野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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津軽 二、金木

アクロバティックかつ繊細に五所川原駅に降り立った私は、
そのまま津軽鉄道という一両編成のローカル列車に乗り、
太宰治の故郷である、金木に向かった。
車輌の見た目はこのような感じである。


CIMG0668.jpg

夏と秋の境目の日差しにオレンジ色が映えるではないか。

おやおや。

CIMG0669.jpg

太宰列車2013」とある。
これは後日、私の祖父から聞いた話だが、このように「太宰列車」と銘した列車を走らせるのは、
今年度はこの日、私が乗った日が初めてだったらしい。
確かに、車中は太宰関連の飾りつけがされていたが、私はこの鉄道に乗るのは初めてだったため、
これが通常モードなのだと思い込んでいたのだ。

また、この日は「鈴虫列車」の期間にも当てはまっていた。
これは事前に調べていて、すでに知っていたことである。

CIMG0670.jpg

本当に鈴虫を入れた虫かごが車内にあるのだ。
走行中も「リーンリーン」と風流心をくすぐる声を聴かせてくれた。


車内には私の他に、観光客と思われる年配の夫婦と年配の集団が幾つか。
ふーんと思っていたら、突然女子高生が乗り込んできた。
いや、この鉄道は別に観光に特化しているという訳ではない。
彼女のように日常的に使用する人ももちろんいるのだろう。
だが、それでも私は驚いてしまったのだ。
どうして女子高生が平日の真っ昼間に列車に乗っているのかも、考えれば驚くことであるが、
そうじゃなく、私が面食らったのは、彼女のかわいさについてだった。
(またか・・・。)


今回振り返って思い出すのは、津軽、というか青森の女子高生のかわいさだ。
髪がキレイ、肌がキレイ、目鼻立ちがハッキリしている。
みんなかわいいのだ。
かなり印象深いことだが、今回の主題ではないので、
これについては「TAIHO☆」という戯作語をもって、これきりで打ち切って、次に話を進めることにする。


津軽鉄道の特徴は、牧歌的な田舎の田園風景の中を走るということが一つ挙げられるだろう。
私の田舎もこんな感じなのだが、そこを一両の鉄道で走ることの、何と言うか、ほのぼのさは、あまり感じる機会は少なかったので、この田園列車で過ごす時間は、田舎育ちの私でも十分楽しめるものだった。
車窓から青鷺を見かけることがよくあって、これがなぜか印象に残っている。

また津軽鉄道では、走行中に女性アテンダントさんがいろいろな案内をしてくれることも特徴的だと言える。
私が乗った車輌でも、キレイめのアテンダントさんが、軽い津軽弁で様様なお話しをしてくれた。
車内の装飾のことや、鈴虫列車のこと、また金木での観光のこと。
しかし、このアテンダントさんの話を聞きながら、列車に揺られていると、
何か自分が普通の観光客みたいで、拍子抜けしてしまうところがあった。
私は、車内にいる他の観光客のような軽い気持ちで金木に向かっているのであろうか。
否。断じてそんなことはない。自分は太宰治という人間に少し特別な思いをもってこの旅をしているはずなのだが、
ほのぼのとした空気もあって、どこか感覚が麻痺したような嫌な気分になって、軽く興ざめた。

だが、アテンダントさんと会話するのが楽しかったから、嫌な気持ちはすぐさま忘れた。

アテンダントさん(以下「A」)「今日はどこに行く予定なんですか。」
犬「太宰のゆかりの地を回ろうかと・・・。」
A「時間はたっぷりありますか。」
犬「はあ、特に時間は決めてません。」
A「もし時間があったら、太宰治疎開の家に行ってみてから、斜陽館に行って、芦野公園にも行ってみたらいいですよ。」
犬「ええ。芦野公園には行こうと思ってました。」

私は宙ぶらりんのだらしない発言しかしていないが、これでも会話は楽しかったのである。
ひとりで旅をしていると、何でもない会話でも嬉しく思うものである。

A「太宰の作品で一番好きなものとかってあるんですか。」

はうっ!
きたよ苦手な質問。「一番好きな~云云。」
何にしても一番を決めるのは私の不得意な所なのだ。

難しい質問だという旨を一応伝えた後、その場しのぎの答えとして「富嶽百景」を推した。
紀行文としても面白いし、文章も安定しているし、結婚した時のエピソードも垣間見えて興味深いからこの作品は好きなのだ。
自信をもって一番と言える訳ではないけど・・・。
勢いでその旨も伝えてみると、アテンダントさんはその程度で私を文学青年と勘違いしたのか、
ちょっと雰囲気を変えていろいろ話してくれた。
真面目な話ではないが、太宰巡りの有益な情報を教えてくれて、
その時もそうだが、後日思い返しても、このアテンダントさんには感謝している。

