」
「いい」
「うん。やばいね」
「やばっ!」
「ん」
「某が」
「某が何?」
「あいつボキャブラリー少ないから、いっつも、やばっ、とかしか云わない」
「あはは、そうかも」
「いいね、とか」
「あぁあぁ。あ、それいい、とか」
「そう。で、前、あいつがどっかの店で何か食った感想聞いたんだけど」
「うん」
「『やばっ!ってなって、うまっ!ってなった』って」
「あははははは!」
「いや、オレ、え!?って思って。こんなに何が云いたいのかちっとも分からないのはなかったな」
「超ウケる。『やばっ!ってなって、うまっ!ってなった』って。しかも何?食べるモーション付きで?」
「いやあ、訳分かんなかったよなあ。何が云いたいのかちっとも伝わってこない」
「『やばっ!ってなって、うまっ!ってなった』ってことは、やばいとかうまいってのは、“なる”ものなんだな」
「でも厄介なのが、あいつ、結構プライド高いからイジらせてくんないんだよな」
「へえ、それはまた。いやあ、しかし『やばっ!』『うまっ!』か。超面白ェな。使える」
辺りの紅葉を見ては「やばっ!」「うまっ!」、他に異色の風景あれば「やばっ!」「うまっ!」とばかり云ってはしゃいでいる。さらには渓流の音を聞いては「かわっ!」、全方位を囲む山を改めて見ては「やまっ!」と云うようになって、ここまで来ると、いよいよ抑えが利かなくなってくる。
 ロープウェイまでは歩いて十五から二十分という触れ込みであったが、歩いても歩いてもその乗り場に着く気配がない。私たちが一々立ち止まって「やばっ!」「うまっ!」などと興じていることも大きな要因だろうが、それにしてもやけに道程が遠く感じてしまう。ふと見上げてみると、並び連なる小山の上に、明らかに場違いな大きな建物が眼に入る。どう見てもそれはロープウェイの駅なのだが、山の上にあるし、駅から脇目も振らずに歩いても、二十分以内に到著できるような立地ではない。しかし、いくら文句を云っても事は運ばない。経路にも傾きが出てきて、大カーブを覆うスノーシェルターに潜れば、いよいよ路は山中の車道然としてくる。到底、人が歩いて通るような路とは思えないが、他にやり方もないのでえいこらと歩いているのである。すれ違う自動車からは奇異に映っていたことだろう。
 山道を登るにつれて霞の濃度も増す。その辺りでロープウェイの施設が見えてきた。無人のゴンドラが、上空のケーブルを一つまた一つと滑っては霧の中へと消えていくのが、中々に薄気味の悪い景色だった。
 谷川岳のふもとの土合口と天神尾根を結んでいるロープウェイは、スキー場のリフトのような循環式で、複数のゴンドラが絶えずグルグル回って登下山をしている。駐車場に観光バスが一、二台停まっていたが、少なくとも土合口の乗り場には私たち以外に観光客の姿はない。然るに、私たちで一つのゴンドラを独占することになり、
「おお。高い」
「そりゃそうでしょ」
「紅葉は」
「もう終わっちゃてる」
「ううん。いやあ、高いなあ。あっ。たかっ!」
「あっ。やばっ!」
「やばっ!ってなって、うまっ!ってなった」
「たかっ!」
「やまっ!お、柱だ。これ結構揺れるんだよな」
「いやでも、車輪が上下に付いてるのはあんまし揺れないんじゃないか」
「おっおっおっおっ」
「おっおっおっおっ」
「揺れるじゃん」
「おかしいなあ」
H君は高所恐怖を有っているので、窓際の座席には座れず、ゴンドラ中央部のベンチに腰かけている。煙とナントカは高い所が好きの例で、私は高い位置から眼下を見下ろすのが好きで、窓に張りついて真下ばかり見ていた。
 霧は相変わらずで、序盤はそれでもうっすらと枯れた山肌も見えたのだが、高度が増していくとどんどん濃度も高くなり、ついに我等がゴンドラは全周囲を白色で包まれている世界へと突入した。眼下の木々はおろか、左右を挟んでいた山々さえも見えなくなった。視界にあるのは、ゴンドラ内の景色と、その外部のすべてを覆う白色だけ。最早、ゴンドラが進んでいるのか止まっているのか、見た目だけでは分からない。H君は恐ろしがっているが、これは私だって多少はこわい。
 頂上に着かない。そりゃ、谷川岳は名山だ。新潟の弥彦山などと比べるまでもなく、正真正銘本物の山である。だからロープウェイの規模だってきっと大きいはずなのだが、そうだから、いつまでたっても頂上に着かない。霧に視界を奪われているせいで、ケーブルの先がどうなっているのかも分からない。眼のやり場に困り、ちらと時計を見てみたりするのだが、そこで怪しからんことに気が付いてしまった。ロープウェイの往路を済ませて、さらに復路にかかる時間、加えて土合駅まで下山する時間を考慮すると、私たちが乗る列車の時間ギリギリになってしまうのである。それはつまり、土合の名物であるトンネル歩廊を少しも眼にすることなく、そこを去らねばいけないということである。私たちの旅の主目的はそこであるはずなのに、一目も叶わないとはなんとも傷ましいことではないか。俄かに不穏な空気が漂い始めた。
 真っ白な霧の中から、天神尾根の駅がボウッと姿を現した。しかし、我々は急いでいたので、駅の外も霧に覆われて何も見えないことを確認してすぐに、下りゴンドラに飛び乗り復路に臨んだ。このうちに、ロープウェイを降りてからのタイムスケジュールを組み直す。件の列車を逃すと、次は三時間後の便となる。こんな辺境でそこまで時間を潰せるわけがなく、その事態はなんとしてでも避けなくてはいけないのだ。
 リフトを降車して急いで施設を後にする。タクシーがあればよかったのだが、そんなものが山奥にあるわけがなく、とどのつまり、これはもう自力で下山するしかない。行きはよいよい帰りはこわい。意思疎通をしたわけでもなく、覚悟を決めたように、私たちは復路を走り始めたのだった。先程、ヤイヤイとはしゃいでのんびりと登ってきた山道を、今度はひたすら駆け下りていく。すれ違う乗用車や上りの路線バスから奇異の眼が注がれているようで、なんだか情けなく、赤面する思いだった。
 この日の私は、足元をレッドウイングのエンジニアかナイキ社のスニーカーかで迷っていたが、スニーカーを選んで本当によかった。重いブーツを履いての坂道ランは地獄であっただろう。それなりの傾斜である路を走っている最中「箱根駅伝の走者とはこういう気持ちかしら」と考えた。しかし彼らはこのような下り坂を、私たちとは桁違いに速いペースで、文字通り駆け下りているのだから、その凄みが体感から理解できる。
 普段、走るという行為をするのはほぼ皆無であるから、これは久しぶりに左脇腹の鈍痛案件かなと思っていたが、ペースがそれほど高くなかったためか、体力は意外と保ち、予想より早いタイムで土合の駅舎が目に入ってきた。だが、ここで儲けた時間で件のトンネルに寄れるということにはならない。ただ、次の列車に少し余裕をもって乗ることができるというだけである。
「案外、早く着いたな。すごい」
「結構走れるもんだな。列車にも間に合いそうだけど、下りホームは見れそうにない」
「でもまあ、バスもあるみたいだから」
「バス。あ、そっか。」
「駅に着いたら、まずバスの時刻を調べてみないと」
「だな。そうだ、バスがあった」
確かに土合から水上温泉までを結ぶバス路線もある。そのバスは列車の発車とずれて走るだろうから、そうなると、俄かに下りのトンネルホームも見れるような気がしてきて、胸のあたりがすっと軽くなった。
 往きに一々注目していた景色には目もくれずに、程なく土合駅に着く。下りの路を走る時は、膝に負担をかけないように気を遣うので、日常的に使わない筋肉を稼働しなければならず、駅に到著しクールダウンに歩く私の脚はバンビのそれであった。気を抜いたら何かが離れてしまいそうである。H君がバスの時間を調べると、次の水上行きバスは十三時十八分の発。ここに、下りホーム見学の猶予を賜ることができた。
 細かな雨粒が落ち、霧が湧く冷ややかな天候だというのに、一気に走り下りてきたからか、身体が火照って湯気が立つ。眼鏡はすっかり曇ってしまった。汗もダラダラと流れていて気持ちが悪い。待合で少し休憩と、実際の気温は低いというのにハイカラーネックコートとシャツを脱ぎ、インナー一枚の恰好になって、H君のポケットティッシュで顔面と上半身の汗を拭いている。そこへ下りホームの方向から、揃いのジャージの中学生らしき小集団がぞろぞろとやってきた。遠足なのかもしれないが、うら若い少年少女に、薄汚い下郎二人が息切りながら汗を拭き拭きしている光景を見せるのは忍びなかった。容易に回復はしないので、しばらく空間を共にしていると、彼らの点呼中に引率の先生や、H君のスマートホンがほぼ同時に鳴りだした。何かの警報かとワクワクしたが、何のことはなく、ただの地域の防災システムの予行演習であった。
 待合から下りのホームに向かい始める。薄暗い監獄のような廊下を抜け、ドーム屋根の長い通路に出る。そこの窓から外の様子を窺うと、駅舎の三角屋根が見えた。位置関係を考えてみると、どうやら私たちはロープウェイの往復時にこの連絡橋の下を潜っているようだった。その時はデカい建物だなあと思って見過ごしていたが、これは土合駅の一部であった。後で再びこの通路を外から観察してみたが、確かにこの通路はそのまま真っ直ぐトンネルの内部へと突入している。土合駅の規模の大きさに改めての一驚を覚える。
 先を見ると、行く手に通路がなくなっている。途切れたわけではない。下り始めているのだ。私たちはいよいよ土合名物、トンネル内の下り線ホームに至る四百六十二段の長階段に直面した。
 絶望的な光景だった。地下世界をくり抜くように伸びるトンネルの内部に、等間隔で並んだ蛍光灯に淡く照らされた階段が、決してその最果てを見せようとせず、私たちを飲み込もうと待ちかまえている。
 一段また一段と下りていく。未だに先程のランニングが堪えているのか、大腿の筋肉が何とか頑張ってこらえているというのが伝わる。下りる方向から見て右手に、ただ小石が敷かれただけの坂が平行に伸びていた。頭上から滴り落ちるのか、それとも自然と湧きあがるのかもしれないが、地下水が滲んで流れて、極小の渓流が形成されている。トンネルの側壁も天井もコンクリート剥き出しで飾りっ気はなくどこまでも無機質。それでも照明の光が当たる辺縁に沿って苔が緑々と生しているのは、生物が何世代も遡った頃から有つしぶとさからか。
 途中に、休憩用の木製ベンチが何個か置かれてある。だが、それらのお世話になることなく、意外とすんなり最下段を踏んだ。そこから見上げる四百六十二段はまた違った絶望感を来す。上と下とでは景色がだいぶ変わってくるようだ。
階段を囲むトンネルと直行するように造られたトンネルには上越線の下りホームがある。照明はあるがどこかぼんやりとしていて、ホームは薄暗く、そして冷んやりとしている。コンクリの天井や壁の至るところに配線ケーブルや銅線が何本も何本も、時には束になりながら規律正しく走っている。一昔前のSF物の秘密基地めいたその景色は、男心をこれでもかとくすぐる。
 驚いたことに、こんな地下深くの歩廊にも御不浄が設備されている。H君はどうやって処理するのかを不思議がっているが無理もない。丁度催していたこともあり、ものは試しと私自ら使用感を検証してみたが、近づくと自動で流れる洗浄水のハケるのが遅く、果たして小便もろとも溢れだしてきたので辟易してしまった。事は途中でやめざるを得なかったので、微妙な感覚が下腹部に遺る。
 トンネルの薄闇にできた駅のホームは、創作の世界にいるかのようだ。ブルーに光る新しい電灯に照らされて、とある区画は青白く映るのがその非現実の味を高める。退避用と思しき線路もあるが、いまは使われていないのかもしれない。特急が走っていた時代の遺物ということになりそうだ。現在、主に使われている線路、その両端には暗闇が待ちうけ、いかなる物の影も見えない。完全なる闇。真っ暗。今やどんなに廃れた田舎にいたとしても、誰もが寝静まった真夜中にもどこかに明かりは灯っていて、本当の暗闇を体験することはできない。しかし、その時の私は、地下に走る線路の果てに、不気味で得体の知れない真っ暗闇を見た。
 行きはよいよい帰りはこわい。階段ということであれば、やはり下りよりも上りの方が辛い。しかも、こちらの脚はバンビ同然ときているから、なおさらに困難となる。一段ずつ、えいこらえいこらと踏みしめていく。ベンチで休むこともせずに、無心で上る。階段には定期的に段数が記されている。それが三百、四百と刻まれて、ついに最上段の四百六十二段を数えた時は、達成感のような感情で胸が満ちる。例の連絡通路を戻って、あとは薄暗い廊下という際に、そこを隔てるガラス戸に「お疲れさまでした。(階段数462段) 改札出口まで後143メートル 階段2ヶ所で24段です。 がんばって下さい。」という言葉がプリントされてある。御丁寧に「がんばって下さい。」と傍点付きで、これは作者の悪意の有無に関わらず、紛れもない煽りの技法である。私たちは思わず笑ってしまったが。
 水上へのバスを迎えに、路傍にひっそり建つ待合小屋に入ると、ゴミばかりが落ちてあるようで、かつては何らかの事務所、いや、そうでなくとも人が寛げる空間があったような痕跡も見えてくる。壁には、おそらく程度の低い登山あるいはスキー客が書き残していった「○○見参!」といった実に粗末な落書きが、数えきれないほどにされている。これらは近頃の若い衆の産だろうとうんざりしながらよくよく観察してみると、「S.62」や「S.58」という年号が添えられていて愕然とした。落書きのコロニーを探すと、出てくる出てくる「S」というアルファベット。結局いつの時代も若者はヤンチャするものと知るこそ、可笑しい。そういうあたりでバスは来る。バンビの脚で乗口に掛る。


