野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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只見線莫迦列車 六 ニューバランス

 トンネルを抜けて、早戸駅の歩廊に下りる。霧が落ちてくるような小雨はまだ止まないが、依然傘を差す程のものでもないので、上着のフードで頭を覆って凌いでいた。八時五十八分の会津若松行の到著を待つ。先日の雨で会津坂下―西若松間の線路が通れないらしい。その区間でも代行のバスが走るので心配はない。
 それよりも、会津若松に着いてから次の列車の時間までどう過ごそうかと考えるのだが、いい案が出てこない。私はここ数年来、何らかの機会ごとに毎年一度は会津若松を訪れていることになるので、興味のある箇所はだいたい見て回ってしまっている。いっそのこと一駅前の七日町で降りて、そのあたりを適当に歩いていた方が気晴らしになる気がする。
「すいません」
どこからか人の声が聞こえた。歩廊の左右を確認してみても、自分の他には誰の姿もない。
「すいません」
この声はどこからやって来ている。フードを被っていると、音の方向覚がよく分からない。
 第一、おかしい。このあたりは自動車の往来こそあれ、歩いている人などまず見かけない山奥の地域だ。それなのに、生身の人が声を張るのが聞こえて、しかもすいませんなどと物乞いするようなことを言っている。これは、事であるに違いない。
 左右には誰もいないのが分かった。目の前には只見川が広がっている。そこから人の声が聞こえるわけがない。だとしたら背後だろうかと、振り返ってみると、果たして中年の男性が、車道の上からこちらを見下ろしている。何か伝えたいことがありそうなので、足元に近寄ってみると、曰く、この間の雨で電車は走らない。その代わりに紫色のバスが来て乗せるから、車道の方で待っていてください。その中年男性は会津川口方面の代行バスの運転手だった。
 おやおやと思った。運休区間があることは知っていたが、早戸はその範囲には含まれなかったはずである。そして実際に昨日は何事もなく列車は運転されていた。それが一夜明けて走らなくなるとは一体どういう料簡か。しばらくして、薄紫のバスに乗り込んだ。
「どちらまで」
「会津、いや七日町まで」
 このバスは、どうやらここから終点の会津若松まで各駅を巡っていくつもりらしい。西若松―会津若松間も運休しているというのだろうか。このわずかな区間はすでに山間を抜けて久しい街中の線路である。そのために雨の影響などあるわけがないのだが、それでも列車は走らないのである。只見線に乗る心づもりが、その半分以上の区間をバスに揺られる成り行きになってしまった。四年前の大水で途切れた線路は依然として復旧の兆しが見えない。そして幸いに無事だった線路も雨に弱く、ほとんどの区間で代替のバス輸送が行われている。これでは廃線しているも同然である。
 バス車内には思ったよりも乗客が座っていて、街に遊びに行くつもりのジャリガールたちや、オホホホホと笑う中年女性の旅行者一組などがいる。私が座る席と通路を隔てた向こうに若い女性が座っていて、ボーダーのカットソーにインディゴのデニムという合わせで、一眼のカメラを抱えて、時おり窓外に見える薄霧の奥只見を撮影している。まさかと思って足元を見ると、やはりニューバランスを履いていた。
 列車に乗れないのは真に残念だが、乗合バスでの旅というのも、私は決して嫌いではない。列車にしろバスにしろ、多くの見知らぬ人間が空間を共にし、お互いに多少は気にしているが最後まで見知らぬまま各々の目的地を目指しているというところがいい。
 また、列車に乗っていれば通り過ぎる駅はその歩廊の風景として覚えるのみだが、この日のように各駅をバスで廻ってみると、各駅舎の佇まいや周りの町並みの様子も目にすることができるので、別個の興味深さがある。
 会津宮下は早戸から一つ隣のところで、それなりに大きな駅である。街中に入っていくが、通りの家屋や店舗の軒に屋号を掲げている世帯が多いのが目につく。町は全体として寂れており、垢抜けない古い食堂もあったりして、一寸バスを降りて歩きたく思ったが、いけない。
 しばらく走っていると、乗合のマイクロバスは唐突に田畑を縫うように、農道へと入っていった。こんなに細い路を通らないといけないのかとヒヤヒヤしていたが、その行き止まりの広場に停車すると、驚くことにそこに駅があるのである。水田区域の農道の奥にひっそりとしている郷戸駅である。何の飾りもない石段を上ると歩廊がある。ただそれだけの駅である。この駅を囲んでいるのは、黄金色の稲穂が眩しい一面の田んぼのみである。こういう駅も残っているのかと少し度肝を抜かれるような心持であった。
 つげ義春先生ゆかりの西山温泉の看板にときめきながら見過ごしていくと、会津柳津駅に停まる。只見線沿線の中でもとりわけ大きな駅で、日本三虚空の一つの会津柳津福満虚空臧菩薩圓臧寺の最寄りである。町には、圓臧寺の門前として色々の土産屋や食堂がある。失礼を承知で言わせてもらうけれども、圓臧寺のような微妙な立ち位置の観光地にすがって、垢抜けない構えで商売をしている、こういった土産屋や食堂が、私の最も好むところである。会津柳津駅は木造の白い駅舎である。広場にSLの車両が展示されていて、これは写真に収めたいと思ったけども、バスの窓の反射が邪魔でうまく撮れない。そもそもSLを覆う屋根の柱がちょうどよくSLの顔を隠す。
