野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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津軽

序編

明日から津軽地方に旅をしてきます。
この前みたいなひとり旅。
秋田の実家から、鈍行列車にゆられて津軽へ。
向こうでは2泊する予定。
考えてみると秋田の実家は東北を旅する拠点には丁度いい。

青森には一度旅をしに行ってみたかった。
青森自体は一度訪れたことはあるけれど、それは部活の大会でのことだった。
そのときは浅虫温泉に泊まったが、観光らしいものはできなかった。
だから、青森には一度旅をしに行ってみたかった。
今回計画したのは、このような、かねてからの念願がついに爆発してのものだ。

また、今夏、坂口安吾からのつながりで、今さらながら太宰治の作品を読み始めた。
斜陽」「人間失格」「富嶽百景」その他多くの佳作。
読んでいるうちに、段段とこの作家にこれまで以上の興味を持った。
そして確りした論理による組み立てなしに、自分は津軽に行く必要があると思った。

そう、この津軽への旅は、主に太宰ゆかりの地を巡る旅として計画をしているのだ。
生誕地・金木や、彼が学生時代を過ごした弘前を観て回りたいと考えている。


あとは、太宰とはあまり関わりがないが、少し白神山地にも行ってみようと思う。
これは自分自身のための旅だ。



「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
-太宰治『津軽』より




私も苦しいのだろうか。
とか言ってみる。



一、巡礼

一生に一度の22才の夏休みということで、いつもとはちょっと違う気構えで生活に臨んでいたのだが、それにもいよいよ終わりが近づいてきた。
振り返ってみると、今年の夏は恩師やかつての戦友に再会することができたりと、
どこか“巡礼”の日日としての意味合いが強くなっていたように感じられる。

・・・と、まあ、今レポートの副題に強引につなげてみようと試みたのだが、
これから記録するように、津軽地方に旅をしてきて、それを基に紀行文を書くのであれば、
その第一章の名前はどうしても「巡礼」でなくてはならないのだ。
この旅の目的を考えても、これは是非例の作品にあやかりたいし、どうかこの程度のパロディは笑って許してほしい。

そんな休暇の一番の目玉、津軽へのひとり旅三連日も、何事もなく、無事に終わらせることができた。
この旅の主な目的は、作家・太宰治の足跡辿りということだったので、これも一種の巡礼と言ってもいいかもしれない。
三日間の旅において、私は様様なものを見、また様様なことを感じた。
自分の記憶の整理ということで、今回のことをレポートとしてまとめていこうと思うが、
内容が膨大にわたることが予想されるので、何部かに分けてまとめていく次第である。

時系列に沿ってまとめるのが自分にとってやり易いので、そのように事を進めるが、
まずは私が津軽に向かうに当たって、交通に用いた方法について説明しておくのがいいと思う。
私は貧乏な学生であるため、旅費にはあまり金をかけていられない。
そのため、私が使用したのは、JR東日本が販売している「北海道&東日本パス」という切符だ。
平たく説明すると、この切符を持っていると北海道・東日本の指定路線の普通自由席が連続する7日間乗り降り自由になるのだ。
青春18切符を一週間使えると思ってくれれば間違いではない。
さて、この切符、値段は一枚10,000YENである。
え、安くね?
連続する7日間使用可能ということなので、先の山形へ向かうときも利用することができる、かつ、今回の津軽への旅にも利用することができる。
即購入余裕でした。

そしてこの切符は、青春18切符同様、別に料金券を購入することで、急行列車に乗ることもできる。
田舎から発ってから津軽に着く時間を考えて、今回私はこのような伝でリゾートしらかみ[http://www.jreast.co.jp/akita/gonosen/]を利用することにした。
リゾートしらかみには三種類の車両編成があるが、私は橅(ぶな)編成に乗車した。
あまりかっこよくない。(←コラっ


CIMG0627.jpg



私の席は、秋田ー五所川原間で、進行方向左側の二列の通路側。
窓際ではないが、一応日本海側の座席を購入したのだが、
秋田駅で乗車してみると、なぜか奇妙なことに進行方向右側の通路側の席になっていたので、
「うわ!騙された!(誰に?)」と思ったものだが、
私は全く知らなかったので驚いたのだが、途中東能代駅で進行方向が逆になる模様だった。
OiOiそしたら乗客の背中側に向かって列車が進むのか?とちょっと疑ったのだが、
なんのことはない。
東能代駅で停車したときに、座席のレバーを操作して、席をそおいっ!と180°回転させればよいのである。
考えてみれば至極当然のことではないか。
この時乗客は、自分が座っていた席のみならず、まだ誰も座っていない空席もせっせと回転させるのである。
ああ、これが日本人という人種なのかなと思わずにはいられなかった。
果たして無事私の座席は日本海側に落ち着いたのだった。

しかし、完全なる窓際ではない。
隣には他の乗客の人もいるため、どうも景色を観るにもやや気まずい。
そんな私のわがままを察してか、運良く私の乗る号車には、乗客ならだれでも利用できる展望スペースー大きな窓があり、景色を一望できる空間があった。
いや、察するも何も、これはもちろん最初からあった仕様なので、思い上がりも甚だしいのだが、これを見つけた私の心境を推し量ってほしい。
これには大変心救われたのだ。
というのも、これはいいぞと、私は乗車時間中ずっとこのスペースに陣取っていたのである。
このスペースは本来乗客たちが譲り合って利用するものなのだが、これまた幸い、私以外にここを積極的に利用しようという乗客は思ったよりもいなく、私はたいして気まずい思いをすることなく、車窓の風景を楽しむことができた。


このリゾートしらかみの旅、あるいは五能線の路線は日本海に出来る限り接近して走ることで有名である。
車窓から見える絶景を楽しみにしている乗客も多くいることだろう。
何を隠そう私もその一人であった。
そしてリゾートしらかみは、特定の名勝地、具体的に言うと、岩舘駅ー大間越駅間・深浦駅ー広戸駅間・千畳敷駅付近、これを走る際は、走る速度をかーなーり落として進む。
これによって私たち旅人は、さらにゆっくりと景色を楽しむことができるという寸法だ。


↓こんな感じ。


CIMG0649.jpg


CIMG0647.jpg


CIMG0666.jpg


白状、かつ言い訳をしてしまうが、私はあまり写真を撮るのは上手くない。ごめんね。
ってことでてへぺろてへぺろ。


日本海の風景を写真入りで紹介しといてなんなのだが、
この車中ではどうしても日本海に注目しがちであるが、八森駅を過ぎたあたりから見える白神山地や、鰺ヶ沢駅付近から姿を現す“津軽富士”こと岩木山もとても見応えがあったことも記しておきたい。

あと、この電車の旅について記憶しておきたいこととしては、ウエスパ椿山駅での出来事があるだろう。
出来事と言っても、内容は実に単純で、ただ「ウエスパ椿山駅の女性観光駅長がかわいかった」という話だ。
どうだ、簡単な話だろう。(エッヘン
先述したとおり、私は展望スペースにいて、彼女をガラス越しに目撃したのだが、
その時周りにいたサラリーマン集団が、かわいいかわいいと騒ぐ。
うん、たしかにかわいらしい。
真顔はそうでもないと思ったが、私たち(含サラリーマン)のようなアホな男共に時折向ける笑顔には、
私も思わずキュンとした。
ところで、胸がときめくときに用いる擬音「キュン」であるが、
これを「キュンキュン」と続けて言うと、なぜか卑猥な印象を受けるのはどうしてだrあ話の続きですねわかりました。

発車際、彼女は私たちにあの笑顔で手を振ってくれた。ヤッター!


~その直後のサラリーマンたちの会話~
A「いい・・・!」
B「かわいいっすねー。」
C「課長!ウチの会社の制服もアレにしましょう!」←www
D(課長?)「いや~、やっぱ黒のニーハイってのがいいな。」
A,B,C「ああ~!!」

こいつらww


さて、こんなリーマン共は放っておいてもいいが、今回、是非放らずに記録しておきたいことがもう一つあった。
もしかしたら、様様な思いを胸に、初めて津軽に行く私だったからこそ、心に残った演出だったのかもしれないが、
鰺ヶ沢駅から私が降りる五所川原駅までの走行中、リゾートしらかみ車内で、津軽三味線の生演奏がされたのだ。
リゾートしらかみの特徴として、このような車内イベントの開催を挙げることもできる。
津軽三味線発祥の地は、私が向かう金木であることを、愛しのことりっぷ[http://co-trip.jp/]で知っていたため、
この音楽の演出は私にとってかなり気分が盛り上がるものだった。

この辺りからだんだんと目にする回数が増えてくるりんご畑。
そして、ついに姿を現す津軽富士。
津軽に来た。
その実感をこれでもかと感じずにはいられなかった。


約3時間半の楽しい旅だったが、
ついに列車は今回の降車駅である五所川原駅に到着した。
スムーズかつ華麗にホームに降り立った私は、そのまま一両編成のローカル鉄道に乗り込み、
太宰治の故郷・金木に向かった。



二、金木

アクロバティックかつ繊細に五所川原駅に降り立った私は、
そのまま津軽鉄道[http://tsutetsu.com/]という一両編成のローカル列車に乗り、
太宰治の故郷である、金木に向かった。
車輌の見た目はこのような感じである。


CIMG0668.jpg

夏と秋の境目の日差しにオレンジ色が映えるではないか。

おやおや。

CIMG0669.jpg

太宰列車2013」とある。
これは後日、私の祖父から聞いた話だが、このように「太宰列車」と銘した列車を走らせるのは、
今年度はこの日、私が乗った日が初めてだったらしい。
確かに、車中は太宰関連の飾りつけがされていたが、私はこの鉄道に乗るのは初めてだったため、
これが通常モードなのだと思い込んでいたのだ。

また、この日は「鈴虫列車」の期間にも当てはまっていた。
これは事前に調べていて、すでに知っていたことである。

CIMG0670.jpg

本当に鈴虫を入れた虫かごが車内にあるのだ。
走行中も「リーンリーン」と風流心をくすぐる声を聴かせてくれた。


車内には私の他に、観光客と思われる年配の夫婦と年配の集団が幾つか。
ふーんと思っていたら、突然女子高生が乗り込んできた。
いや、この鉄道は別に観光に特化しているという訳ではない。
彼女のように日常的に使用する人ももちろんいるのだろう。
だが、それでも私は驚いてしまったのだ。
どうして女子高生が平日の真っ昼間に列車に乗っているのかも、考えれば驚くことであるが、
そうじゃなく、私が面食らったのは、彼女のかわいさについてだった。
(またか・・・。)


今回振り返って思い出すのは、津軽、というか青森の女子高生のかわいさだ。
髪がキレイ、肌がキレイ、目鼻立ちがハッキリしている。
みんなかわいいのだ。
かなり印象深いことだが、今回の主題ではないので、
これについては「TAIHO☆」という戯作語をもって、これきりで打ち切って、次に話を進めることにする。


津軽鉄道の特徴は、牧歌的な田舎の田園風景の中を走るということが一つ挙げられるだろう。
私の田舎もこんな感じなのだが、そこを一両の鉄道で走ることの、何と言うか、ほのぼのさは、あまり感じる機会は少なかったので、この田園列車で過ごす時間は、田舎育ちの私でも十分楽しめるものだった。
車窓から青鷺を見かけることがよくあって、これがなぜか印象に残っている。

また津軽鉄道では、走行中に女性アテンダントさんがいろいろな案内をしてくれることも特徴的だと言える。
私が乗った車輌でも、キレイめのアテンダントさんが、軽い津軽弁で様様なお話しをしてくれた。
車内の装飾のことや、鈴虫列車のこと、また金木での観光のこと。
しかし、このアテンダントさんの話を聞きながら、列車に揺られていると、
何か自分が普通の観光客みたいで、拍子抜けしてしまうところがあった。
私は、車内にいる他の観光客のような軽い気持ちで金木に向かっているのであろうか。
否。断じてそんなことはない。自分は太宰治という人間に少し特別な思いをもってこの旅をしているはずなのだが、
ほのぼのとした空気もあって、どこか感覚が麻痺したような嫌な気分になって、軽く興ざめた。

だが、アテンダントさんと会話するのが楽しかったから、嫌な気持ちはすぐさま忘れた。

アテンダントさん(以下「A」)「今日はどこに行く予定なんですか。」
犬「太宰のゆかりの地を回ろうかと・・・。」
A「時間はたっぷりありますか。」
犬「はあ、特に時間は決めてません。」
A「もし時間があったら、太宰治疎開の家に行ってみてから、斜陽館に行って、芦野公園にも行ってみたらいいですよ。」
犬「ええ。芦野公園には行こうと思ってました。」

私は宙ぶらりんのだらしない発言しかしていないが、これでも会話は楽しかったのである。
ひとりで旅をしていると、何でもない会話でも嬉しく思うものである。

A「太宰の作品で一番好きなものとかってあるんですか。」

はうっ!
きたよ苦手な質問。「一番好きな~云云。」
何にしても一番を決めるのは私の不得意な所なのだ。

難しい質問だという旨を一応伝えた後、その場しのぎの答えとして「富嶽百景」を推した。
紀行文としても面白いし、文章も安定しているし、結婚した時のエピソードも垣間見えて興味深いからこの作品は好きなのだ。
自信をもって一番と言える訳ではないけど・・・。
勢いでその旨も伝えてみると、アテンダントさんはその程度で私を文学青年と勘違いしたのか、
ちょっと雰囲気を変えていろいろ話してくれた。
真面目な話ではないが、太宰巡りの有益な情報を教えてくれて、
その時もそうだが、後日思い返しても、このアテンダントさんには感謝している。

