野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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金沢鈍行旅日記

一日目

 夏休みも終盤の日々。重要な用事も入っていないし、青春18きっぷもちょうど二日分余っていたので、新潟無機終焉都市から石川の小京都・金沢まで、鈍行を使った一泊二日旅行に出かけた。無機終焉都市を生活の拠点にして以来、何かと金沢は話題に上り、昨年に仕事で訪れていた父親の話も聞いていたりして、かねてから金沢には特別な興味があった。実を言うと、私は一度金沢に行ったことはあるのだが、それは我が黒歴史たる大学の部活動(私は大学一年生の時だけ部活動をやっていた)の行事の一環によるものであって、その際、観光の類は一切することができなかったし、ひとりで街を歩くなんてことも当然できなかった(その頃の私はまだひとり旅の魅力は知らなかったのだけれど)。それから四年の間温め続けていた計画が、ここにきてすんなりと形になったのは、少しあっけなく思った。
 新潟駅から金沢駅までは、信越本線、北陸本線と乗り継いでいく。思えば、故郷の秋田県発の旅は何度かしているが、ここ無機終焉都市から鈍行旅行に出かけるのは、案外これが初めてかもしれなかった。新潟駅から鈍行で秋田に帰省することは何回かあったが、純粋な旅行としてはおそらく初。となると、この旅行では生まれて初めて見る線路の上をひたすら走ることになるのだが、これほどワクワクすることはない。
 金沢にお昼頃に着きたいので、朝六時台に新潟駅発の列車に乗らなきゃいけない。早起きは得意だが、これは流石に早い。出発時はまだ空も薄暗いままだが、線路を走るうちにやがて日が昇り、だんだんと一日が始まっていく様子を眺めていることができる。旅の始まりにふさわしい体験だ。見事な車窓景も好きだが、私は何の変哲もないその地域の住民の暮らしを、電車から眺めているのが割と好きな人種で、家の隣の小さな畑や洗濯物が干されているのをいいなと思う。犬と散歩をしている人を見ると切なく思ってしまうのだが、どういうわけかみんな柴犬を連れている。どういうわけか。
 長岡、柏崎と、何気に初めての駅を巡っていくが、柏崎から直江津の区間、特に鯨波から柿崎のあたりまでは日本海に近接して走っているので、その間の車窓の風景が楽しみだった。その期待どおり、外から電車を写真で抑えたらなんとも絵になるようなところを往く。青海川駅は「日本で一番海に近い駅」として有名で、降りはしなかったが、ホームから眼下に望む日本海に、列車の中からでもうわぁと感動してしまった。いつか実際に降りてみたく思う。また直江津―糸魚川間にある筒石駅は、ホームがトンネル内にある“トンネル駅”であり、ここも降りはしなかったが、有名な駅をちらりとでも見られてよかった。難所・親不知を過ぎ、やがてはるかに能登半島を認めるうちに、富山駅に着いた。乗り換えまでいくらか時間があるし、ここももちろん初めての地なので、少し散策をしていくことに。
 来年の北陸新幹線開業に向けてか、富山駅では大規模な工事が行われており、ホームから改札までの距離が長くなっていて疲れる。富山市といえば、路面電車が走っているが、富山駅から路面の駅まで微妙に距離があり、外は日差しが強く暑かったので、見に行くのは諦めることにした。乗車記念スタンプを押し、昼食にW7系弁当を買ったら、あとはホームに戻って、初めて見る特急サンダーバードなどを撮影していたが、この時ふと思いついたのが、「ひょっとしてこの旅の間にトワイライトエクスプレス見れるんじゃね?」というアイデア。トワイライトエクスプレスは大阪と札幌を結ぶ豪華寝台列車で、金沢や富山、そして私が先ほど通ってきたような日本海沿いの線路を走るのだ。来年春に廃線することが決まっている。ホームにある時刻表を見てみると、どうやら富山駅での対面は叶わないようだったが、しかし、時間の融通の利く金沢ではどうか。これはこれは、旅中に思わぬ楽しみが増えたものだ。
 富山から石動(なんて読むか分かる?)を抜け、倶利伽羅峠を越えて、ついに旅の目的地・金沢に到着した。新潟―金沢の鈍行旅は、夏の日本海の爽快な景色を堪能できるParadise Lineだった。旅行地までの移動の様子を綴るだけでこれほどの文章量を割くのも分かるだろぅ?ホントはもっと色々書きたかったが書けばいいというものではない。
 金沢駅に降りる。今まで新幹線が走っていなかったのが不思議なほどに大きく、モダンで洗練されていて、かつ清潔な駅である。東口を出ると、そこの広場はもてなしドームと言われガラスとアルミ合金で覆われていて、開放的になっている。また、そこには金沢のシンボルとなりつつある驚きのオブジェ・鼓門がそびえる。“小京都”などと呼ばれているが、駅前の景色は伝統のエッセンスを織りまぜながら、どこまでもモダンでどこか近未来的でもある。広場のベンチに座り、鼓門を見ながら例のW7系弁当を食べたが、そこでふと自分の現住所でいちばん大きい駅を思い出してしまう。新幹線が通っているのに、連絡が分かりづらく、駅前にはくつろげる広場もなく、トイレも不潔で使う気になれない。一応こちらの方が政令指定都市なのだが、このセンスの差は一体何なのだろう。何かにつけて比べるのはナンセンスであるが、流石にこの差については嘆かずにはいられない。
 実は金沢において、とある場所に予約の予定を入れていて、その時間的にすぐにそこへ向かった方がよさそうだったので、昼食を食べて休憩もほどほどに、目的地へ歩き始めた。私のひとり旅といったらレンタサイクルだが、金沢が提供しているサービスは、その仕組みがよく分からなかったので、今回は利用しないことにしていた。市の中心部は観光に便利なバスも走っているが、歩いた方が街の様子や地理関係がよく見えてくるので、まずは歩行に努めるのだ。
