野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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夏のイーハトブ旅行記

 この夏にSL銀河に乗ることが決まったので、その乗車までの旅程を立てる中で、SL銀河のモチーフである名作「銀河鉄道の夜」の作者である童話作家宮沢賢治ゆかりの地・花巻を回ってみようと考えた。
 旅立つ日、私は故郷である秋田県に帰省をしていた。実家は東北各地の名所を回る拠点にちょうどいい。田舎町から花巻までは奥羽本線の湯沢駅を発ち、横手駅で北上線に乗り換えて行く。この北上線がローカル線の中のローカル線といった風情で、ひたすら田舎の農村と山々を走り抜ける。錦秋湖を見下ろして進む区間があるが、この景色が素晴らしい。いつか青春18きっぷの宣伝ポスターにも採用された絶景である。この時はまだ朝方であったため、旅のはじまりとしてふさわしい爽快な車窓であった。終点の北上駅からは東北本線に乗って、花巻方面に向かった。
 一度花巻を通り越して、まずは花巻空港駅に降り立つ。賢治めぐりの旅の最初の舞台は、駅から徒歩二十分の県立花巻農業高校敷地内に建つ羅須地人協会だ。花巻農業高校はかつて賢治が教鞭を振るっていた学校で、敷地内には賢治先生のブロンズ像が作られている。銅像の近くに建っている羅須地人協会は、賢治が自炊生活をしていた家屋を移転したもので、「賢治の家」などとも呼ばれている。農学校を退職した賢治は、この家で農業技術や農業芸術を講義したり、レコードコンサートを開いていたのだという。賢治は“農業芸術”というものを興すために、セロの練習、演劇の勉強、世界言語・エスペラントの習得など、多様な方面に食指を伸ばし、寝る間も惜しんで必死に文化活動に励んでいた人であった。それに加えて、花壇の設計や肥料設計、そして稲作の指導にと、農業に従事し狂気のように村々を駆け回っていた。そんな賢治が病に落ちるまで、自給自足の暮らしをしていたのが、この羅須地人協会ということになる。玄関横の黒板には賢治の筆跡を模した、かの有名な「下ノ畑ニオリマス 賢治」が書かれてある。当時、家を訪れていた人たちが座っていただろう小さな丸椅子に座り、ひとり家屋を吹き抜ける風に当たっていると、なんとも不思議な気持ちがこみ上げてくる。余談だが、家の最寄り駅となる花巻空港駅は、花巻空港に隣接しているわけでもなく、結局空港までタクシーなどで行かなければならない位置にある駅である。周りには住宅や個人の商店ばかりが建ち、そもそも駅自体が小さい。花巻空港駅という大仰な名前に反したその実態に、“裏切り”を感じて、いっそ心地よくなってくる。
 賢治めぐりの拠点となる花巻駅に降りたのはまだ午前のことであった。駅に併設された観光案内所―私は旅先では観光案内所に必ず寄るようにしている―で色々な情報を聞き、次は宮沢賢治記念館のあたりに行くことに決めたが、そこに行くバスの時間までまだ間があったために、駅近くにある喫茶店、その名も林風舎で休憩していることにした。林風舎は賢治の弟の孫が経営しているとかいう喫茶店で、外見からアンティーク風でセンスがいいってのに、店内にはたくさんの個性的な輸入雑貨が並び、その雰囲気作りの徹底には驚かされる。いろいろなものがゴチャゴチャ置かれた場所は落ち着かないのだが、そこまでのレベルには達していなく、絶妙なラインで居心地のいい空間を保っているという感じだ。八月の蒸し暑い日である。先刻も屋外を歩いていたので、喉が渇いていた。アイスコーヒーのケーキセットを頼んだ。火照った身体に、冷たい飲み物とスイーツが実に沁みる。しばらく、旅の計画を立てたりして涼んでいた。
 時間がきたので、バスに乗って宮沢賢治記念館方面に向かう。旅の交通手段として、バスも案外と好きだ。その土地の住人の生活に溶け込むような気がして、この感覚が好きなのである。最寄りのバス停を降りるが、そこから目的の施設のあるところまでは、三百段ほどの長い階段を上らなくてはならない。ただでさえ膝が悪くて階段は不得手だというのに、こんな夏の暑い日に階段を三百段も上らなくてはならないとハ・・・・。死にそうになりながらもなんとか上りきった。時刻はお昼時だったため、このあたりで昼食を摂ろうと息を切らしながら考え、記念館付近の、観光客に人気のレストラン・山猫軒に入った。山猫軒とは、賢治の作品「注文の多い料理店」に出てくる山の中のレストランの名前である。店の入り口には、もう当然のように「どなたもどうかお入りください。決して遠慮はありません。」と書いている。やはり時間が時間だからか、平日だというのにレストランは満席であった。少し待って席に着く。店の中は結構広いのだが、幸いにして、隅の席に着くことが叶った。ランチタイムの慌ただしい店の真ん中では落ち着いて食事などできるわけがないからな。メニューにはイーハトブらしい定食(わんこそばとか。)も並んでいるのだが、単純に食べたいという理由でナポリタンを頼んだ。味はまあまあといったところ。時間帯のせいかもしれないが、店内はとても慌ただしい。明らかに店員さんの人数が足りていないと思った。