そんな事がある内に列車は、目的の金木駅に到着して、
私は例によって、アカデミックかつ鋭敏に降り立った。


CIMG0748.jpg


ついにやってきた。太宰のふるさと、金木。
第一印象は、田舎、である。
なんとなく私の故郷と似通った空気で、安心した心持になる。
私はひとりで旅をすることが時折あるが、自身の小心者の人性によって、実はひとりで初めての土地を歩くのはいつまでも、とても緊張することなのである。
だが、金木の場合は、田舎の空気のお陰で、珍しく緊張することなく、むしろ安らぎをおぼえたのは私にとって本当によかった。

太宰によると、


「津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会ふうにちょっと気取った町である。善く言えば水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町という事になっているようである。」-『津軽』より


底の浅い見栄坊ww


さて、金木の街めぐりだが、私はアテンダントさんの助言を参考にして、レンタサイクルを利用することにした。
金木駅やその他の場所にて、無料で自転車を借りることができるのだ。
自転車は楽な上に、時間の短縮にもなる。利用しない手はないが、
普段の私だったら、先述したような臆病風が吹いて、見知らぬ場所でチャリとか、むーりぃー・・・、と思って、徒歩の旅路を選択するはずである。
だが、ここでも金木の街の田舎らしさや親近感が手助けをしてくれ、
私は何のためらいもなく、チャリの借用をするに至った。
この選択は結果的に大正解だった。
時間の短縮云云ということもあるが、まずチャリは気持ちいい。
徒歩では味わえない爽快感がある。
そして、なんとなく街の人の暮らしに融け込んだような感覚をおぼえ、
いつもよりも“旅をしている感”が出ていたと思う。


まず訪れたのは、太宰治疎開の家[http://dazai-ya.shop-pro.jp/?mode=f2]。

CIMG0747.jpg



金木駅からチャリですぐの所にある。
別名を旧津島家新座敷と言うのだが、当初は、後に紹介する斜陽館と渡り廊下で繋がっていた建物で、それが太宰没後に現在の場所に移設されたものだ。
その名を聞いたら大体のことは推し量られるかと思うが、これは大戦中に太宰が妻子を連れて故郷に疎開していたときに住んでいた座敷である。
説明によると、文壇に登場した後の太宰の居宅として唯一現存する邸宅とのことである。
ここでの疎開の1年3か月の間に、太宰は23作品を執筆している。
ハイペースである。
故郷での疎開が太宰にいい影響を与えていたことが予想されないだろうか。
ここでの生活やエピソードについては、「故郷」「親友交歓」「庭」などの作品に書かれてあるので読者諸君も一読されたし。
その他の説明については旅行書等を参照すれば載ってあるので、ここでは省略しようと思う。


疎開中に太宰と妻子が居間として使っていた部屋。

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座敷には洋室もあり、そこにあったソファ。以前松たか子さんが何かのプロモーションで座ったことがあったみたいである。

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太宰の書斎。太宰は胡坐をかいて、片足だけ立膝つくような姿勢でよく仕事をしていたらしい。行儀悪い。「親友交歓」にも登場する。

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「故郷」で母親が病気で寝込んでいた部屋。また、疎開中に来客があったときにいろんな談義をした部屋でもある。太宰は奥の書斎からウイスキイを持ってきて「私は酒を飲まなきゃ話せないので、先にやらせてもらうよ。」と言うのだという。太宰は大変博識でとても気さくな人物だったみたいである。

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その部屋の奥に書斎がある。

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下手な写真とともに、軽く説明、というか茶茶を入れたが、これは私が自ら調べたものではなく、
ほとんどがここにいたガイドさんから聞いた話である。
ガイドさんも話しやすい人で、諸諸の興味深いエピソードを聞かせて下さった。
太宰についての知識がほとんど頭に入っているらしく、一を聞いたら十返ってくるという表現がふさわしい。
ガイドさんから感じたのは、説明に年号が入ると一気に語りに重みが出るということだ。

この施設にはグッズ・ショップ太宰屋が併設されている。
お土産にはあまり興味は湧かなかったが、太宰関連の書籍、文献の豊富さには目を見張るものがあったが、いかんせん私は金がないので、何も買えなかった。
嗚呼、一度でいいから金の心配をしなくてもいい生活というものがしたい。
え?バイトしろ?
ははっ、コイツぅ。
(図星☆)


さて、疎開の家を後にした私は、そこからチャリですぐにある太宰の生家・斜陽館[http://dazai.or.jp/modules/contents/class-a01.html]に向かった。
おそらく金木見物一番の名所だと思われる。

CIMG0683.jpg

デカイ。
というのも、太宰は明治時代の大地主津島家に生まれた人物なのである。
確か父親が貴族院の議員で、兄が青森県知事という話だったはずだ。
太宰は相当な名家の元に生まれたのだ。
それが彼を長年苦しめる大きな原因になっているのは、彼の作品や生涯を考えるとよく分かるので、私はやや複雑な心境でここを見物した。


CIMG0741.jpg

当時の建築物としてもかなり貴重なものらしく、国指定重要文化財に選定されている。


天井。高。

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座敷。広。

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仏壇。大。

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庭。絶句。

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私の下手な写真でもはっきりと分かるが、贅の限りの尽くした大豪邸である。


CIMG0702.jpg

店のカウンター。津島家は金貸しを営んでいた。その担保として住民から土地をもらっていて、それによって家は発展していったのだが、その経営方法を、太宰は“悪”とみなしていたようだ。

津島家は階級としては上の上であったが、「津軽」などを読んでも、幼少期から太宰が親しくしていた人物は家の書生や下男、下女である。


「私は断じて、上品な育ちの男ではない。どうりで、金持ちの子供らしくないところがあった、見よ、私の忘れ得ぬ人は、青森に於けるT君であり、五所川原に於ける中畑さんであり、金木に於けるアヤであり、そうして小泊に於けるたけである。アヤは現在も私の家に仕えているが、他の人たちも、そんむかし一度は、私の家にいた事がある人だ。私は、これらの人と友である。」-『津軽』より


民衆の立場であり続けたかった彼は、この邸宅をどう見てどう感じたか。
それを考えると、やはり、ちと複雑な気持ちになる。


「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何もない、ただ大きいのである。」-『苦悩の年鑑』より


では、二階に上がってみよう。
二階は、一階の姿とは打って変わって、少し洋風趣味が現れる。

CIMG0732.jpg

余談であるが、私は時代物の洋館を見物するのが好きで、特に階段の佇まいに注目するのが常である。
以上、余談でした。


CIMG0714.jpg

上がってすぐの洋間。

CIMG0736.jpg

この部屋にあるソファ。


「中学時代の暑中休暇には、金木の生家に帰っても、二階の洋室の長椅子に寝ころび、サイダーをがぶがぶラッパ飲みしながら、兄たちの蔵書を手当り次第に読み散らして暮らし、・・・」ー『津軽』より


のソファである。
おおお・・・!と思っても、この部屋には入ることができないので、これは誰でも手をわきわきさせるしか事はない。


さて、こんな部屋がある。
説明によると、この襖絵を描いたのは川鍋暁斎だという。あら豪華。

CIMG0728.jpg


こんな部屋もある。
ここでは襖に書かれてある文字に注目である。
ほら、左から2番目の襖。

CIMG0717.jpg


CIMG0718.jpg

わかるかしら。
斜陽」という言葉が書かれてあるのだが。


生家の様子を見物するのも興味深いが、
ここには文庫蔵展示室というのがあり、そこで展示されている資料は必見だ。
太宰の愛用品が多くあり、それを見ることができて感激なのだが、中でもとりわけ、二重廻し(マント)と結婚の際に着用した袴には感動である。

ちなみに、斜陽館には、下図のようにマントが掛けられていて、見学者はこれを羽織って記念撮影ができるのだ。

CIMG0684.jpg

余談であるが、私もひとりこのマントを羽織って、あ、やっぱこの話はいいや。

前から思っていたのだが、マントってかっこよくはないか?
もしグッズ・ショップにマントが売ってあったら、私は行く末も何も考えずに購入しただろう。


さて、展示室に話を戻すが、
他にも豊富な蔵書もあり大変見応えがある。
また、「思い出」や「津軽」に登場する、太宰の乳母・越野たけさんの写真があり、これには雷に打たれたような衝撃を受けた。


斜陽館には通りの向かいに大きな駐車場もあるので、観光に不便はない。
太宰作品を読む者なら、一度は行ってみる価値があるだろう。

さて、十分堪能して斜陽館を出てみると、その駐車場に、疎開の家にいたガイドさんがいた。
どうやらこの辺りを周って案内をしているらしい。
せっかくなので挨拶をして、芦野公園に行く道を聞いた。
本当は、地図を持っていたので、それを見れば辿りつけるのだが、
ここはガイドさんに話を求めるのが旅の一つの流儀だろう。
疎開の家の時と同じく、ガイドさんは丁寧に道順を説明してくれた。
ありがとう。

再びチャリに乗って、今度は芦野公園[http://dazai.or.jp/modules/contents/class-a06.html]に向かう。
今まで黙っていたが、このチャリ、サドルが高めに設定されてあって、乗るのにいくらか苦労する。
私の脚が短いのではない、サドルが高すぎるのだ。
目的地までの道のりは、完全なる田舎町の風景だった。
そんな中を旅行者然とした格好で走るのは、いささか照れるが、それでも“旅をしてる感”を噛みしめることができるのは気持ちがいいので我慢しよう。
そうか、これが「嬉し恥ずかし」という感情なのか。
道中、太宰治思い出広場[http://dazai.or.jp/modules/spot/index.php?lid=16]があったが、広場が住宅街の中に突然現れるという立地で、これの唐突さは奇妙に感じた。
ここに私が寄るのは旅行者然というよりは、不審者然になってしまうのではと考え、見物は回避。
それでも頑張って写真は撮ってしまうあたり、私もまだまだ脱俗しきれていない所がある。

CIMG0745.jpg


さて、なんやかんやで芦野公園に到着である。
歩行だったら30分はかかったろうが、チャリでは5-10分くらいで行けてしまう。
やはりレンタサイクルを利用したのは正解なのだ。
芦野公園は太宰が幼少の頃よく遊びに行った場所である。


「この辺は、金木の公園になっている。沼が見える。芦の湖という名前である。この沼に兄は、むかし遊覧のボートを一艘寄贈した筈である。」-『津軽』より


園内には太宰治文学碑(『葉』でも引用されてあるヴェルレエヌの一節「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」が刻まれている。)や太宰治像などがある。
だが私は今回それらには向かわず、芦野公園の旧駅舎を利用した喫茶店、その名も「駅舎」[http://www.kanagi-gc.net/eki/]に寄った。


「ぼんやり窓外の津軽平野を眺め、やがて金木を過ぎ、芦野公園という踏切番の小屋くらいの小さい駅について、金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言われ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんのかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥えたまま改札口に走って来て、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待っていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違いない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もっと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思った。」-『津軽』より


この駅を利用した喫茶店・駅舎。

CIMG0744.jpg

ここでは、弘前市にある喫茶店「万茶ン」のオリジナルコーヒーも飲めるが、万茶ンにはあとで行ってみようと思っていたので、ここではカルピスを飲んだ。
ここまできてカルピスってww
ちなみに、メニューには「アイス・カルピス」とあったので、
私は「む!カルピスのアイスクリームか!おいしそうだ!」と思って、
ウキウキした気持ちで「カルピスのアイス。」と注文をして待っていたのだが、
出た来たのは、ただの冷たいカルピス(液体)。
あのメニューの書き方はいわゆる“アイス・コーヒー・メソッド”(今私が作った言葉である)が採用されていたのだったのだ。
カルピスのアイスクリームが出てくると踏んでいた私は、とてもがっかりすると同時に、今しがた自分がした、あまりにも不自然な注文の仕方を思い出し、ひとり赤面してしまう。
皮膚から発せられる熱を紛らわすために、アイス・カルピスを飲む。ああ、おいし。

「だったら“ホット・カルピス”もできるんですかー!?」という喧嘩腰の感情を抑え、
店員さんの許可を得て、店内を撮影。
飲食店内の撮影は俗っぽくて本当はあまりしたくはないが、旅は一時の恥だと言い聞かせて、カメラでパシャリ。

CIMG0742.jpg

他のお客さんもいたので、天井しか撮れなかった。
下界の様子は頭の中に刻みこんでおいた。

CIMG0743.jpg

店内にあった太宰の写真。中中の男前、かつ洒落者である。



芦野公園から次に足を(というか二輪を)運んだのは、斜陽館の近くにある雲祥寺[http://www.jomon.ne.jp/~oldpine/]というお寺である。
ここが、今回の金木巡りで最後に訪れた場所である。

CIMG0746.jpg

「たけは又、私に道徳を教えた。お寺へ屡々連れて行って、地獄極楽の御絵掛地を診せて説明した。火を放けた人は赤い火のめらめら燃えている籠を背負わされ、めかけ持った人は二つの首のある青い蛇にからだを巻かれて、せつながっていた。血の池や、針の山や、無間奈落という白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、至るところで、蒼白く痩せたひとたちが口を小さくあけて泣き叫んでいた。嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。」-『思い出』より


ここに書いてあるお寺こそ、この雲祥寺なのである。
お寺の人が事務所にいたので、挨拶をして寺の中へ入れさせてもらった。
とても大きいお寺である。話によると、奥津軽でも随一の規模を誇るお寺とのことである。
どこのお寺でも、気持ちが自然にしゃんとしてしまうのは、私は信心深い側の人間であるということだろうか。
そして例の地獄絵図も拝観した。
詳しくじっくりと見ていると、うう、確かにグロテスクだ。
血が出ていればグロテスクか?人が鬼に食われていればグロテスクか?
いや、これはむしろやっていることがグロテスクなのだ。とてもえげつない。
成程、確かにこの絵に描かれているものは地獄なのだ。

またこのお寺だが、


「そのお寺の裏は小高い墓地になっていて、山吹かなにかの生垣に沿うてたくさんの卒塔婆が林のように立っていた。卒塔婆には、満月ほどの大きさで車のような黒い鉄の輪のついているのがあって、その輪をからから廻して、やがて、そのまま止ってじっと動かないのならその廻した人は極楽に行き、一旦とまりそうになってから、又からんと逆に廻れば地獄へ落ちる、とたけは言った。たけが廻すと、いい音をたててひとしきり廻って、かならずひっそりと止るのだけれど、私が廻すと後戻りすることがたまたまあるのだ。秋のころと記憶するが、私がひとりでお寺へ行ってその金輪のどれを廻して見ても皆言い合わせたようにからんからんと逆廻りした日があったのである。私は破れかけるかんしゃくだまを抑えつつ何十回となく執拗に廻しつづけた。日が暮れかけて来たので、私は絶望してその墓地から立ち去った。」-『思い出』より


というエピソードもある。
しかし、私は上述の占いはやらなかった。
なぜか?


