野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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津軽 七、帰郷

憧れの青森県立美術館から新青森駅に戻る。
往きはタクシーで思わぬ散在をしてしまったので、戻りは30分苦手な太陽光の下で待ってでも循環シャトルバスに乗る!
バスは予定の時間よりも10分遅れで私を乗せに来た。
この遅れた10分の間における、神経質の私の心境を推し量ってほしい。はい、それで十分です。

バスに乗ってみて初めて分かった事だが、このバス路線は別に主要な観光地のみを結んでいる訳ではない。
普通に住民が利用できるような、町のバス停にも停まる。
この、観光の香りの一切しない街並みというのも見てると意外と楽しいものである。
ここには目を見張るような光景はないが、その代わりに人人の暮らしがある。
そこには取り繕いなどをする余地はなく、毎日続いている自然な流動がある。
バスの車窓を呆け見ていると、そういうものの一端を垣間見ることができ、中中に飽きない。
また、こういう時には同時に、その生活の一部となって溶け込むような感覚がじわじわと訪れ、この感覚が心地いい。
そしたら新青森駅に着いた。運賃200YEN。

駅で30分ほど待ち、今度は電車で弘前に向かう。
弘前の駅ビルで家族へのお土産を購入。絵葉書とお菓子。

時間的に、ここ弘前で訪れる場所が、今回の旅最後の出来事の舞台となるはずだ。
ところで、ここに至ってはすっかり関係がなくなりつつあったが、
この旅のきっかけとなったのは、作家・太宰治の存在である。
彼の足跡をたどるということが旅の主な目的として念頭に置いていて、初日には彼の出生地である金木を回ってみたのだった。
それならば、最後に訪れる場所もその目的に沿うたものにしたいと思うのは自然だろう。
ということで、私が最後のエピソードの舞台に選んだのは太宰治まなびの家

CIMG0931.jpg

CIMG0932.jpg

正式な名前は、弘前市指定有形文化財「旧藤田家住宅」といい、先に挙げた名称は、通称なのであるが、こちらの通称の方が文字通り、はるかに通りがいい。
ここは太宰が旧弘前高等学校(現在弘前大学が建つ場所にあった。)に在学している時に下宿をしていた住宅である。
その頃の弘前高等学校は全寮制の学校だったのだが、男子校の寮を思い浮かべると分かりそうだが、やはり太宰の美意識では許し難い有様だったようで、彼の要望、というか我儘によって、その代わりとしてこの藤田家に下宿することに決まったのだった。
藤田家は金木の津島家とは遠縁にあたる家系で、その関係で彼の下宿先として挙がったのだそうだ。
太宰ゆかりの地として有名であるが、この建物は、古民家が次次に解体されていく現在の中で、大変に良い状態で現存している希少な住宅としても貴重なのだそうだ。

ここにも金木の各名所と同じように、観光ガイドさんが常駐している。
私以外に訪問客はいなかったために、私はマン・ツー・マンでガイドさんの説明を聞く羽目になった。
このガイドさん、まだ慣れていないのか説明が実にたどたどしく、言葉を探り探り選び選び話していて、
話を聞いてるこっちがかえって照れるような様子だった。
でも真面目で印象はいいし、
例によって、一問うと十返ってくるほどに太宰関連の知識は有しているみたいで、信頼に値する。
ガイドさんは写真パネルを手に持って解説をしていく。
この写真に写っている床の間が目の前にあったときは驚きやら感動やらで気分が高揚する。
そして太宰が居室として使用していた二階の部屋に行く。

CIMG0941.jpg

CIMG0936.jpg

部屋の奥にある元は押し入れだったこの空間で、太宰は当時凝っていた義太夫の練習をしていた。

「私は、この弘前の城下に三年いたのである。弘前高等学校の文科に三年いたのであるが、その頃、私は大いに義太夫に凝っていた。甚だ異様なものであった。」-『津軽』より

以下、ここにおける私とガイドさんとの会話。

ガイドさん(以下「G」)「当時太宰は江戸趣味、特に義太夫に凝っていました。」
犬「ええ。(フフーン、そんなこと知ってるもん。)」
G「義太夫は別名で浄瑠璃と言います。」
犬「はあ。(あ、そうなの。でもそれが何だと言うんだろう。)」
G「浄瑠璃と言えばその作品の多くは、近松門左衛門の作です。」
犬「はい。(代表作は『曽根崎心中」・・・。ん?心中?)」
G「その多くの作品は、心中モノです。こういったものから、太宰の心中についての憧れを抱くようになっていったと言われています。」
犬「はあ・・・。(そ、そうだったのかー!?)」

いや、これには気がつかなかった。
なるほど。学生時代の趣味によって、太宰の死観は形成されていったという面もあったのか。
彼の最期、死の遂げ方を考えずにはいられない。

