廃墟に凝っているというクラスメイトに誘われる形で、今日、私も廃墟探訪に行くことになった。
清潔、カラフル、キレイなものが溢れかえる現代社会において、廃墟は人人にすっかり忘れられ、できれば触れたくないような存在になっているのだろうが、
その一方で、その無機質な荒廃の様相にかえって人の息遣いの余香を感じ、廃墟を大変に魅力的なものと位置付ける人種も秘密裏にいて、
廃墟をテーマにした写真集も出版されていることを鑑みるに、どうやらそういう人種の人人は一般社会人が思うよりも多く社会の日蔭に隠れているようだ。
写真集はその背後にブームに乗っかっただけのミーハー愛好家の予感もして、正直素直にその存在を歓迎はできないのだが、
私は「廃墟」という概念を、最初から好きとはいかないまでも、どこか気になる存在としてずっと脳内に保留をしていた。
「廃墟には何もないが、きっと何かがある。」そう考えていた。
そういう意味では、今日廃墟探訪の機会を与えてくれたクラスメイトには密かに感謝をしている。
今日私達が訪れたのは、新潟県某所にある
新潟ロシア村だ。
名前の通り、ロシアとの文化交流を目的として建設されたテーマパークである。
1993年のオープン当時はだいぶ話題に上がったようであるが、地方のテーマパークの悲しい運命なのか、次第に客足は減り2004年に閉園したそうだ。
今回訪れたのは、そのロシア村の“残骸”ということになる。
新潟無機終焉都市から車を走らせること約一時間。
何だか心細くなるような田舎道を通って目的地に辿り着いた。
ここまでの道程が実に心細いものだった。
郊外という表現では足りないような田舎町ならどこも同じだろうが、まるでここだけ時間が止ったような風情なのだ。
昭和の時代からまるで変わっていないのでは?と思う程に、流動の気配がしないのだ。
こんな田舎の、山深くなりつつある土地にテーマパークなどを作っても、そりゃ客は入らないだろう。
もっともクラスメイトの談では、ロシア村はオープン当初は「新潟のディズニーランド」だとか言って囃し立てられたそうだが。
新潟ロシア村、正式にはその“跡地”である。
跡地となってしまっているため、現在はそこまでの案内をする看板などはなく、まるで変哲もない山道に入るような形になる。
本当にこの先に、異国情緒漂うテーマパークがあったのか、私達は山菜を採りに来たんじゃないんだぞと疑わざるを得ないような普通の山道である。
そこに車が一台停まっていた。
先客か、いや、それとも管理人か何かだろうか。とにかく警戒をすることにした。
こういう場所で人に会うと面倒な上に、そもそも怖い。
その山道の入り口に車を停めて、ここから先は徒歩で行く。
歩いてすぐにこんなものが見えてきた。

門である。
かつてはここを通って園内に行ったものだろうが、無論今は開けられる事はないと思われる。
門を飛び越えることもできそうだったが、ここは下のスペースをくぐり抜ける。
これで自分は既に非日常的な世界に足を踏み入れることになるということが実感させられて、ドキドキと不思議な高揚を感じる。
また、ここは廃墟であるが、もしかしたら人間が籠っているかも分からないし、
その特有の雰囲気から、科学では実証されないモノがもしや現れるのではと思わず考えてしまい、
それはもう恐怖でビクビク、周囲の音や気配に敏感になり、路傍のススキに触れるだけで、ひゃうっ!となる始末だった。
周囲360°の方向、自身を取り巻くものすべてに警戒をしながら歩く。
こんなに神経を研ぎ澄ませて行動したのは、中学・高校の部活の合宿等で、女風呂を覗きに行った時以来かもしれない。
このような山道を歩く。
木も腐れ折れていたり、電柱も色褪せをしてたり、道路のマンホールの蓋が取られていたりと、すでにいかにもな雰囲気なのだ。
何分か歩いて、ついに目的の施設跡地、かつて住民が羨望と期待を抱いていたテーマパークの悲しき残骸が見えてきた。