忘れたのだ。


・・・忘れたのだ。
迂闊だった。
他にも色色考えることがあったので、そのことがすっかり頭から抜け出てしまったのだろう。
だが、流石に墓地に入るのは、少少アレがナニだとも思うので、まあやらない方がよかったのかもしれない。
それに、あの恐ろしい地獄絵図を見た後で、自分の死後の行く末が地獄だったらと思うと、やはりやらない方がよかったと思う。
ということで理屈をつけて“妥協”した。
もうこの話題はいいだろう。これ以上思い出させないで。


さて、大体の所を回り、金木駅に戻ってきた私。
次の電車までだいぶ時間があるので、駅二階の喫茶店で休むことにした。
その喫茶店の窓から見えたのは、“津軽富士”こと岩木山

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立派だ。

岩木山は太宰も


「「や!富士。いいなあ」」-『津軽』より


と思わず叫んでいる。
私も叫ぶべきだったか・・・?


「津軽富士と呼ばれている一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮かんでいる。実際、軽く浮いている感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある。」-『津軽』より


「私はこの旅行で、さまざまの方面からこの津軽富士を眺めたが、弘前から見るといかにも重くどっしりして、岩木山はやはり弘前もものかも知れないと思う一方、また津軽平野の金木、五所川原、木造あたりから眺めた岩木山の端正で華奢な姿も忘れられなかった。」-『津軽』より


とも表現している。


私の旅中では、岩木山はその頂きをいつも雲に隠していたので、ここで眺めたように、頂上を見とめることができた時間はとても貴重であった。



・・・さて、ではこの章の最後の締めくくりとして、
帰りの列車をもってして、今一度津軽鉄道の風景でも紹介しようと思う。

津軽鉄道は本当にのどかな景色の中を走る。
なお、この写真は、上りホームと下りホームを結ぶ連絡路から撮った。線路に降りたわけではないので、誤解しないでいただきたい。

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線路と岩木山。

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あ、向こうから列車が来たみたいだ。

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車輌側面を見てみよう。

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走れメロス」とある。
往きの列車では気づかなかったが、これも太宰治のゆかりの地へ向かう汽車として、いい演出をしている。



いやしかし、金木ではしつこい程に、太宰づくしであった。
これから彼の作品を読むときには、より一層思い入れを持つことができそうだ。



さて、名残惜しいが鉄道に乗って、五所川原駅経由で、今度は弘前に向かおう。
太宰が学生時代を過ごした、奥ゆかしい城下町へ。



三、青森

太宰治のふるさと・金木巡りを大いなる充実感をもって終いにした私は、今度は一路、弘前に向かった。

弘前までの移動だが、これについては、あまり紹介すべき事項がないため、
出来る限り事務的に、その移動経路を説明しておくことでお茶を濁しておく。
まあ、ここにおいて、私は動く箱に入れられて運搬される、ただの肉塊だったというわけだ。


津軽鉄道 金木駅
     ↓
津軽鉄道 津軽五所川原駅
五能線・奥羽本線 五所川原駅
     ↓
奥羽本線 弘前駅 ←New!


というわけで、素っ気なくも私は弘前への初上陸を果たした。

初上陸ということで心躍るものがあったが、実際的に、弘前のどこを見物しに行こうかは決めてなかった。
候補としては、 ①喫茶店・万茶ン か、ベタに ②弘前公園 に向かうかの二つがあったが、
それまで金木にいたことを考えて、今日は太宰まみれの一日にするのもいいんじゃないかと思い、
最終的に万茶ンに行くことにした。

その日の計画はそれでいいが、
ここで私は、翌日への布石を投じておこうと、弘前駅にある観光案内所に立ち寄った。
翌日は弘前駅から出るバスを利用して、白神山地に行くつもりだったので、その乗車券を買っておこうと思ったのだ。
何度でも言うが、私は大きな身なりと異なり、大変な小心者のため、常にもしもの時を考えて、事前準備やお膳立てや根回しにかなりの時間と神経を費やすきらいがある。
案内所の職員にバスのことを訊ねてみると、丁寧な口調で答えて曰わく、乗車券はここでは販売していないので、向こうにある弘南バスの窓口で買って下さい。でも窓口は今日は終わってしまったので、明日の朝買いに行って下さい、と。
結局乗車券は翌日に買わなくてはならなくなった。
これにて、私の事前準備の試みは徒労と化した。
さらに、職員さんの口から、にわかには信じられない、というより信じたくない情報が飛び出た。
どうやら、翌日私が体験するつもりだった、白神山地の人気の散策コース・暗門の滝歩道が、先日の大雨によって全面歩行禁止の措置が取られているというのだ。
出発数日前からこのコースを歩行するつもりでルンルン♪していた私はここにきて、ぐぬぬ・・・と唸るばかりであった。
明日の予定はどうしよう。今夜、宿舎で考えるべき案件が、予期せず現れて困ったの巻。

ここでの結末は後味が悪いものだったが、案内所の職員さんは、懇切丁寧に説明をしてくれて、感じがよかった。
顧みるに、青森の人は総じてとても丁寧かつ善良な応対をしてくれた。
義理や職務で話をしているような感じがしないのだ。
私はこれまで何回かひとりで旅をすることがあったが、自分の社会に馴染みずらい外見のためもあるだろうが、青森の人のような、思わずこちらまで嬉しくなってしまうような取扱いはあまりされてこなかったので、ここにきて初めて、旅先に於いて人心地を得ることができたように感じた。


さて、明日の事を考えるのは、後回しにして、
先程立てた計画に沿って、喫茶店・万茶ン[http://www7.ocn.ne.jp/~manchan/]に向かった。

弘前市内の観光には、弘南バスが運行する土手町循環100円バス[http://konanbus.com/100yenbus/100yenbus.htm]が便利だ。
約10分間隔で走るバス路線で、市内の名所の近くをぐるぐると循環していて、一回乗車で運賃は100YENなのである。
時間の小回りがきくのと、運賃が分かりやすいこともあって、今回の旅に於いて弘前観光に大変重宝した。
弘前駅前からこのバスに乗り込み、目的の下土手町までバスに揺られる。
目的地に着くまでの時間も、私にとっては大事なもので、
車窓から街並みを拝見し、ここでの人人の暮らしに思いを馳せるのもよし、
徒歩でかかるだろう時間を計算したり、だいたいの地理を頭に入れて、今後の観光に活かすもまたよし。
ここでは現代文明の箱に入れられて、ただ輸送されるだけの“モノ”にはならないようにしたい。

途中弘前大学病院にバスが入ったが、やはり病院は平地にあるに限る。
高台にある病院なんて、不便である上に、どこか高慢な感じがしてどうもいけ好かない。
私の最も身近にある病院を思い、せめてバスが通っていればだいぶ便利にならないかしら、まあ無理だろうな、土地がないからな、と頭の中で勝手にひとりごちた。

そしてなんやかんやで下土手町バス停に着くバス。
そこからすぐの路地にある、喫茶店・万茶ン
太宰治が旧制弘前高校に在籍していた時に通っていた店だ。
私の太宰づくしの一日は、その舞台を移しただけでまだ終わってはいなかったのである。
今回写真は撮っていないが、入口には個性的な、矢状断されたコントラバス(なのかどうかはよく分からない)が置いてあるので、すぐに分かった。
私はあまりこういう喫茶店には入らない(そもそも外食をあまりしない)性質で、さらに、これまでも度度登場した小心がまたしても姿を現し、かなりの緊張をおぼえたが、さあ行くぞ!と店内へ。

貸し切り。

うーん、てっきり「店内にはお客がごった返しの図」を想像していたんだけどな。
まあこれは幸運なこと、人目はなるべく無い方がいい。
ということで、ここで肩がスッと軽くなったような気がし、さらに調子づいて、気分は(あくまで気分だけ。見た目には出さない)意気揚々と席に着く。

この時はもう夕方近くになっていたのだが、実は津軽に着いてから今まで、チョコレート数粒と例の“アイス・カルピス”とバニラアイスくらいしか腹に入れてなかったので、この時の私は軽く空腹状態であった。
この旅で学んだのは、自分は昼飯を食わなくとも割と動ける、ということだ。
普段は必ず三食を摂る生活をしているので、このことを学ぶ機会はこれまでなかったのだが、
旅先の不規則な行動パターンにおいて、丁度よく食事のすることができない環境に身を置いてみて初めて、
自分は昼食を抜いても結構生きていけることに気がついた。
とは言っても、習慣として昼食は私の生活に根付いているので、今さら暮らし方を変化させるつもりは全くなく、
ここで学んだのは、あくまで妥協案として昼飯を抜くのは、アリということだ。


さて、話が逸れたというレベルを通り越して、もはや座標移動してしまっているところで、
話題を本来のものに戻そう。

ええと、軽い空腹を感じていたので、私はお店自慢のコーヒー「太宰ブレンド」とケーキのセットを注文した。
・・・あれ。こんな拍子抜け乙の話題だったっけ。
なんか話題を戻して損した気分だぞ。

品物がやってくる少しの間、店内を見回してみる。
太宰が通っていた、ということでよく知られているが、実はこのお店は、東北最古の喫茶店ということでも高名である。
創業は1929(昭和4)年。歴史のあるお店である。
確かに内装には、喫茶店らしく「洒脱」や「瀟洒」という言葉を思い浮かばせる雰囲気の他に、歴史を感じさせる品格や重厚感の香りも漂っている。
大袈裟な表現になってしまって甚だ恐縮だが、要するにとても感じのいいお店ということである。
・・・今度は要し過ぎてしまって甚だ恐縮である。

その名の通り、太宰がよく飲んでいた太宰ブレンドを飲んで、私はよく言われる「本当においしいコーヒーはブラックで飲むとおいしい」という通説を信じることにした。
なるほどおいしい。
私は、その、まあいわゆる甘党のケがあるのか、あるいは単に苦いものを好まないのか、
とにかくブラック・コーヒーというものが苦手だった。
ブラック・コーヒーは毒である、と臆面憚らず演説し、必ず砂糖とミルクを入れなければコーヒーを飲めない人間だったのだが、
せっかくだから・・・と、ブラックで飲んでみた太宰ブレンドは、飲んでも全く嫌な感じはしなかった。というかおいしい。
これは事件である。
これが大人になるということだろうか。違います。コーヒーがおいしいからです。

セットのケーキもおいしかった。
ショコラケーキというものだろうか、実に私好みの味である。
そしてケーキの層の中に、青森らしいリンゴが組み込まれてある。
私には意外な組み合わせだったが、思ったよりも合う。
そして何よりもケーキには生クリームが載っかっているのが嬉しい。
私は生クリームに目が無い。

お店についてマスターにあれこれ聞いてみたかったが、
店内を見渡し、コーヒーとケーキを味わっているうちに、
それはまったくの野暮であると気がつき、素直にありのままを楽しもうと思った。


ここでは静かな至福の時間を過ごした。
こういう旅も悪くない。


さて、そろそろ時間も時間なので、宿舎のある青森に向かうことにする。
弘前の一喫茶店での出来事だけで、結構な文量になってしまったが、
できれば青森でのことも記録してこの章はお終いにしたいので、
読者諸君にはもうしばらくお付き合いを願う。


青森市、特に青森駅周辺。
私はこのエリアにとある期待を抱いていた。
いつだったか、地方都市の駅前の光景の無個性なことを非難したことがあったが、
今回訪れ、滞在する青森駅はどうか面白みのある街並みであってほしい・・・!と願っていた。
その願いは叶った。青森駅はいい。
駅前の中心通りは変わり映えしないが、駅からすぐのベイエリアは個性があって歩くのも楽しい。
空に浮かんでいるように見えるベイブリッジが近未来的な外見をしていて、とてもワクワクする。渡りたい。