 駅前の大通りを行き、近江町市場にぶつかるところで右へ。百万石通りを香林坊方向に歩いていくのだが、その途中に尾山神社がある。これは本来の目的地ではなかったが、予定の時刻まで余裕が出てきたので、今のうちに立ち寄ってみることにした。金沢には様々な名所が揃っているが、この尾山神社はなんとも微妙な位置にいる。加賀藩祖・前田利家公と正室・お松の方(「利家とまつ」である)を祀っている神社なのだが、ここで注目すべきは神門である。厳かな社殿に不釣り合いな和洋折衷の楼門であり、三層アーチはレンガが積まれ、上層部は色鮮やかなステンドグラスで飾られ、異国情緒を漂わせつつ、どこか薄気味悪い建造物に仕上がっている。前田家といえば、東京の旧前田侯爵邸や鎌倉の鎌倉文学館(旧前田利為鎌倉別邸)を思い出してしまうが、やはりこの一族は洋風趣味なところがあったのだろうか。境内には利家公の銅像とお松の方の石碑もあり、私が歴史好きであれば加賀百万石の栄華に思いを馳せただろうが、生憎その方面への理解はなく、単純に旅の無事をお願いした。
 金沢最大の繁華街・香林坊(ここのショッピングビルも垢抜けている)を通り過ぎ、そのまま犀川にかかる犀川大橋を渡った。ここで明かしてしまうが、私が予約していた場所というのは、寺町寺院群の一つで通称“忍者寺”と呼ばれる妙立寺である。私が金沢旅行でいちばん楽しみにしていたのは、兼六園でも武家屋敷通りでもなく、この“忍者寺”だった。旅行案内書には「要予約」と書いていて、私もそれに倣って電話にて予約をしていたのだが、実際には当日申し込みもできるみたいだった。しかしそうなると、自分の都合のいい時間に見学することができなくなるので、予め寺に電話をしておくのがいいと思う。
 さて、そして私は第一に忍者寺に歩みを進めていたのだが、ここにきてもまだ約束の時刻までゆとりがあるので、寺町近くにある、“金沢三茶屋街”に数えられる、にし茶屋街を見物してみることに。金沢で茶屋街ときたら、ひがしの方が有名であるが、実はにしにも残っているのだ。現在も数多くの料亭が軒を並べており、なんとも風情のある街並みになっている。気温も高かったので、少しお茶していきたかったが、そこまでの時間は残されていなかった。なんとなく残念なのは、茶屋街は普通に車が走るということだ。茶屋街には今も営業しているお店があるのだから仕方のないことだが、街並みを見ながら歩いていると結構危ない。また、茶屋街の端のところにいい感じに時代モノの建物があったが、案内にも記載されておらず、結局あれは何だったのか分からず今でも気になっている。
 金沢を走る二つの川のうち、犀川は比較的流れが速く“男川”などと呼ばれている。その犀川に平行している寺町通りには、その名の通り現在も個性豊か寺院群が残っている。その中でも特に有名なのは、“忍者寺”こと妙立寺である。ぱっと見、何も変哲のない寺―これは少し嘘で裏口のところはひっそりとしていて緊張感がある―だが、実はここは加賀藩の武士が居起する寺町の中で、監視所の役割を持っていた場所なのである。どうしてこのようなものが作られたのか、その歴史的経緯は省くが、簡単に説明をすると、この時徳川幕府は完全の全国統一を果たすために、ささいな理由で多くの大名(おそらく外様だろう)を取り潰していたらしく、外様であった加賀藩の三代藩主・前田利常公が、幕府の取り潰しに防ぐために建立をしたのだという。
 私は正面ではなく裏口から入ったが、意外にも本堂前には多くの観光客が集まっており、休憩所なんかもある。てっきりもっとひっそりとした、知る人ぞ知る的なところかと思っていたが、しっかりと観光地化されていて少し萎えるような心持ちであった。しかし、騒がしい人は“あまり”いなく、全体的にひっそりとしていて、どこかお化け屋敷に入る前のような雰囲気である。実際、入る前は結構ドキドキします。案内のされ方はかなりシステミックで、「○○時に予約した人」として呼び込み拝観料を集め、一度本堂で見物者全員にテープによる説明を聞かせ、今度は三つほどのグループに分けて(この時、名前を呼ばれる)、グループ別で順番にガイドさんと一緒に寺内を巡るというものになっていて、もう一度言うがかなりシステミックになっている。
 ここが“忍者寺”と呼ばれる所以だが、幕府の攻撃を防ぐ、あるいは幕府の目を欺く目的で、かつここは加賀藩の祈願所であり藩主もよくお参りに出向くことから、お殿様を守るあるいは逃げさせる目的で、内部には数々の複雑な仕掛けやからくりが仕掛けられており、忍者屋敷のようであることから、そのように称されるようになったのだ。当時幕府により三階建て以上の建築は禁止されていたが、この妙立寺は外見は二階建てで、実際は内部は四階建てで七層。この時点でかなりえげつないトラップが仕掛けられている予感がするだろう。中二階、さらに中々二階などの複雑な構造に、二十三の部屋、二十九の階段があり、堂内は迷路のようになっている。本堂正面入り口に賽銭箱が埋め込まれているが、これは箱を取り除くことで、落とし穴になり、攻め込んできた敵がいきなり落っこちるようになっているのである。えげつない。寺には他にも落とし穴があり、その下で待ち受けて敵が落ちてきたらすかさず攻撃ができるようになっているのである。えげつない。他にも明かり取り階段(敵の足の影を見て攻撃できる)や隠し階段、街を一望できる物見台なんかも備わり、複雑な構造でいて建物自体も屈強に造られており、台風や雪圧にも耐えうるほど防御力も高いという。えげつない。しかし、流石は加賀百万石の文化というか、上層部には藩主の部屋があり、そこでお茶なども楽しめるようになっている。ちなみに、お茶用の水を汲み上げる井戸は水面上に横穴があり、金沢城にまで続いており、非常時にはそこから逃げることもできたという。えげつない。
