野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

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山形鈍行旅日記

  一、山寺
 なし崩し的に購入してしまった青春18きっぷを、とにかく休暇中に使い切りたかったのだ。あらかじめ決まっていた予定で二回分を使ったので、残るは三回。最初の二回で十分に元は取れているのだが、18kipperとしては使い切らなければどうにも腹のこなれが悪い。
 これといって行きたい所はなかったのだが、帰省中の田舎から日帰りで(宿泊するだけのお金はない)行けてそれなりに趣のある所を考えると、第一に山形行きのアイデアが浮かんできた。「山形」と一口に言っても色々あるが、ここでは山寺と山形市の観光を考えた。山寺は大学に入ってから一度家族と訪れたことがあるのだが、その日はあいにくの天気で十分に堪能できなかった観があるし、ああいう頓狂なスポットはひとりで行ってみたくなってしまうものである。仙山線にも興味があるしな。そして山形市といえば、先の銀山温泉旅行の帰りに文翔館に立ち寄って感動を覚えたばかりであるが、よくよく調べてみると、市内にはこの文翔館の他にも見応えのある建築が二、三あるみたいだったので、これはもう一度足を運ぶ必要があるなと考えていたのだ。山寺と山形間の距離はそれほどではない、というかものすごく近いので、一日で二か所を観て回るのは容易そうである。実際、時刻表を参照してみると、朝が早い以外は無理のない時間計画になった。行く目的もあるし、計画もバッチリ。ここに、私の山形鈍行旅行が決定した。
 旅の始まりは、いつもの湯沢駅。私の故郷・羽後町には電車が通じていないので、隣の湯沢市の駅までは、家族に車で送ってもらうことになるが、こんな朝早くに、いわば私の道楽に付き合わせてしまうのは実に後ろめたく思う。この時間だと、外はうっすらと白いもやがかかっている。これは後で晴天となる徴候だ。この白いもやのなか、森の中を駆ける奥羽本線に揺られていると、『いまオレ、18きっぷのポスターに採用されそうな景色の中にいるんだろうな。』などと、取るに足らない気取ったことを考えてしまう。
 終着の新庄駅は、奥羽本線、陸羽東線、陸羽西線そして山形新幹線の起点となっていて、ホームが平面的に広くて面白い駅だと思う。ここで数十分の待機であるが、特にすることもないので辺りをぶらぶらしていると、衝撃の告知が目に飛び込んできた。なんと、山形新幹線新庄―山形間の車内販売および新庄駅ホームでの駅弁販売が中止されてしまったのだ!(ガーン!)新幹線はあまり利用しないのでいいとして、私が鈍行で帰省するときには毎回といっていいほど、この駅で名駅弁・「牛肉どまん中」を買って食べることをささやかな楽しみにしていたので、この販売がなくなってしまったのは、実に手痛い打撃である。
 まずは早い時間から訪問することができる山寺を目指す予定でいた。新庄から山形方面の列車に載り、普通にキジが歩いているのどかな風景を眺めながら幾時間、仙山線の乗り換え駅である羽前千歳に降りる。羽前千歳は驚くほど周りに何もない駅である。そこから待つこと数十分、仙台方面に向かう列車に乗り込み、十分ほどで山寺駅に到着である。駅のホームから山寺こと立石寺の五大堂を認めることができるが、下から見上げるとそれが本当に山の高くに建てられていることが分かって、今からそこまで自力で上ることを考えると、少し信じられないような気がする。
 山寺駅は仙山線というローカル線の駅でありながら、観光客が多く訪れるためなのか、各種ICカードも使えるし、お手洗いも清潔で、思ったよりも新しめの駅である。周囲の素朴な街並みに合わせてか、駅舎は木の風合いが生かされた外観になっている。立石寺は駅から歩いて十分ほどだが、そこまでの道のりには、時代に取り残されたような古き良き旅館や土産屋が立ち並び、とても牧歌的で好感がもてる。生活を豊かにし、心を乏しくする技術が次々と開発・定着する中、そんな世間の風潮に見向きもしないかのように、どこか侘しさを残して垢抜けないものが、私は好きなのだ。朱色の山寺宝珠橋から見る立谷川の流れや仙山線の鉄橋も、私の日本人の遺伝子にやさしく訴えかけるものがある。