CIMG0947.jpg

これが当時太宰が使用していた書机である。
当時そのままの姿だということで、何だか胸が震えるような心持だった。

机の上の写真パネルだが、この建物にはこのような写真パネルが他にも複数あり、なんでもそれらはすべて、この家の長男藤田本太郎氏が撮影したものなのだそうだ。
確か本太郎氏は太宰よりも二つ三つ年が下で、彼に小説を読んでもらったり、チェスをしていたらしい。
そんな彼にとって太宰は格好の写真の被写体だったようだ。
また、ここには珍しい太宰が眼鏡を掛けて写っているものもある。
太宰はかなりの近眼だったのだが、それでも頑なに眼鏡は掛けたがらなかったそうだ。
その理由をガイドさんが解説して曰く、

G「太宰はよく『眼鏡を掛けると男振りが下がる。』と言っていたようです。」
(まさしく今眼鏡をかけて男振りを下げている)犬「は、ははは・・・。」

笑うっきゃない。

(フォローをしようと思ってか)G「・・・外見を気にする太宰らしい話ですよね(汗)。えへへ・・・(汗)。」
(ここでは言えなかったが実はこれでも外見は結構気にする方の)犬「は、ははは、はは・・・。」

笑うっきゃない。

・・・さて、眼鏡のことはもういいが、この部屋には珍しい太宰の生きた形跡がある。
それがこれ。

CIMG0940.jpg

分かりづらいだろうが、よーく目を凝らしてみると、数式が書かれてあるのが認められないだろうか。
言わずもがな、これは太宰が書いたものである。
ちなみに彼は数学が大嫌いだったようだ。

また、ここにもこういったものが用意されている。

CIMG0937.jpg

一体こういったものはどこから調達するのであろうか。
こんなに何回も見せつけられたら、こっちもマントが欲しくなるだろう。

この施設は資料もとても貴重なものがそろっている。
例えばこれだ。

CIMG0946.jpg

まあこれは、レプリカだ。
無間奈落」といったら、彼が十九歳の時(1928年)に創刊した同人雑誌「細胞文芸」の第一号に寄稿したものである。
金木の雲祥寺の地獄絵の一つに、この無間奈落が描かれてあったので、太宰は幼少の頃に見たこの絵を印象に残していたのかもしれない。

このような資料のほとんどが本太郎氏の寄贈したものなのだが、その中でも特に私が気になったのは、この古新聞の切り抜きである。

CIMG0948.jpg

芥川龍之介は太宰のヒーローであり、学生時代も傾倒していたし、
先程の写真もそうだが、太宰は写真に写るときには、芥川龍之介のおなじみの顎に手を当てるポーズをしていることが多い。
学生時代のノートにもその名前が登場していたそうだし、そう言えば、その後を見ても、髪型を芥川風にしているような節もある。
芥川賞が設立され、その第一回に「逆行」がノミネートされながら、結果は次席で大賞は逃すことになった時には、落胆や激昂の色も見せていたと聞く。
それ程までに、彼にとって芥川龍之介という作家は憧れの人物だったようだ。
そんな憧れの人物の自殺は、ここにも説明されてあるが、太宰に大きな衝撃を与えた。
と同時に、これが一つにきっかけとなって、自殺は格好いい、と思うようになったのだそうだ。
二階の部屋での義太夫の一件もそうだが、このような出来事から彼は自殺というものに、特別な感情を抱くようになる。

帰り際に、「私の好きな太宰の一節」(うろ覚え)という題で一筆啓上させていただいた。
原稿用紙に太宰作品の中で好きな一節を書き写すと、それをパネルにして住宅内に置いてくれるのだ。
確かに各部屋ごとに既に何枚かのパネルが置かれてあった。
せっかくだから・・・、ということで私も自分の記念を作ることに。

私が選んだのは「富嶽百景」からのこの一節。

「いよいよ、ばかである。」

長い一節を書き写すのが面倒だったということもあるけれど、
自信をもって、私はこの一節が好きだと言える。(一番とは言えないけれど。)
この作品は太宰の精神安定期に書かれた紀行文で、彼の精神を反映するように文章も揺らぐことなく実にどっしりとしている。
美麗な文体はもちろん、ユーモアのある表現や感じのよい自虐も飛び出してくる。
もしかしたらこれが彼本来の姿なのかもしれないと思う。


丁寧な案内をしてくれたガイドさんに別れの挨拶をして、家を出る。
これでこの旅は九割終わって、あとは田舎に帰るのみだというのに、
感傷や寂寥などは立ち入る隙なく、むしろ満ち足りた気分、何かを成し遂げた達成感、謎の爽快感を身に纏っているようだった。
駅までの歩行の道程は、ウキウキした気持ちで、本当に楽しく歩けた。
旅は準備する時間が一番楽しいとよく言われ、私もその意見には賛成をしてもいいと思っているが、
それは振り返ったらそうなのであって、もっと広い思野で旅の前・中・後、すべてを含むスパンで考えると、
旅をしている最中も準備期間と同等に楽しく、さらには旅が終わった瞬間というのもそれらと同等に楽しく感じるものなんじゃないかしら。
そういう戯言も出るくらいに楽しい帰路だったという事である。
もしも私の旅が一本の映画だったら、ここら辺でエンディング曲が流れて、エンドロールに突入している筈だ。