あとでゆっくりと散歩するとして、まずは宿舎に行って荷物を置く。
今回私が利用したのは、高評価をするので実名を出しても別に構わないと思うが、
ウィークリー翔ホテルチトセ」[http://www.weekly-sho.jp/ws-chitose.html]というビジネスホテルである。
アメニティなし、部屋の清掃・ゴミ出しはセルフ。
だけど、宿泊料がとても安い!
一番安いので一泊1,900YENだ。ウハハどうだ信じられないだろう。
ネットでこのホテルを見つけた私は、ここに二泊をすることにした。
アメニティは自分で持ってくればいいし、何より滞在費が安く抑えることができるからだ。
こういうホテルは貧乏学生にはとても嬉しい。
いざ着いて部屋を見てみても、全然古くないし清潔でいい。
ただ難点があるとすれば冷蔵庫がないことかな。

さて、部屋に荷物を置いて、一息、いや、四息くらいはついたあと、
夕食を求めに夜の街に繰り出した。
ここまで来たのだから、せっかくなので青森らしいものを食べたいところだ。
そんな私に抜かりはなく、実は駅からホテルまでの道中で、郷土料理という看板を掲げたお店にいくつか目星をつけていた。
その中から、ホテルの裏手、一番近いところにあるお店に入る。
その名も「大もりや
カウンターと奥に座敷席がいくつかあるだけの、庶民的な食堂だ。
オシャレな創作料理レストランももちろんいいのだけれど私の暮らしにはあまり馴染まなくて、居心地が悪い。
私は庶民なので、こういう庶民的な店の方が似合うし、気疲れしないから好みである。
お父さんとお母さん(お店は家族で営んでいると思われる)に、青森の郷土料理といったらどんなものがあるか訊ねてみると、「貝焼き味噌」という答えが返ってきた。
貝焼き味噌、うん、聞いた事がある。
太宰治の『津軽』でも紹介されてあった。


「卵味噌のカヤキ(今で言う貝焼き味噌のこと)というのは、その貝の鍋を使い、味噌に鰹節をけずって入れて煮て、それに鶏卵を落して食べる原始的な料理であるが、実は、これは病人の食べるものなのである。病気になって食がすすまなくなった時、このカヤキの卵味噌をお粥に載せて食べるのである。けれども、これもまた津軽特有の料理の一つにはちがいなかった。」-『津軽』より


もちろん貝焼き味噌の御膳を注文。
まずはビールを飲む。おっと、太宰風に言ったら“ビイル”だな。
あまりビイルは日常的に飲む向きではないが、この日のように歩行に次ぐ歩行を重ねた後のビイルは、成程とても美味いものである。
貝焼き味噌は、まあ味の予想はついていたが、とてもおいしい。ご飯が進む。
果たして一日に何回、青森にいることの実感を感じればいいのだろうか。
他のおかずも、青森の海の幸満載でおいしかった。
こういう食堂が私の拠点にもあればいいなと思う。
いやしかし、これは初日の夜から大変な贅沢をしちゃったぞ。


食後は夜のベイエリアを散歩した。
A-FACTORY[http://www.jre-abc.com/a-factory/]という商業施設があったので、入って、買い物をする。
リンゴ酒、気取って言えばシードルを購入。
しつこいようだが、リンゴ酒ももちろん『津軽』に登場する。
この時の私はまだ、青森で買ったリンゴ酒と全く同じものが、自身の生活拠点のいたって平凡なスーパーで販売されていることを知らないので幸運である。
A-FACTORYからさらに海側入っていくと、なにやら怪しい階段通路があったので、もしやと思い昇ってみたら、
目に入った瞬間からずっと気になっていて仕方がなかったベイブリッジ上に出てこれた。

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正式名称はわからないのだが、このデッカイ柱がライトアップされていてキレイである。
柱を真下から見上げると、本当に大きく、遠近感が掴めなくなる。
見上げながら歩くと、平衡覚もおかしくなる。軽く酔った。
私もどうやらバカサイドにいるようで、高い所が大好きである。
このベイブリッジもかなり高いところを走っているので、手すりから下に広がる海を見下ろすのは、大変にいい気持ちだった。
下界の海に、細長い桟橋を発見。後で渡ってみようと思う。
私はA-FACTORY側から昇り、アスパムに向かうように歩道を歩いていたが、結構歩いても道の先に降りる所が見えないので、不安だったからまたA-FACTORY側に引き返して下界に降りた。

そこでブリッジ上で見つけたひょろ長い桟橋の様子を観察すると、どうやらこれを渡って向こう側に行っても、宿舎に帰れそうであったので、当然渡る。
この桟橋はどうやら「ラブリッジ」といういけ好かない名称で呼ばれているらしい。
名前はどうかと思うが、まるで海の上を歩いているような、良質な散歩道だった。早朝にまた来てみたくなる感じだ。
これによって、どうやらアスパムの方までも歩いていけるみたいだ。
ここまできたらアスパムにも足を運んでみようかと考え、ひたすら歩行する。
桟橋からアスパムまでは予想よりも距離があって、辛かったのは事実だが、
おかげで、これまた早朝の散歩にもってこいな広場を発見できた。
散歩にふさわしい場所を見つけるのはとても楽しいことだ。
なお、後で調べてみると、この広場は青い森公園というものらしかった。
こういう公園が家の近くにあるのはうらやましい。

さて、そうこうしている内にアスパム[http://www.aomori-kanko.or.jp/]に到着なのである。
出発前の予習で、もう施設内のお土産屋は閉店していることを知っていたが、
中の様子を一度見ておきたくて、入ってみる。
案の定お土産屋はどれもシャッターが降りていて夜の寂しい光景を演出してくれている。
お店が閉まっている以上何もできないが、施設の内部がどうなっているのかを確認できただけでも大きな収穫である。
明日あたりにでもまた来ればいいだろう。

アスパムを出て、宿舎に戻る。
思ったよりも距離はなく、私は宿舎の立地のよさを実感した。

なんとなく歌いたくなったので、その後また外に出て2時間程ひとりカラオケをしたのだが、
これについては平凡な感想しか出てこないので省きたい。
強いて何か言うのであれば、地域によって店の料金システムが違うのは戸惑うのでやめてほしい、と。
あ、あと、学生料金を導入してほしかった、と。
あ、あと、DAMはもっと平沢進/P-MODEL楽曲を充実させてほしい、と。


はてさて、明日は白神山地。
プランをどうするか考えて、就寝。
あまり憶えていないが、寝付きはよかったと思う。



四、白神山地

起床。時計を見ると時刻はまだ午前五時半。
ここでもか・・・。
実は毎年夏になると、私の身体はこの時間帯に覚醒するように設定されるのである。
何時に寝ても、前夜いくら疲れていても、必ずこの時間。
正確な体内時計を持つということは、人間としての一つの強みになるが、
ここまでの几帳面さは求める必要は全くない。
また私は、二度寝という幸福な習慣が極端にしづらい体でもある。
だから、この時間に起きたときには、布団の中でずっと悶悶としているか、私的なサマータイムに従って活動を始めるかのどちらかの選択をしなくてはならないが、この日は後者を選んだ。
弘前までの電車の時間、また、弘前からのバスの時間もあるので、
このくらい早めに動いた方が、余裕が生まれて、計画事項を取りこぼす心配もなくなるから、まあいいだろう。


朝の営みについては省略すべきだろうと思われるので、
早送りをして、電車に乗って弘前駅に着いたところから話を再開する。

昨日、観光案内所の職員さんに助言されたとおり、すぐさま弘南バス[http://konanbus.com/]の窓口へ。小さい事務所である。
そして駅からのバスの乗車券を無事に購入。
昨夜計算していた料金よりも大幅に安い運賃で購入できたので、得した気分になる。
私の旅は“いかに旅費を安く抑えるか”が重要になってくる。
窓口の職員に白神山地の情報を確かめてみると、
やはり、昨日知らされたとおり、暗門の滝歩道は通行禁止となっているらしい。
でも今日はどうかは分からないという。
その言葉に一縷の望みをかけ、バスに乗る。
最初は駅前から乗るつもりだったが、窓口の人のアドバイスされて、弘前のバスターミナルで乗車することにした。
弘南バスが運行する、白神山地までのバス、通称「白神ライン」は全席自由席である。
そのため、確実に席に座りたいなら、バスターミナルからの始発に乗った方がいいとのことだった。
まあいいでしょう。発車時刻まで時間があるし、ターミナルは駅から歩いてすぐだし、朝の弘前の街を軽く歩いてみてもいいしな。
「今日は平日だし、あまり混むことはないと思う。」というのは窓口の人の談で、確かに私も駅から乗っても全く差支えないような気がしていたが、念には念をの信念の下に、ターミナルへの歩行を始めた。

さてさて、この窓口に於ける出来事だけで、こんなに文量を増やしても仕方が無いと思われるので、
早速バスに乗って、白神山地に向かうまでの記憶を順順に引き出していきたい。

はいバスに乗りました。座席がせまいです。
車内にはゴツイ外人さんもいます。二人います。
外国人にとっては、日本の世界遺産だったら、やっぱり京都・奈良あたりに行くのが鉄板なのではないかと思っていて、そこをあえて白神山地を選ぶのはちょっと珍しいなと感じたのだが、実際はどうなのだろう。
外国からの旅行者は結構いるのだろうか。

ターミナルを出発して終点の津軽峠に到着するまで、約2時間の旅である。
2時間というのは乗車時間としてはどうだろう。
私は、乗る前は長いだろうと思い、車内で退屈しないように諸諸の妄想のテーマ(内容は明かせない。)を用意していたのだが、
車窓の景色の移り変わりを眺めていると、あっと言う間に2時間は経ってしまっていた。
ちなみに、景色を見ながらでもできるため、妄想はしっかりとしていた。内容は明かせない。
バスでも電車でもいいが、車窓の風景というのは見てて面白い。
何回も通ったことのある道でも、その時時によって少しずつ違っているからそんなに飽きないし、
この日みたいに、初めての道を走るのはどんな所でも無条件でワクワクする。
このバス路で見られる岩木山やリンゴ畑などの、いかにもな景色は、私のようなミーちゃんハーちゃん旅行者には結構感動するものだし、旅情もかきたてられる。
山深くなってくると、世界遺産登録エリアの近くや内部を走るようになるため、車内にいながらブナ林の観察をすることができる。
今は、森は窓の向こうにあるが、もし自分が窓の向こうの森の中にいれたら、よく分からないけど、たぶん安心するんだろうなと思った。
カーブミラーが流れてきた。鏡の中の自分と目が合う。
・・・カーブミラーは見ないことにしよう。

先述のとおり、あっと言う間に終点の津軽峠に到着である。
ここから徒歩5分程度で、白神山地のシンボル・マザーツリーに会いに行くことが出来る。
マザーツリー。当初は見に行くつもりはなかったが、暗門の滝歩道が閉鎖中ということなので、急遽予定に組み込んだのだ。


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マザーツリーまでの道のりはもちろん山道である。
さっきは窓を隔てた向こう側にあった森に踏み込む。思った通り安心したような心持になる。
おそらく私の身体には山の人の血が流れている。
そのためか、山や森を訪れると、ふる里に帰って来たときのような、ほっとした気持ちになるのだ。
森の中はしん、としている。
そうか、語彙の引き出しにしまったままの「森閑」という言葉はこういう時間を形容するときに使うんだなと感じた。
聞こえるのは自分が地面を踏みしめる足音だけ。なんだか地球に自分ひとりしかいないみたいだ。
いつも周囲に家族や友人がいるのは安心だし賑やかだけど、この時肌で感じた孤独も中中悪くない。
入口では森閑としていたが、奥に入り込んでいくと鳥の声や木木の落枝の音が聞こえるようになる。
さっきの静寂は錯覚だったのかしら?と思うほどに今度は森全体がざわついている。
もしかしたらこっちが自然の姿なのかもしれない。
近くで突然「パキッ」という落枝の音を響かせるのは心臓に悪いのでやめていただきたい。結構驚く。
また、鳥の鳴き声が近くから聞こえるので、その声の主を探してみるも一向に見つからない。でも未だ声は近くから聞こえる。
不気味だ。木木、草花、動物、森全体が、この余所者をあらゆる方向から見張っている様な感じだ。
歩いてから程なくして、マザーツリーと対面することができた。


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上の写真ではよく分からないかもしれないが、マザーツリー、デカイ。
案内によると、樹高は30メートル。
推定樹齢は実に400年とのことだ。
参った。気持ちをうまく言い表せそうにない。いや参った。
こんなものを見せつけられたら「自然の生命力が~」みたいな空空しいことは言えなくなってしまう。
今自分の目の前には一つの歴史がある。これはもはや歴史である。この事実を受け入れることしかできない。
壮大なものは言葉で形容すると、途端に嘘っぽくなる。

確か藤岡弘、さんがやっていたものと記憶しているが、
彼独自の方法に倣って、人生の先輩にエイッと拳を叩きこんでみた。
痛い。

このレポートには載せないが、その場にいたご婦人に頼んでマザーツリーと私の大きさを比較する2ショット写真を撮ってもらった。
私は小心者であるが、ここぞの場面で他人に自分の写真を撮ってほしいと頼み、ひとりでピースサインをかましてしまうクソ根性の持ち主でもある。
私は写真に映るのを嫌うが、これは撮ってもらうべきだと思ったのだ。
この一枚は今回の旅行で唯一の私が写っている写真である。