おや、と思ったが、その違和感の正体は、建物からいくらか感じられる人の手の痕跡である。
クラスメイト曰く、前来た時に(彼はすでに一回来ている。物好きなやつだ。)あった門がない。撤去され始めている、とのことだ。
確かにそこはかとなく人が入って何某かの作業をした形跡があり、比較的状態の新しいペットボトル飲料や弁当のゴミ、長くつや作業着が散らばっているところを見ると、どうやらオフィシャルな立場の人間が出入りをしていることが窺えた。
いくらか拍子抜けだが、下に停まってあった車を考えると、もしかしたら管理をしている人間が今ここにいるかもしれないので、私達はここさらに警戒を強める。
つまり、ビビった。
だが、ここでもう結末を話してしまうと、ここには私達以外には人っこ一人いなかった。
業者も流石に日曜には仕事をしないだろうし、もしするなら大勢でやって来る筈だ。
廃墟であるから、そもそも訪問者が極端に少ないだろうし、荒らしにくる不良や、肝試しの若者は午前中にやってくる程健康である訳がないし、こんな山深くに居座る浮浪者もいる筈がなかった。
余談であるが、私達は道中で「
廃墟女子」とかいないかなーという、振り返るとまったく実のならない話に花を咲かせていた。
私達は、成人をとっくに迎えながらも、未だに男の子男の子している。
要約すると、バカである。
廃墟女子・・・。昨今の「○○女子」という非常に堕落した表現と、これまた昨今の廃墟ブームを考えると、こういう性格を有する女の子はいるのではないだろうか。
その容姿を考えよう!ということになぜかなる車内。
私はきっと帽子を被っていると予想。
そして、廃墟好きということを周囲に隠して、なんだか恥ずかしそうにしている、という内面の理想を語った。
あれ、
撫子・・・?
無論このような廃墟女子はいなかった。
さて、園内はまだまだ奥に続いているようだ。
クラスメイトは以前訪れた時には、入口の所しか見ておらず、奥に行くのは初めてで楽しみだという。
物好きなやつだ。



上図のような通路を通る。
鬱蒼と植物が生い茂り、クモの巣が張り巡らされており、気をつけないと頭部に引っ掛かってしまう。
もちろん気楽には歩けない。常に警戒をしてしまう(自然に警戒をするようになる。)。
小さな虫が飛びまわり、もはやこの場所は人のものではないことを私達に伝える。
こんなものが落ちてあった。

意外と長い通路を抜けると、そこにはおそらくここがメインの広場であったであろう場所の遺残が。
写真でお楽しみいただこう。














写真で見ると、ただ壊されて散らかってて汚いだけだが、
実際にこの場にいる時でのみ感じる異様な気持ちは果たしてどう形容したらいいだろうか。
ずっと感じていた警戒や恐怖・かつて来園者が楽しい時間を過ごした園内のすっかり荒れ果てている姿を目の当たりにしたときの喪失感ややるせなさ・自分が異世界に迷い込んだような錯覚と一方で感じる高揚感が混じりあった感情は、どうも私の言葉では言い尽くせない。
また、ここはすっかり廃墟と化しているため、本来なら人がいる訳がないのだが、
それなのにかえって感じられる人の気配があった。
これも先程の形容できない感情と複雑に絡み合ってくる。
ここはかつての新潟ロシア村の残骸なので、
それらしい施設もある。いや、あった。


私は動物モノに弱い一面があるのか、こういうのを見ると鼻孔の奥のあたりが締め付けられるような感覚に襲われる。
先程も感じたのだが、かつてあったものがないということはやはり寂しいことだ。
ただ物的になくなったという事実のみを受容するのみでなく、
かつてこの施設に満たされていた期待、羨望、夢、思い出、楽しい時間などの残り香が自然と感じられて寂しいのだ。
最後に覗いてみたのは、おそらくこのテーマパークのシンボルだっただろう、今は名もなき教会である。








来園者は、この教会に入って何を考え、どんな話をしたのだろう。
時を超えて訪れた私は、見るに堪えない姿に何も考えることができなかった。
「なんか、な。」
クラスメイトには一言だけ呟いておいた。
廃墟というものを初めて訪問したが、なんなんだろうこの気持ちは。
スリルがあって楽しかったのは事実である。
だが私の心を埋める感想はそれだけではない。
華やかで清潔でキレイなものは確かに魅力的で賑やかで楽しいのだが、どこか私には味気ない。
廃墟は壊され汚く散らかってて、寂しく荒んでいるが、かつては確かに華やかな時代があった。
そういったものが気配として残っている。
廃墟となった以上、ここは施設の業界では負け犬である。
だが、負け犬となったことで感じることのできる奥行きや深さがある。
物事の“酸い”がある。
賑やかで楽しいものもいいけど、世界はそれだけでできているんじゃないんだよ。
廃墟に惹かれる人達は、きっとこのような世界を大事にできる人達なんじゃないかしら。
なお、山道入口に停まっていた車は戻ってくるといなくなっていた。



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- 2013/09/29(日) 19:54:32|
- 旅行記
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