そんな事がある内に列車は、目的の金木駅に到着して、
私は例によって、アカデミックかつ鋭敏に降り立った。


CIMG0748.jpg


ついにやってきた。太宰のふるさと、金木。
第一印象は、田舎、である。
なんとなく私の故郷と似通った空気で、安心した心持になる。
私はひとりで旅をすることが時折あるが、自身の小心者の人性によって、実はひとりで初めての土地を歩くのはいつまでも、とても緊張することなのである。
だが、金木の場合は、田舎の空気のお陰で、珍しく緊張することなく、むしろ安らぎをおぼえたのは私にとって本当によかった。

太宰によると、


「津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会ふうにちょっと気取った町である。善く言えば水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町という事になっているようである。」-『津軽』より


底の浅い見栄坊ww


さて、金木の街めぐりだが、私はアテンダントさんの助言を参考にして、レンタサイクルを利用することにした。
金木駅やその他の場所にて、無料で自転車を借りることができるのだ。
自転車は楽な上に、時間の短縮にもなる。利用しない手はないが、
普段の私だったら、先述したような臆病風が吹いて、見知らぬ場所でチャリとか、むーりぃー・・・、と思って、徒歩の旅路を選択するはずである。
だが、ここでも金木の街の田舎らしさや親近感が手助けをしてくれ、
私は何のためらいもなく、チャリの借用をするに至った。
この選択は結果的に大正解だった。
時間の短縮云云ということもあるが、まずチャリは気持ちいい。
徒歩では味わえない爽快感がある。
そして、なんとなく街の人の暮らしに融け込んだような感覚をおぼえ、
いつもよりも“旅をしている感”が出ていたと思う。


まず訪れたのは、太宰治疎開の家

CIMG0747.jpg



金木駅からチャリですぐの所にある。
別名を旧津島家新座敷と言うのだが、当初は、後に紹介する斜陽館と渡り廊下で繋がっていた建物で、それが太宰没後に現在の場所に移設されたものだ。
その名を聞いたら大体のことは推し量られるかと思うが、これは大戦中に太宰が妻子を連れて故郷に疎開していたときに住んでいた座敷である。
説明によると、文壇に登場した後の太宰の居宅として唯一現存する邸宅とのことである。
ここでの疎開の1年3か月の間に、太宰は23作品を執筆している。
ハイペースである。
故郷での疎開が太宰にいい影響を与えていたことが予想されないだろうか。
ここでの生活やエピソードについては、「故郷」「親友交歓」「庭」などの作品に書かれてあるので読者諸君も一読されたし。
その他の説明については旅行書等を参照すれば載ってあるので、ここでは省略しようと思う。


疎開中に太宰と妻子が居間として使っていた部屋。

CIMG0671.jpg

座敷には洋室もあり、そこにあったソファ。以前松たか子さんが何かのプロモーションで座ったことがあったみたいである。

CIMG0673.jpg

太宰の書斎。太宰は胡坐をかいて、片足だけ立膝つくような姿勢でよく仕事をしていたらしい。行儀悪い。「親友交歓」にも登場する。

CIMG0677.jpg

「故郷」で母親が病気で寝込んでいた部屋。また、疎開中に来客があったときにいろんな談義をした部屋でもある。太宰は奥の書斎からウイスキイを持ってきて「私は酒を飲まなきゃ話せないので、先にやらせてもらうよ。」と言うのだという。太宰は大変博識でとても気さくな人物だったみたいである。

CIMG0679.jpg

その部屋の奥に書斎がある。

CIMG0681.jpg


下手な写真とともに、軽く説明、というか茶茶を入れたが、これは私が自ら調べたものではなく、
ほとんどがここにいたガイドさんから聞いた話である。
ガイドさんも話しやすい人で、諸諸の興味深いエピソードを聞かせて下さった。
太宰についての知識がほとんど頭に入っているらしく、一を聞いたら十返ってくるという表現がふさわしい。
ガイドさんから感じたのは、説明に年号が入ると一気に語りに重みが出るということだ。

この施設にはグッズ・ショップが併設されている。
お土産にはあまり興味は湧かなかったが、太宰関連の書籍、文献の豊富さには目を見張るものがあったが、いかんせん私は金がないので、何も買えなかった。
嗚呼、一度でいいから金の心配をしなくてもいい生活というものがしたい。
え?バイトしろ?
ははっ、コイツぅ。
(図星☆)