ここからは、ひたすら私が田舎に帰るまでの出来事についての記述が続く。
興味のない読者は、どうぞ必要があれば自分の居場所に帰ってもらっても結構である。

さて、いきなりつまらないことで甚だ恐縮なのだが、
私は電車の待ち時間に、今やどこの駅ビルにもあるミスター・ドーナツをよく利用する。
ぱないの!
ドーナツはうまい。
ダイエット中という看板をぶら下げて歩く私だが、このドーナツの誘い相手には長い間負け越し続けている。
ここで私のとある悪癖がさく裂するのだが、私は注文する際に、
「オールド・ファッションとー、」
と言ってから、ここで初めてショー・ウインドウを見始めてしまうのだ。
別に誰かに迷惑をかけているという訳ではなさそうだが、なぜか毎回こうなってしまう。
以上、つまらない話でした。

自分の居場所に帰るチャンスはまだまだあるぞ。


ここからがある意味ではこの章の本題。いや「私にとっては」と冠をつけるのが妥当かもしれない。
読む人によっては、かなりイモく感じるかもしれないので気をつけなさい。

さて、なんやかんやで電車に乗るのである。
弘前駅から秋田駅を経由して湯沢駅までの、5時間程の電車の旅である。大変な長丁場だ。
弘前が始発なのだが、運よく対面式の長椅子の端、手すりが隣にくる席に陣取ることに成功した。(どこか分かる?)
入口に近い座席なのだが、私はここの席に座って、手すり部分にもたれかかるのを好むときている。
すると、私が座っている長座席と対になっている長座席の向こうの手すり隣の席、ここは私から見やすい席なのだが、そこに若い女性が座った。
最初は、ふーんと思っただけなのだが、
時間経過に伴い、車窓の風景を見るのに少し首がつかれ始めてきた頃に、ふとその女性を観察してみると、
・・・あれ?可愛い?

そう、可愛いのである。
なんと形容したらいいのだろう、とにかく可愛いのである。
美少女といってもいい。
様子を見てみると、大きなボストンバッグと、リュックサックを持ち、さながらひとり旅の風情なのである。
私もこの旅はボストンバッグとリュックサックを連れて回っていたので、ひとりで勝手にシンパシーを感じて軽く悦に入る。
余談だが、津軽に行くならリュックサックでなきゃダメなのである。この点はまず先にこだわったところだ。

服装は女の子らしく全体的にふわふわしていながらも、その一方でスポーティー。
パンツルックで活発な印象も感ぜられる。
最初は半袖で軽やかだったが、途中でこれまたアクティブな緑色のカーディガンを羽織った。
嗚呼、数少ない露出が・・・と思ったのは事実であるが、それでもこれはこれでいいものだった。
だってあの人は美少女だもの。
年は私よりも少し下か、同世代といったところか。
こんな時期に優雅に旅行ができる職業といったら、まあ大学生だろうな。
髪は流そうだが、ポニーテール風につないでいる。
もし、あなたはポニテ萌えなのか?と聞かれたら、私はたぶんこう答える。
はい。
目つきは少し悪いが、それでも可愛い。
目鼻立ちがはっきりしていると言うのだろうか、顔のパーツが整っている。
芸能人で例えるなら、多部未華子
私は結構多部未華子が好きだ。
自分は目つきが悪い女性を好むきらいがあるのだろうか。
多部未華子に例えておいてなんなのだが、私にとっては、この女性の方が可愛いんじゃないかと思った。
それ程までにこの人は可愛かったのである。

そんな人を見つけて、私は大いにやったぁ!と思ったものだが、
さらに嬉しいことに、この女性は弘前からずっと電車に乗ってて、一向に降りる気配がないのだ。
もしかしたら秋田まで行くのかな。
そうであればこれから長い時間、この人を眺めていることができると、ここでも私は大いにやったぁ!と思った。

とは言っても、流石に何時間も眺めているのは限界がある。
いい加減にして、本でも読もうかなと思いながら、何の気なしにまたその人をちらと見てみた。
その時私に電流走る。
その人、ポニテほどいてました。
髪降ろしてました。
うわぁ、なんだこれ、可愛いぞ。
髪長いだろうなとは予想していたけど、それよりも少しだけ長い。
でもふわふわしてて、その、うわぁ、なんだこれ。
これはまだまだ見つめている価値があるぞ。
さあ、流石に自分が自分でキモい!
でも仕方ないじゃないか。男は悲しい生物なのだから。
この人も湯沢まで乗ってればいいなあ、そうだったら声でもかけてみるのに、という実に情けない妄想を逞しくしながら、結局秋田までこの女性を眺めて過ごしてしまった。
そうです、おまわりさんこのわたしです。
TAIHO☆されるべきは、この私です。

この美少女は秋田駅で降り、注意してはいたがすぐに見失ってしまった。
だが、素晴らしき旅の最後に、思わぬ素晴らしきご褒美をもらったような気持ちだった。



電車は旅のはじまりの場所、自分の田舎町にほど近い湯沢駅に着いた。
これからまたいつもの暮らしが始まる。
だが、この旅を経た暮らしは“いつもの”ようであって“いつもの”ではない。





←前章「六、新青森」





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では、失敬。

  1. 2013/10/01(火) 20:12:30|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

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