  三 水上温泉入湯記(水上廃墟案内)
 水上温泉には―子供の頃の話だが、一度だけ来たことがある。小学時代の、両親、姉、祖父母との家族旅行の話で、たしか二泊はくらいしただろうと思う。祖父母も連れだって旅行をするのは珍しいことだったが、すなわち戦時中に祖父が疎開していた寺を訪れるというのを主目的に出来上がった旅程なのである。今思えばこそ、祖父にとっては実に尊重すべき旅行なのであるが、当時小学生のお坊ちゃんだった私にはその意味の大きさも解らず、楽しみだった水族館に行けないで駄々をこねるという始末であった。それも同一の自分自身のエピソードとはいえ、そこまで過去の自分など最早別人、そしてあまりにも幼い。駄々をこねる稚さを思い出し赤面しないこともないが、自分にも年相応な可愛げもあったことに何かと胸を撫で下ろしもするのだが、そんな一個の思い出自体よりも、その旅行が自分の感性的成長に大きな影を落としているということに、今ではより一層の思いを寄せるべきである。
 して、この度、級友たるH君と上越線の土合駅を訪ねることになったわけだが、そこから駅路で二つという所に件の水上がある。私にとっては、上述の挿話から、名前を耳にするだけで当座の楽しげな思い出も甦る縁の地で、今後またとない機会の予感も兆して、時間割を組む時点で希わくは是非とも水上訪問を申し出たという顛末があったことを、まず記す。
 土合からのバスで湯檜曽を経て後、終点水上駅の停車場へと降り立った。列車よりも、バスの運賃が余計に掛かってしまうのは大いなる癪。そもそも鉄道旅行というのに、バスに乗っていることからして本末転倒の類なのだが、列車の本数が少ないという動かざる事情の前では、バスという選択にも一定の道理はある。
 水上旅行の記憶は複数の断片に分けて有っていた。しかし、あまりにも細かく分割してしまったため、今までにその断片の大半を失くしてしまっている。だから、かつてのことはよく憶えていないのだが、初回は自動車で訪ねていることもあり、少なくとも、水上駅をこの眼に映すのは初めてということは分かった。いつかのうちに改修されているようで、事実新しいが、微妙に大きな地方の駅と似通った改装がされ、ごくごく平凡で無個性な姿形をしているのが却って印象的にさえなる。無個性の個性。無意識の意識。
 駅の正面に細い車道が一筋真っ直ぐし、それを挟んで食堂土産屋の立ち並んでいるのが水上駅前の風景。一路に沿って細身やチビデブの建々物々が狭っこく軒を連ねる内に、何となく一昔の映画セットのような不自然さを見つけ、どことなくハリボテの観をも感じる。
 腹が減った。先に坂を走り下りた肉体的な疲れに諸々の気疲れも加わって、改めて胃臓の実在を思い知るほどに、さっきから空腹が身に沁みている。筋肉を使った後だとしたら、やはり動物的な蛋白質を摂りたくなるというのが、二人の共通の認識だったが、H君の顔に店を決める気配のなく、かつ何を思ってかH君が「あまり迷ってる時間はないぞ」という言葉にも追い込まれてなお考え及ばず、のぼりの文字にも誘われ、いよいよ適当なそば屋ののれんをくぐってしまった。こんにちは。ええと。二階、空いてますか。はい。お二階へどうぞ。
 そして、「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」とは、更年をとうに果たした女性店員のお迎えだが、いずれの座敷にも座椅子や座布団の用意なく、凡そ私が想定していたもてなしと違っている。結局は隅に積まれた座椅子座布団を自ら設置してみる。雨に濡れた長ズボンの裾が肌に張りついて寒い。暖房をつけてくれればいい。
 そば自体にそれほど期待はせず、こだわりなく山菜そばの温かいものを頼む。H君が何を注文したかは忘れた。互いに、事あるごとにスマートホンに手垢を擦りつける習性はなく、注文を済ませてからもお品書きを眺めている。メニュウに(どれもうどんに変更できます)と書いてあるのを見て、例えば、山菜そばを、
「うどんそば」
などと肝腎な単語を変更しないで、そうじゃない単語ばかり変更して遊んでいる。一品料理の項に移れば、
「それじゃあ、鯉のうどん」
とくるし、飲み物に至っては、
「うどん酒」
「ノンうどんビール」
「いや、そもそもビールにうどん入ってねえから!」
とひたすら揚げ足を取り続けて、勝手に面白がっている。やはり疲れが祟っているようで、いつまでも笑いが込み上げてくるが、他の客もいる手前、あまり大きな声を出すのはこらえて、背を丸めて顎を噛み、口唇の隙間から息を漏らすように笑って、却って厭らしい感じだ。
 そばは思った通り。
 そばを食べてだいぶよくなったが、基本、雨に濡れ、汗も乾いた身体は冷える。そして、ここは温泉地。ならば一ッ風呂浴びなければ全くお話にならない。駅構内ではなくて、通り沿いにひっそりとしている観光案内に教えを乞いて、日帰り入浴を取り扱う旅館を一、二、三軒と数える。
 空中に漂っていた霧状の雨は、落下して地を潤すくらいに大きく強き粒となっており、傘を差さないと流石に煩い。温泉街方向へ歩いていくが、目星の一軒目が思っていたよりも小さく古かったので無かったことにした。道すがらに望む利根川の流れは厳しくてどこか男川の風情さえある。道から川の沿いの沿いまで下りて行ける歩道を見つけ、復りに歩いてみようというのがH君の云い分である。そこから彼岸まで掛かる吊り橋があり、なかなかの趣と思っていたらすでに崩れかけており、足場の板もほとんど落ち、どうにも格好のつかない姿になっていたのが、哀しく、またやはり可笑しくもあり、二人でせせら笑う。
 利根川の上を大きな橋で渡る時、いよいよ水上の温泉街に出合うが、ホテルその他の建物すべてが時代を隔てる古さで、漏れなく下へ下へと垂れている薄汚れがこびり付いている。ここで何を思ったかを言葉にして伝えるのは決して容易ではない。寂寥。敗北。堕落。絶望。死。後ろ向きの暗い言葉ばかりが浮かんでくるわけで、茶化すこともうまくできない。H君も「やばい」などと言葉ばかりは現代ドキの口だが、わずかに狼狽えの色が混じっている。私も一応、答えはするが、ひとりぼっちで対面していたら、確実に閉口して、愕然と立ち尽くしていたことだろう。
 ロゴからして昭和の産、今もやっているんだか潰れているんだか判らない某ホテルの名前に少し憶えがあった。母親の口から、この名を耳にしたことがあるような、ないような。次いで、それと対するような立地にある、橋の袂のホテルに注視を運ぶ。一目で分かる、廃ホテル。そしてそのホテルの名前が、どうしようもなく胸に引っかかる。こんなホテルなど憶えていない。だが、よく知っているような、一度出合ったことがあるような、奇妙な胸騒ぎが湧いてきだした。おい、おい。頼むからやめてくれよ。
 母親に連絡をしてみる。水上で泊まったホテルって何て云うんだっけ。Sホテル。ビンゴ。
 そういえば、この橋にも見憶えがあって、ここで並んで撮った集合写真があった。欄干からは利根川の厳しい流れを見下ろせる。これを湯原橋と云う。
 廃ホテルに入る機会は、全うに暮らしていれば、一般には皆無である。廃墟には、時々、業者や役所が管理をしているようなところもあるが、この、Sホテル跡には、人の手が加えられているような気配は、少なくとも見た目にはない。玄関に入ると、ウエルカムマットが無造作にめくれ、辺りは塵芥のうすく積り、ゴミや靴ベラ等の備品も散り散りの無残な光景。温泉旅館の(歓迎 ○○様)(歓迎 ××御一行)という黒板だけ綺麗そのままに遺るのも、薄気味悪く、なおさら哀しい。ロビーは見る影なし。壁には大きな穴ぼこ、天井は腐って抜け、隠れていた配線類が垂れるどころか、雨漏り水がドルドルと流れ落ち、それがそこらに積もった土砂を浸すものだから、どことなく汚い。そしてやはり恐くて、さらに奥地に侵入する気持ちにはなれず、足の奴だって前には進もうとしない。かつての帳場は型だけが残り、ホテルとしての一切の面影は消え去った。この廃屋が、私が幼い頃に家族と泊まったホテルだという。いきなり告知されるのは、あまりにも非道いが、子供の自分と、現在の自分がまるで違っていることも、案外これと似たようなものかも知れない。
 しばらく歩く水上の温泉街も、だいぶ悲惨なもので、日曜の恩恵もまともに受けず、観光客の姿はおろか、地域住民の影さえない。凡そ有機的な代謝が行われているようにはとんと見えず、灰色の空の下にあれば、「死の街」の連想をも呼び起こせずにいられない。きっと私も一度は歩いた街路と思うが、そのあたりの記憶がすっぽりと抜けているので、街並みは割合新鮮に映る。
 子供の頃、とは云え、私は平成の時代に生まれ落ちたので、つまりは平成からの話であるが、そこからさらに年号の数が増えた現在に見るその街は、明らかに平成よりも前の時代から停止しているかのよう。美容院のタイル貼りの柱や、昔気質の居酒屋など、それ自体、一種の感興だからこれでいい。だが、この先のことを考えれば、停止どころか、いずれは打ち切りの控えているようで、決して楽しいだけではない。
 角に遊技場の閉じているのがあり、一層哀しい気持ちに堕ちる。というのも、例の旅行で、温泉街に纏わる憶えというのが、遊技場でスマートボールや射的で遊んだというくらいしかなかったために。今、目の前で潰れている店が、記憶の店かは知らんが、遊び場が廃れた景色というのは、縁の有無に関わらず、ただただ哀しいもの。真っ暗な店内に、何かしらの景品だったか、とても大きなテディベアが日に褪せたように座っているのが不気味で、皮膚が毛羽立つような小戦慄を覚える。中途に、温泉郷の地図がプリントされた馬鹿にでかいシートが張られているが、あまりにも縮尺が大きすぎて、まさに今温泉街を歩いている向きには全く参考にならないが、これがどんな意味をもたらしているのかを調べてみれば、やはり地図そのものとしてではなく、そのシートを張っている建物―これが廃墟であり、それを隠そうという姑息的な手段であるようだ。廃屋をどうするかという根本、かつ第一の問題に目を向けず、まさに臭いものには蓋をのやり口でずっと放っておく―シートの絵柄のレトロさから、これはかなりの昔からやられているように思える―行政のセンスには首を傾げるしかない。この街は、本当に生きているのか知ら。
 さっきから寒々としっぱなしなので、いい加減、湯に浸かって帰りたい。観光案内で教わったホテルを見つけて寄ってみれば、
「こんにちは。ええ。日帰り入浴を、利用したいんですけれど」
「申し訳ございません。日帰り入浴は午後二時からになります」
ときたから参った。確かに、旅館、ホテルは午前に清掃を済ませて、午後から日帰り入浴を提供することが多い。しかし、悠長にその時間を待てば、今度は戻りの列車に乗り遅れる。
 こういう時間関係も、観光案内所で説明をするべきであろう。事前の詳細な説明とは、まるで医療者にのみ求められている案件のように錯覚していたが、本来は、どんな職業人にも普及しなくてはいけない自覚であろう。行政の人間は特にそうである。
 私たちが口々に、参った、参ったと云うのを見かねてか、ホテルの人が、ここから近くにある温泉施設を紹介してくれた。そこならどんな時間でもやっているだろうと。この温泉施設のことは、案内所では少しも聞かされなかった。
 とはいえ、せっかくの機会に、ただの温泉施設で済ませるのもどこか癪で、道すがらで見つけた、(日帰り入浴)の看板を立てたホテル―これも案内所では触れられなかった―から訪ねてみると、やはりここも午後二時からの開始。これでもう切れるカードも残っておらず、その温泉施設に足を運ぶ。ここまでの展開で温泉街を何度も行ったり来たりしている。というのに、途中にある、面白い名前の喫茶店は何度見ても笑い合える。
 温泉施設ということから、やはり規模は小さくて、もはや単なる銭湯などと見まがうほど。真に温泉?などと云う割に、使用料は中々結構なもので、タオルの分も別に回収する。学生の常套、別々に会計を申し出、それはいいことになったが、まず私が料金を納めると、受付のお母さんは、立て続けにH君にも催促をしだした。別段、断る謂れもないため、H君は素直に金子を渡すのだが、お母さんは何を思ったか、或いは何も思っていなかったのか、私が渡した分とH君の分を躊躇なしに一緒くたにして、それで「一緒になって、分かんなくなっちゃった」などと笑っている。全く、とんでもない手品を見せられた。後ろに控えていた老年の女性が解決しようとしゃしゃり出てきたが、あなたはいくら出したんですか、となぜか尋問をするようにこちらに問う。ぶん殴ってやろうと思った。
 浴場はとても小さいなんてもんじゃない。真に温泉?思っていたのとは、だいぶ格好が違ってくるが、しかし、雨、霧、街並み、人に冷たくなった身体に、風呂は等しく沁みる。髪を濡らさないように、気をつけて湯に浸かる。時々、お湯が注ぎ込まれなくなるこそ、訝しき。列車のことも気がかりで、それほど長湯はせずに上がる。脱衣所で、旅行者らしき男性と話をしたが、谷川岳が云々新潟が云々という取りとめのないやり取りだったので、憶えなかった。
 血の気の失せた温泉街を、駅に歩く。私が楽しい思い出として、ずっと大切に追いかけていた水上は、この程度のものだったのか。寂しいような、儚いような色々の感傷が頭の中を入り混じって回ってうまく考えがまとまらない。それもそうだなと、一つ息をついても、依然ショックは止まず、持参の傘を駅に置いて忘れるところであった。十三時四十二分、上越線長岡行の列車が滑りだした。
 接続の不便から、長岡で待たなくてはいけない。H君は肉を食べたいと云いだし、そういえば私もそうだったので、駅ビルのフライドチキンのチェーン店にて栄養を補給するのである。私はファストフードを自分では買わないので、帰省の折に家族が買ってきたのを食べさせられるのを抜きにすると、この店頭で買い食いするのは、最早数年ぶりの出来事。大したこだわりもないので、一般的なチキンのセットを求める。H君は、気になっていたらしい限定のハンバーガーを食べていたが、何だか渋い顔をしている。この店のフライドチキンは油っこく、いつもは箸で食べるところを、出先なので手で食べるしかない。付随の紙ナプキンを二枚重ねて揚げ鳥を掴むが、これでも油が染んできて思わず閉口。紙を次々と重ねて、遂に全枚を駆使しても変わらず油は染み込んでくる。これほど不潔な食べ物はない。滲んだ油脂に指先が煌々と照っている、その光の汚さよ。