津軽峠から戻りのバス(往きのバスがバス停で待ってくれている。)に乗り、
今度はアクアグリーンビレッジANMON[http://www.kumagera.net/facillties/anmon.html]に降り立つ。
名前が長くて憶えづらいのだが、ここは例の人気散策路・暗門の滝歩道の起点となっている。
案内所やレストハウス、はたまたレストランに温泉にコテージと、施設内には充実の設備があって、白神山地の探索には便利そうな感じなのだ。
さて、案内所の職員に確認してみると、やっぱりここからすぐにある暗門の滝歩道は先日の大雨のために全面通行禁止となっているようだ。
だが、ここから行ける探索コースは実はもう一つある。
ブナ林散策道だ。
こちらのコースでは、大きな滝や川沿いの小道はないが、
白神山地に特徴的で、縄文時代草創期に生まれたといわれるブナの林に入り込むことができる。
振り返ってみると、こっちの方が多くの人が抱く白神山地のイメージに近いような気がする。
所要時間は約1時間。丁度いい。
ここまで説明したらもうお分かりかと思うが、私はこのコースを歩いた。


暗門大橋。硬派な鉄橋である。下を覗くと白神の清流が日の光を受けながらさらさらという音を奏でている。

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そう、今から私は世界遺産に足を踏み入れることになるのである。
インチキ臭い木彫りは白神山地のマスコット的存在のクマゲラを模したもの。

山道入口にに小さな小屋があり、中にはガイドさんがいらっしゃる。
挨拶もそこそこに、いきなり森林保存のための募金をしてほしいと言う。
「まあ小銭もあるし、それくらいなら。」と思ったら、そこにあった白神観光の記念になりそうなカードは300YEN以上募金してくれた人だけしかもらえないとのことだった。
募金で300YENって!
だが幸い私はそのカードが特に欲しくはなかったので、財布に入っていた小銭を募金箱に落す。
カードはもらえないが、傍らにそのカードに押したらよさそうなスタンプがあったので、それを手帳に押す。
ガイドさんに、スランプを押すのがうまい、くっきり絵が出ている、と褒められたがそれもそのはず、
私はリゾートしらかみに乗った時から、様様な名所を訪れる度に、そこにあった観光スタンプを手帳に押しまくっていたので、その経験により、押す手つきはかなり洗練されていたのだから。
ガイドさんに話を聞くと、これから入るブナ林散策道は途中で二つの分岐があるという。
なんともインタラクティブな林道だ。
その分岐を左、左、といった具合に進むと、一番歩く距離が長くなるという。
なるほど。左、左ね。
また曰く、序盤は登り道が多くてキツイかもしれない、と。
フフーン。大丈夫大丈夫。私は体育会系出身だし、普段からトレーニングしてるから、体力には自信があるぞ。
さあ、意気揚揚と散策道へ!


~(5分経過)~

キツイ。
なんだこれ。疲れる。
爆弾の膝も苦情を申し立てている。
序盤の登りだが、山道には自然の景観に溶け込んでいる階段があるけど、その角度と幅が絶妙に負担をかける構造になっている。
平坦な山道も踏み固められてはいるものの、ほとんど自然のままの姿なので、妙に気を遣って歩かなきゃいけない。
この散策道はとても身体に堪えるものがあった。
負荷運動をすると汗が出る。
気温としては丁度いいはずなのだが、こういう条件の中で身体を動かすと、次第に身体が熱を帯びてくるのが分かる。
この時帽子を被っていたのだが、汗やらなんやらで蒸れたのだろう、頭が痒くなってくる。
また、汗に誘われてか、うるさい小虫たちがヒトの血液ほしさに私につきまとってくる。
立ち止まると小虫たちに襲われるので、手をふり追い払いながらひたすら歩く。
もう生きた心地がしなかった。


愚痴はこのくらいでやめておこう。

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森の中にいるということはとても安心することだ。
360°を木木や草花に囲まれ、どこからともなく鳥の声や落枝の音が聞こえて、
その中に自分ひとりがいる。孤独をはっきりと宣告されるかのように。
周りには誰もいないが、その方がくっきりと自分の存在が確認できて、どこかほっとする。
自分は確かにここにいるのだ。
自然のよさはこれを自分の肌で感じられる点にあると思う。
また、ここまで広大な森の中にいると、自分のちっぽけなことが感じられる。この感覚も心地よい。
この自然には敵わない。その事実だけで良いのだ。
それ以外には何も考える必要はない。学校のことも。将来のことも。家族のことも。
思うに、呆ける、というのは幸福な行動だ。
楽しくなってきたので、口から歌が出てきた。
私は音楽の心得はまるでないが、気分によって自然と歌い出すことが時たまある。
ここで歌ったのは、平沢進の「達人の山」だ。
我ながら秀逸な選曲だ。





だが、たったひとりで歩いていたら、突如その状況が物凄く怖く思えてきた。
なんとなく監視されている感じや“気配”を感じて、ビクビクしながら歩いた憶えがある。
自然はちっともやさしくない。私にとっては今やただの脅威である。
そんな状態だから、すぐ近くで枝が落ちるバキィッ!という音がしたときは、思わずひゃうっ!となる。なった。
また、サササ・・・という不穏な物音がしたので、注意深く周りを観察すると、

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なんだ、カエルさんか。かわいい。
しかしデカイな。


さて、ここでまた愚痴を言わせてもらおうかしら。
意地を張って、ガイドさんの助言通り(?)分岐をことどとく左、左と進んで最長ルートを歩く私だが、
そのコース(予想以上に長かった。)の途中には、かなり足場のぬかるんだ箇所がある。

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↑こういう所とか。

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↑こういう所とか。

先日の大雨のせいだろうか。いや、この場所はもともと日当たりが悪いんだろう。
とてもぬかるんでいて、でも引き返せないので歩きだしたらグヂュゥとなって、もうこっちはひたすら「ふええ・・・。」と言いながら歩くしかない。
余談だが、私は純白のジャック・パーセルを履いていた。
本当に、ふええ・・・だよ。
案内看板の受け売りなのだが、こういった森林は雨水を一時的に貯め込んでいるのだそうだ。
この働きのおかげで、大雨が降ったとしても、川の増水は抑制されて、私達の平地での暮らしも守られているのだ。
ここで改めて考えるべきなのは、私達が環境を保護しているのではなく、環境が私達を保護しているということだ。
こうやって道がぬかるんでいるのも、きっと雨水を貯め込んでくれている証拠なのだろう。
感謝すべきなのだ。(グヂュゥ)ふええ・・・。

ブナ林を下山していく(結構登る。コース終盤はひたすら下る。)と、ずいぶん開けた川沿いの小道に出てきた。
言葉で説明するのは私にはちと難しいのだが、この川沿いの道は暗門の滝歩道のスタート地点に至る道である。
この道を川の上流に向かって歩くと暗門の滝、下流に向かって歩くとアクアグリーンなんとかビレッジANMONに帰れるのだ。
この道を歩いてなんとかビレッジANMONに戻る。

川沿いの道はいい。
太陽の光、せせらぎの音、森の匂い、爽やかな風。
森の道もいいが、この川の道も捨てがたい。
癒されると言うのがいいのだろうか。むしろ洗われると言う方が近いかもしれない。
何から洗われるのか?一言で言うなればきっと「現代文明」に違いない。
静かなものに元気をもらえるというのはどこか不思議だが、私にはこういう英気の養い方が合ってるんだろうな。
見たまえ、この川水の澄み具合を。

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よく販売されている「白神山地の水」的なミネラルウォーター・・・これ矛盾ないか?
まあ、そういう類の水がある理由が分かる。ここまでキレイだと、確かに飲みたくなる。

少し歩くと、こんな橋があった。私好み。

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私は橋全般が好きな方だが、特にこういう柵のない橋を愛おしく思う。
ルンルン♪気分で渡る。音符までつけて楽しげに。

ブナ林を歩いているときはそんな素振りはなかったが、
ここに来て急に獣臭くなってこれまた肝を冷やした。
クマはいないだろうけど、少し警戒をする。
ここ白神山地にはもちろん野生の動物が生息している。本当は彼らのテリトリーなのだから当然なのだ。
そのテリトリーに入っているからこそ、彼らに排除されても私達人間は全く文句は言えないのだが。
警戒・観察をしながら注意深く歩いたが、動物の姿は確認できなかった。
多分サルか何かだろう。

しばらく歩いていると、道の先の方からゴゴゴゴゴゴゴゴゴという体内に響く音が聞こえる。
近づいていくと、その音は段段と大きくなる。いや、うるさい。
ビクビクしながら歩くと、そこには大きな滝。

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ではない。これは治山ダムである。
先日の大雨もあってか、かなりの水量があるように見えた。
水の落ちる速度もかなり大きいし、滝壺の視覚的な水圧がとてつもなく重い。
また何よりもその音だ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴという地響きのような音に私はここでも恐怖を抱く。
これは敵わない。
ダム自体は人工的な建築だが、水の運動はそれ独自のものである。
自然の力にはやはり私達は敵わないのではないだろうか。
だからこそ人の手を持て余す。


白神山地では、ブナ林散策道を歩き、また川沿いの道を歩いた。
自然に癒される、というよりは元気をもらえたというような気がしたが、同時にその自然の脅威を見て恐ろしく感じる所もあった。
だがこれが自然の姿なのである。
人間が完全に操作することのできないスケールがそこにはあった。
自然と共存?何を言う、私達は自然の中で生きる、自然のごく一部にしか過ぎないのである。
そんな事を考えていた私に、木木たちがが「お前も生きろよ。」と囁いてくれた。
ああ、任しとけ。チョコレートを食べて、まずはこの一歩から。

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なんとかANMONに戻ってきた私は、弘前駅前行きのバス時間までレストハウスで休む。
休むときはしっかり休むのが、旅の極意の一つではないかしら。
実はこの日も昼食らしい昼食は摂っていない。
小腹が空いたし山菜そばでも食べようと思っていたが、気がつけばりんごソフトクリームを注文して食べていた。ああ、おいし。

休みついでに余談であるが、なんとかビレッジには、下図のような遊具がある。

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田舎の公園にあって、幼少期によく遊んだ大きな滑り台を思い出して、懐かしくなってきてしまい、
幸い、周りに誰もいなかったので、こそこそと上に。
結構高くて驚いたが、童心を呼び起こし、滑る。
この手の滑り台は閉じ込められているように思えるし、意外にスピードも出るので、普通に恐かった。
何の余韻もなく砂場にゴール。
誰にも見られてはいないが、案の定ひとりで気恥ずかしくなって、赤面しながら苦笑い。
この時ほど、自分をバカだと思ったことはない。

帰りのバスに乗り、下山。
行きと同じ時間の旅だが、やはり疲れが出てきて、
ボーっと虚ろな目で外を見る。
何も考えられない。妄想はちょっとした。内容は明かせない。

そして、これまたあっと言う間にはじまりの場所、弘前駅に着いた。
あれ、思ったよりも早く着いたから、だいぶ時間があるな。
青森に戻る前に、ちょっと弘前観光でもしちゃいますか。
バスから降りた私は、すぐさま例の循環バスに乗り、休息もとらずに“津軽人の魂の拠りどころ”弘前城を目指した。



五、弘前

自身初の白神山地探検を心地よい疲労感をもって終えて弘前駅に戻ってきた。

いきなり話が変わって恐縮だが、実はこの日は夜に青森市のシンボルである複合商業施設アスパムに行きたかった。家族へのお土産を買っておこうと思っていたのだ。
アスパム内の土産屋の閉店時間もあるから、弘前から青森へ向かう電車で、この時間に十分間に合う便を一つ調べておいた。
だが、こうして白神山地から戻ってみると、イメージしていたよりもその電車まで大幅に時間が余っている。
おやおやと思った私は、明日にでも回そうかと思っていた弘前観光を、もうこの時間にしてしまおうと考えた。
さて、そうすると、どこに行こうかしら・・・?
候補は色色とあったが、まずは弘前城に向かうことにした。
しつこいようだが、引き続き太宰治作品を参照してみると、太宰は弘前城を「津軽人の魂の拠りどころ(『津軽』より)」と評している。
どうも大風呂敷を広げたような表現だなと思ったが、太宰がそこまで言うなら行ってみないわけにはあるまい。
昨日も利用した土手町循環バスで弘前城(弘前公園と言った方が正しいかもしれない。)へ。
市役所前バス停を降りる。
ここから歩いてすぐの所に、弘前公園の出入り口の一つである、追手門がある。
追手門(他にも東門、北門などがある。)というものがあると、昔はここに城があったんだなということが感じられる。
弘前市街地の各町の名前も、城下町の名残がみられる。
そう言えば、このエリアには追手門広場があって弘前観光の一拠点になっているはずだ。
明治時代の洋館もあるので、後でここにも行ってみようと思った。

追手門をくぐり、弘前公園に入る。
そう言えば大阪城なんかもそうだったけど、こういう城の周りに良質な散歩道があるのは羨ましい。
いや、この際城があるかないかは大して問題ではないが、こういう市民が集まる公園があるのはいいことだ。
私の生活拠点には白山公園という大きな公園がある。
歩くたびに少しずつ違っているように思われて、決して悪くはないのだが、さすがに最近通い慣れてきている節もある。