さて、疎開の家を後にした私は、そこからチャリですぐにある太宰の生家・斜陽館に向かった。
おそらく金木見物一番の名所だと思われる。

CIMG0683.jpg

デカイ。
というのも、太宰は明治時代の大地主津島家に生まれた人物なのである。
確か父親が貴族院の議員で、兄が青森県知事という話だったはずだ。
太宰は相当な名家の元に生まれたのだ。
それが彼を長年苦しめる大きな原因になっているのは、彼の作品や生涯を考えるとよく分かるので、私はやや複雑な心境でここを見物した。


CIMG0741.jpg

当時の建築物としてもかなり貴重なものらしく、国指定重要文化財に選定されている。


天井。高。

CIMG0685.jpg

座敷。広。

CIMG0692.jpg

仏壇。大。

CIMG0696.jpg

庭。絶句。

CIMG0698.jpg


私の下手な写真でもはっきりと分かるが、贅の限りの尽くした大豪邸である。


CIMG0702.jpg

店のカウンター。津島家は金貸しを営んでいた。その担保として住民から土地をもらっていて、それによって家は発展していったのだが、その経営方法を、太宰は“悪”とみなしていたようだ。

津島家は階級としては上の上であったが、「津軽」などを読んでも、幼少期から太宰が親しくしていた人物は家の書生や下男、下女である。


「私は断じて、上品な育ちの男ではない。どうりで、金持ちの子供らしくないところがあった、見よ、私の忘れ得ぬ人は、青森に於けるT君であり、五所川原に於ける中畑さんであり、金木に於けるアヤであり、そうして小泊に於けるたけである。アヤは現在も私の家に仕えているが、他の人たちも、そんむかし一度は、私の家にいた事がある人だ。私は、これらの人と友である。」-『津軽』より


民衆の立場であり続けたかった彼は、この邸宅をどう見てどう感じたか。
それを考えると、やはり、ちと複雑な気持ちになる。


「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何もない、ただ大きいのである。」-『苦悩の年鑑』より


では、二階に上がってみよう。
二階は、一階の姿とは打って変わって、少し洋風趣味が現れる。

CIMG0732.jpg

余談であるが、私は時代物の洋館を見物するのが好きで、特に階段の佇まいに注目するのが常である。
以上、余談でした。


CIMG0714.jpg

上がってすぐの洋間。

CIMG0736.jpg

この部屋にあるソファ。


「中学時代の暑中休暇には、金木の生家に帰っても、二階の洋室の長椅子に寝ころび、サイダーをがぶがぶラッパ飲みしながら、兄たちの蔵書を手当り次第に読み散らして暮らし、・・・」ー『津軽』より


のソファである。
おおお・・・!と思っても、この部屋には入ることができないので、これは誰でも手をわきわきさせるしか事はない。


さて、こんな部屋がある。
説明によると、この襖絵を描いたのは川鍋暁斎だという。あら豪華。

CIMG0728.jpg


こんな部屋もある。
ここでは襖に書かれてある文字に注目である。
ほら、左から2番目の襖。

CIMG0717.jpg


CIMG0718.jpg

わかるかしら。
斜陽」という言葉が書かれてあるのだが。


生家の様子を見物するのも興味深いが、
ここには文庫蔵展示室というのがあり、そこで展示されている資料は必見だ。
太宰の愛用品が多くあり、それを見ることができて感激なのだが、中でもとりわけ、二重廻し(マント)と結婚の際に着用した袴には感動である。

ちなみに、斜陽館には、下図のようにマントが掛けられていて、見学者はこれを羽織って記念撮影ができるのだ。

CIMG0684.jpg

余談であるが、私もひとりこのマントを羽織って、あ、やっぱこの話はいいや。

前から思っていたのだが、マントってかっこよくはないか?
もしグッズ・ショップにマントが売ってあったら、私は行く末も何も考えずに購入しただろう。


さて、展示室に話を戻すが、
他にも豊富な蔵書もあり大変見応えがある。
また、「思い出」や「津軽」に登場する、太宰の乳母・越野たけさんの写真があり、これには雷に打たれたような衝撃を受けた。