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  1. 2016/01/07(木) 19:00:00|
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弥彦線莫迦列車

  一 美少女に生まれていれば
 どうやら私は、人と話さないと駄目な人間だったらしい。
今まではひたすら講義の毎日だったし、今年の夏までは臨床実習などもあったから、一日一回は人と会って話す機会が必ずあった。それが今回の卒業試験が始まってみると、そもそも登校するのは週に二日だけと、一気に少なくなった。試験は午後からなので、それまでは校内の一室でクラスメイトと復習等をする習慣になっているが、ここでついに人と言葉を交わすことになる。
 卒業試験が始まってそれなりの日々が過ぎた頃に、自分の変化に気がついたのだが、それは試験日から次の試験日までのわずかな数日のこと。級友との勉強会などもせず、人と会う予定も滅多にない私が、ゴミ出しや手紙の投函以外に屋外に出ることもなく、自室にこもってひたすら机に向かっているような暮らしをしているうちに、時間が過ぎるに伴って段々と自分の気持ちが明らかに落ち込んでいるのである。この時に、気持ちだけでなく身体も重くなる気がするのだが、この症状は試験日に学校でクラスメイトと会うことで、たちまちに晴れるのである。これが試験から次の試験までの一つのサイクルとして廻っているようであった。
 自身の体調の変化から、冒頭に述べたような気づきに至ったのだが、未だに自分の内に、案外と可愛い性質が残っているということにまず驚いた。自分がこの性格だけをそのままにして、美少女に生まれていれば異性から相当モテるに違いないと思う。それもその筈で、美少女であれば性格はどうあれ異性からモテるに決まっているのである。
 さて、暦の上ではまだ秋だと思いたかったが、気候的に冬が訪れたことを肌寒さで実感して冬服を用意したというその頃に、とある祝日がポンと挿入され、それによって週に二日の試験日が一つなくなることになった。これはつまり試験日から次の試験日までの間が長くなることを意味するが、私にとってこれはあまり良いことではない。連休のようなかたちになるのでこぞって遊びに繰り出す向きもいるだろうが、大した用事もない私は、日々の買い物などをする以外にはひたすら部屋にこもりきりとなるに決まっている。実際、生活の必要性から外に出かける他には、ひたすら家にこもって机に根を張り、気づいた時に適当な食事を見繕って摂り、空いた時間には今まで何回も観たアニメの録画をただ観ていた。空の色も見るからに苦しくて、唯一の趣味である散歩に出かける気にもなれない。
 予め分かってはいたが、案の定日を追うごとに気分は落ちていった。些細なこともやけに不安に思え、何もないのに神経はどこか張り詰めたままだ。もはや気がおかしくなりそうである。
 このままではいけない。一度、この忌々しい気分を霧散させなくては、恐ろしいことになる。たまらず私は計画を変えて、合間の一日に予定を組み込むことにした。とにかく今はどこかに行きたい。そしてできれば列車に乗りたい。路線図と時刻表とを研究して、私は弥彦線に乗ろうと決めた。

  二 弥彦駅
 朝早くから出かけようと思っていたが、それほど早起きができなかったので、結局は八時五十分白山発の越後線に乗った。これは内野行なので、次の列車までだいぶ待ち時間ができてしまうが、白山駅で待っているよりも、まだ行ったことのない内野で待っていた方がまだマシと思って乗り込んだ。
 この日は平日だったが、通学・通勤ラッシュを寸でのところでかわしたようである。それでも時間の自由度の高い大学生や専門学生は沿線の各駅で見かけるのだが、それぞれに降りる学生たちの雰囲気が妙に似通っているのが面白かった。地味な学生ばかりが降りるところもあれば、程度の低そうな学生ばかりが降りるところもある。類は友を呼ぶを拡大解釈するのであれば、そういう学校はそういう学生を呼ぶということであろうか。かく云う私は、古い云い方をすれば一応新潟県の最高学府に通っていることになるが、頭髪は明るい金色で、どこから見ても軽薄そのものだから、誰ひとりとしてそうは思わないだろう。
 計画時に天気予報で調べたとおりに、この日は空一面が青で染められ雲一つない所謂日本晴れで、重くなった気分を刷新するにはいい日和に思える。只見線莫迦列車で同路線に乗った時は雨が降りつ上がりつと最後までハッキリせずにヤキモキしていたが、今度はそういう心配もない。
 私は、電車や自動車に乗って車窓を眺めて過ごすのが、昔から好きだった。家族旅行の車内でも、部活動の遠征のバスの中でも、少しも眠らずに窓に流れる風景をひたすらに追い、その景色の中に立っている自分の姿を当てはめたりしていたのである。そもそも絶景として名高い車窓景もいいが、何の変哲もない住宅街や田舎の集落の方が見ていて楽しい。物干しに掛けられた洗濯物や庭の一画の小さな畑などの、実に生活的な光景を目にして、この町に暮らしたらどうかしらなどと考えてしまい、その想像に胸がトクンと高鳴る。越後線は沿線住民の生活用の路線で、目を見張る光景は一つとして有ってはいないが、最後まで人が住んでいる場所を走っているので、窓の外を眺めていれば、私にはそれほど退屈なものではないのである。
 出発からだいたい十五分位で内野に着く。初めて降りる駅で、それほど大きくはないが意想外に新しい。ここで四十分ほど待つことになるのだが、駅舎の外に出る気はあまり湧いてこなかったので、記念スタンプを手帖に押してからは待合で本を読んで過ごす。
 九時四十七分に吉田行に乗り込み、三十分位でその吉田に到著する。ここでいよいよ弥彦線に乗り換えなのだが、平日だというのにどういうわけか、大勢の乗客が弥彦行の列車へと向かっている。平日に暇のある人種といえば、私のような学生か余生を過ごす老人たちくらいなものだが、この大勢の乗り換え客は、私以外はその老人ばかりで成り立っているのだった。いま思うと、これから向かう弥彦は神社があって簡単な登山もできる、いかにも高齢者が好きそうな観光地である。弥彦といえば紅葉も評判で、地域誌や観光案内では必ずと云っていいほどに特集され、毎年多くの旅行者を集めるのだが、この日はまさに紅葉のシーズンど真ん中に当たっている。これは後から知ったのだが、恒例の菊まつりがつい先日に始まったばかりということで、老人に限らず多くの人間を引き寄せる条件を、この時の弥彦は悉く所有していた。それは、列車も混み合うわけである。
 またそれだけでなしに、幼稚園か小学校かは分からないが、その辺りの年頃の児等も、遠足か何からしく、先生の先導でヤイヤイとはしゃぎながら並んで歩いていた。そもそも歩くのが遅いくせに無秩序に広がって歩き、周囲には気を留めず突然に予測できない動きをする老人たちと、ゾロゾロと列を成して人混みの中を縫ってあるく、まだ注意力も成熟しきっていない小児たちに囲まれて、いちばん歩きにくい思いをするのは私である。私の年代よりも、子供や高齢者の挙動をこそ優先するべきだという見えざる世間の目も何かと肩身を狭くさせる。私は偏屈ではあれど決して狭量な人間ではないと思っているし、自分に実害が加わらない限り、自分より上下の世代には親切にしようという世間的な常識も有っているが、それはそうとして、自分に合った歩幅とペースで歩けないもどかしさと気持ち悪さは、思ったよりも大きなストレッサーである。
 発車を控える車両にすでに座っていた人たちも多く、それに加わるかたちで、列車の中は九割が高齢者の乗客でいっぱいになった。嗅球が受容するのは老人ホームの匂いそのものである。対面式の長椅子もそれに沿った吊革にもびっしりと人がいたため、先ほどの子供たちは、中央の空いた空間に縦に並んで立つことになってしまった。吊革や手すりなどつかまるものが何もない中で立っていれば、列車の揺れに耐えられないで、色々と危ないはずである。実際、列車がカーブなどをする度に、揺れてバランスを崩している。どう見ても危ないので、見かねて「キミたち、電車が揺れて危ないから私につかまりなさい」と申し出てみると、舌足らずな「ありがとうございます」の言葉の後に、私の腕に二人の幼女がつかまることになった。それ以外に彼女らと話すこともないので、それからはずっと黙っていたが、金髪の青年の腕に二人の幼女がつかまっている光景は、傍から見ればさぞ風変わりなものだっただろう。ロリコンと思われたらどうしよう。
 弥彦駅に着いても、当然列車内の大勢の人が一斉に降りることになるので、そう簡単に外に出ることができない。この駅は自動改札もなく、よりによってたったひとりの駅員が切符を回収しているのだから、この事態がスムーズに収束することはまずない。
 同時に降りた人々と一緒に行動するのは嫌だったので、混雑のほとぼりが冷めるまでしばらく駅でぶらぶらとしていることに決めた。弥彦駅の外観は朱色に彩られた木造りの入母構造で、おそらく彌彦神社を意識した設計だと思うが、彌彦神社はこれほど派手ではない。簡単な土産も揃える売店もあって、新潟県屈指の観光地の玄関口らしく、それなりに大きな駅である。
 私は弥彦線に乗るのが目的だったので、別にそのまま戻ってもよかったのだが、せっかくここまで来たのだし、時間もあるからそれらしい所には行くことにした。ふと駅に貼られた横断幕に目をやると、「彌彦神社御遷座百年」と書いてある。由緒はよく分からないが、いずれにせよ今年は記念すべき年であるらしかった。加えて紅葉と菊まつりもあるのだから、あれだけ混むのにも頷ける。