 「山寺」こと、宝珠山立石寺は天台宗の古刹。この地を訪れた俳聖・松尾芭蕉が「おくのほそ道」に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という名句を詠んだことであまりにも有名である。参道には句碑や、芭蕉翁と弟子の曾良像が立っている。芭蕉翁の一息つきながらも、次なる旅の行き先を見つめているような表情が実に味わい深い。
 寺内に入ると、まずは根本中堂がでんと聳えている。木造の大きな本堂は重要文化財に指定されている。軒下に安置されているのは布袋様の坐像であり、これを撫でながら願いを唱えると叶うらしい。こういうときには必ずと言っていいほど、不躾に頭や顔面を撫で回してしまう。願うのはもちろん登山の無事である。あとは健康と、金運と、国家試験の合格と・・・・、
 朝食を早く摂ったため、十時の段階で少しお腹が空いてしまったので、登山口前の休憩所の名物・玉こんにゃくで腹ごしらえをする。これにて登山の準備は万端だ。空からは日が差し込み始めてきた。いざ、意気揚々と山道に繰り出す。
 数日前の降雨と日当たりの悪さゆえか、石段はほんの少し湿っている。おそらく芭蕉が訪れたのは蝉の声が耳につく季節だったろうが、私の場合だと、蝉はまだ土の中で来るべき日に備えているので、あの騒々しい声はもちろん聞こえることはない。蝉の声の他に何か、岩にしみ入るような音は少しもせずに、山の中はとても静かである。「森閑」とはこういうことを言うのだろう。平日の午前ということもあって、他の参拝客が極端に少ないのも静寂を保つ一助になっていただろう。耳に入ってくるものといったら、野鳥のさえずりと、自らが石段を上がっていく足音、そして確実に体力が落ちている証拠であるぜえぜえ声くらいである。千十五段の石段を上っていくのはとても辛いものだが、この登山は修行の一種であるため、辛いのは当然なのだ。姥堂(安置されている鬼婆の像が怖い)を境にして下は地獄、上は極楽として、石段を一歩また一歩と踏みしめて上っていくことで、心の穢れを落として正しい人間となるという趣向なのである。やっぱりこういうのは、ひとりで黙々と臨む方がいい。
 木々がうっそうと生い茂る山の中、苔生した奇岩や無数の小さな祠を横切りつつ石段を上っていく。こんな頓狂なことをさせる仏閣は他には見当たらない。巨大な岩壁に岩塔婆が刻まれた彌陀洞(全体として阿弥陀如来の姿に見えるらしい。邪心の持ち主には見えないので私は見れなかった)や、信者の御骨を収めた無数の洞穴(正式名は分からない)など、「死後の魂は山寺に還る」というこの地方独特の信仰風景の一端も垣間見える。山道の途中から、無心になって上っていった(成程、たしかに修行っぽい)が、やっとのことで仁王門が見えてきたときの嬉しさったらない。実は仁王門は決してゴールということではなく、そこから奥の院まではまだまだ階段を上らなきゃいけない。ある意味では仁王門からの追い込みがいちばんタフだったかもしれない。
 頂上はとても日差しが強く、紫外線に弱い私には日焼けが心配であった。空が近くにあるように思え、天空に上ってきたかのような錯覚さえ覚える。成程、たしかにここは極楽なのかもしれない。この山の傾斜に沿うようにして観明院、性相院、金乗院、中性院が建っている。山頂部の最深にあるのが奥の院と大仏殿である。雪対策でかこいがされていたため、奥の院には参拝することができなかった。横道に入るようにして至るのは華厳院である。ここから向かって右側の岩屋には、国の重要文化財である三重塔がある。岩屋にすっぽりと入ってしまうくらいだから、これは日本全国で最も小さい三重塔で、見どころの一つには違いながら、何ともトホホなスケールの小ささである。
 山寺参拝のハイライトは、あえて最後にとっておいた五大堂である。五大堂とは宝珠山を守護する五大明王が安置された道場だ。納骨堂に参拝をして、その横から出る脇道を進み、幅の狭い石段を上るとそこは五大堂の舞台である。そこからの眺望は実に爽快。さきほど降り立った山寺駅や宝珠橋も見えるが、その小ささを見るに、現地点の標高の高さを実感させられ、ここまでえいこらと山登りをしてきた達成感に包まれていく。