斜陽館には通りの向かいに大きな駐車場もあるので、観光に不便はない。
太宰作品を読む者なら、一度は行ってみる価値があるだろう。

さて、十分堪能して斜陽館を出てみると、その駐車場に、疎開の家にいたガイドさんがいた。
どうやらこの辺りを周って案内をしているらしい。
せっかくなので挨拶をして、芦野公園に行く道を聞いた。
本当は、地図を持っていたので、それを見れば辿りつけるのだが、
ここはガイドさんに話を求めるのが旅の一つの流儀だろう。
疎開の家の時と同じく、ガイドさんは丁寧に道順を説明してくれた。
ありがとう。

再びチャリに乗って、今度は芦野公園に向かう。
今まで黙っていたが、このチャリ、サドルが高めに設定されてあって、乗るのにいくらか苦労する。
私の脚が短いのではない、サドルが高すぎるのだ。
目的地までの道のりは、完全なる田舎町の風景だった。
そんな中を旅行者然とした格好で走るのは、いささか照れるが、それでも“旅をしてる感”を噛みしめることができるのは気持ちがいいので我慢しよう。
そうか、これが「嬉し恥ずかし」という感情なのか。
道中、太宰治思い出広場があったが、広場が住宅街の中に突然現れるという立地で、これの唐突さは奇妙に感じた。
ここに私が寄るのは旅行者然というよりは、不審者然になってしまうのではと考え、見物は回避。
それでも頑張って写真は撮ってしまうあたり、私もまだまだ脱俗しきれていない所がある。

CIMG0745.jpg


さて、なんやかんやで芦野公園に到着である。
歩行だったら30分はかかったろうが、チャリでは5-10分くらいで行けてしまう。
やはりレンタサイクルを利用したのは正解なのだ。
芦野公園は太宰が幼少の頃よく遊びに行った場所である。


「この辺は、金木の公園になっている。沼が見える。芦の湖という名前である。この沼に兄は、むかし遊覧のボートを一艘寄贈した筈である。」-『津軽』より


園内には太宰治文学碑(『葉』でも引用されてあるヴェルレエヌの一節「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」が刻まれている。)や太宰治像などがある。
だが私は今回それらには向かわず、芦野公園の旧駅舎を利用した喫茶店、その名も「駅舎」に寄った。


「ぼんやり窓外の津軽平野を眺め、やがて金木を過ぎ、芦野公園という踏切番の小屋くらいの小さい駅について、金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言われ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんのかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥えたまま改札口に走って来て、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待っていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違いない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もっと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思った。」-『津軽』より


この駅を利用した喫茶店・駅舎。

CIMG0744.jpg

ここでは、弘前市にある喫茶店「万茶ン」のオリジナルコーヒーも飲めるが、万茶ンにはあとで行ってみようと思っていたので、ここではカルピスを飲んだ。
ここまできてカルピスってww
ちなみに、メニューには「アイス・カルピス」とあったので、
私は「む!カルピスのアイスクリームか!おいしそうだ!」と思って、
ウキウキした気持ちで「カルピスのアイス。」と注文をして待っていたのだが、
出た来たのは、ただの冷たいカルピス(液体)。
あのメニューの書き方はいわゆる“アイス・コーヒー・メソッド”(今私が作った言葉である)が採用されていたのだったのだ。
カルピスのアイスクリームが出てくると踏んでいた私は、とてもがっかりすると同時に、今しがた自分がした、あまりにも不自然な注文の仕方を思い出し、ひとり赤面してしまう。
皮膚から発せられる熱を紛らわすために、アイス・カルピスを飲む。ああ、おいし。

「だったら“ホット・カルピス”もできるんですかー!?」という喧嘩腰の感情を抑え、
店員さんの許可を得て、店内を撮影。
飲食店内の撮影は俗っぽくて本当はあまりしたくはないが、旅は一時の恥だと言い聞かせて、カメラでパシャリ。

CIMG0742.jpg

他のお客さんもいたので、天井しか撮れなかった。
下界の様子は頭の中に刻みこんでおいた。

CIMG0743.jpg

店内にあった太宰の写真。中中の男前、かつ洒落者である。



芦野公園から次に足を(というか二輪を)運んだのは、斜陽館の近くにある雲祥寺というお寺である。
ここが、今回の金木巡りで最後に訪れた場所である。

CIMG0746.jpg

「たけは又、私に道徳を教えた。お寺へ屡々連れて行って、地獄極楽の御絵掛地を診せて説明した。火を放けた人は赤い火のめらめら燃えている籠を背負わされ、めかけ持った人は二つの首のある青い蛇にからだを巻かれて、せつながっていた。血の池や、針の山や、無間奈落という白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、至るところで、蒼白く痩せたひとたちが口を小さくあけて泣き叫んでいた。嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。」-『思い出』より