  三 二礼三拍手一礼
 弥彦は初めてではない。数年前に一度、家族で彌彦神社へお参りに来たことがある。だが、その際は自動車で直接的に神社を訪ねて帰ったばかりで、今度のように列車で入り、駅からの道を歩くようなことはなかった。
 とりあえず神社に行ってお参りをして戻ることに決めたが、弥彦駅から神社まではそれなりに距離がある。土地勘も全くないので少し心配だったが、駅前の周辺案内を見てみると、道程は大通りを進めば簡単だったのですぐに憶えた。
 列車や駅の混み具合そのままに、多くの観光者が路を歩いている。この外苑坂通りは駅から神社への主要な経路だが、車通りがそれなりにある。というのに、大半の旅行者諸氏は広がって歩いているうえ、仲間との会話に気を取られ周囲への注意も働かず、見るからに危なく、かつドライバーにとっては迷惑だろうと思える。
 パンダ焼きが名物の製菓店を通り過ぎて行くと、弥彦公園が左手に見えてきた。公園は目当てではなかったが、「もみじ谷」と書いた看板や、やはり多くの人で賑わっているところを見ると、もしかすると今が紅葉の盛りなのかもしれないと思って、一寸立ち寄ってみることにした。誘惑的なテキ屋の並びを横目に見て園内を往き、曰くありげなトンネルを抜けてもみじ谷に至ると、そこには黄、橙、赤、紅と、思い思いに染められた紅葉のレイヤーが幾重にも幾重にも重なり、それが視界いっぱいに広がるという想像を超えて見事な光景が創られてあった。すべての暖色が揃っているのではないかと見まがうほど、各色においても実に様々な階調があり、黄、橙、赤、紅などと一言で片付けることはできないと感ぜられた。谷底まで生い茂るもみじを橋から望んでも、多種多様な暖色が網膜に隙間なく届く。弥彦の紅葉が毎々多くの人々を呼び寄せる理由が少しだけ分かったような気がした。
 神社通りに入ると、路の両側に旅館や土産屋も多くなり、いよいよ越後一宮に至る門前町らしくなってくる。そのまま歩けば一の鳥居に着くが、この間のことを思い返してみると、あの時は車で来たために駐車場からつながる東参道から神域にお邪魔したが、本来はこの一の鳥居から参拝を始めるのが正式ではないかと思われる。あの時は一旦一の鳥居から外界に出てすぐに鳥居をくぐって、改めて境内に入ったかもしれないが、何しろ数年前のことなので、そのような仔細な部分までは憶えていない。
 木漏れ日をかすかに受ける玉の橋の神聖な様を目にし、杉並木に囲まれる参道を歩いていると、やはり神域、いくらかは神妙な気持ちも兆すが、それ以上に、境内を闊歩するその他大勢の煩わしさにやられて、旅情や風情は逐一霧散していってしまう。ところで、近頃こういった催事や観光地など、多くの人々で賑わう場面において、犬を連れている人の姿をよく見かけるようになった気がする。私は犬が好きなので、それを見ても特に何とも思わないが、しかしこれだけたくさんの人間が集まっているのだから、例えば犬を苦手とする人が何人かいても決しておかしくはない。それに、人がたくさんいるというだけでただでさえ歩きづらくなっているというのに、そこで犬を歩かせては余計に足元に注意しなければならなくなる。犬を連れて行きたくなる気持ちはなんとなく分からなくもないが、それでも多くの人々のいる場で犬を歩かせることの周囲への影響は今一度考慮するべきである。それは飼い主のエゴやファッションではいないか、愛犬家の自認があるなら、まずは感情で動かずに、確りと頭で考えてから事を進めるべきである。
 菊まつりが開催中ということで、参道の両脇には無数の菊が飾られていて、たしかにその光景は狂気の沙汰とも思えるほど圧巻と云えるが、菊はあまり好きな花ではない(蓮やアジサイが好き)ので大して関心はなく、まずは本殿を目指す。とは云っても、参拝は後回しにして、最初はロープウェイに向かおうかなと考えていた。ロープウェイの駅までシャトルバスが出ていたはずと探していけば、拝殿脇の砂利道にバスの停留所を見つけることができた。この混雑だからバスの待合も恐ろしいことになっているかと思いきや、数人の旅行者が立っているばかりで、すんなりと乗車ができた。乗り合わせたのは、中高年の集団であるが、こういう年代の、特に女性は一々見たもの聞いたものをその都度口にする傾きがあるので、そういう集団と空間を同じくすると、目を瞑っていても、彼女らの代読サービスによって周りの様子が瞼の裏に浮かんでくる。
 万葉の道という自然道をバスに運ばれて、弥彦山ロープウェイ山麓駅に到著する。早速、往復券を購入して乗車待機の列につくが、実は待つことに関してはこれからが本番であるようだった。待機列は乗り場までの上り階段の最初から最後まで続いているようで、最後尾はなんとチケット売り場の時点から始まっている。ロープウェイは十分ほどの間隔で運行するとはいえ、これほどの人数を捌くのにはだいぶ時間がかかる。その間隔で少しずつ少しずつ進みながら、最早何故自分はこのようなことをしているのか疑問さえ思い、列を抜け出て参拝して帰ろうかとも考えたが、そんなことをした方が詰まらないだろうと踏み止まっていた。そのうちに、やっとのことで乗り場に来た。この混雑だと、十中八九定員ギリギリまで詰め込むに違いないので、少しの間でも、老人に囲まれた車内で過ごさなくてはならないのは、それほどいい気分ではない。係員の云う言葉にも応じない高齢者にほとほと嫌気が差す。
 私が乗り込むであろうゴンドラが山頂から下りてきた。扉が開き、乗客が次々降りていくのを眺めていると、親しいクラスメイトが降りてきたものだから大層焦った。その級友には妻子があるので、休日の家族サービスということなのだろうが、気安い仲とはいえこういう機会に顔を合わせるのは気不味い。それに私は先日にキャラクターデザインを大幅に変えたばかりで、それもまだ公にしていない頃だったので、その段階で知人に見られても、ただ向こうを戸惑わせるだけである。彼に見つかってはいけないと、顔を伏せてやり過ごすのだった。
 案の定、多くの高齢者に混じってゴンドラに詰め込まれたが、前方の位置を確保できたので、進行方向の景色はよく見える。これで車内中央に突っ立っていなければならなかったら、それこそ地獄である。程なく、頂上を目指してロープウェイがすべり始めたが、窓から覗く周囲には、色とりどりに化粧をした落葉樹の紅葉が山の斜面に沿ってびっしりと広がっている。それらが日本晴れの日差しを受けてことさら鮮やか映えているのだった。しかし、所々に落葉しきった木々も目立ち、どうやらピークをわずかに過ぎているような気もした。
 しばらく景観を眺めていると山頂駅に着到した。待合には懐かしいゲーム機が並び、駅舎を出てすぐには射的の遊び場がある。このデジタル時代に、未だに垢抜けない商売をしているところがやけに愛おしい。簡易遊園地が閉鎖されているのは少し物哀しいが、賑わっているよりもこういう寂しげな遊園地の方がかえって見ていて心が安らぐ。
快晴のおかげで、頂から望む風景も一層眩しくなる。彼方の日本海を高い山の上から見下ろすというのは少し変わった趣向だが、広々とした景色が広がり、その視界の中にぽつんと立っていると鬱憤も晴れて快い気持ちになっていく。気分転換はこうでなくちゃいけない。
 時間帯としてはお昼時で、昼食は門前町のどこかのお店でなどと考えていたが、それも面倒に思えて、頂上の展望レストランで済ませていくことにした。天気もいいので、この景色を長く楽しみたかった。レストランとは別のフードコートにはアメリカンドッグなどの私が大好きなスナック類も扱っているが、陽気に当てられて調子に乗っていたこともあり、奮発してレストランのきちんとした食事にする方針に傾いていた。
 ガラスケースに飾られたサンプルをざっと見ておき、レストランへの階段を上った。レストランとは云うが食券制で思っていたよりもカジュアルである。私は天ぷらが好きなので、天丼を頼んだ。店内もだいぶ混み合っていたが、ちょうどよく景色が見える窓際の席が空いていた。混んでいるのに、四人掛けの食卓にひとりで座るのは少し気が咎めるが、しかしそれはどうしようもないことである。天丼はサンプルよりもたくさんの野菜類が乗っていて嬉しかった。季節柄、舞茸の天ぷらがあったのがとてもよかった。私は滅多に外食をしないが、時々こうしてお店で食事をするとやっぱり楽しいものである。我が家には揚げ物を作る設備がないので、天丼のような普段食べられないものを食べると殊更にいい気分である。食べ終わってからも、しばらく窓外の景観を眺めて呆けていた。
 特に山頂でしたいことはなかったので、もう下山しても問題はなかった。これからは少しずつ戻りのことも考えていかなきゃいけなかったが、ロープウェイ駅に列車の時刻表があったので、それを参照して目星の便を見つけておいたが、そうなるとあまりのんびりとしていられないことにはたと気づいた。駅までの道のりを鑑みると、どうやらお参りは手短かにしなければならないようだった。下りのゴンドラは、それほどぎっしりというわけではない。今度は眼下の風景を見るような位置を陣取り、空の上から弥彦の町を見下ろしていた。同じ目線の高さをとんびが飛んでいる。
列車の時刻の都合から、山麓駅に下りてシャトルバスで拝殿脇に戻ってからは、迅速に事を進めなくてはならない。幸い、本殿にお参りする人はそれほどいなかったのだが、しかし、これだけ多数の人間が集まっておいて、実際に参拝する人はあまりいないというのはどういう料簡であろうか。しかし、多少急いでいたこの状況は素直に有難い。参拝をしたい人が行列を成していたら、私は参拝を諦めるつもりでいた。
 わけもなく賽銭箱の前についたが、ここ彌彦神社にはその他の社とはちょっと違った作法があることをふと思い出した。しかし、その肝腎の中みが思い出せない。たしか二礼二拍手一礼ではなく、どこかの数が違っているということは分かる。手を鳴らす数だった気もして、三拍手だったか四拍手だったかの二択には絞れたが、最後まで確実な記憶は戻らず、それだというのに賽銭を放り投げてしまってもう後に引けない私は、とりあえイチかバチか、二礼三拍手一礼だと決めてその場をやりすごそうとした。お参りを終えて拝殿を出ようとすると、私の後ろにいた壮齢の男性が徐に口を開いて、
「二礼四拍手一礼だね」
と誰に云うともなくつぶやくのが聞こえ、ハッとした私は、これは自分に向けられた言葉だとすぐ分かり、思わずその男性の方に顔を向けてしまった。先方でもやはりそのつもりだと見えて、続けて、
「お弥彦さんでは、二礼四拍手一礼っていうのが正式で」
「はあ」
「あなた今、三回手を打ったでしょ。そうじゃなくて拍手は四回ね」
「はあ」
「せっかくだし、もう一回お参りしたら」
「そうします」
 どうやら、四拍手の方が正解だったらしい。しかし、先ほどの私は拍手を三つしか打たない間違ったやり方を取ってしまった。しかも、私の拍手はとにかくいい音が鳴るので、越後の総鎮守の境内に、誤った作法を威勢よく響かせてしまったのだった。その恥ずかしさが火照っているのが自分でもよく分かる。それにその後、男性から正式な作法を習う姿は、まるで非常識な若者を演じるような気がして、何か見えない相手に負けたような情けない気持ちに陥った。男性に促されて二度目の参拝をするも、それは形式ばかりのもので、それらどうしようもなくむず痒い気分が頭の中でひたすらに渦を巻いていて、物事を考えることができず、自分が何を願うのかさえも分からなくなった。
 そもそも時間がないので、私は男性にどうもとだけ挨拶して、駅に急ぎたかったのだが、男性はまだ物足りなかったのか、
「彌彦では四拍手が作法ね」
「え、あ、はあ。それでは、どうも」
「出雲大社でも四拍手だったけど」
「そうですか。では」
「二拍手でもいいんだけど」
「へえ」
「とにかく神様は偶数なのね」
「成程」
「心意気があるのがいちばん大事だけど」
「それでは」
 長い寄り道をしなければ、電車の時刻には間に合いそうである。なので、火の玉石に立ち寄る。願いを込めて石を持ち上げた時に、軽く感じたらその願いは叶う、重く感じたら叶わないという、ありがちな曰くのある石だが、一度目は結婚できますようにという願を掛けて持ち上げたら、かなり重たかった。おやおやと思って、二度目は、明日急に死にませんようにと願って持ったらやはり重い。由緒通りならば、私は明日死ぬことになるのだが、そんな悲劇は起こらずに、こうして今も生き永らえているということからすると、火の玉石の伝説もだいぶアヤしいものになってくる。そもそもが重い石なのだろう。だから私が結婚できないということにはならない。
 神域を出てからは、周りの店などには一切目もくれずに弥彦駅に歩いていく。そのために、目星の列車には余裕をもって乗り込めた。以降は帰路を辿ることになるのだが、吉田から越後線に乗り換えればわずかに早く帰宅できるところを、私は弥彦線を乗り潰したかったので、そのまま東三条まで揺られている。弥彦線はどんなものかと思っていたが、特に言及すべきことのない生活用の路線で面白くはなかった。
 東三条でしばらく待ち、信越本線、越後線と乗り継いで最寄りの白山駅に戻った。所要のため、帰りに郵便局に寄って、高額の収入印紙を購入した。どうやらこの時期に収入印紙を求めると、局の人に立場が知られてしまうらしい。「国家試験頑張ってください!」という激励まで頂戴してきた。

  1. 2016/01/06(水) 19:00:00|
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山形鈍行旅日記