 そんな複雑な寺内は、少人数のグループで案内されるため無理や窮屈さがなく、ガイドさんの説明も分かりやすくて、この“忍者寺”を十分に楽しめることができた。えげつない仕掛けの数々に何度戦慄したことか。すっかり観光地化されていたので、信仰は死んでいないのかガイドさんに尋ねてみると、ここでは今でも仏事が行われており、寺本来の働きも持っているのだという。寺や仏教の神秘性と、武家、武士の屈強さ、そして加賀文化の風流さ。それらが絶妙な均衡を保っていながら建っている“忍者寺”妙立寺は、全国にも類を見ない唯一の建築であった。


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 “忍者寺”のえげつない仕掛けの数々に驚き戦慄し、興奮醒めやらない私は、それでも次なる歩を進めた。再び犀川大橋を渡って、片町、香林坊へ。金沢が誇る繁華街を行く私の目的は、いまや当地を代表する光景になった観のある、長町の武家屋敷通りであった。昨年、金沢の旅の思い出を語る父親が絶賛していた場所である。長町は百万石通りから少し横道に入る必要がある。どこから入ればいいのか分かりづらいが、旅行書に書いてあったように、大きなホテルの横から入って歩いていると、無事にそれらしき通りに至ることができた。金沢は各名所までの道のりが分かりづらくなっている(案内看板はあったが、だいぶ控えめ)が、デカデカとした宣伝を設置するよりはだいぶ爽やかで、きれいな街並みの風情が残されているのがいい。
 長町は加賀藩の中級武士たちが住居を構えていた地区である。ここ一帯には現在でもクリイム色の土塀に囲まれた武家屋敷とそれらを結ぶ石畳の小道が、当時の面影を色濃く示してくれる。幸い他の観光客が多くいないのが私にとっては好都合であった。屋敷が並ぶ、迷路のように入り組んだ通りを、ひとり静かに歩けば、思わず時代錯誤の感も兆してくる。これらの屋敷のほとんどが今も住居として機能しているということに驚いた。“忍者寺”の時から歩きっぱなしで少し疲れたので、その辺りの「喫茶」の文字を掲げた店に寄る。九谷焼の販売店の片隅に喫茶スペースがあるという感じ。なんだか落ち着かず、多少ドギマギしながら案内を受ける。それでも、当時から保存されているという庭に面した喫茶スペースに腰を落ち着けると、次第に人心も復帰してきた。アイスクリームを食べながら、愛しのことりっぷを開く。時刻はまだまだおやつ時といったところだったが、いろいろの目星の場所や、明日の計画も考えて、今後の予定を立てていく。しばらくじっくりと考えていたが、結局予定は立たなかった。今回の旅は本当に時間の制約というものがなかったから、逆に計画が立てづらい。私にしては珍しく、出たとこ勝負の旅になりつつあった。
 とりあえず小道を奥へと進み、金沢最古の用水である大野庄用水沿いの長町のメインストリートに出ることにした。メインストリートは観光バスも走るし、それ以外の乗用車もよく通るが、道幅が狭くて、危ない。この通りに目当てのスポットは特になかったが、歩いてみて少しでも興味のあるものがあったら寄り道してみよう位の呑気な気持ちでいた。用水にかかる橋で突っ立っていたら、近くにいた外国人旅行者カポーに“Excuse me.”と話しかけられ、写真を撮ってと頼まれてしまった。旅先で他の観光客に撮影を依頼されることは度々あったが、まさか外国人に頼まれるなんて。まあ、やり取りとしては『いいですよ。』と『はい、チーズ!』と『写真見てみて。』くらい話せばよかったので、英語にアヤしい私でもなんとかこの窮地を凌ぐことができた。さて、通りを歩くと程なくして長町武家屋敷休憩館なる施設を見つけ、さっき喫茶でほっこりしたばかりであったが、どうやらガイドが常駐してるらしいことから、観光に有用な話が聞けるかもしれないと思い、少し立ち寄ってみた。
 休憩館の中は、観光に役立ちそうなチラシがたくさん置かれ、イベント情報や観光ポスターも何枚か張られている。最近ハマっている観光スタンプを手帖に押していたら、常駐している観光ガイドのお母さん(ガイドは他に二人。英語を話せる人もいて驚いた)が私にいろいろと話しかけてきて、私が聞かないこと尋ねないこともあれこれ説明し始める。私は適当に相槌を打ちながら聞いていたが、段々と面白くなり、バスの時間など、正直どうでもいいと思っていたことをあれやこれや質問してみると、お母さんは流石に観光ガイドということか、一々答えてくれるが、後で公式の案内で確認してみると、お母さんの回答は全くの見当外れであることが分かった。お母さんェ・・・・。
 とはいえ、少しでも楽しいひとときを提供してくれたほんのお礼代わりに、観光ガイドのお母さんが、面白いと教えてくれた長町の施設を回ってみることにした。話を聞いていとばん興味を惹かれた武家屋敷跡野村家を訪ねる。野村家は加賀藩に直臣として従い、家督は十一代にわたる由緒深い家柄であるという。広大な屋敷もそうだが、庭園が見事であるそうで、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで(たしか)二つ星を獲得している。襖絵や総檜造りなど、屋敷は豪勢な様子。評判の庭園は小規模でありながらも、池を囲んで多層的になっていて見ていると安らぐ。屋敷の奥には庭の見える茶室もあるが、女性がひとり先に入ってしみじみと庭を眺めていたので、どうも入りづらく、結果そのまま入らずじまいに終わった。縁側に座ってしばらく庭を見ていると、見物者だと思うが、上坂すみれ似の和風美人が着物を着て屋敷を歩いていたので、その美しさに思わずギョっとしてしまった。本当に美しいものを見ると、人はギョっとするものだ。しかし、彼女が連れている男はどう見ても、無個性で冴えないモブキャラといった風采で、それを見た私はこの世の不条理を呪った。