 会津坂下に至る頃となると山道を完全に抜け、車窓からは平地の集落が見えるようになる。ここでもう一つのバスとの乗り換えがある。途中の駅を介さず、直接会津若松へと行きたい場合は向こうに乗車すればいい。私は七日町で降りるつもりなので、今までの座席に落ち着いたままである。
 七日町に到著したのは十時五十分頃で、当初の予定よりも二十分ほど遅いといった程度である。そもそもこの町で何も用事はないのだから、活動時間が短くなったところで困ることはない。短くなったら短いなりに過ごすだけである。会津若松へは十一時五十八分の快速AIZUマウントエクスプレスに乗って行く。
 七日町通りはレトロな町並みが魅力で、白木屋や渋川問屋などの老舗も軒を連ねている。見事な時代物の建築を多く見ることができて、歩いているだけでも面白みがあるのだが、通りの風景に便乗して、懐かしさを模造した店なども時おり見かける。こういうレトロを新しく造り出しただけの店舗に深みなどなく、うわべを着飾った見栄坊のようで、少しも考慮する価値がない。通りの端のところにアンティークショップがあるが、売り物として品々を並べていることもあって、レトロではあるが、全体的に品が良くて、コテコテのいかにもな懐かしさを感じさせないところが清潔である。アンティークではないけれども、繊細な切り子のお猪口を買い求めた。
 七日町通りから少し曲がると、野口英世青春通りに入る。野口英世は猪苗代の生まれだが、ここ会津若松で若き日々を過ごしていた。野口英世が左手に火傷を負ったというのは有名な話だが、その時に手術をした会陽医院がこの一画にあって、現在は一階を喫茶店、二階を資料館としている。その資料館を訪ねてみたが、昔の医学書や医療器具などが展示されていることを期待していたのが、ほとんどが野口英世その人にまつわる資料ばかりで、全く面白くなかった。
 駅に戻ろうと元きた路を引き返すが、神明通りと合流するところの広場で何やら催し物が開かれていた。翌日から会津まつりが始まるので、それにちなんだものだろう。昔がたりの朗読劇がされていたが、いくら祭りの活気に当てられたとしてもこれは面白くないだろうと私が思っている一方で、そこに座っている聴衆たちは真面目に聞いている。だが案外、朗読が始まってしまって何となくそこから抜け出すことができないままに、もっともらしい顔をしているだけかもしれない。広場には出店も出ていて、中々食欲をそそるようなものが供されていたが、それを売る人たちは、夜店の的屋というより、町のお洒落を発信していますとでも言いたげな面々であったため、一言も言葉を交わしたくないので、何も買わなかった。
 七日町駅に着く段に至ってもまだ時間に余裕があるので、近くの寺にお邪魔をした。新撰組の斉藤一の墓が建っている。幕末の歴史が好きというわけではないが、斉藤一は知っているので、墓石の前でしばらく手を合わせた。近くにいた男性数人の一団が、墓を見ても拝むこともせずに、向こうの方へと消えていった。そのまま現世からも消え去るべきである。
 目当てのAIZUマウントエクスプレスは会津鉄道の快速列車である。七日町―会津若松の区間を、会津鉄道は走っているのに只見線は走らないとは、いよいよわけが分からない。AIZUマウントエクスプレスなどと、いかにも特別な車両名であるが、実質はただの快速列車である。七日町から会津若松は一駅離れているだけなので、快速に乗ったからどうということはない。
 十二時二分、会津若松に着いた。次の列車はおよそ一時間後の発車だが、やはりここでも特に用事はない。時間としてもお腹が空く頃なので、軽くでも何かを食べようと思った。駅構内の食堂は気に入っているが、概して値が張る料理ばかりであるし、そこまで確りと食べる気もなかったので、立ち食いそばで済ませた。職人がこだわりを持って打つ蕎麦はおいしいはずだが、立ち食いそばもまたおいしいのである。同じそばとはいっても、両者はもはや別物だと言ってもいいほどに、それぞれの魅力を有っている。
 退屈なので改札をすませて歩廊に出たが、掲示板を見ると、どうやらこの日はフルーティアが走るらしい。私が会津若松を離れてからの発車なのだが、もしかしたら停車しているのを見ることくらいなら叶うかもしれないと思って気にかけていたが、結局目にすることはできなかった。
 これからは磐越西線で新潟無機終焉都市への帰路につく。次の列車は新潟までは走らないが、途中の喜多方に寄るので問題はない。十三時六分、野沢行の列車が発進した。










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  1. 2015/10/03(土) 09:49:52|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

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