  一、山寺
 なし崩し的に購入してしまった青春18きっぷを、とにかく休暇中に使い切りたかったのだ。あらかじめ決まっていた予定で二回分を使ったので、残るは三回。最初の二回で十分に元は取れているのだが、18kipperとしては使い切らなければどうにも腹のこなれが悪い。
 これといって行きたい所はなかったのだが、帰省中の田舎から日帰りで(宿泊するだけのお金はない)行けてそれなりに趣のある所を考えると、第一に山形行きのアイデアが浮かんできた。「山形」と一口に言っても色々あるが、ここでは山寺と山形市の観光を考えた。山寺は大学に入ってから一度家族と訪れたことがあるのだが、その日はあいにくの天気で十分に堪能できなかった観があるし、ああいう頓狂なスポットはひとりで行ってみたくなってしまうものである。仙山線にも興味があるしな。そして山形市といえば、先の銀山温泉旅行の帰りに文翔館に立ち寄って感動を覚えたばかりであるが、よくよく調べてみると、市内にはこの文翔館の他にも見応えのある建築が二、三あるみたいだったので、これはもう一度足を運ぶ必要があるなと考えていたのだ。山寺と山形間の距離はそれほどではない、というかものすごく近いので、一日で二か所を観て回るのは容易そうである。実際、時刻表を参照してみると、朝が早い以外は無理のない時間計画になった。行く目的もあるし、計画もバッチリ。ここに、私の山形鈍行旅行が決定した。
 旅の始まりは、いつもの湯沢駅。私の故郷・羽後町には電車が通じていないので、隣の湯沢市の駅までは、家族に車で送ってもらうことになるが、こんな朝早くに、いわば私の道楽に付き合わせてしまうのは実に後ろめたく思う。この時間だと、外はうっすらと白いもやがかかっている。これは後で晴天となる徴候だ。この白いもやのなか、森の中を駆ける奥羽本線に揺られていると、『いまオレ、18きっぷのポスターに採用されそうな景色の中にいるんだろうな。』などと、取るに足らない気取ったことを考えてしまう。
 終着の新庄駅は、奥羽本線、陸羽東線、陸羽西線そして山形新幹線の起点となっていて、ホームが平面的に広くて面白い駅だと思う。ここで数十分の待機であるが、特にすることもないので辺りをぶらぶらしていると、衝撃の告知が目に飛び込んできた。なんと、山形新幹線新庄―山形間の車内販売および新庄駅ホームでの駅弁販売が中止されてしまったのだ!(ガーン!)新幹線はあまり利用しないのでいいとして、私が鈍行で帰省するときには毎回といっていいほど、この駅で名駅弁・「牛肉どまん中」を買って食べることをささやかな楽しみにしていたので、この販売がなくなってしまったのは、実に手痛い打撃である。
 まずは早い時間から訪問することができる山寺を目指す予定でいた。新庄から山形方面の列車に載り、普通にキジが歩いているのどかな風景を眺めながら幾時間、仙山線の乗り換え駅である羽前千歳に降りる。羽前千歳は驚くほど周りに何もない駅である。そこから待つこと数十分、仙台方面に向かう列車に乗り込み、十分ほどで山寺駅に到着である。駅のホームから山寺こと立石寺の五大堂を認めることができるが、下から見上げるとそれが本当に山の高くに建てられていることが分かって、今からそこまで自力で上ることを考えると、少し信じられないような気がする。
 山寺駅は仙山線というローカル線の駅でありながら、観光客が多く訪れるためなのか、各種ICカードも使えるし、お手洗いも清潔で、思ったよりも新しめの駅である。周囲の素朴な街並みに合わせてか、駅舎は木の風合いが生かされた外観になっている。立石寺は駅から歩いて十分ほどだが、そこまでの道のりには、時代に取り残されたような古き良き旅館や土産屋が立ち並び、とても牧歌的で好感がもてる。生活を豊かにし、心を乏しくする技術が次々と開発・定着する中、そんな世間の風潮に見向きもしないかのように、どこか侘しさを残して垢抜けないものが、私は好きなのだ。朱色の山寺宝珠橋から見る立谷川の流れや仙山線の鉄橋も、私の日本人の遺伝子にやさしく訴えかけるものがある。
 「山寺」こと、宝珠山立石寺は天台宗の古刹。この地を訪れた俳聖・松尾芭蕉が「おくのほそ道」に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という名句を詠んだことであまりにも有名である。参道には句碑や、芭蕉翁と弟子の曾良像が立っている。芭蕉翁の一息つきながらも、次なる旅の行き先を見つめているような表情が実に味わい深い。
 寺内に入ると、まずは根本中堂がでんと聳えている。木造の大きな本堂は重要文化財に指定されている。軒下に安置されているのは布袋様の坐像であり、これを撫でながら願いを唱えると叶うらしい。こういうときには必ずと言っていいほど、不躾に頭や顔面を撫で回してしまう。願うのはもちろん登山の無事である。あとは健康と、金運と、国家試験の合格と・・・・、
 朝食を早く摂ったため、十時の段階で少しお腹が空いてしまったので、登山口前の休憩所の名物・玉こんにゃくで腹ごしらえをする。これにて登山の準備は万端だ。空からは日が差し込み始めてきた。いざ、意気揚々と山道に繰り出す。
 数日前の降雨と日当たりの悪さゆえか、石段はほんの少し湿っている。おそらく芭蕉が訪れたのは蝉の声が耳につく季節だったろうが、私の場合だと、蝉はまだ土の中で来るべき日に備えているので、あの騒々しい声はもちろん聞こえることはない。蝉の声の他に何か、岩にしみ入るような音は少しもせずに、山の中はとても静かである。「森閑」とはこういうことを言うのだろう。平日の午前ということもあって、他の参拝客が極端に少ないのも静寂を保つ一助になっていただろう。耳に入ってくるものといったら、野鳥のさえずりと、自らが石段を上がっていく足音、そして確実に体力が落ちている証拠であるぜえぜえ声くらいである。千十五段の石段を上っていくのはとても辛いものだが、この登山は修行の一種であるため、辛いのは当然なのだ。姥堂(安置されている鬼婆の像が怖い)を境にして下は地獄、上は極楽として、石段を一歩また一歩と踏みしめて上っていくことで、心の穢れを落として正しい人間となるという趣向なのである。やっぱりこういうのは、ひとりで黙々と臨む方がいい。
 木々がうっそうと生い茂る山の中、苔生した奇岩や無数の小さな祠を横切りつつ石段を上っていく。こんな頓狂なことをさせる仏閣は他には見当たらない。巨大な岩壁に岩塔婆が刻まれた彌陀洞(全体として阿弥陀如来の姿に見えるらしい。邪心の持ち主には見えないので私は見れなかった)や、信者の御骨を収めた無数の洞穴(正式名は分からない)など、「死後の魂は山寺に還る」というこの地方独特の信仰風景の一端も垣間見える。山道の途中から、無心になって上っていった(成程、たしかに修行っぽい)が、やっとのことで仁王門が見えてきたときの嬉しさったらない。実は仁王門は決してゴールということではなく、そこから奥の院まではまだまだ階段を上らなきゃいけない。ある意味では仁王門からの追い込みがいちばんタフだったかもしれない。
 頂上はとても日差しが強く、紫外線に弱い私には日焼けが心配であった。空が近くにあるように思え、天空に上ってきたかのような錯覚さえ覚える。成程、たしかにここは極楽なのかもしれない。この山の傾斜に沿うようにして観明院、性相院、金乗院、中性院が建っている。山頂部の最深にあるのが奥の院と大仏殿である。雪対策でかこいがされていたため、奥の院には参拝することができなかった。横道に入るようにして至るのは華厳院である。ここから向かって右側の岩屋には、国の重要文化財である三重塔がある。岩屋にすっぽりと入ってしまうくらいだから、これは日本全国で最も小さい三重塔で、見どころの一つには違いながら、何ともトホホなスケールの小ささである。
 山寺参拝のハイライトは、あえて最後にとっておいた五大堂である。五大堂とは宝珠山を守護する五大明王が安置された道場だ。納骨堂に参拝をして、その横から出る脇道を進み、幅の狭い石段を上るとそこは五大堂の舞台である。そこからの眺望は実に爽快。さきほど降り立った山寺駅や宝珠橋も見えるが、その小ささを見るに、現地点の標高の高さを実感させられ、ここまでえいこらと山登りをしてきた達成感に包まれていく。
 どうやらもともとの計画より一本早い電車に乗れるみたいである。今度は山道の下りである。ペースは上りよりも早いが、実は下りの方が足腰が被る疲労が大きいように思える。ふもとの土産屋でさくらんぼソフトクリイムを求め、宝珠橋で立谷川を眺めながら食べる。山寺での山行を経て、そしてこの純朴な町並みの中で過ごした時間で、少しは自分の精神の穢れも落ちたであろうか。脚はバンビ寸前であるが、気持ちはことの他晴れ晴れとしているのが分かる。ここに来てよかった。素直にそう思えるのだ。
 ホームに列車がやって来た。車窓から山寺に別れを告げて、一路山形へと走る。


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  二、山形
 山寺から山形までは、電車でわずか二駅の距離しかない。山寺は、秘境のような顔をしておいて、実際は市街地と近くてアクセスは悪くないのである。この、立石寺での修行が思ったよりも早くに終わり、当初計画していた列車の一つ前に乗車したために、予定より一時間早く山形市に到着した。時間に余裕ができるのは、実にいいことである。時間に気を病まねばならぬ鉄道旅行における、ちょっとした“重荷”がほどけていく。
 山形駅に降りた。まずは、いつものように観光案内所で色々な情報を仕入れてみると、どうやらこの日、というかこの曜日には、市内の多くの施設は休館しているようだった。少し興味があったところも休みだったので、見た目には見せないものの、胸の中で大きくうなだれた。だが、今回のメインとなる名所は開いているようで、幸いに、最悪の事態にはならなかった。まあ、行けないところがある、ということは、行ける場所も絞られていくというわけで、旅のプランを組み立てるのがかなり簡単になる。状況がシンプルになるのは、決して悪いことではない。
 少し時間は早いが、そもそもこの日の朝もかなり早くて、腹の奴が嘶いていたので、まずは栄養補給に、先日の銀山温泉旅行の際にも立ち寄った、駅ビルの食堂で鳥竜田揚げ定食を食べた。ご当地らしく芋煮など食べてみようかと思ったが、一度冷静に考え直してみると、自分の中に、芋煮をどうしても食べたい気持ちが少しもないことに気がつき、素直に食べたいものを頼むことにしたのだ。おそらく私は、毎回こういう思索をして、これからもずっと芋煮を食べることはないんじゃなかろうか。栄養状態も万端に、いざ山形観光に繰り出す。
 これまでちっとも知らなかったが、山形市内には、街中を循環するバスが走っているみたいである。およそ二年前に、とあるバンドのライブのために山形市を訪れたことがあるが、ひょっとして、この時にはすでにあったのだろうか。それにしても、運賃百円というのは、いい。これに乗って窓から街の様子を見てみるが、山形は、思ったよりも都会的に発展しているのだな。都会のコピー&ペーストである観は否めないが、七日町のあたりは、結構独自に進歩しているように思えた。そこにはたくさんの人が歩いていて、また、街のつくりが予想外に洗練されていて、なんだか楽しそうだったので、ここで降りてしまった。とはいえ、本当に降りるつもりだったバス停はここの一つ次なので、それくらいは余分に歩いても平気である。
 七日町は、おそらく当地でいちばん賑わう地区なんじゃないかしらん。色々のお店がひしめいている上に、街並みはさっぱりと清潔なのである。特に気になるところはないのだが、歩いているだけで、その通りの賑々しい熱にあてられ、なんだか楽しくなってくる。七日町御殿堰というものがある。これは、当時の山形城のお堀を満たすために馬見ヶ崎川から引いた「山形五堰」のうちの一つである。見た目にはか細い水路であるが、周りに柳など植えられて、いかにも涼しげである。人々が立ち止まることのない繁華街に、こういう一息つけるエアポケットがあるのは、とても好い感じだ。流れに沿って、和風雑貨などを扱うモダンな店があるが、そこではカフェーのようなコーナーもあって、抹茶スイーツなど、頂けるらしい。ゴクリ。また、近くの通りには、これまたファンシーなクレープ屋さんが店を出している。ゴクリ・・・・。物凄く食べたかったが、先ほどに昼食を摂ったばかりなので、泣く泣く我慢して、目的地へ歩き始めた。こういう甘味は、駅に戻ってからゆっくり食べようじゃないか。
 通りを歩いていくと、向こう正面に山形市のシンボル・山形市郷土館「文翔館」が見えてきた。遠くから認めても、全く見事な建築である。実は私は、先の銀山温泉の復路に山形市に寄り、この文翔館を見物していた。現代に残る明治建築の威厳と格式に感激した記憶があるが、それはまだありありと、新鮮なまま心に残っている。あの日の山形市はとてつもない雪だったが、今回は対照的に青空が広がっていて爽快である。また、前回は連れがいたが、この日は気軽なひとり旅。気になるところは思いっきり時間をかけて観察ができる。やっぱりこういうところはひとりで訪れるに限るよ。
文翔館の手前の広場は、ベンチが置かれたり芝生が植えられたりして、ちょっとした公園のようになっていて、昼休憩の公務員や、散歩の子供連れが思い思いに憩いの時を過ごしている。地域のシンボルといえば、各地のお城とその周りの公園が思い浮かぶが、こういう歴史的な建造物がシンボル、かつ市民の憩いの場となるのも、中々いいものである。何にせよ、街の歴史を物語る建築は、保存するように努めるのが一等である。「温故知新」とは、まさしくその通りで、住民の魂の拠りどころとなってきた古いものや歴史を蔑ろにして次々と潰してきた街(どことは言わないが)は、これ以上の進歩なく、零落していくのが当然である。品格のない街に、果たして人が集まってくるだろうか。
 「文翔館」こと山形市郷土館は、「旧県庁舎および県会議事堂」というのが正式である。明治の時代に建設されたが、山形市北大火で両棟とも焼けてしまい、その後、大正になって復興が計画されて完成したのが、現在の旧庁舎と議事堂である。国指定重要文化財に選ばれたことを受けて、昭和から平成にかけて行われた復元工事により、今はさらに当時の姿に近づいているのだそうだ。私は明治~昭和初期の洋風建築が好きなのだが、それはどちらかというと邸宅の方に顕著で、果たして庁舎のような政治的な施設はどうなのかが気がかりであったが、なかなかどうして、その豪勢な意匠には大きな感動が湧いてくる。
 旧庁舎は、三階建てのレンガ造りで、外壁には石貼りが用いられている。この白亜の外観の綺麗なこと!威厳や風格から出る迫力もありつつ、軽やかで瀟洒な一面も垣間見せるという、実に絶妙な設計である。決して大袈裟でなく、ずっと見ていても飽きない外観なのだ。議事堂の方は、カントリーな赤レンガ造りで、小ぢんまりとかわいらしい印象。
 館内に入り、中央階段室、正庁、知事室などと順々に巡っていけば、復元工事により忠実に再現された、在りし日の豪華絢爛な姿を目の当たりにでき、思わず息を飲む。ステンドグラスや天井の漆喰花飾りなど、当時そのままの装飾が多く遺されていて、見応えは十二分にある。前回は大雪のために入れなかったバルコニーに出ることができた。赤と黄色のタイルが市松模様に敷き詰められたバルコニーから、正面広場を見下ろす。春の陽気に時おり風が吹いて、何とも言えぬ心地よさであった。また、廊下の窓から見える中庭もいい雰囲気を有っている。旧県庁は外壁こそ白亜の石壁であるが、中庭側の壁は赤いレンガ造りなのである。そして白い石畳が敷かれているところは、日本とは思えず、ヨーロッパを連想させる景観になっている。渡り廊下から旧県会議事堂に向かう。先日は、何かの楽団が練習に使っていて立ち入ることができなかった議事堂に入る。照明が落とされて薄暗い議場ホールに入った瞬間に、異質な静寂が襲ってきて鳥肌が立つ。議場はかまぼこ型の天井に、柱が何本も並んでいる構造。もちろんこれも当時のように復元されたものである。当時から講演会や演奏会にも使用されていており、現在もそのような役割を有っているみたいである。大方の見学を終え、内設の喫茶室にて休憩をしていくことにした。さくらんぼのケーキとチーズケーキを注文する。ケーキやドリンクメニュウだけじゃなく、軽食類も色々と扱っているみたいで、しかも思ったよりも安価であったので、ここでランチをすればよかったなと、少し残念に思った。別のテーブルで、初老の男女数人が「あの頃は、云々」という話をしていたのが気になった。
 文翔館を後にして、次なる目的地へ、徒歩で向かう。最上義光記念館、山形美術館を通り過ぎて、山形城跡二ノ丸東大手門から霞城公園に入る。東大手門前の橋の下には、奥羽本線と仙山線の線路が走っていて、電車がよく見える。山寺から山形への電車に乗っているときにもこの橋の下を潜った。やはり城跡に作られた公園はいいなと思う。博物館や体育館などの施設もあったりして、園内にはたくさんの住民の姿がある。子供たちが遊んでいるのもポイントが高い。
 最上義光公の像や、平成の時代に復元された本丸一文字門石垣を見て、さらに公園の奥へと進んでいくと、ついに、そこに佇むこの旅最大の目的を認めた。山形市郷土館こと旧済生館本館、山形が誇る頓狂な擬洋風建築である。旧済生館は、明治十一年に落成の山形県立病院で、後に「済生館」という命名がされた。国の重要文化財にも指定された近代化工業遺産で、長野・松本の開智学校と並び、明治初期に日本全国に造られた擬洋風建築の最高傑作とも呼ばれているのだという。
 正面に構えるのは、この建築の特徴である三層楼である。クリィム色を基調に、青や橙、チョコレイト色を配した外観は、どこかオリエンタルな風情を醸している。シンメトリーではあるが、多角形の塔や二階のドーム型屋根、バルコニーのステンドグラスなど、色々なパーツが融合したような、奇妙奇天烈な設計になっている。これほどまでに頓狂な建築は見たことがない。
 正面玄関ではなく、その真後ろから入館する。ロビーを抜けると、再び頓狂な光景がそこにはある。言葉で説明するのは難しいのだが、三層楼の後ろに円形の中庭があり、それを取り囲むように廊下が一周しており、それに面して部屋も円形に並んでいる回廊になっているのだ。どこまでも奇妙な建築であるらしい。各部屋には当館の医学校にてドイツ医学の指導に従事していた、アルブレヒト・フォン・ローレツ氏にまつわる展示や、当時の医学教材・機材などの貴重な資料が多数収蔵されている。やはり私も堕医学生のはしくれ、当時の手術器具などは、なかなか興味深いものがあった。あの頃の手術は大変だったろうな・・・・。
 三層楼には二階まで上ることができる。一階から二階に上がる階段が、細く狭く、複雑な走り方をしている。途中で一階部や扉上のステンドグラスを見下ろすと、なんだかいいちこのコマーシャルに出てきてもおかしくなさそうな雰囲気を感じられる。三層楼の二階は、当時の山形市の様子についての資料や、済生館建築の資料がある。三階への螺旋階段が、凄まじく現実離れしているビジュアルだったが、これを上るのは危険だということで、立ち入りは禁止されている。残念なことである。
 擬洋風建築とは、日本の職人が西洋の建築を見よう見まねで造った建築のことをいう。つまりは、基本的に我が国にしかない建築様式なのである。洋風に見せようという努力も垣間見せながら、結局日本的な意匠も取り入れたりして、和洋折衷、異国情緒たっぷりに仕上がっていることが多い。旧済生館は、まさしく擬洋風建築を象徴するようで、確かにこれは最高傑作だと思った。私は洋風建築が好きでこれまでいろいろと足を運んできたが、これから擬洋風建築特化にシフトチェンジしても面白そうに思える。
 霞城公園から山形駅まで、歩いて戻った。この一日で、山形は歴史を大切にする街だということがよく分かった。風土によるものであろうか。城のある街は、みなこのような傾きがある気がする。地域の魂のシンボルとして、やはり城の存在は未だに大きいのかもしれない。奥羽本線に乗って、帰路に着く。