振り返ってみると、初めて歩く道は楽しいものであり、歩いているその時はそれをとても羨ましく思うのであって、
もしその道そのままが自分の住んでいる町にあって日常的に散歩していたら、現在の白山公園に向けたような気持ちを抱くに違いない。
隣の芝はなんとやら、だ。
こう考えてみると、旅行先での散歩と、現住所でする散歩とではどこか違う所があるのかもしれない。
違いがあるとしたら“習慣化”しているかどうかという事だろうか。
前者は楽しい。初めての道、初めての景色。楽しくないわけがない。
初めてというのは、自分にとっては新しいということでもある。
旅行先での散歩はこれまでになかった新しい記憶を頭に記録するところがその魅力なのではないか。
後者は、まあ少しは楽しく思うこともあるが、毎朝歯磨きをするみたいに習慣化されているので、
行楽いうよりはどこか自身にとって哲学的な意味があるんじゃないかと思う。
こういう普段の散歩、何回も歩いている道で何か新しい考えが生まれたという経験が、読者諸君にもあるんじゃなかろうか。
思うに前者は記憶する、学習するといったものが前面に出るが、後者はそれを活用する、出すといったものがその意義の核にありそうである。
前者はinputで後者はoutputである。

おっとっと、いつの間にか稚拙な思索に耽ってしまった。これはどうもよくない。
この弘前公園は市民たちも散歩やランニングはたまた通学路としても使っているみたいだ。
道幅も広く、植物もたくさんあって感じのいい所だ。
弘前公園と言えば桜の見事なことで全国的に有名である。
小説家の田山花袋“桜の頃の弘前公園は、日本一”とお墨付きを与えたという。
季節的に桜は完全に葉になっていたが、確かにそのシーズンだとそれはもう素晴らしい景観に違いないと思った。
人混みが大変だろうが、一回は観に行きたいものだ。
しかし、いくら歩いても、弘前城の天守閣が一向に姿を現せない。
そう言えばバスでこの辺りを走っているときも天守閣はちらりともその影を見せなかった。
大阪城や名古屋城なんかは道路を走っている時でも見えたはずだが。
なんてことを考え考え歩いていたら、ついに天守閣が出てきた。


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小さい。
写真ではその縮尺は分からないと思うが、弘前城の天守閣は予想よりも小さくあまり迫力は感じられない。
なるほど、公園の外からは見えない理由はここにあったか。
これがあの“津軽人の魂の拠りどころ”なのか?とんだ拍子抜けである。
どうやら奥は有料のようで、そうすると城の内部に入ることができそうであったが、
なんとなく興ざめしたような気持ちになって、ここで時間やお金を使ってもしょうがないと思い、
これまで歩いてきた道を引き返すことにした。
私には、弘前城を見たという事実以外は何も残っていない。

弘前公園で心地よい歩行を体験して、再び市役所前エリアに戻ってきた。
まだまだ時間にも余裕があるので、今度は追手門広場の洋館を見学することにした。
まずは旧弘前市立図書館だ。

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私は建築を観るのが好きというだけで、この方面の知識は全くないのだが、
この建物は堀江佐吉(太宰治の生家の設計も担当した津軽の名匠)らにより、1906(明治39)年に建造されたものである。
白を基調としながら、赤色の屋根や深緑色のラインや八角形の双塔がかわいらしい。

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ここだけを見ても相当作り込まれているのがわかる。

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以前何かのレポートで言っていたかもしれないが、私は洋館を散策する中で、とりわけ階段周りの意匠に注目をする。
なぜかは自分でもよく判らないが、階段の佇まいというものに魅かれる性質なのだろう。
建物内部はファイアーキングのマグカップを連想させるジェダイカラーが取り入れられていてお洒落だ。

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八角形の塔には婦人閲覧室というものがある。
今で言う所の、女性専用車両みたいなものだろうか。
この時代は図書館の部屋にも男女の区別しているのかと、少し驚いた。


次はその隣にある旧東奥義塾外人教師館を見学する。
東奥義塾というのは、青森県初の私立学校のことで、これはその学校の外国人教師の住居として使われたものである。
1900(明治33)年の建築だそうだ。

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しかし、なんでどの洋館もこんなに美しく色を組み合わせるのに成功しているのだろう。
美しくてかわいくてそれでいて親しみやすい。

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現在この建物はただの名所というだけでなく、一階ではカフェとしても利用されている。

もはや恒例。野良犬の階段チェック。
こういった、重厚感のあるシックなデザインもいい。

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見学できる二階は外国人教師の家族の暮らしぶりが窺える。
ここまでのレベルにこだわる気はないが、実は私もこんな感じの家に住みたいと夢みている。
洋館探訪は、自分の場合のための参考という意味合いもある。

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さて、二つの洋館を見学できてほくほくしている私だったが、
なんと!ここに至っても、まだまだ電車まで時間がある。
時間があるため、私は行けないだろうと半ば諦めていたある場所に行ってみることにした。
例の循環バスがあまりに出来過ぎなタイミングで来たのですぐさま乗り込んだ。
程なく文化センター前バス停で降りて、少し歩く。
この辺りは道が分かりづらい。
ここまで来ると観光地というより、ほとんど住宅地と言ってもいい位である。
旅行でこういう住宅地を歩くのは初めてではないが、なんとなく毎回不安を感じながら歩いている。
この辺りではないかと思う所で、子供達の声が聞こえる。幼稚園があるみたいだった。
マズイ!子供達にこんな馬の骨の姿を見せることはできない!と思い、ササササと歩くが、
その幼稚園のすぐ隣に、私の目的地があった。
カトリック弘前教会
(子供達とその親御さんがいたので、不審に思われたくないから外見の写真は撮っていない。)
まず勘違いしてほしくないが、私はキリスト教徒ではない。
むしろ生活の仕方としては仏教側に立つ人間である。
じゃあ、こんな男がどうして教会に?と不思議に思うだろうが、やはりここでも私は建築に興味が出ていたのだ。
この教会は1910(明治43)年に、堀江佐吉の弟・横山常吉が建築したのだそうだ。
では、中を見学してみよう。
幸い(?)中には、案内者やガイドといった人はいなく、見学者は自由に入る事が出来る。
こういう宗教的な建築物はできれば一人で静かに見てみたかったのだ。


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私はキリスト教を信仰している訳ではないが、こういうものをしんとした場所でひとりで眺めていると、どこか自分の敬虔な気持ちの持ち主であるように感じる。
私も案外ちょろい奴だ。意外と宗教にのめり込みやすい人種なのかもしれないな。

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ステンドグラスが西日を受けてキラキラ輝いて、それはもうキレイだった。
この教会の見どころとしてこのステンドグラスが挙げられそうだが、その中の一枚を見てみると、


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岩木山リンゴ津軽三味線など、津軽地方を連想させる珍しい趣向となっているのだ。
また、建築デザイン的にもう一つ特徴的なものを挙げるとすれば、一枚目の写真でもちらりと写っているが、


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畳なのだ。
私は出発前に調べて知っていたのだが、このユニークなものを実際に見てみたかったのだ。
本当は、時間が無いだろうと思われ、見学するのは諦めていたのだが、今回予想外に時間が余って結果、見学することができたのは嬉しかった。

さて教会を後にすると、時間がだいぶいい具合に経過していたので、そろそろ駅に向かうことにする。
最寄りである文化センター前バス停に行くと、これまた絶妙なタイミングでバスがやってきた。
循環バスはこういう時間の小回りがきくので、今回の観光に大変重宝した。


なんやかんやで青森駅に戻ってきた。
一旦宿舎に返って荷物を部屋に置いた後、身軽な格好でアスパムに行く。
家族へのお土産を買うためだ。私は外見上は親孝行者である。
この話はする必要は全くないと思うが、私の親は全国各地の「ご当地キューピー」なるものを集めている。
これはその名の通り、キューピー人形が各地の名産や名所、ゆかりのある人物のコスプレをしている小さなマスコットである。確かにかわいい。
私は集めていないが、割と家族の中でも出歩く方なので、その度にその土地のキューピーを買ってくるようにと親から頼まれるのだ。
このような伝で、アスパムで探すのもキューピー人形だ。
確か青森県のキューピーは親も数種類所有していた筈だ。
となると、何か新作があればそれを買っていけばいいだろうと思ってみてみたが、どこを探してもない。
ない。ない。
参ったなあ。でもないんだからしょうがない。明日また弘前駅に行くから、駅ビルのお土産屋にでも行ってみればいいや。
結局アスパムでは何も買わなかった。

さて、買い物も済んだ(何も買っていないが)ので、夕食でも食べますか。
当初は、駅前にあった安い寿司屋にでも行こうかと考えていたが、日中母親からのメール(母親は私の旅行中に頻繁にメールを送ってくる。)で思い出し、とある青森名物を食べに行くことに決めた。
駅からあるいて約10-15分くらい。
味の札幌大西
もしかしたら一部の人はもう分かったかもしれないが、
私は今夜の夕食に、青森名物味噌カレー牛乳らーめんを選んだ。
味噌カレー牛乳らーめん・・・。昇天ペガサスMIX盛り的発想の料理だ。
名前のインパクトはあまりにも強いが、実際どんな味なのかはまるで想像がつかない。

店は普通の食堂といった雰囲気。
私の生活拠点・新潟無機終焉都市はらーめん激戦区で、らーめんの地位向上だとか、革命を起こすだとか言って、
らーめんそのものを工夫(王道とだいぶかけ離れて行くような工夫である。でも確かにこれはこれでおいしい。)したり、店の面構えをファッショナブルにするところがあったりするが、私はそういうギラギラした野心的なのは飲食店としては少し苦手で、できれば住民が普段遣いするような、善良な庶民の顔をした店の方が好みである。
そういう意味ではこの店は私の好みの表情と、完全とまではいかなくとも、だいぶ合致していた。

さて肝心の味噌カレー牛乳らーめんであるが、
大変に描写しづらく、不思議な味だった。
味噌の風味もするし、カレーのスパイシーな所も現れ、かと思ったら牛乳のクリーミーなテイストが出てきて、もう訳わからん!
でもおいしかった、これだけは言えるのだが、それでも終盤になると少し飽きが来る。
調子に乗って大盛りを頼んだのがいけなかったのだろうが、最後の方は食べるのがちょっと辛くなるという、実に本末転倒なことになってしまった。
食べ終わると、嘔気がする。
全くこれは自業自得である。食事は腹八分目にするのがいいということをすっかり忘れてしまっていた。

余談だが、注文をして品物がくるのを待っている間、
私が来店した時かららーめんを食べていた男が食べ終わって勘定を払う際、店の人に
「この店は観光客とかも来るんですか?自分、仙台から来たんですけど。」
と言っていた。
これはいけない。
この男、私と同じくひとりで青森に旅行をしに来ていると見えるが、その事実を自分から言うなど図図しい事はしてはいけない。
この男は地元の人と会話ができて誇らしく思っているのだろうが、実際にはただ旅行者アピールをしてチヤホヤされたかっただけに過ぎない。ー少なくとも私にはそう見えた。
世間話や情報収集ならいいが、「自分は観光客です!(エッヘン」と白状してしまうのは大変に恥ずべきことだ。
謙虚に静かに目立たずに。これが旅行者の正しい姿勢である。
また不思議に思ったのは、どうして仙台出身の人間は「宮城出身」とは言わずに「仙台出身」と言うのだろう。
神奈川県に於ける横浜市もまた然りである。
私だったら「秋田出身」だと言わず「羽後出身」ですと言うのと同じ事である。
その羽後がどこにあるんだか全く分からないだろう!


宿舎で息をついたら、さっきまでの嘔気も収まった。
さて、明日は津軽歩行最終日。弘前駅を14:oo頃の電車で秋田に帰らなくてはいけない。
それまでの間どこに行こうか。
大まかな計画としては、浅虫水族館青森県立美術館のどちらかに行ってから、弘前に向かい太宰治まなびの家を見学するというような感じだった。
問題は朝一でどちらに行くかだ。水族館か、美術館か・・・。
だが、その日は結論を出すのは見送って、明日の朝散歩しながら決めることにした。
軽く酒を飲み、就寝。
寝付きよし。



六、新青森

覚醒。
はいはいまた五時半辺りなんでしょうと予測をして時計を見る。あたり!
楽しい旅行の最中だったらまだいいんだけど、実家で暮らしている時にこんなに早く目を覚ますのは正直やめてほしい。
やめてほしいと言っても、こういう設定にしているのは他ならぬ自分の身体なのだから仕方がない。
布団の中でうだうだしているのもなんだから、この日もこの時間から行動を始める。
せっかくだから朝のベイエリアでも散歩しに行こう。


宿舎から歩いてすぐ、朝日を浴びるアスパム。とてもユニークな外見をしている。

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アスパムの後方には青い森公園がある。
初日にナイト・ウォーキングをしたところだが、ここは朝の方が散歩にはいいんじゃないかと思っていた。
この公園は本当に羨ましい。自宅の近くにもこういうのがあればいいのに。
自宅のすぐ近くに海はあるのだが、個人的には散歩する用に舗装をしてほしい。
味気のなく歩きづらい砂浜があるのみであるし、近くには車がたくさん通る道路もあって、騒騒しいうえに結構危ないのだ。
そこを行くと、この青い森公園みたいなのは舗装されているし、海に近接しているし、小休止のためのベンチもあるし、チャリも安全に通れるほど広いし、騒騒しい車道が近くにないし、実に散歩に打ってつけなのだ。
そのためか、青森市民も散歩やランニング、はたまた釣りや太極拳(←)など、思い思いに気楽にこの公園を利用していた。