 長町でも中央通りに近い、金沢市老舗記念館なる施設にも足を運んでみた。はっきり言ってノーマークのスポットだったが、お母さんが面白いと言っており、建物が老舗の薬局を利用したものと教わったため、一応堕医学生の端くれである私に、多少の興味を起こさせたのだ。私の好奇心はほんの些細なことで張り切りだす。人気の観光地である金沢に置いて、この老舗記念館は微妙な位置にいるのだろう、館内には私以外の旅行者はいなかったし、ローカル番組でいっこく堂が訪れたと知らせるビデオが流されているのは、少し悲しく、かつ愛おしく思えた。まず通される「みせの間」がいわゆる薬屋としての窓口になっていたところに見える。太宰治の「津軽」に出てくる“コミセ”とはこういう形式のことを言っていたのだろう。この時、時代モノの薬のパッケージ(そういうものを集めているマニアがいるらしい)が展示されていて、レトロな雰囲気が醸し出されていて、感じが好い。奥の部屋でも、鞠や花嫁のれんなどの、加賀の伝統工芸品や、市内の歴史ある老舗のゆかりの品が展示されている。お菓子で作られたお神輿が飾られてあり、度肝を抜かれた。
 最後に訪問してみたのは、足軽資料館なる、誰得な施設だ。これもお母さんの差し金である。軒を連ねる武家屋敷や、野村家のような豪邸ではなく、足軽の地位を示すかのように、簡素で質素な造りになっている。とはいえ、貧乏そうでは決してなく、確かに庭を眺めたりお茶を嗜む贅沢はできそうになかったが、機能的で案外こちらの方がちょうどよく、住みやすくなっているのかもしれなかった。
 長町を十分に満喫できた感覚を持てたので、そろそろここを離れて循環バスに乗って移動をすることにした。バス停がとある売店の前にあり、ベンチもあって休憩しながらバスを待つことができそうだったが、タクシーの運転手らしき人間が平気な顔をしてタバコを吹かしていたので、思わず閉口。私は嫌煙家であるが、それは単に不快な思いをするからではなく、タバコの煙ですぐに咳込んだり頭が痛くなったりするので、健康上の理由で嫌っているのだ。私はどんなものよりも自身の健康を大切に思っている。目の前でタバコを吸われるというのは、私にとっては、ナイフやピストルを突き付けられているに等しい。小さなバスはなんと運賃百円で乗れる。観光客よりは住民が利用するようなバスなのが無性に嬉しい。髪型をお団子にした小学生くらいの女子が、珍しい白タイツを履いて乗っている。不思議に思いながら、車窓を眺めていると、同じくお団子ヘアーで白タイツの少女たちが数人外を歩いていた。服装などを見て考えてみるに、彼女らは小さなバレリーナであるらしかった。日本屈指の観光地の中にある、子供たちのいつもの暮らしに、軽やかな感情を覚えた。


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 長町の江戸気分をバスで抜け出し、多くの人で賑わう武蔵町で降りる。長町の休憩館で会った観光ガイドのお母さんが面白いから行った方がいいと強く薦められたのは、近江町市場であったが、この時すでに日が暮れようとしている。基本的に市場というものは、早くの内に閉まってしまうものだが、これは金沢市民の台所でも例外でなく、私が訪れた頃には、市場のお店はすべからく店じまいを始めていた。お母さんェ・・・・。だが、市場内や二階部分には飲食店がいくつかあって、それらは割と遅くまで営業をしているようだったので、この日の夕食の目星をつけるべく、しばらくぶらぶらしていた。やはり金沢に来たからには、海鮮を楽しみたいものだ。活気のある市場の様子はまた明日にでも見にこようと思った。
 だんだんと日が落ちている。武蔵ヶ辻から百万石通りを尾張町へと歩く。尾張町には歴史ある建物や老舗の商店が多数並び、時間帯の利もあって、レトロな風情を醸している。金沢の地理を知っている人なら、この歩行ルートから次の目的地が分かると思うが、私は日暮れのひがし茶屋街に向かっていたのだ。金沢三茶屋街でも特に人気のひがし茶屋街は、武家屋敷通りと並んで金沢を代表する景色となっている。こういう艶やかなところは夕暮れの頃に訪れるべきだろうと思い、この時間まで楽しみに取っておいたのだ。
 しかし、日は落ち始めているとはいえ、まだまだ灯りが映えるにはわずかに早い時間だったため、ひがしに至る途中で、いろいろと立ち寄ってみることに。大通りを橋場交差点に達する途中で左に行くと、久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)に当たる。これ自体は何の変哲もない神社であるが、境内を少し奥の方へ進んでいくと細い階段があって、下りて行くとそこは主計町であり、金沢三茶屋街のひとつ、主計町茶屋街の細い裏路地に入るのである。茶屋の裏ということだが、表とはまた違った雰囲気があり、むしろこちらの方が異世界に迷い込んだような感覚が強い。先ほどの乙剣宮の階段と家屋を挟むようにある階段は、暗がり坂と呼ばれ、尾張町の男たちが茶屋街に向かう時の抜け道であるらしく、そのせいか少しアヤしい雰囲気である。主計町茶屋街は他の二茶屋街のように街中にあるのではなく、浅野川沿いに並んでいるために、水辺の艶やかさと、開放感がある。貧乏学生の私には縁のないお店ばかりが軒を連ねているだろうが、街を歩きながら店の中を覗いてみると、家族らしい一団が食事をしているのが見えた。金沢の人はハレの日にはこういうところで食事をするのだろうか。あるいは裕福な観光客ということだろうか。