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  1. 2016/01/05(火) 19:00:00|
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京都・薄紅デイトリップ




  
 大阪モノレール、阪急京都線、烏丸線と乗り継いで、京都観光の玄関口、そして自身にとって丁度三年振りになる京都駅に辿りついた。相変わらず大きな駅である。ランチを摂るのによさそうな時間であったため、まずは腹ごしらえと、大階段をエスカレーターで昇り、駅ビル九階の京都拉麺小路へと向かった。この中にある徳島ラーメンのお店が好きで、この街に来るたびに(とはいえ、それほど京都を訪れる機会はないのだが・・・・)足を運んでいる。徳島ラーメンは甘じょっぱいスープと、やはり甘じょっぱい肉、そして生卵を落として食べるというのが特徴的である。幸い店は混雑しておらず、並ぶことなく食事をすることができた。私が食べ終わって店を出る頃には、店の外には待機の列ができていた。どうやら来客のピークを避けることができたようだ。
 京都市内はバスや地下鉄などの公共交通網がいたるところまで伸びており、観光して回るのに苦労はない。レンタサイクルなどもまた魅力的であるが、荷物の詰まった大きな軍用バックパックを背負いながら、チャリを漕いで回るのはどうも大変そうだったため、今回は素直に交通網のご厄介になることに決めた。見て回りたいところを挙げていくと、バスを使うと都合がよさそうだったため、市内バスの一日乗車券を購入し、早速、ターミナルから出るバスに乗り込み、第一の目的地である東寺に向かった。
 東寺道バス停で降車し、すぐ近くの交差点を横断してそのまま真っ直ぐに歩くと、東寺の東門に行きつく。東寺は世界遺産にも登録された屈指の観光地であるというのに、そこへ続く道は土産屋の類に乏しく、静かな住宅街然としている。東寺といえば、各メディアで「京都」を表現するのに必ずといっていいほど登場する五重塔が有名であるが、私のお目当ては講堂内の立体曼陀羅である。大日如来を中心に据え、五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一体の仏像で、密教浄土の世界である曼陀羅を立体的に表現しているのだ。静寂に包まれた堂内に大小様々な仏像が佇んでいるその光景は、まさしく異次元のもの。現世にいながら奥深い密教の宇宙観に身を置くような体験ができるここは、全く稀有な場所である。また、この日は京都デスティネーションキャンペーンの一環として、特別に五重塔の初層内部が公開されている。東寺の五重塔は高さが約五十五メートルで、国内最高の木造塔である。初層の内部には、大日如来に見立てた心柱を囲むように四如来と八菩薩が安置されている。現在、多少剥落しているが、極彩色の文様が描かれていたと見られ、四天柱に描かれている諸尊も加わり、当時は絢爛豪華な仏教世界が形成されていたことが偲ばれた。大師堂にも参拝に行ったが、国宝の弘法大師像は公開されておらず、少し残念に思った。また、宝物館に収蔵されている千手観音像も楽しみの一つであったが、宝物館の公開もされていなかったため、これは大いに残念に思った。ひととおりの東寺見物を終え、一旦、京都駅に戻ろうかと最寄りのバス停に向かうが、次のバスは約一時間後という、予想外の不便さであった。仕方なく近鉄東寺駅から京都駅に戻る。ちなみに、この時に曇天からぱらぱらと小雨が降ってきたが、勢いが増すことはなく、すぐに晴れ間がのぞいた。
 私の次なる目当ては三十三間堂であった。先に東寺講堂の立体曼陀羅を体験して、こうなりゃ異様な仏教的光景を見て回ろうじゃねえかという意気が湧き出したのである。そういう意気があってもなくても、元々、三十三間堂は一度は訪れてみたいところだったのだ。三十三間堂は、博物館三十三間堂前バス停で降りてすぐにある。私が思っていたよりも大勢の観光客が集まっていた。修学旅行の女学生たちもわんさかいて、彼女たちの姿を目にして、物静かな見物は叶わないだろうなという諦観が兆した。でも、大勢の女子高生に囲まれるというのは、まあ、それはそれで悪くないかな。
三十三間堂は正式には蓮華王院といい、長いお堂の正面の柱間が三十三あることから、「三十三間堂」という通称で呼ばれるようになったのだ。お堂には中央の巨像を中心に、左右五百体ずつ、総じて千一体の観音立像がまつられている。この光景の異様なことといったら!これはもはや一種の狂気である。お堂の奥の方までの雛壇に置かれた無数の千手観音立像が、左右にズラーっと並んでいて、あたかもこの景色が無限に続いているかのようだ。東寺の立体曼陀羅と異なり、数や配置に特に意味合いはなさそうで、少し俗っぽいところもあるが、それでもこの堂内に創られているのもまた、仏教的宇宙なのではないだろうか。千手観音の軍団に圧倒されて見落としてしまいがちだが、観音の前方に安置されている雷神・風神像や観音二十八部衆像は国宝であり、素人目に見ても写実的な作りがされてあって中々見応えがあった。
 再びバス停に舞い戻り、そのまま東山方向を目指す。一日目最後の目当ては建仁寺であったため、祇園で降りればいいのだが、時間が余りそうだったので、一つ前の東山安井で降車し、高台寺エリアを見て回ることにした。この辺りはねねの道をはじめ、いかにも京都らしい風情の街並みで歩くだけでも心躍り、人気を集めている。しかし、ねねの道は普通に車も走るので、カメラのファインダーに夢中でふらふらと歩いていたらとても危ないので注意されたし。
バスから降りてすぐに気づいたが、この日、やけに着物を着ている女性の姿を見かける。着物といっても、格式高い本物の着物でなく、けばけばしい柄のカジュアルな着物なのだが。カジュアルとはいえ、一応、着物姿の女性が歩く京の景色というのは、多少はそれらしい雰囲気が出て一見よさそうである。だが、ここに大きな問題がいくつかあり、それは、着物で着飾って歩いている女性がすべからく、衣装の華やかさに釣り合わないような器量の悪い仕上がりだということ、そして、髪を薬品で茶色に染め、それでいて盛り上がった品のない髪型にしているということである。嗚呼、大和撫子は遠くになりにけり・・・・。この光景を嫌というほど見せつけられた私はもう、お金は払いますからどうかやめて下さいとあちらこちらに倒拝して回りたい気持ちだった。
 閑話休題。私がこの地域を訪れて第一に足を運んだのは、観光案内にはあまり記述されていない、霊山観音であった。ここで少し私の回想タイムに付き合って下さい。
 
 私にとって、高校の部活動最後の大会が夏の京都で開かれた。残念ながら、チームは一回戦で敗退を喫し、私の部活動はフィナーレを迎えることになった。その後は試合もないので、他のチームの試合観戦などをしていたが、突然に、ほんのわずかながら京都観光(というか、“京都駅”観光)の時間ができて、私と戦友は京都タワーに上ってみることにした。煙となんとかは高い所が好き、というやつである。京都タワー頂部の展望台で、私たちはヤイヤイとはしゃいでいたが、近くでコイン式の望遠鏡を覗いていた外国人が、突然こちらの方を向き、実に楽しそうな顔で“Buddha!”とアピールしてくるではないか。仕方ないからグラスを覗かせてもらうと、たしかにそこには巨大な白亜の観音が映っている。ん~?京都に観音なんていたかあ?その時は、持ち前の運動部テンションで『イェー!ホワイトブッダ!』などと言って応じたのだが、私には、あれは一体何なのか、その真相が気になってしょうがなかった。後日、望遠鏡が向けられていた方向を考えるに、あれは高台寺そばの霊山観音だという結論に辿りついたのだ。