 腹ごしらえを済まして、満を持して宮沢賢治記念館に行く。ここは賢治の作品の原稿などはもちろん、鉱石や南無妙法蓮華経など賢治を創り上げた物々にまつわる展示や、先述したような農業芸術確立を目指して勉強していた痕跡なども見ることができる。愛用のセロなども展示されていて、賢治の多才さや好奇心が旺盛な人となりが容易に伝わる。賢治ほどの強い信念は持ち合わせていないが、彼の生き方には憧れるものがある。特別展示は三陸沖と賢治との関係についてのものだったが、どういうわけか、展示室内で「劇場版文学少女」が上映されていた。「鎧の下から衣が見える」と言ったところか、急にアニメ好きの顔が出てきてしばらく見入っていた。記念館から林を下っていくと、ポランの広場に行き着く。賢治が設計した日時計花壇があり、色とりどりの花が咲き誇っている。このあたりには他にも花壇が造られているが、かなり傾斜がキツくなっているところがあり、一度転んでしまったら一気に下まで転げ落ちてしまうのではないか?とも思えるくらいなので注意したい。
 例の三百段の階段を下り、今度は宮沢賢治童話村を訪れた。実を言うと、私は小さい頃から家族に連れられ花巻を何度も訪れており、先の羅須地人協会も山猫軒も記念館も初めての場所ではなかった。幼い私が特に気に入っていたのがこの宮沢賢治童話村で、何度訪れたか分からない。本当は立ち寄る気はなかったのだが、時間を持て余していたし、成長した自分にこの童話村はどう映るのか興味が湧いてきて、少しだけでもと、訪れることにした。時代の流れか、園内に人の姿がないのが少し寂しい。当時の記憶は断片としてしか残っていないので、もしかしたら昔からこんな感じだったのかもしれない。何度も訪れた思い出の場所であるのには違いないが、思ったよりも記憶にないところが多く、懐かしく思うよりはむしろ新鮮に感じる。こんな家族連れがまばらな園内に、いい歳した男がひとりで何をやっているのだろうと、ここを訪れたことを少し後悔するような気持ちであった。童話村というが、ここはほとんどが芝生の広場や、森の散歩道で占められている。メインとなる建物は「賢治の学校」と呼ばれている。ファンタジックホール、宇宙の部屋、天空の部屋、大地の部屋、水の部屋の五つに分かれたブースを順に回っていく形で、賢治の作品のエッセンスを感じるインテリアにはなっているが、直接的に作品と関係のある展示は一つもないことに気づいた。幼い私は、巨大な虫に囲まれて束の間のアリス気分を味わえる大地の部屋がお気に入りだったが、成長して色々なものを見てきた自分には、ただの大きなぬいぐるみでいっぱいの部屋という印象しか持たなかった。七棟のログハウス「賢治の教室」では昔はいろいろな体験学習ができたが、この日はどの部屋も閉められていた。唯一空いていた「森の店っこや」というお土産屋にもなんとなく入る気になれない。あの頃の思い出って、こんなものだったのかなと、悲しい気持ちになってしまった。芝生の広場にはステージが造られている。小さい頃、家族とここに座ってマクドナルドのハンバーガーを食べた記憶がある。成人を過ぎた今も覚えているとすると、当時の私にはとても楽しい思い出だったに違いない。あの頃のように、ただし今度はひとりでステージに腰掛け、自動販売機で買った炭酸飲料を飲みながら、しばらく童話村をぼーっと眺めていた。途端に家族のことが思い浮かばれ、自分だけ色々なところに旅に出ていることを、多少後ろめたく感じた。思い出の場所・童話村を後にして、そのまま歩いて新花巻駅に向かった。少し疲れてしまったので、この日はもう宿に行くことにした。
 翌日。宿から再び花巻駅に来たが、ちょうどSL銀河が花巻を出発する時間だったので、入場券を購入して、見送ることにした。SLに乗りながら、手を振る住民たちを見るのは楽しいが、立場を変えて自分がSLに手を振る方に回っても楽しかった。この列車には明日乗る予定だった。
 この日は、正午頃に遠野に行かなくてはならなかったので、花巻では早めの昼食を摂るに留めることにした。賢治めぐりのイーハトブ旅、それを締める食事ももちろん賢治関連からということで、花巻駅から歩いて十数分のやぶ屋総本店に立ち寄った。ここは寿司やそばが食べられる老舗の日本料理店で、わんこそばに挑戦できることで観光客に人気だが、実は宮沢賢治ともゆかりが深く、花巻農学校時代に賢治はこの店をひいきにしていて、いつも天ぷらそばとサイダーを注文していたのだ。当時サイダーはかなりの高級品であったらしい。早めの昼食ということで、開店直後に入ったが、誰も客がいなく、どのテーブルも空いているのに、いきなりカウンター席に案内された。普段温厚で通している私も、この扱いには少しイラっとした。板前さんに話を聞くと、どうやらこの日は団体の予約が入っていたらしい。だとしても、いきなりカウンターというのはどうも、な。注文はもちろん、天ぷらそばとサイダーだ。このテンプレ通りの注文をするのはかなり恥ずかしく、『天ぷらそばと・・・・サ、サイダー・・・・(赤面)。』みたいになってしまった。天ぷらそばはともかくとして、普段私はサイダーは嗜まないのだが、久々に飲んだ瓶サイダーは、驚くほど爽やかでおいしく、思わずもう一本頼んでしまった。おいしいものを身体に入れた後は、無条件で機嫌がよくなる。旅先でならなおのことだ。
 宮沢賢治が「イーハトブ」と呼び理想郷として存在していた岩手県、そして賢治の故郷・花巻市。彼の辿ってきた足跡をいま一度確かめてみると、彼の人間味が見えてきて、現実感のなく童話のなかに暮らしている印象だった彼が、本当はずっと前から自分たちの近くに生きていたように感じられるようになった。


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  1. 2014/09/19(金) 19:44:41|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

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