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青い森公園から見る海。
浜風にあたりながら静かに海を眺めていると、まるで時間は幾らでもあるような気になる。
旅行で訪れている場所とは思えないほど、リラックスした状態になる。

青い森公園から、桟橋・ラブリッジを渡ってA-FACTORYの方へ。
せっかくなので、朝のベイブリッジにも上ってみることにした。

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正式名称は未だ分からないが、この大きな柱は、夜のライトアップされた姿もいいが、朝日を浴びただけのすっぴんも潔くていい。
朝の空気の中で高い所を歩くのは気持ちがいい。車の音はうるさいが、それを気にするよりも、爽快な景色を楽しもうという気になる。

ベイブリッジ上から見下ろす八甲田丸[http://www7.ocn.ne.jp/~hakkouda/hakkoudamarutop.html]。
初めてこれを見た時は、おお、これがあの八甲田丸かと思ったものだが、ここまでくると、その八甲田丸さえ風景の一部だと感じる。そこまでこの光景が目に馴染んだということだろう。

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ベイブリッジを降りて、宿舎へ引き返すルートに乗る。
その途中にある、ねぶたの館 ワ・ラッセ[http://www.nebuta.or.jp/warasse/]。

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私は結局この施設には行かなかったが、個性的な見た目のインパクトが強い。
今夏のねぶた祭りでも活躍したねぶたが展示されているようである。
ねぶた祭り。これも一度は見てみたい。

宿舎に戻ってきたが、旅先での早朝散歩はやはりいい習慣だと思う。
ランニングでもいいのだが、とにかく自分の足でしっかりと歩いてみる方が、その街の表情がよく見えてくるような気がするのだ。

その他一般的な朝の習慣については流石に記録する必要はないと思われるので省略する。
宿舎を出るので軽く清掃をする。
中学・高校と、部活の遠征・合宿・大会等で、多くの宿に滞在をしてきたが、
その時に授かった部活動の教えとして守ってきたものに「来たときよりも美しく」というのがある。
実際に言葉通りのようにするのは無理なことだと思うが、大事なのは心意気である。
精一杯自分達も掃除や整理をするように励むのだ。

今日は15:00少し前に弘前駅を発つ列車に乗って秋田に帰らなければならない。
振り返ってみると、楽しい時間が過ぎるのは本当に早い。
その電車の時間までは結構間があるから、それまでどこに行くかを昨夜から考えていたが、
結局朝一で、まず青森県立美術館[http://www.aomori-museum.jp/ja/]に行くことに決めた。
浅虫水族館[http://www.asamushi-aqua.com/]と迷ったが、水族館にオープンから入場し、ひとりでイルカショーを見ている私の図を想像すると、大変に心細い感じなので、今回は見送ろうと思ったのだ。

青森県立美術館だが最寄りは新青森駅である。
新青森駅は青森駅のすぐ隣にあるので、なんだすぐ行けるじゃんと思って悠悠と青森駅に向かうと、
なんと次の電車まで30分待ち。
意外と本数が少ないんだな。
とりあえず待ってる間に青森駅構内にある「駅の駅」に寄ってみた。
なんだったら家族へのお土産を買ってしまおうと店内を見て回るが、
青い森鉄道鉄道むすめ[http://tetsudou-musume.net/]グッズに思わず目が行ってしまう。
ここ青い森鉄道には、八戸ときえ[http://tetsudou-musume.net/contents/chara/chara.php?cid=PL08
]という鉄道むすめがいるみたいだ。
彼女のフィギュアなどもあって、そのグッズ展開っぷりには驚いた。
地方の企業・自治体でも、このようなキャラクターで売出しをする所が最近急増している。
やはり金は落ちるんだろうな。
私はこの方面に理解を示す、というか金を落す側の人間であるが、それでも流石にこの方法の氾濫には顔をしかめずにはいられない。

記念にフィギュアでも買おうかと考えたが、それは見送る。
家族へのお土産を購入。ねぶた漬
この時の私は、ここで購入したねぶた漬と全く同じものが、田舎のスーパーで普通に売っている事を知らないので幸福である。

さて、ここまでいろいろありながらも、電車に乗って無事新青森駅に到着なのである。
新青森駅といったら、東北新幹線が開通しており、この辺り一帯の交通の一拠点となっている。
チャンスがあればE5系「はやぶさ」の写真でも撮りたいなと思うが、その機会は今回の旅では訪れることはなかった。嗚呼。
新青森駅から目的地の青森県立美術館まで行く方法として、青森観光バスが運営する シャトルdeルートバス「ねぶたん号」[http://www.aomori-kanko-bus.co.jp/topics.html]を利用しようと考えていた。
このバス路線、名前はあまりセンスがないが、青森市内の名所や市街地を循環するもので、運賃は一回乗車で200YENとお得な感じなのだ。
弘前市における土手町循環バスに類したものと思ってくれればいい。
早速バス停に行ってみて、時刻表を確認してみると・・・、

一時間待ち。
なん・・・だと・・・?
弘前の循環バスと違って、なんと時間の融通が利かないことよ。
これは悠長に待っていたら後後自由時間がなくなるパターンである。
しょうがないのでタクシーを使う。タクシーは金銭的問題から旅行ではあまり使いたくないのだが、金よりも時間が大切。背に腹はかえられない。
余談だが、タクシーの運転手は大変穏やかに話してくれた。タクシーの運転手とひとり旅行先で会話するのはこれが初めてである。
一般的には大したことのない出来事であるが、私の場合だとそうはいかない。
私もまだまだ世間と関わることのできる部分が残っているのだなと何やら一安心したような気分だった。


散在の車は、私を青森県立美術館まで運び、降ろす。

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青森県立美術館。
外装もシンプルながら、洗練されててお洒落な感じなのだ。
この美術館はユニークなところがあって、入口が複数箇所あるようだった。
中も白を基調としたシンプルなデザイン。
総合窓口で親切丁寧な案内をうけて、言われるがままエレベーターに乗る。
このエレベーターでは階の選択はできず、乗ったら勝手に上に昇るか、下に降りるかのどちらかの動きをする。
往きの場合は、展示室が地下にあるので下の方向に動く。
降りて行くにつれて照明もほの暗くなり、雰囲気を演出する。ハイセンス。

特別展示も開催されていたので、常設展示の観覧料と合わせて購入。
さっきのタクシーでの出費が財布の中に大きなダメージを与えていることを確認して、少し陰鬱とした気持ちになる。
私はお金が大好きなので、もし金が無い状態に陥ると、一気に心も荒んでしまうのである。小さい男である。

まず入るのは、今回楽しみにしていた「アレコホール
個人的な目玉にいきなりお目にかかれて、出鼻をくじかれた。
この巨大なホールに展示されているのは、ロシアの画家シャガールが描いた、バレエ「アレコ」の舞台背景画の中の、第一幕、第二幕、第四幕の三点だ。
画が幕に描かれてあるので、一枚一枚が巨大で見上げると圧倒される。
いや、むしろ画に吸い込まれるという感覚だろうか。
幻想的な画の内容も、この吸い込まれるような感覚を手助けする。
私はシャガールを知らない。「アレコ」を知らない。
だが、この画は好きになった。
アレコホールには椅子(これまた芸術的なデザイン)が置かれてあるので、腰かけてゆっくりと鑑賞できる。
初っ端から結構な時間をこの空間で過ごした。
この後に特別展示、常設展示を観て回った後にも、再びこのホールに戻って来て、また椅子に座って画を長い間眺めた。
何が有名な絵なのか、何が価値があるのか、といったような知識教養は私は持ち合わせていないので、
美術館を回ってみて、好きな作品が見つかったら、飽きるまで眺める、というのが自分に合った鑑賞方法だと思う。

さてこの日行われていた特別展示は、
「横尾忠則の「昭和 NIPPON」-反復・連鎖・転移」
というものだった。
恥ずかしながら、私は横尾忠則がどういう人物なのかが分かっていなかったのだが、
せっかくだから・・・、という実に消極的な気持ちをもってして、鑑賞することに決めた。
ポスターを見る限りでは、アバンギャルドな作品を展示していそうだけど、とにかく入ってみる。
感想。なんだこれは。
好きか嫌いかとかそういう事ではない。なんだこれは。
横尾忠則の作風は一貫していないので、どうしても掴みきれない。
不気味で、かつ悪趣味ではある。
だが、ここにおいては、最近多くの人が守ろうとヒステリックになっている「健全」というものがまるで中身のない幽霊のようなものに感じた。
陰惨醜悪怪奇」をはじめとする、近頃急速に排除されている感情を刺激する作品の数数に顔をしかめながらも、どこか惹かれてしまう。
多くの人が考えたくないもの、隠したいものを見とおすことのできる目を持つ者がいたら、おそらくその人はこのような光景を見ているのだろう。

特別展示を鑑賞して、沈黙しながらも内心は軽く昂奮しているという奇妙な状態で、今度は常設展示室に向かう。
ここには青森にゆかりのある奈良美智棟方志功の作品が展示されてある。
ニュー・ソウルハウス」から奈良美智作の「あおもり犬」が見えて驚く。どうやらこの作品は美術館の外から近くに行けるみたいだ。あとで行ってみようと思う。
驚いたことに、ウルトラマンのデザインをした成田亨さんのスケッチが展示されてあった。
全く知らなかったが、成田さんは青森市出身ということだった。
密かに楽しみにしていた寺山修司のコーナーは特別展との兼ね合いのため現在は展示されておらず、残念に思った。


展示を十分に堪能した私は美術館を出て、あおもり犬の所に向かう。
美術館近くから連絡通路が出ていて、案内もあるので、迷う事はない。


奈良美智作「あおもり犬

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デカイ。
何かの機会にこの作品を目にした読者もいるのではないか。
アレコホールと並ぶ、ここの目玉の一つである。
奈良美智は犬をモチーフにした作品を多く作っていて、野良犬としてはシンパシーを抱かざるを得ない。
あおもり犬は屋外のスペースにおかれていて、美術館内からも眺めることはできるのだが、
こうして外に出て、作品に間近に迫ったり、ぺたぺたと触ったりすることが出来る。

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顔。デカイ。
のっぺりしながらも、中中愛嬌のある顔ではないか。

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首。細い。

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顎。デカイ。


アレコホールにあおもり犬。また、特別展示にその他の作品。
憧れの青森県立美術館を満喫した。
旅行で美術館を訪れるのは自身初の経験だが、これも案外いいものだ。


さて、それでは駅に戻ろうか。
最寄りのバス停に行き、時刻表を確認する。
30分待ち。またこれか。



七、帰郷

憧れの青森県立美術館から新青森駅に戻る。
往きはタクシーで思わぬ散在をしてしまったので、戻りは30分苦手な太陽光の下で待ってでも循環シャトルバスに乗る!
バスは予定の時間よりも10分遅れで私を乗せに来た。
この遅れた10分の間における、神経質の私の心境を推し量ってほしい。はい、それで十分です。

バスに乗ってみて初めて分かった事だが、このバス路線は別に主要な観光地のみを結んでいる訳ではない。
普通に住民が利用できるような、町のバス停にも停まる。
この、観光の香りの一切しない街並みというのも見てると意外と楽しいものである。
ここには目を見張るような光景はないが、その代わりに人人の暮らしがある。
そこには取り繕いなどをする余地はなく、毎日続いている自然な流動がある。
バスの車窓を呆け見ていると、そういうものの一端を垣間見ることができ、中中に飽きない。
また、こういう時には同時に、その生活の一部となって溶け込むような感覚がじわじわと訪れ、この感覚が心地いい。
そしたら新青森駅に着いた。運賃200YEN。

駅で30分ほど待ち、今度は電車で弘前に向かう。
弘前の駅ビルで家族へのお土産を購入。絵葉書とお菓子。

時間的に、ここ弘前で訪れる場所が、今回の旅最後の出来事の舞台となるはずだ。
ところで、ここに至ってはすっかり関係がなくなりつつあったが、
この旅のきっかけとなったのは、作家・太宰治の存在である。
彼の足跡をたどるということが旅の主な目的として念頭に置いていて、初日には彼の出生地である金木を回ってみたのだった。
それならば、最後に訪れる場所もその目的に沿うたものにしたいと思うのは自然だろう。
ということで、私が最後のエピソードの舞台に選んだのは太宰治まなびの家[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyo/shisetsu/page/140.html]。

CIMG0931.jpg

CIMG0932.jpg

正式な名前は、弘前市指定有形文化財「旧藤田家住宅」といい、先に挙げた名称は、通称なのであるが、こちらの通称の方が文字通り、はるかに通りがいい。
ここは太宰が旧弘前高等学校(現在弘前大学が建つ場所にあった。)に在学している時に下宿をしていた住宅である。
その頃の弘前高等学校は全寮制の学校だったのだが、男子校の寮を思い浮かべると分かりそうだが、やはり太宰の美意識では許し難い有様だったようで、彼の要望、というか我儘によって、その代わりとしてこの藤田家に下宿することに決まったのだった。
藤田家は金木の津島家とは遠縁にあたる家系で、その関係で彼の下宿先として挙がったのだそうだ。
太宰ゆかりの地として有名であるが、この建物は、古民家が次次に解体されていく現在の中で、大変に良い状態で現存している希少な住宅としても貴重なのだそうだ。