ここに書いてあるお寺こそ、この雲祥寺なのである。
お寺の人が事務所にいたので、挨拶をして寺の中へ入れさせてもらった。
とても大きいお寺である。話によると、奥津軽でも随一の規模を誇るお寺とのことである。
どこのお寺でも、気持ちが自然にしゃんとしてしまうのは、私は信心深い側の人間であるということだろうか。
そして例の地獄絵図も拝観した。
詳しくじっくりと見ていると、うう、確かにグロテスクだ。
血が出ていればグロテスクか?人が鬼に食われていればグロテスクか?
いや、これはむしろやっていることがグロテスクなのだ。とてもえげつない。
成程、確かにこの絵に描かれているものは地獄なのだ。

またこのお寺だが、


「そのお寺の裏は小高い墓地になっていて、山吹かなにかの生垣に沿うてたくさんの卒塔婆が林のように立っていた。卒塔婆には、満月ほどの大きさで車のような黒い鉄の輪のついているのがあって、その輪をからから廻して、やがて、そのまま止ってじっと動かないのならその廻した人は極楽に行き、一旦とまりそうになってから、又からんと逆に廻れば地獄へ落ちる、とたけは言った。たけが廻すと、いい音をたててひとしきり廻って、かならずひっそりと止るのだけれど、私が廻すと後戻りすることがたまたまあるのだ。秋のころと記憶するが、私がひとりでお寺へ行ってその金輪のどれを廻して見ても皆言い合わせたようにからんからんと逆廻りした日があったのである。私は破れかけるかんしゃくだまを抑えつつ何十回となく執拗に廻しつづけた。日が暮れかけて来たので、私は絶望してその墓地から立ち去った。」-『思い出』より


というエピソードもある。
しかし、私は上述の占いはやらなかった。
なぜか?


忘れたのだ。


・・・忘れたのだ。
迂闊だった。
他にも色色考えることがあったので、そのことがすっかり頭から抜け出てしまったのだろう。
だが、流石に墓地に入るのは、少少アレがナニだとも思うので、まあやらない方がよかったのかもしれない。
それに、あの恐ろしい地獄絵図を見た後で、自分の死後の行く末が地獄だったらと思うと、やはりやらない方がよかったと思う。
ということで理屈をつけて“妥協”した。
もうこの話題はいいだろう。これ以上思い出させないで。


さて、大体の所を回り、金木駅に戻ってきた私。
次の電車までだいぶ時間があるので、駅二階の喫茶店で休むことにした。
その喫茶店の窓から見えたのは、“津軽富士”こと岩木山

CIMG0749.jpg

立派だ。

岩木山は太宰も


「「や!富士。いいなあ」」-『津軽』より


と思わず叫んでいる。
私も叫ぶべきだったか・・・?


「津軽富士と呼ばれている一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮かんでいる。実際、軽く浮いている感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある。」-『津軽』より


「私はこの旅行で、さまざまの方面からこの津軽富士を眺めたが、弘前から見るといかにも重くどっしりして、岩木山はやはり弘前もものかも知れないと思う一方、また津軽平野の金木、五所川原、木造あたりから眺めた岩木山の端正で華奢な姿も忘れられなかった。」-『津軽』より


とも表現している。


私の旅中では、岩木山はその頂きをいつも雲に隠していたので、ここで眺めたように、頂上を見とめることができた時間はとても貴重であった。



・・・さて、ではこの章の最後の締めくくりとして、
帰りの列車をもってして、今一度津軽鉄道の風景でも紹介しようと思う。

津軽鉄道は本当にのどかな景色の中を走る。
なお、この写真は、上りホームと下りホームを結ぶ連絡路から撮った。線路に降りたわけではないので、誤解しないでいただきたい。

CIMG0754.jpg

線路と岩木山。

CIMG0753.jpg

あ、向こうから列車が来たみたいだ。

CIMG0755.jpg

車輌側面を見てみよう。

CIMG0757.jpg

走れメロス」とある。
往きの列車では気づかなかったが、これも太宰治のゆかりの地へ向かう汽車として、いい演出をしている。



いやしかし、金木ではしつこい程に、太宰づくしであった。
これから彼の作品を読むときには、より一層思い入れを持つことができそうだ。



さて、名残惜しいが鉄道に乗って、五所川原駅経由で、今度は弘前に向かおう。
太宰が学生時代を過ごした、奥ゆかしい城下町へ。





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  1. 2013/09/16(月) 20:49:11|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

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