 金沢を流れる二つの川のうち、浅野川は水流の穏やかな様子から“女川”と呼ばれるらしい。“男川”犀川よりも少しばかり母性的なのか、川沿いは住民たちの恰好の散歩道になっているみたいだった(犀川沿いにも歩道はあるが歩いている人はあまり見かけなかった)。主計町茶屋街から大通りを越えてまっすぐ、浅野川大橋から梅ノ橋方向へ川沿いに伸びる道は、“鏡花のみち”と呼ばれている。“鏡花”というのは、幼少時代を金沢で過ごした文豪・泉鏡花のことである。近くには泉鏡花記念館という施設もある。この泉鏡花と徳田秋聲、室生犀星は金沢三文豪と呼ばれていて、金沢市内、特に犀、浅野二つの川のほとりにはゆかりの地や記念館が建てられている。金沢は文学の町でもあったのだ。ところで、「文学」というと、何やらそれを本業としている人たちだけが使える言葉のように聞こえるが、私は、どんな人であれ、その人それぞれの「文学」があるのではないかと考えていて(「文学」の素養が少しもなさそうなヒトもよく見かけるが・・・・)、その「文学」には「散歩」が欠かせないと思っている。特に川沿いの散歩は最高だ。結局何が言いたいのか。
 “鏡花のみち”は階段を下りて、川のすぐそばギリギリを歩けるようになっている。地元の中学生男子らしきやつらが、自転車―普通のチャリ―を担ぎながら階段を上ってきて驚いた。私は、趣味は散歩としているし、川沿いはとりわけ好きである。この“鏡花のみち”では金沢の夏の夕暮れと、浅野川の優雅な流れを心ゆくまで静かに楽しむことができた。川の向こうでは、住民か旅行者か、幾人か川へ下りる大階段や土手に座っている。川に入って遊んでいる中高生の姿も見えた。木で作られた梅ノ橋まで来たが、橋の袂には、鏡花の「義血侠血」に登場する水芸役者・滝の白糸の像があり、スイッチを押すと滝の白糸の持つ扇子から水がちょろちょろと貧弱に出てくる。私のそばを歩いていた観光客夫婦がクスリと笑って過ぎていった。私も思わず苦笑い。梅ノ橋を渡り、川の対岸へ行く。こちらは広々とした土手の道である。公園のようになっている。しばらく石に腰かけてボーっと川を眺めていたが、こういう旅のひとときは悪くない。この辺りは住民たちの犬の散歩コースであると見えて、犬を連れた人が続々集まってコミュニティを作っている。犬の目を見ていると、犬が寄ってくる。ひがし茶屋街を訪ねた後に、このルートを逆に辿って戻ったのだが、その時に見た夕焼けの美しさは忘れないだろう。この瞬間に、私は『今日は美しい一日だった。』と、その一日が終わる前に思ったのだった。
 この遠回りの散歩によって、浅野川大橋を渡らずして、大橋の向こう側に至った。大通りを橋から離れるように進んですぐに右の路地に入ってなんやかんやで、ひがし茶屋街に辿りついた。長町の武家屋敷通りと同様に、茶屋街まで案内する看板などは見つからない。周囲は暗がりで包まれつつある時間であることもあって、本当に現実味のない景色が待っていた。にしや主計町のと大きく違うのは、茶屋街が一本道で終わらず、迷路のように入り組んでいるところだろう。通りがどこまでも続いているような気がして、ここから抜け出せないような気がして、ひそかに胸が高鳴るのだ。通りをグルグル回りながら(迷ったわけじゃないから)、ネコを見つけた。公衆便所の脇に植えられた薮の中にいた。すると、近くに第一のネコよりも小さい、子ネコも見つけた。また、そばにあった広場には黒ネコが二匹、こちらの方を見ている。なんだここは。天国か。面白くてネコを追い回してたら(ひとりで何してんだか・・・・)、気がつけば、周囲にネコが集まってきているようだった。ネコは好きだが、ここまでくると不気味というか、何か物々しくなってくるが、通りのとある家から出てきたお母さんがネコを呼ぶと、そのネコたちはぞろぞろとお母さんの足元に寄って行ったり、はたまた家のほうに歩いていく。なんだこれは。こんな現実味のない場所で、こんな現実味のない光景を見せられたら、もう本当にわけが分からなくなる。観光客もいないし、不思議な光景も見れるし、雰囲気もエロティックになるしで、夕方にひがし茶屋街を訪れたのは大正解だった。気をつけるべきは、ここも普通に自動車が走るので、夢の中をポーっと歩くようでは危ない。
 さて、美しい一日の締めくくりに、お待ちかねの夕食の時間である。先ほど目星をつけておいた近江町市場内の食堂(居酒屋)に入る。カウンター席と座敷席があるだけの、昔ながらの食堂(居酒屋)といった感じ。私好みどストライクである。基本的に私は旅費を抑えたい向きなのだが、せっかくここまできたのだからと、奮発した食事にしようと最初から決めていた。刺身!刺身!生ビイルを頼んで、飲む。これだけで美しい一日にさらなる幸いが加えられる。夏の終わりの旅先で、一日中電車に揺られたり歩きまわったりした後に飲むビイルは、底抜けに美味い!ここにきてやっと、ビイルのおいしさ、あるいは飲み方を知ることが出来たような実感だった。しばらくして、外国人観光客二人組が入ってきた。店のお父さんは「オレ英語話せないよ。」と言いながらも、しっかりと英語で書かれたメニューを用意している。私は刺身の盛り合わせを食べる。金沢は日本海側屈指の海鮮処だ。おいしいに決まっているじゃないか。他にも牛すじ煮込みに、白海老の唐揚げにと、食べたいものを食べていき、ビイルを飲む。言葉にはできない、いつまでも噛みしめていたい感情が湧いてくる。多くの人が考えているのと違って、ひとりの食事は少しも寂しいものではない。自分だけの満ち足りた食卓を作ることが出来るからだ。締めには鯛茶漬けと、完璧に幸福な食事だった。
 ほろ酔いで歩く夜の金沢の町。今日はほとんど徒歩で移動していたが、少しも疲れていないのに気づく。金沢は町並みがどこも美しく、歩いているだけでも楽しかったからだろう。各目的地間の距離も、遠くなくて、観光に面倒がない。町も分かりやすいし、動線がスムーズでもあった。さっきの居酒屋の英語メニューもそうだし、観光ガイドが常駐していたりと、金沢は観光客を受け入れる体制がしっかりとできている。だからこそ私たち旅行者は気持ちよく町を回ることが出来るのだ。宿舎は駅近くのビジネスホテルを取っている。駅に続く大通りを歩くと、大通りであるというのに、道端でネコがのほほんとしている。本当に美しい町である。ホテルは完全に汗を流すのと、寝るのだけに使ってしまったが、部屋のベッドの上に、和紙で出来た短冊に「ようこそ金沢へ」と書かれたものが置かれてあって、たいそう嬉しくなった。美しい町で過ごした美しい一日、これは私の旅の思い出のなかでもとりわけ美しいものである。