ここにも金木の各名所と同じように、観光ガイドさんが常駐している。
私以外に訪問客はいなかったために、私はマン・ツー・マンでガイドさんの説明を聞く羽目になった。
このガイドさん、まだ慣れていないのか説明が実にたどたどしく、言葉を探り探り選び選び話していて、
話を聞いてるこっちがかえって照れるような様子だった。
でも真面目で印象はいいし、
例によって、一問うと十返ってくるほどに太宰関連の知識は有しているみたいで、信頼に値する。
ガイドさんは写真パネルを手に持って解説をしていく。
この写真に写っている床の間が目の前にあったときは驚きやら感動やらで気分が高揚する。
そして太宰が居室として使用していた二階の部屋に行く。

CIMG0941.jpg

CIMG0936.jpg

部屋の奥にある元は押し入れだったこの空間で、太宰は当時凝っていた義太夫の練習をしていた。

「私は、この弘前の城下に三年いたのである。弘前高等学校の文科に三年いたのであるが、その頃、私は大いに義太夫に凝っていた。甚だ異様なものであった。」-『津軽』より

以下、ここにおける私とガイドさんとの会話。

ガイドさん(以下「G」)「当時太宰は江戸趣味、特に義太夫に凝っていました。」
犬「ええ。(フフーン、そんなこと知ってるもん。)」
G「義太夫は別名で浄瑠璃と言います。」
犬「はあ。(あ、そうなの。でもそれが何だと言うんだろう。)」
G「浄瑠璃と言えばその作品の多くは、近松門左衛門の作です。」
犬「はい。(代表作は『曽根崎心中」・・・。ん?心中?)」
G「その多くの作品は、心中モノです。こういったものから、太宰の心中についての憧れを抱くようになっていったと言われています。」
犬「はあ・・・。(そ、そうだったのかー!?)」

いや、これには気がつかなかった。
なるほど。学生時代の趣味によって、太宰の死観は形成されていったという面もあったのか。
彼の最期、死の遂げ方を考えずにはいられない。

CIMG0947.jpg

これが当時太宰が使用していた書机である。
当時そのままの姿だということで、何だか胸が震えるような心持だった。

机の上の写真パネルだが、この建物にはこのような写真パネルが他にも複数あり、なんでもそれらはすべて、この家の長男藤田本太郎氏が撮影したものなのだそうだ。
確か本太郎氏は太宰よりも二つ三つ年が下で、彼に小説を読んでもらったり、チェスをしていたらしい。
そんな彼にとって太宰は格好の写真の被写体だったようだ。
また、ここには珍しい太宰が眼鏡を掛けて写っているものもある。
太宰はかなりの近眼だったのだが、それでも頑なに眼鏡は掛けたがらなかったそうだ。
その理由をガイドさんが解説して曰く、

G「太宰はよく『眼鏡を掛けると男振りが下がる。』と言っていたようです。」
(まさしく今眼鏡をかけて男振りを下げている)犬「は、ははは・・・。」

笑うっきゃない。

(フォローをしようと思ってか)G「・・・外見を気にする太宰らしい話ですよね(汗)。えへへ・・・(汗)。」
(ここでは言えなかったが実はこれでも外見は結構気にする方の)犬「は、ははは、はは・・・。」

笑うっきゃない。

・・・さて、眼鏡のことはもういいが、この部屋には珍しい太宰の生きた形跡がある。
それがこれ。

CIMG0940.jpg

分かりづらいだろうが、よーく目を凝らしてみると、数式が書かれてあるのが認められないだろうか。
言わずもがな、これは太宰が書いたものである。
ちなみに彼は数学が大嫌いだったようだ。

また、ここにもこういったものが用意されている。

CIMG0937.jpg

一体こういったものはどこから調達するのであろうか。
こんなに何回も見せつけられたら、こっちもマントが欲しくなるだろう。

この施設は資料もとても貴重なものがそろっている。
例えばこれだ。

CIMG0946.jpg

まあこれは、レプリカだ。
無間奈落」といったら、彼が十九歳の時(1928年)に創刊した同人雑誌「細胞文芸」の第一号に寄稿したものである。
金木の雲祥寺の地獄絵の一つに、この無間奈落が描かれてあったので、太宰は幼少の頃に見たこの絵を印象に残していたのかもしれない。

このような資料のほとんどが本太郎氏の寄贈したものなのだが、その中でも特に私が気になったのは、この古新聞の切り抜きである。

CIMG0948.jpg

芥川龍之介は太宰のヒーローであり、学生時代も傾倒していたし、
先程の写真もそうだが、太宰は写真に写るときには、芥川龍之介のおなじみの顎に手を当てるポーズをしていることが多い。
学生時代のノートにもその名前が登場していたそうだし、そう言えば、その後を見ても、髪型を芥川風にしているような節もある。
芥川賞が設立され、その第一回に「逆行」がノミネートされながら、結果は次席で大賞は逃すことになった時には、落胆や激昂の色も見せていたと聞く。
それ程までに、彼にとって芥川龍之介という作家は憧れの人物だったようだ。
そんな憧れの人物の自殺は、ここにも説明されてあるが、太宰に大きな衝撃を与えた。
と同時に、これが一つにきっかけとなって、自殺は格好いい、と思うようになったのだそうだ。
二階の部屋での義太夫の一件もそうだが、このような出来事から彼は自殺というものに、特別な感情を抱くようになる。

帰り際に、「私の好きな太宰の一節」(うろ覚え)という題で一筆啓上させていただいた。
原稿用紙に太宰作品の中で好きな一節を書き写すと、それをパネルにして住宅内に置いてくれるのだ。
確かに各部屋ごとに既に何枚かのパネルが置かれてあった。
せっかくだから・・・、ということで私も自分の記念を作ることに。

私が選んだのは「富嶽百景」からのこの一節。

「いよいよ、ばかである。」

長い一節を書き写すのが面倒だったということもあるけれど、
自信をもって、私はこの一節が好きだと言える。(一番とは言えないけれど。)
この作品は太宰の精神安定期に書かれた紀行文で、彼の精神を反映するように文章も揺らぐことなく実にどっしりとしている。
美麗な文体はもちろん、ユーモアのある表現や感じのよい自虐も飛び出してくる。
もしかしたらこれが彼本来の姿なのかもしれないと思う。


丁寧な案内をしてくれたガイドさんに別れの挨拶をして、家を出る。
これでこの旅は九割終わって、あとは田舎に帰るのみだというのに、
感傷や寂寥などは立ち入る隙なく、むしろ満ち足りた気分、何かを成し遂げた達成感、謎の爽快感を身に纏っているようだった。
駅までの歩行の道程は、ウキウキした気持ちで、本当に楽しく歩けた。
旅は準備する時間が一番楽しいとよく言われ、私もその意見には賛成をしてもいいと思っているが、
それは振り返ったらそうなのであって、もっと広い思野で旅の前・中・後、すべてを含むスパンで考えると、
旅をしている最中も準備期間と同等に楽しく、さらには旅が終わった瞬間というのもそれらと同等に楽しく感じるものなんじゃないかしら。
そういう戯言も出るくらいに楽しい帰路だったという事である。
もしも私の旅が一本の映画だったら、ここら辺でエンディング曲が流れて、エンドロールに突入している筈だ。


ここからは、ひたすら私が田舎に帰るまでの出来事についての記述が続く。
興味のない読者は、どうぞ必要があれば自分の居場所に帰ってもらっても結構である。

さて、いきなりつまらないことで甚だ恐縮なのだが、
私は電車の待ち時間に、今やどこの駅ビルにもあるミスター・ドーナツをよく利用する。
ぱないの!
ドーナツはうまい。
ダイエット中という看板をぶら下げて歩く私だが、このドーナツの誘い相手には長い間負け越し続けている。
ここで私のとある悪癖がさく裂するのだが、私は注文する際に、
「オールド・ファッションとー、」
と言ってから、ここで初めてショー・ウインドウを見始めてしまうのだ。
別に誰かに迷惑をかけているという訳ではなさそうだが、なぜか毎回こうなってしまう。
以上、つまらない話でした。

自分の居場所に帰るチャンスはまだまだあるぞ。


ここからがある意味ではこの章の本題。いや「私にとっては」と冠をつけるのが妥当かもしれない。
読む人によっては、かなりイモく感じるかもしれないので気をつけなさい。

さて、なんやかんやで電車に乗るのである。
弘前駅から秋田駅を経由して湯沢駅までの、5時間程の電車の旅である。大変な長丁場だ。
弘前が始発なのだが、運よく対面式の長椅子の端、手すりが隣にくる席に陣取ることに成功した。(どこか分かる?)
入口に近い座席なのだが、私はここの席に座って、手すり部分にもたれかかるのを好むときている。
すると、私が座っている長座席と対になっている長座席の向こうの手すり隣の席、ここは私から見やすい席なのだが、そこに若い女性が座った。
最初は、ふーんと思っただけなのだが、
時間経過に伴い、車窓の風景を見るのに少し首がつかれ始めてきた頃に、ふとその女性を観察してみると、
・・・あれ?可愛い?

そう、可愛いのである。
なんと形容したらいいのだろう、とにかく可愛いのである。
美少女といってもいい。
様子を見てみると、大きなボストンバッグと、リュックサックを持ち、さながらひとり旅の風情なのである。
私もこの旅はボストンバッグとリュックサックを連れて回っていたので、ひとりで勝手にシンパシーを感じて軽く悦に入る。
余談だが、津軽に行くならリュックサックでなきゃダメなのである。この点はまず先にこだわったところだ。

服装は女の子らしく全体的にふわふわしていながらも、その一方でスポーティー。
パンツルックで活発な印象も感ぜられる。
最初は半袖で軽やかだったが、途中でこれまたアクティブな緑色のカーディガンを羽織った。
嗚呼、数少ない露出が・・・と思ったのは事実であるが、それでもこれはこれでいいものだった。
だってあの人は美少女だもの。
年は私よりも少し下か、同世代といったところか。
こんな時期に優雅に旅行ができる職業といったら、まあ大学生だろうな。
髪は流そうだが、ポニーテール風につないでいる。
もし、あなたはポニテ萌えなのか?と聞かれたら、私はたぶんこう答える。
はい。
目つきは少し悪いが、それでも可愛い。
目鼻立ちがはっきりしていると言うのだろうか、顔のパーツが整っている。
芸能人で例えるなら、多部未華子
私は結構多部未華子が好きだ。
自分は目つきが悪い女性を好むきらいがあるのだろうか。
多部未華子に例えておいてなんなのだが、私にとっては、この女性の方が可愛いんじゃないかと思った。
それ程までにこの人は可愛かったのである。

そんな人を見つけて、私は大いにやったぁ!と思ったものだが、
さらに嬉しいことに、この女性は弘前からずっと電車に乗ってて、一向に降りる気配がないのだ。
もしかしたら秋田まで行くのかな。
そうであればこれから長い時間、この人を眺めていることができると、ここでも私は大いにやったぁ!と思った。

とは言っても、流石に何時間も眺めているのは限界がある。
いい加減にして、本でも読もうかなと思いながら、何の気なしにまたその人をちらと見てみた。
その時私に電流走る。
その人、ポニテほどいてました。
髪降ろしてました。
うわぁ、なんだこれ、可愛いぞ。
髪長いだろうなとは予想していたけど、それよりも少しだけ長い。
でもふわふわしてて、その、うわぁ、なんだこれ。
これはまだまだ見つめている価値があるぞ。
さあ、流石に自分が自分でキモい!
でも仕方ないじゃないか。男は悲しい生物なのだから。
この人も湯沢まで乗ってればいいなあ、そうだったら声でもかけてみるのに、という実に情けない妄想を逞しくしながら、結局秋田までこの女性を眺めて過ごしてしまった。
そうです、おまわりさんこのわたしです。
TAIHO☆されるべきは、この私です。

この美少女は秋田駅で降り、注意してはいたがすぐに見失ってしまった。
だが、素晴らしき旅の最後に、思わぬ素晴らしきご褒美をもらったような気持ちだった。



電車は旅のはじまりの場所、自分の田舎町にほど近い湯沢駅に着いた。
これからまたいつもの暮らしが始まる。
だが、この旅を経た暮らしは“いつもの”ようであって“いつもの”ではない。




後書

22才の夏休み最大の企画・三日間の津軽旅行についての記録をやっと書き上げてみると、
結果的に、自分のしたことについてのレポートの中でもかつてない程の文量になったが、このひとり旅はその量に見合う程の意味があったのだと考えれば、この結果は妥当だろう。
この文量を生みだすにはそれなりに時間と体力が必要で、作成途中にその必要性を重みに感じ、もう打ち切りにしよう、別に誰も困らないさと考えたことはそれはもう何回もある。
だが、こうして完成させて読み返してみると、その度にその時時の出来事が心に蘇ってきて、この旅の自分にとっての意味をより一層大切にすることができる気がした。

青森は初めて訪れた場所とは思えないほど、私の肌に合っていて感じが良かった。
青森人の性質というものだろうか、とにかく誰にしても人当たりがいい。
その風貌から、敬遠されながらの取扱いを受ける事が常である私であるが、この旅に於いて、その土地の人との会話を通して、自分にはまだまだ世間とつながる部分が残されてあるのだということが感じられて、脱俗人を自認しながらも実際にはそれがとても嬉しかったのである。

また、七つの章に分けてレポートを作成・提出してきたが、今回、完全版としてまとめるにあたり、
私が訪れたり、紹介した施設等のホームページへのリンクを張っておいた。
蛇足の誹りを受けてもしょうがない試みではあるが、いつか読者諸君が青森方面に旅をするときに、ささやかながらこのお節介が助力になれればと思っている。


さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。





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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

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