というわけで、霊山観音は私にとってちょっとした因縁のある場所であったのだ。これは一度は訪れなくてはいけないと思って、実は三年前に観劇旅行で京都に立ち寄った際にも足を運んでいるのであるが、すでに拝観時間が過ぎているという不覚をとってしまった。今回はそのリベンジということになる。とはいえ、霊山観音に対してその程度の思い入れしか持っていないために、内陣に参拝をしてからは、何とも気の張らない見物をしてしまった。実際に、この観音は建立してから百年も経っていないため、他と比べると貫禄や歴史の重みというものに乏しいように思える。本来、仏閣に歴史の有無による貴賎はないのかもしれないが、あの胡散臭い「願いの玉」などを見てしまうと、やはりどうも俗っぽい印象は拭うことはできなかった。
 再びねねの道に下りて(霊山観音は高台の上に建てられている)、さて、今度こそ建仁寺を目指そうかと思っていたところ、ねねの道の途中から東大路通り方向に、なんとも旅情を誘う小路が伸びているのが目についた。名を石塀小路というらしい。私はちっとも知らなかったが、これ、結構有名なんだそうだ。木塀で囲まれた料亭や住居が多く軒を並べ、石畳が敷かれた路は迷路のように入り組んでいて、どこか秘密めいている。金沢の武家屋敷通りを思わせる、何とも心地のよいタイムスリップ感を味わうことができる。路の両脇には灯篭のようなものが置かれていたが、どうやら翌日からこの小道に灯りを灯すイベントが開催されるらしい。少し興味の湧くところもあるが、このような催物があっては、きっとこの小路もたくさんの人で賑わうだろうから、すんでのところで回避ができてよかったと思う。この日は、ここを歩く人もまばらで落ち着いている。いろいろな分岐に進んだりして、何度も歩いた。
 石塀小路から下河原通に出て、そのまま東大路通を横断して、いよいよ建仁寺に向かって八坂通に歩を進める。霊山観音と同じく、建仁寺も三年前のリベンジということになる。やはり前回は拝観時間の関係で参拝をすることができなかったのだ。建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山で、京都最古の禅寺ということで名高い。私個人としては、臨済宗には何の縁(えん)も縁(ゆかり)も有たないのであるが、高校時代の修学旅行前(行き先は京都・大阪であった)に京都について調べていたときに知ってから、ここに展示されている美術品に強い興味を抱いて、それ以来、拝観を願っていたのだった。この日も夕方の微妙な時間に訪れてしまったが、まだ受付は終いになっておらず、むしろ閉門の時刻まで余裕があり、だいぶ落ち着いて拝観することができそうであった。これまで訪れた寺社仏閣のたいていは、堂内や収蔵品の撮影は厳格に禁じていたのであるが、本坊にて拝観料を納めていざ踏み入るという段に、受付の人から「写真撮影は自由」という説明を受け、とても驚いた。常設展示されているものの多くは複製品だったからだろうか。
 ここでの目当ては、私の“内なる中学二年生”が胸を焦がしそうな品々で、単純にかっこいいものばかりである。第一に対面を果たしたのは、俵屋宗達の代表作である、国宝・「風神雷神図屏風」である。そのスジに疎い人でも知っているような有名な作品である。寺内に入ってすぐの小部屋に展示がされているのは精巧なレプリカであるが、二曲一双の屏風にまんべんなく金箔が貼られていて、大層煌びやかだ。複製品とはいえ教科書に載るような有名品を実際に目にするというのは、中々に感慨の浅からぬものがある。観光客の悲しい性として、こういうものはもれなく撮影してしまうのだが、いくら自由と言えども、美術品に向けてシャッターを切るのにはいくらか罪悪感が伴う。方丈の部屋の襖には、「雲龍図」(複製)や「竹林七賢図」(複製)が描かれている。桃山時代に描かれたものの高精細なレプリカであるが、特に「雲龍図」は双龍の顔つきや墨の濃淡により、力強さや迫力が生まれ、単純にかっこよかった。そして最大の目玉である、法堂の天井画に会いに行く。方丈から法堂まではほんの少し屋外を歩くことになり、そのためにスリッパが用意されてある。方丈と法堂を結ぶ屋外通路にはゲートのようなものがそれぞれの側に一つずつ作られていて、出る時は勝手だが、入る時には自分でロックを解除しなければならないというシステムになっている。このロックの解除方法は直前にアナウンスされてあるが、実際にロックを解除するところまで進んでしまうともう参考にできる案内がなくなるので、やり方を忘れた拝観者が困惑するという場面をちらほらと見かけることになった。私は親切心で、戸惑っている様子の人に方法を教えてあげようと思ったのだが、どういうわけか、無視という、実に不当で残念極まりない扱いを受けてしまった。私は何か悪いことをしただろうか。これからは、他の旅行者には絶対に話しかけねえぞと強く決意した。肝心の法堂の天井画「双龍図」は二〇〇二年の筆で、実はかなり新しいものである。歴史は浅いが、お堂の広い天井に描かれた二匹の龍は、えも言われぬ迫力があって思わず息を飲む。堂内に残っているのは私ひとりという時間がしばらくあったが、他に誰もいない森閑とした法堂の中で、ひとりで巨大な双龍を見つめていると、不思議と身体中にエネルギーが満ちていくように感じた。普段、滅多にできない体験である。このような自分ひとりだけが取り残されたような時間こそ、ひとり旅の大きな魅力であり、目的でもある。
 この頃になると、だいぶいい時間になっていたので、ぼちぼち本日の宿舎に行っておこうと、花見小路通から四条通を河原町の方向に歩く。花見小路通はたくさんの料亭が軒を連ね、祇園の風情を醸している人気の通りだが、ねねの道のように車が走っているうえ、思ったよりも車の往来は多いので、カメラ片手に惚けているととても危ないので注意されたし。四条通にはお土産屋や甘味処が多く並んでいて思わず目移りしてしまう。南座で歌舞伎の公演が催されていて、少し心魅かれるものがあったが、残念ながらその日の公演は終わっていた。チャンスがあれば是非観たかった。途中、小雨がちらちらと降る場面もあったが、それからは早春を感じさせる清々しい天気になり、四条大橋から眺める鴨川の流れも実に清廉であった。大橋の袂に、バケツや灰皿さらにはちりとりなど、生活感のあるアイテムをパーカッションにして演奏しているパフォーマーの姿があり、面白いのでしばらく見ていた。そういえば、河原町の街角でも三味線を演奏している人を見かけたが、その度に、この街にはいろんな人がいるんだなぁとしみじみ思った。自分のやりたいことをやる、ということを受け入れる素養が、都市の発展の条件なのかもしれない。
 ちょうど、宿舎までの道の途中にあったので、前々から気になっていた河原町の喫茶店に立ち寄ることにした。昼過ぎから動きづめで疲れていたから、少し休憩したかったところもあった。阪急河原町駅からすぐ、高瀬川沿いにひっそりと佇む、喫茶店S。一九四八年創業の老舗である。私はことりっぷを愛読しているのだが、この店もその伝で知り、レトロで幻想的な店内の様子に、今度、京都を訪れたときに行ってみたいと思っていたのだ。店を外からスマートホンで撮影している若い女性のグループがいたが、彼女たちもこのお店に憧れていた人たちだったのかもしれない。店は二階建てになっているが、一階は席が埋まっていそうだったため、二階への階段を上った。二階も人お客でごった返していたらどうしようと少しは心配なところもあったが、それは杞憂に終わった。店内は小ぢんまりとしていて、図体が大きく、軍用の巨大なバックパックも背負っていた私には少し動きづらい。エメラルドグリーンのベンチとアンティーク調のテーブルや衝立が、青色の照明に控えめに照らされて、幻想的な光景が創られている。東郷青児の絵画も、この不思議な空間を演出している。人気のありそうな喫茶店だから、がやがやとしているのかなと思っていたが、静かで落ち着いていたのでとてもよかった。店員さんもかわいい(←)。私は、この店の名物・ゼリーポンチと、チーズケーキと紅茶のセットを注文した。ゼリーポンチは、ソーダ水のなかに色とりどりのゼリーを浮かべた、店と同じく幻想的なデザートだ。爽やかな甘みがあっておいしい。私は普段、飲食店で料理の撮影をするのは是としないのだが、こればかりは写真に収めておきたく思い、店員さん(かわいい)の許可をとって撮らせてもらった。嗚呼、恥ずかしい・・・・(赤面)。他にもメニュウは充実していて、何より店内の雰囲気がいいので、いつかまた京都に来た際には、是非立ち寄りたいなと思った。
 河原町は京都有数の繁華街で、様々な店があって人通りも激しい。私の今宵の宿は、四条通から藤井大丸の角を曲がった寺町通に建つ、新感覚カプセルホテルNである。このホテルは何かと話題になっていたし、何より宿泊代がかなり安いので今回の宿舎として選んだのだが、実際の徒歩のスケールで測っても寺町京極や新京極から近く、立地も物凄くいいということに改めて気づいた。ホテルNの宿泊体験談は、他の人が書いたものがネットにあった(私もそれを参考にした)ので、ここには記述しない。違うレポート(赤面)として、これとは別個に記録してもいいかもしれない。
 ホテルに荷物を置き、身軽になったところで、今度は夕食(あるいは晩酌)を求めて街を歩くことに。最初は京極とは反対の方向に寺町通を歩いてみる。この通りには、観光客にも人気というオシャレな居酒屋があるが、まずはそれを確認。昔ながらのいかにもな居酒屋があることも把握した。だいぶ奥の方まで歩いたが、古本屋が数件ある以外は目ざとい店はなく、引き返して今度は京極の繁華街へと歩く。
 寺町京極、新京極、あるいは三条名店街。高校時代の修学旅行で、夜間の自由行動の時間があったが、一緒に歩く友人がつかまらず(別に友人がいなかったというわけじゃないからな!)、結局ひとりで見て歩いた記憶が甦ってくる。今回は完全にひとりの旅行であるため、当時のようないたたまれなさや情けなさは皆無で歩くことができる。いま思えば、この辺りをゆっくり見て回ることは案外なかった。途中で、「けいおん!」の聖地にも立ち寄りつつ、夕げによさそうな店を探して、ぐるぐると歩き回る。せっかくなので、京の街でアルコオルに溺れたい欲もあったが、歩きながらじっくり考えてみると、アルコオル欲はそれほど強くないことに気づいた。それに、今回の宿舎に泊まるのは初めてで、アルコオルで判断能力が鈍ってしまうと色々と大変だろうから、アルコオルは控えめにする方針に舵を取った。そうなると、別に京都だからって特別なことしなくていいやと思うようになり、食べたいものを食べようと、なんだかんだかんだなんだでいちばん心ときめいたお好み焼きの店に落ち着いた。家族でやっているような店で、どこか垢抜けないところに好感がもてる。アジア圏の旅行者一家が店内にいたが、注文したオムそばをなぜか開いて食べていて、それを見たお店の人が苦笑いしているのが面白かった。生ビイルとお供に、二種類のお好み焼きを食べる。京都らしさはないが、好きなものが食べれて満足だった。お好み焼きを食べていると甘いものが欲しくなったので、店を出てすぐ、先ほど目星をつけていたファミリーレストランに行って、いちごパフェを食べる。カロリーの悲劇!店員さんも、夕食時に店に来たいかつい男性客がまさかいちごパフェだけを食べて帰るとは思いもしなかっただろう。パフェの注文をした後、「以上ですか!?」と意表をつかれたような確認をされた。
 結局、寺町通の人気の居酒屋にも行かずにホテルに戻った。旅先で夜更かしをしてもいいことは一つもないので、シャワーを浴びて明日の計画を立てるとすぐに眠りにつく。やはり一日中歩き回った疲れや長旅の疲労があったのだろう、寝付くのは早かった。