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二日目

 楽しいなりにしっかり疲れていたのか、夜はすとんと眠りに落ち、そのまま新しい朝がやってくるまでぐっすりと誘われていた。翌朝は五時に自然に目が覚めた。基本的に早起きの人間だが、夏になるとその傾向が顕著になる。二度寝をしようにも、なぜかそれができないように身体ができている。そもそも、この日は朝からやりたいことがあったため、のんびりと活動を始めることに。
 トワイライトエクスプレス。大阪と札幌、あるいは札幌と大阪を結ぶ豪華寝台列車であるが、鈍行旅行初日に思いついたアイデアなのだが、ひょっとするとこの旅の間に、日本屈指の人気寝台に出会うことができるのではないか、と。昨夜のうちにホテルで、列車が金沢駅に入る時間を調べてみると、なんとなんと、上り下りともにちょうどいい、無理のない時刻にやってくるみたいであり、ここに、正式にトワイライトエクスプレスとの対面が旅の予定に加わることになったのだった。初めにやってくるのは、金沢八時四十九分着の上り(札幌―大阪)列車である。平日の朝早い時間だが、ホームには、私以外にもトワイライトエクスプレス目当ての鉄道ファンが数人いた。いま私がいちばん乗りたい列車が金沢駅に入ってくる。その瞬間、少しだけホームが華やぐ。深緑色の憧れの機関車が目の前にいる。感無量であった。絶対に今年中に乗ってやろうと強く思う。
 トワイライトエクスプレスを見送って、やっとひとり旅モードに切り替えた。この日の午後には金沢を出なきゃいけないが、朝から動いていたためか、それまでに十分に観光を満喫できそうだったし、むしろ時間は余りそうな予感がしたので、急かさずにのんびりと街を回る心組みでいられた。
 朝一で訪れたのは、近江町市場である。前日は、市場の店が閉まってから来てしまったので、そのリベンジとして、午前の活気のある様子を覗きにきた。また家族から頼まれていたお土産品もあったので、ついでに買っておくこととした。まつやのとりやさい味噌。海鮮、野菜、花。いろんな種類の店が出ていて、朝から賑やかだ。品物の持ち帰りに困難な旅行者という立場であるため、市場内をざっと見て回るくらいしかできないが、珍しそうな魚や野菜(山菜)があって、見てるだけで十分に面白い。食べ歩きできるフードも売られていて、観光客もちょっとした市場での買い物を楽しめるようになってはいる。昼ごはんもここで食べるのもよさそうだった。
 近江町市場を縦断して、そのまま歩いて少しの金沢城公園に大手門から入る。天守閣は現存していないが、今もお城は金沢市の中心の中心にあるというのが、いいなあと思う。石垣で囲まれた大手門から入ると、まずは芝生が広がる新丸広場を通る。金沢城公園という名称の通り、城というよりは公園としての景色のほうが目立つ。職人によって復元された河北門は門の上に上がることができ、例の新丸広場や、公園の中心部といえる三の丸広場を望むことができる。三の丸広場から見る長屋は、横に長く伸びていて面白い。高さはないが、これはこれでいい。残暑厳しく、午前だというのに立っているだけで汗が流れる日であったが、途中、鶴の丸休憩所で休みつつ、二の丸広場まで歩き、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓に入場(入城)した。正直、興味はなかったのだが、おそらくここまでくる機会は後には滅多にないだろうから、一期一会の気持ちで見物した。兼六園との共通入場券が売られているので、そちらの方が少しばかりお得になっている。内部は、各地のお城のそれらと同じようになっていて、釘を一本も使っていないと言われる伝統の木造建築や、城を守る仕組みが残されているが、私はこちら方面には滅法疎い。二の丸でいちばん高い菱櫓に上ると、城内の尾坂門、河北門、石川門などが一望できるが、本丸ほどの高さはないためか、あまり街並みは遠くに少し望むだけである。
 金沢観光名所の王様は今も昔も、国の特別名勝であり、岡山の後楽園、水戸の偕楽園と並んで、日本三名園に数えられる兼六園である。やはり金沢にきたからには兼六園は外せない。金沢城公園を石川門から出ると、目の前にすぐ兼六園の桂坂口が待ち構えている。大きな観光地が隣接しているのは、うまい。やはり王様、すでに観光客が大勢集まっている。外国からの訪問者もかなりいるみたいだった。兼六園の地図を少し見てみると、園内は道が迷路のように複雑に連絡していて、一筆書きで回るのは困難に思える。実際ムズカしい。だから、すべての道を歩くのは諦めて、いわゆる“六勝”をおさえるようにぐるりと歩くことにした。こういうところで躍起になってはいけないぜ。
 寺や古い邸宅の庭園はいろいろと歩いたことはあるが、やはり三名園となると、こんなにも規模が違ってくるのか、園内は広大で少し面食らった。その中に、“六勝”という兼六園でも特に見どころとなるものが点在している。“六勝”とは、兼六園のシンボル・ことじ(漢字がでない!)灯籠、街を見渡す眺望台、清らかな水流・曲水、現存する日本最古の噴水、自然の力強さが迫る根上松、そして幽玄なる瓢池の六つの景色のことをいう。“六勝”はたしかに見応えがあり、他にも野趣のある夕顔亭や涼しげな翠滝、蓬莱島の浮かぶ霞ヶ池など、私好みで、精神の保養となる光景がそこかしこで見られるが、実をいうと、兼六園は金沢の旅では特にこれといった印象のない場所であった。なんとなく、ただ広く大きいだけの庭園のように思えてしまうのだ。周囲の観光客やうるさいツアー客の活気に当てられて、少し“六勝スタンプラリー”的にせかせかと歩いてしまったのも悪かったかもしれない。成巽閣なる御殿もなんだか煩わしく、私には珍しく入らずじまいであった。桜ケ岡口付近の茶店でソフトクリイムを食べながら、少しがっかりするような、一方で反省するような、実に微妙な気分であった。桂坂口から出ると、茶店が並ぶ通りがある、時間も時間だったし、いろいろなお店があったので、このあたりで昼食にしてもよさそうだったが、なぜかここでも店に入る気が起きずに、素通りして結局何事もなく、次なる場所への歩みを進めるに努めた。


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 兼六園を真弓坂口から出るとすぐに目に入る、芝生の広場と屋外のオブジェに囲まれた円形の奇妙な建物が、金沢21世紀美術館である。金沢21世紀美術館は見るだけでなく、実際に入ってみたりして体験することのできる、新しいタイプの感覚的美術館である。金沢でも人気の高いスポットだ。《雲を測る男》や《緑の橋》など、建物と一体化した作品も多く、空間全体でアートを楽しめるようなつくりになっている。とりわけ来館者の人気を集めている作品が、“レアンドロのプール”こと、《スイミング・プール》である。上から見るとただのプールだが、実は下の部分は空洞になっていてそこに入ることができる。下から見上げると、プールの底にいるような感覚が味わえるし、プールの上下の観客同士で交流することができる、不思議で幻想的な作品である。おそらくガラスを二枚重ねて、その間に水を流しているのだろう。水槽に佇み、水面越しに空を眺めると、本当に非日常的な体験になる。私が訪れた時、偶然に《スイミング・プール》を創り出したアルゼンチンのアーティスト、レアンドロ・エルリッヒの企画展が行われていた。展示品というか、展示室自体が一つの作品となっていて、プールと同様に、その中に入っていろいろなことを感じられるという、この美術館にふさわしい個展のように思われた。真っ先に入る《見えない庭》は鏡を使っているのは分かったが、しばらく観察してもどのような仕組みになっているのか理解できず、最後まで不思議な気持ちのままでいた。また、《リハーサル》では、東京ディズニーランドの「ホーンテッド・マンション」のように、自分が半透明になって楽器を演奏できるという、幻想の世界にしばらく浸っていることができる。不思議で楽しい展覧会であった。
 美術館内の売店には、金沢21世紀美術館オリジナルグッズや、草間彌生、奈良美智などの人気アーティストのグッズ、お洒落な雑貨などが販売されていて、楽しい。他にも芸術関連に限らず、様々なジャンルの本も販売していて何冊か手にとってみたが、ある文庫の著者の名前を見た時、少しハッとした。鈴木大拙。金沢が生んだ仏教哲学者の大家だが、なぜ私がこの名前を見てハッとしたかというと、昨日に長町武家屋敷の休憩館で出会った観光ガイドのお母さんが、先生を記念する施設・鈴木大拙館を私に強くオススメしてきたからだ。そして美術館でなんとなく手に取った本に先生の名前がある。偶然にしてはあまりにタイミングがよすぎる。長町のお母さんの話はあまり真に受けてはいなかったが、こういうことがあると、否応なしに興味が湧いてくる。
 しかし、私は鈴木大拙先生については全くの不勉強。著作など一つも読んでいないのだ。こんな有様で記念館にいって楽しめるのだろうか。基本的に記念館というのは、それについて勉強をしている人だけが楽しめる施設だ。ここにきて私は優柔不断に陥り、行くべきかどうか、美術館から記念館までの道を何度か行ったり来たりしていた。だが往復している内に、今日が“きっかけ”になるのではないか、と思い始めた。今まで何も知らずにいたが、今日のこの時を契機として、また新しい考え方を得ることができるかもしれない、と。どんな専門家も必ず最初のうちは素人だった。まず始まらないことには、自身の引き出しを増やすことはできない。迷った時には、たいていこういうことを念じれば進路が決まる。
 兼六園や金沢21世紀美術館などの人気観光地が集まる広坂から歩いて、その喧騒が聞こえなくなる頃、ある脇道に入ったところに、鈴木大拙館は静かにひっそりと佇んでいる。よくある記念館のように、ただ展示品を飾ってあるのではなく、展示空間で「知る」、学習空間で「学ぶ」、思索空間で「考える」ことができ、来訪者が自由な意思、自然な心で大拙先生と出会えるような場を理想としている。展示品はそれほど多くないことから、どちらかというと私たちが「考える」ことに十分な時間を割けるようになっているのかもしれない。思索空間は“水鏡の庭”に浮かんでおり、座って池を眺めなることができるため、自然とその場に長居してしまうが、人を「考える」空間に留める設計になっているのは、施設が「考える」ことにとりわけ重きを置いているからであろう。またこの施設は珍しく、資料を挟めるファイルを来館者に手渡す。これは単に便利であるし、館内を回って先生の言葉を一つ一つ集めていくような感じで、見た目に何かを学び取った観が兆す。館では、大拙先生と、金沢の第四高等中学の同級生で日本で初めての哲学者と言われる西田幾多郎先生にまつわる展示があった。思想界で大きなアイコンとなっている両先生であるが、その二人が学生の頃から親交を深め、最後まで尊敬しあったり励ましあったりした、というのは爽やかで羨ましく思う。私は大拙先生の本は少しも読んでいないから、こういう展示を見てなるほどと腑に落ちることはないのだが、こうして出会った人が仏教哲学の権威というのは不思議な気持ちがする。私は宗教人ではないが、田舎の妙好人に囲まれて育てられた人間である。仏教は私が生きる上で鍵となりそうなものである予感が、最近している。現時点のみでなく、もっと長いライフスパンで勉強してみたいと考えているが、この訪問はきっかけというか、一つの後押しになってくれそうである。