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 起床は午前の七時過ぎ。本当はもう少し早くに目覚めたかったが、それでも前日の疲れもあったのに、アラームなしで自然にこの時間に起きることができたのは上出来である。シャワーや着替え、荷物の整理等を手短に終わらせて、息つく間もなく宿舎をあとにする。このカプセルホテルはカプセルも広いし、その他の部門も清潔清廉。そして何よりも宿代が安価で、シャワーや寝床など最低限のものさえあれば十分の私にとっては最適のホテルだった。
 すぐさま目的地に向かってもよかったが、ホテルを出るときに何かと慌ただしくなってしまったので、朝一番だというのにいくらか気疲れして、朝食も兼ねてコーヒーショップで一息つくことにした。私にとっては気楽な春休みの一日であるが、世間の人々にとってはただの平日に過ぎない。京都市内随一の繁華街・四条河原町は、朝から通勤、通学の人でいっぱいである。サラリーマンやOL、小学生など、色々な人種が通り過ぎていくのを眺めているのは、どこか水族館の水槽を見ているときに似ている。旅先で、朝から自分の生活の遂行に励んでいる人たちを見ながらコーヒーを飲んでいると、学生の特権というものを改めて実感して、いくらか優越感に浸ってしまう。ここでのんびりしても仕方がないので、程なくして店を出た。朝の京都の空気は澄んでいる。
 この日、私が朝から行きたかった場所は、千本鳥居で高名な伏見稲荷大社である。先日の東寺に続いて、アニメ「恋物語」の聖地巡礼の意味合いも出てくるが、それがなくても、千本鳥居の、あの一度見たら忘れられないインパクトある景観を実際に目に映したいと思っていたのだ。鴨東線に乗り込み、伏見鳥居駅に降りる。そこから稲荷大社までは歩いて数分だ。こういうスポットは、早朝の方が他の人もいないだろうし、朝の空気で神妙さも増していいだろうと思っていたが、起床の時点で予定よりも遅れをとってしまったせいか、境内には思ったよりも観光客の姿が目立ってしまっている。
 伏見稲荷大社は全国に三万以上ある稲荷神社の総本宮で、鮮やかな朱塗りの本殿は大きくて豪勢だ。その裏にある稲荷山は全体が神域となっていて、それを巡る参道には信者が奉納した無数の鳥居が建てられている。特に、奥の院に続く二本の小道には鳥居がぎっしりと並べられたトンネルができていて、その景観を称して“千本鳥居”と呼ばれているのだ。初めて訪れてみて、鳥居の道が二本あったのに意表を突かれたが、鳥居をくぐってしばらく歩いてみると、まるで終わりなどないように鳥居が前後に続いている奇妙な光景が目に映ってくる。なぜか他に歩いている人がいなく、辺りが変な静寂に包まれていたこともあって、状況の奇妙さに拍車がかかる。いま思い返してみても、キレイというよりは、やはり奇妙な光景だという感想が正しい。一種の狂気すら感じる。ちなみに案内書によれば、千本はおろか、実際には約一万の鳥居があるのだという。
 先述の通り、これらの鳥居は信者によって奉納されたもので、決して徒に建てられたというものではない。鳥居の二本の脚の裏には奉納者と奉納年月日が刻まれているが、時おり、我が国に名だたる大企業の鳥居も発見する。割と最近に奉納されたものもあることが少し意外であったが、これによって、江戸時代に端を発する信仰が現代にも未だに息づいていて、それによってこの景色が創られているのだということを知ることになった。坂口安吾先生は「日本文化私観」において、「伏見稲荷の俗悪極まる赤い鳥居の一里に余るトンネルを忘れることができない。見るからに醜悪で、てんで美しくはないのだが、人の悲願と結びつくとき、まっとうに胸を打つものがあるのである。」と書いている。この景観そのものではなく、この景観が創られることになった背景、何百年もの間連綿と生き続ける人の信仰心にこそ感動を覚えるのだ。
 繰り返しになってしまうが、この稲荷山は全体が神域になっていて、千本鳥居を抜けた先の奥の院の、さらに奥の方にも鳥居に包まれた参道が伸び続けている。この先になにがあるのか、それを求める好奇心が疼いてしまうのが人間の性であり、迷いなくそのまま参道を進んでいくが、次第に道の傾きは増していき、ちょっとした登山のような格好になってくる。途中で無数の小さな祠が階段状に祀られている場所に出るが、これまた異質な風景で、ひとりでいると少し怖かった。にしても、巨大な軍用バックパックを背負っての参道(山道)とはいえ、明らかに以前よりも体力が落ちていることを強く実感せずにはいられなかった。すぐに息も切れてしまうし、足腰の持久力も落ちている。景気づけに、自分で勝手に今回の旅のテーマソングに決めている「薄紅デイトリッパー」(デイトリップじゃないのに・・・・)などを口ずさんでみるが、息も切れ切れで調子が出ない。これでは稲荷山ではなく「愛宕山」である。途中の自動販売機の値段設定が強気すぎて、これには思わず笑ってしまった。朝からやたらに疲れを重ねてもいいことはないし、参道にも終わりが見えないので、京の街を一望できるスポットに達してからは、元きた道を降りることにした。脚に疲れがきている人間にとっては、下りの行程も辛いものである。登山口に戻ったときには、私の脚はバンビであった。
 せっかくここまで来たので、今度は奈良線に乗り込んで、宇治の方にも足を運ぶことにした。宇治駅から宇治橋まで伸びる宇治橋通り商店街は、当地らしくお茶を出す店が多い。現代的なカフェーもあったりして、思ったよりも垢抜けている。宇治川にかかる宇治橋は所々の飾りに木が使われていて平安的な雰囲気のある大きな橋だ。袂には「源氏物語」の作者である紫式部の像が設置されている。宇治は「源氏物語」の「宇治十帖」の舞台ということは知っているが、当作は少しも読んだことはないので、感情移入することはできない。橋の上からは奈良線の鉄橋を眺めることができ、橋上の線路を電車が走る光景は、なかなか清々しい。平等院の表参道は、これでもかというほどお茶が推されていて抹茶の町らしさが滲み出ている。茶店も軒を並べ、「宇治抹茶ソフトクリイム」だの「宇治抹茶パフェ」だの、非常に魅力的な言葉ばかり示している。宇治抹茶パフェ、食べたい(ゴクリ)。でもまあ、これは戻りの楽しみに取っておこうか。
 駅から歩くこと十数分、宇治観光のハイライトたる世界遺産・平等院に辿りつく。平等院とは、藤原頼道が父親である道長の別荘を寺院に改められたものである。阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂は、屋根に二羽の鳳凰が翼を広げていることから、鳳凰堂という俗称で呼ばれているのだ。そしてこの鳳凰堂といえば、現在の十円玉に描かれていることで有名だ。硬貨の模様をまじまじと見つめる機会は普段はあまりないのだが、実物と対面しながら確認してみると、成程、確かに鳳凰堂が描かれている。鳳凰堂は昨年の九月に平成の大改修を終えたばかりで、建物は創建時のような朱色に、そして鳳凰は金色に輝いていて、とても鮮やかだ。このお堂は経典に描かれる極楽浄土の宮殿をモデルにしたもので、如来が鎮座する中堂と左右の翼廊、尾廊からなる珍しい建築でもある。左右対称に横に大きく伸びているのが、鳳凰が翼を広げている姿に似ていることも、このお堂が鳳凰堂と呼ばれる理由の一つになっているらしい。
 三十分ごとの案内で鳳凰堂の内部を拝観することができ、タイミングがちょうどよかったので、私も一期一会の気持ちで臨んでみる。中堂内には、巨大な阿弥陀如来像が二重天蓋の下に穏やかに佇んでいた。ご本尊を囲むように四方の壁の上方には、五十二体もの雲中供養菩薩像が配置されている(お堂内の像はレプリカである)。現在は色褪せてしまっているが、壁や扉には来迎図が描かれていて、極彩色で鮮やかであった当時を思うと、このお堂の中には一つの仏教的空間が出来上がっていたのだろうと感じられる。私は時間等の都合で断念したが、供養菩薩像の本物や来迎図が復元されたものは鳳翔館というミュージアムで閲覧することができるらしい。拝観の帰りに、表参道のお店で抹茶パフェをいただいた。バニラアイス、生クリイム、小倉、白玉の甘みと、抹茶アイス、抹茶粉のほどよい苦みの組み合わせがとてもおいしかった。この日はこれを昼食代わりとする。
 再び京都駅に戻ってきた。今回の旅で観に行きたいところは大体回ったが、帰りの列車まで時間もあるし、京都で一、二を争う人気エリアである嵐山に向かうことにした。嵐山といえば「けいおん!!」四話の修学旅行回の舞台であるが、その聖地巡礼は三年前の春休みに実現させている。実は私は、嵐山を代表する名所である天龍寺を一度も見たことがなかったのだ。
 観光ガイドさんにバスより電車の方が早いと教えてもらったので、嵯峨野線で嵯峨嵐山を目指す。駅に降りるとなんだか妙な活気が湧いていたので不思議に思ったら、ここ嵯峨嵐山駅は嵯峨野トロッコ列車への乗り換えがあり、いま正しくトロッコ列車が出発するところであったのだ。観光客に人気のあるトロッコ列車は、ついこの間運転を開始したばかりだ。そりゃあ、賑わうはずだよな。トロッコ列車・・・・機会があったら乗ってみたいが、いまは天龍寺を目指そう。
嵯峨嵐山駅から嵐山観光のメインストリートまでは少し歩かなきゃいけない。地図もらっていたが、魔がさして一本前の通りで曲がってしまい、しばらく迷いながら歩くという不覚をとってしまった。とりあえずたくさんの人が歩いている方向についていくと、無事に例の通りに至ることが叶った。平日だというのに、嵐山は多くの観光者でごった返している。内容は、外国人旅行者やツアーの中高年がほとんどであっただろう。とにかく歩きづらい。嵐山のシンボル・渡月橋を目に焼き付けて満足すると、いよいよ天龍寺に向かう。
 天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山。京都五山第一位の寺格を誇り、世界遺産にも登録されている。特に見どころとされているのは、開山・夢窓疎石による曹源池庭園であり、これは国の史跡・特別名勝第一号に指定されている。私は法堂の天井画・八方睨みの「雲龍図」を観たかったのだが、これは土日休日のみの公開であったため、対面することは叶わなかった。ちぇっ。お目当てのものが観れないとなると、すっかり観光する意気も落ちてしまうが、せっかくここまできたのだから、多くの人が称賛する庭園の参拝をすることにした。しかし、私は庭園の探訪を特に好んでいるというわけでなく、とりわけ巨大な庭園というものにあまり心動かされない性質である。昨年の夏に金沢を訪問した際にも、唯一退屈を覚えたのは、本来、観光のメインとなる兼六園においてであった。いろいろと趣向を凝らしているのは分かるのだが、いかんせんスケールが大きすぎて、一回りするのに躍起になって、ふと足をとめる余裕が、景観に感動をする余地が、いつの間にかなくなってしまうように感じるのだ(武者屋敷野村家のような小ぢんまりとした庭は、素直にいいと思えるのだが)。その例にもれず、この天龍寺曹源池庭園あるいは、その奥に広がる広大な庭園での時間もどこか落ち着きなく、一周のノルマを達成することにばかり執心してしまった。おそらくその他多くの人にはこのよさが分かるのであろう。これは私の側に問題があり、寺になんら落ち度はない。私の性格的特性と、そもそもの「庭園」という芸術に関する知識の乏しさが、こういう顛末を招くのである。
 味気ない気持ちになりながら、北門から天龍寺を後にする。するといきなり、以前から私が気にかかっていた景色が目に飛び込んできた。嵯峨野の竹林の道。およそ百メートルにわたってずっと竹林が続いている散歩道だ。京都の旅行案内書で知り、このなんとも涼しげで日本的な風景が忘れられなかったのだ。竹林なんて田舎の祖父母宅の裏にあるのにね。ここもすっかり人気の観光スポットになったと見えて、多くの旅行者があるいているが、誰も声高に騒ごうとはしないので、妙に森閑としている。竹林が人々の声も吸収しているのだろうか。とても清廉な空間ができている。しかし、実際に歩いてみて初めて思ったが、結構竹以外の木も生えていて、それでいて、いやに目についしまう。そういう意味では、徹底した景観ではない。何かにつけて「○○の方が~。」などと比較して考えるのは大野暮の行動であるが、以前、鎌倉へ報国寺の竹の庭を訪れたときに並ぶほどの感動は覚えない。
 この竹林の道を野宮神社方面へ歩けば再びメインストリートに出るが、この日の私は何の気なしにそれとは反対の、大河内山荘庭園方向へと歩いていった。すると、その道の終わりに立っている案内看板で、すぐそばにトロッコ嵐山駅があることを知った。先ほどからトロッコ列車が気がかりであったが、この状況は完全に偶然であり、シンクロニシティの産物である。この状況に運命めいたものを感じたし、トロッコで嵯峨駅に行けば嵯峨野線との乗り換えで容易に京都駅に戻ることができて都合も悪くないので、こりゃいいぞとばかりに、意気揚々と駅に下りる。しかし、駅員さんに尋ねてみると、嵯峨駅方面への列車は遅れていて、あと一~二時間くらいしなきゃ来ないというではないか!こんなに遅れることってあるの?すると、切符販売窓口の女性が、以下のような提案を持ちかけてきた「列車に乗りたいなら、もうすぐ来る列車で終点の亀岡まで行ったら?その近くにJRの駅があるからそれで京都駅に帰れるし。」
 え、マジで!?
 そんなこんなこんなそんなで、唐突ながら、私もトロッコ乗車が正式に決定した。先の時点で、幸いにも座席も残っていた。嵯峨嵐山駅にいた自分は、後であのトロッコ列車に乗ることが、これほどまでにトントン拍子で決まるとは少しも思ってなかった。しかも、当初考えていた嵯峨駅行きではわずか一駅間しか楽しめなかったが、この号に乗れば、終点の亀岡までじっくり堪能ができるときている。いろんな偶然が、私にとってプラスに働いている。もし天龍寺にもう少し長居をしていれば、あるいは竹林の道を野宮神社へと歩いていたら、この体験をすることはできなかっただろう。
 切符を買って数分で、列車がホームにやってきた。先頭はディーゼル車ではなく客車(一号車)で入ってくる。嵯峨嵐山で見かけたときを考えると、成程、たしかにこういうふうな走り方になるよな。ちなみに五号車は「リッチ号」といって、窓がフルオープンになっているが、この肌寒い季節だとリッチどころか、むしろとても侘しくみじめな気持ちになるだろうと思う。客車はやはり多くの乗客で賑わっている。アジア諸国からの旅行者が多いような印象だ。トロッコはすべて指定席であるが、私の席はというと、ついさっき買ったばかりなんと窓側であった。嵯峨野トロッコ列車は、保津峡などの見下ろす車窓に定評があるので、窓側は嬉しい。だがしかし、窓側は窓側でも、背を向けた方向に列車が走る方の窓側である。これでは背後から追い抜かれるように景色が流れて行ってしまって、どうも気持ちが悪い。車内を観察してみると、まるまる空いているブロック席があったので、発車して他の乗客がいないことを確認してから、その席に移動をした。なに、本来この席に座るべき人が来たら、もとの席に戻ればいいだけだ。
 嵯峨野トロッコ列車は、これからひたすら嵐山と小倉山の間の山林を走る。この日はまだ枯木が目立っていたが、紅葉の時期などはさぞ美しいことだろう。車窓からは常に保津川の流れを眼下に収めることができる。その流れは思ったよりも速くて豪快で驚く。雪解け水の影響もあったのだろうか(京都ってどれくらい雪降るんだろう)。保津川下りの船旅も評判だと聞いたが、この急激な流れのなか丸腰で船下りするのは、あまりにもスリル・ショック・サスペンスではないだろうか?普段、鉄道旅行をしているときは、座席に座ってアンニュイな感じになっていることの多い私だが、今回は、終点の亀岡まで二十分の短い旅だったので、車内をあちらこちらに移動して、なんとも落ち着きなくはしゃいだ過ごし方になったように思える。こういうのも、まあ悪くないかな。
 車内ではアテンダントさんが、各乗客グループを回って記念の写真撮影を促してくる。あとで現像したものを販売するとのことだったが、特に断る理由もないので素直に被写体と相なった。あとで現像したものを見せてもらうと、ひとりだというのに素晴らしい笑顔の自分がいたので、母方の祖母へのお土産に購入を決めた。祖母にとって、孫は姉と私の二人しかいないので、私たちがすっかり大人になってちっともかわいくなくなってからも、とてもかわいがってくれる。祖母は何よりも私たちの写真を喜んでくれるので、私はひとりで旅しているときも、祖母のために周囲の人々に頼んで自分の写真を撮ってもらうのだ。そして終点・亀岡駅に着いた。ホームにはなぜか信楽焼のたぬきの軍勢が立っていてひょうきんな感じだった(たぬきの軍勢は保津峡駅にも立っていた)。亀岡駅周辺は田畑がひたすら広がっていて、凄絶な「すごいトコロに来てしまった感」に襲われる。駅近くの広場で乗馬体験をすることができるみたいで、乗馬に憧れのある私はトキメキを抑えられずにいたが、途端に、ひとりで馬に乗ってもアレだよなと臆病風が吹いて、結局、思ったよりも簡単にトキメキを抑えて、予定通りにJRの駅に歩いていった。
 京都駅に戻って帰りの電車の時間まではのんびりと過ごすことに。田舎の家族へのお土産にはお菓子と京野菜の漬け物を買った。試食した漬け物がとてもおいしくて、すぐきという野菜の漬け物とごぼうの白みそ漬けの二種類を買っていった。あと、自分へのお土産にまたしても赤福を購入した。ドーナツとコーヒーをで人心地ついてからホームで列車の入線を待つ。特急サンダーバードに乗るが、夕方という帰宅の時間帯もあってか、自由席は物凄く混んでいる。幸い座席に座ることはできたが、金沢に向かう進行方向の左側であったため、車窓から琵琶湖や立山連峰を眺めることはできずに終わった(まあ、チラチラとは見えたけど)。右側に座ってんなら、せめて琵琶湖は見ようよ。そして寝るなよ!
 金沢で乗り換えるのは、特急北越。次のダイヤ改正で廃線となる特急列車だ。金沢への鈍行旅行の帰りに、富山にて新潟に向かう北越を見送る(それに乗れば鈍行よりも早く帰れるため、心底乗りたかったが予算がないので断念した)ということもあったが、廃線前に乗ることができて本当によかった。サンダーバードでは廃止された一方で、北越ではまだ車内販売が行われていたのだが、さすがに夜の時間には行われない。しかし、乗り継ぎの時間的に夕食を調達するのは困難であったため、これから四時間の間、飲みかけのジャスミンティーだけで凌がなくてはいけないという危機的状況に陥った。場合によっては先に買った赤福を食べなきゃいけないぞと戦々恐々としていたが、思ったよりも人間は空腹に耐えることができるようで、体調もおかしくならず、無事に新潟駅に戻ってくることができたのだった。


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  1. 2016/01/04(月) 19:00:00|
  2. 旅行記
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新年のごあいさつ




 新年あけましておめでとうございます。
 今年も日常系赤面ブログ「野良犬の生活」に変わらぬご愛顧の程よろしくお願いいたします。

 とはいえ、このブログは筆者の大学卒業と同時に無期限凍結に入るので、活動期間は残り三か月となっております。短い期間ではございますが、もうしばらく「野良犬の生活」にお付き合い下さい。

 しかしながら、現在、国家試験、卒業旅行、引っ越し等の新生活準備と、実生活にて大きな仕事が立て続けに控えておりますので、これから新作レポートの提出頻度は十中八九低くなると思われます。私の文章を楽しみにくださっている読者の皆様には、予めお詫び申し上げます。
 新しいブログの方もおいおい開設するつもりでおります。そちらの方も楽しみにお待ちください。

 この一年が、皆さんにとってより良きものでありますように。


(シバケン-いかれたNeet-)

  1. 2016/01/01(金) 10:00:00|
  2. 日記
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

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