 腹が減った。昼ご飯を食べずにここまできてしまったが、気がつけば、正午はとっくに回っている。大体見て回りたいところは訪ねることができたし、ランチを摂ったら、あとは駅のあたりでのんびりとすることにしよう。昼食は近江町市場で食べようかなと思っていた。ここには飲食店がたくさんある。昨夜行った食堂にまた食べるのもアリだったが、いろいろ探して考えている最中で、パッと目に付いたお店に行くこととした。ご存知、カレーのチャンピオンである。金沢カレーの代表的なお店だが、それが市場の地下にある。もちろん初めて食べるが、気軽な食券制で、ちょっと牛丼屋みたいだね。お腹が空いていたし、金沢での最後の食事になるから、少し奮発してカツカレーを食べる。普通にカツカレーは大好物でもあるし。このお店の特徴としては、カレーを先割れスプーンかフォークで食べることであろう。テーブルにカツカレーが置かれ、続けざまにフォークを渡されると、一瞬「?」と戸惑う。なんかのイジメだろうか・・・・?それとも店員さんはボケているのか・・・・?と変に勘ぐってしまうが、何のことはない。これがこのお店のスタイルだったのだ。たしかにカツとかキャベツを食べる時はいいだろうけど、カレーをフォークで食べるのってどうなのよ、と最初は思うが、チャンピオンのカレーはドロドロと濃く、ご飯にしっかりと絡みつくから、意外とフォークでも食べれる。おいしい。基本的に食べることは好きだが、旅先だとその満足度は倍増する。
 旅の始まりの場所、金沢駅に再び戻ってきた。時間的に午後三時三十七分着のトワイライトエクスプレス下り列車が入ってくるので、出迎えにホームに向かう。風格のある深緑の電車。絶対に乗ってみせる。札幌に向かう列車を見送ったあとは、駅構内の金沢百番街で土産屋の見物と、夕食用の弁当を求める。お土産としては、来年春開業予定の北陸新幹線のW7系ボールペンを買った。弁当は、名店のものはどうもしっくりこなかったので、結局ニューデイズでおにぎりを数個買った。おにぎりと言っても、コンビニで売っているようなものでなく、店内のおにぎり屋で握っている本格的なものだ。
 これはあくまでも鈍行旅行であるから、往きと同様、復りももちろんひたすら鈍行の乗り継ぎである。ルートとしては往路を逆行するだけである。倶利伽羅峠を越え、石動(なんて読むか分かる?)を過ぎて富山駅に着く。乗り継ぎまで時間があったので、今日こそは路面電車を見てみようと、駅の外に出た。富山の農協だろうか、駅を歩く人に地域の野菜や果物を手渡すキャンペーンをしていたが、私が何度も辺りを往復しているのに、誰も私には目もくれない(決して忙しそうにしているわけではない)で、完全に無視を決め込んでいた。これから絶対富山県には金は落としてやらないと心に決めた。富山駅の周辺は、私が思っていたよりも発展している。いや、建物があるだけかもしれないけれど。富山市の路面電車は富山駅からちょっと歩いたところを走っている。すぐそばに行ったところで別に電車に乗るわけではないので、遠くからそっと眺めているだけに止めた。駅に戻ると、ワイドビューひだが停まっていた。これに乗れば飛騨高山に行ける。こういう列車があれば、高山は結構新潟から近いのかもしれないな。ホームでおにぎりを食べて、鈍行旅に復帰する。
 富山―直江津あるいは直江津―柏崎間には、日本海沿いに走る絶好のビューライン区間があるが、さすがに日が落ちてしまうと、何も見えない。青海川駅に着いた時には真っ暗であった。嗚呼、あのトワイライトエクスプレスだったらこの辺りで日本海に沈む夕日が見れるのに・・・・。往きの時と同じ様子なのは筒石駅だけで、あとはひたすら闇の中を鈍行で走る。トンネル内を走っているのと変わらない車窓に、少し頭がボーっと、違う世界に誘われるような感じであった。ブラック・ジャックの「人生という名のSL」を思い出した。午後四時頃から電車に揺られ、新潟駅に着いたのは夜の十一時近くであったが、時間帯によって電車の客層が全く違うのが面白かった。なんとなくバスには乗りたくなくて、駅から自宅まで四十分歩いたが、旅のすべての疲れがここでどっと押し寄せてきて、帰路は大層苦しく、帰宅したらすぐに眠りこけてしまった。


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コメント

にし茶屋街の端の建物は検番事務所だと思います
芸妓さんが芸の練習をするところですね
  1. URL |
  2. 2014/10/18(土) 00:35:48 |
  3. ikun #HfMzn2gY
  4. [ 編集 ]

Re:

ikunさん
コメントありがとうございます。

なるほど、検番事務所ですか・・・・。
あんな洋風な建物が芸妓さんたちの練習場所とは、少し意外です。
街並みだけじゃなく、実際のシステムとしても茶屋街の姿が残されているのですね。
教えてくれて、ありがとうございます。

シバケンーいかれたNeetー
  1. URL |
  2. 2014/10/18(土) 08:00:37 |
  3. シバケン-いかれたNeet- #-
  4. [ 編集 ]

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Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
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