 どうやらもともとの計画より一本早い電車に乗れるみたいである。今度は山道の下りである。ペースは上りよりも早いが、実は下りの方が足腰が被る疲労が大きいように思える。ふもとの土産屋でさくらんぼソフトクリイムを求め、宝珠橋で立谷川を眺めながら食べる。山寺での山行を経て、そしてこの純朴な町並みの中で過ごした時間で、少しは自分の精神の穢れも落ちたであろうか。脚はバンビ寸前であるが、気持ちはことの他晴れ晴れとしているのが分かる。ここに来てよかった。素直にそう思えるのだ。
 ホームに列車がやって来た。車窓から山寺に別れを告げて、一路山形へと走る。


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  二、山形
 山寺から山形までは、電車でわずか二駅の距離しかない。山寺は、秘境のような顔をしておいて、実際は市街地と近くてアクセスは悪くないのである。この、立石寺での修行が思ったよりも早くに終わり、当初計画していた列車の一つ前に乗車したために、予定より一時間早く山形市に到着した。時間に余裕ができるのは、実にいいことである。時間に気を病まねばならぬ鉄道旅行における、ちょっとした“重荷”がほどけていく。
 山形駅に降りた。まずは、いつものように観光案内所で色々な情報を仕入れてみると、どうやらこの日、というかこの曜日には、市内の多くの施設は休館しているようだった。少し興味があったところも休みだったので、見た目には見せないものの、胸の中で大きくうなだれた。だが、今回のメインとなる名所は開いているようで、幸いに、最悪の事態にはならなかった。まあ、行けないところがある、ということは、行ける場所も絞られていくというわけで、旅のプランを組み立てるのがかなり簡単になる。状況がシンプルになるのは、決して悪いことではない。
 少し時間は早いが、そもそもこの日の朝もかなり早くて、腹の奴が嘶いていたので、まずは栄養補給に、先日の銀山温泉旅行の際にも立ち寄った、駅ビルの食堂で鳥竜田揚げ定食を食べた。ご当地らしく芋煮など食べてみようかと思ったが、一度冷静に考え直してみると、自分の中に、芋煮をどうしても食べたい気持ちが少しもないことに気がつき、素直に食べたいものを頼むことにしたのだ。おそらく私は、毎回こういう思索をして、これからもずっと芋煮を食べることはないんじゃなかろうか。栄養状態も万端に、いざ山形観光に繰り出す。
 これまでちっとも知らなかったが、山形市内には、街中を循環するバスが走っているみたいである。およそ二年前に、とあるバンドのライブのために山形市を訪れたことがあるが、ひょっとして、この時にはすでにあったのだろうか。それにしても、運賃百円というのは、いい。これに乗って窓から街の様子を見てみるが、山形は、思ったよりも都会的に発展しているのだな。都会のコピー&ペーストである観は否めないが、七日町のあたりは、結構独自に進歩しているように思えた。そこにはたくさんの人が歩いていて、また、街のつくりが予想外に洗練されていて、なんだか楽しそうだったので、ここで降りてしまった。とはいえ、本当に降りるつもりだったバス停はここの一つ次なので、それくらいは余分に歩いても平気である。
 七日町は、おそらく当地でいちばん賑わう地区なんじゃないかしらん。色々のお店がひしめいている上に、街並みはさっぱりと清潔なのである。特に気になるところはないのだが、歩いているだけで、その通りの賑々しい熱にあてられ、なんだか楽しくなってくる。七日町御殿堰というものがある。これは、当時の山形城のお堀を満たすために馬見ヶ崎川から引いた「山形五堰」のうちの一つである。見た目にはか細い水路であるが、周りに柳など植えられて、いかにも涼しげである。人々が立ち止まることのない繁華街に、こういう一息つけるエアポケットがあるのは、とても好い感じだ。流れに沿って、和風雑貨などを扱うモダンな店があるが、そこではカフェーのようなコーナーもあって、抹茶スイーツなど、頂けるらしい。ゴクリ。また、近くの通りには、これまたファンシーなクレープ屋さんが店を出している。ゴクリ・・・・。物凄く食べたかったが、先ほどに昼食を摂ったばかりなので、泣く泣く我慢して、目的地へ歩き始めた。こういう甘味は、駅に戻ってからゆっくり食べようじゃないか。
 通りを歩いていくと、向こう正面に山形市のシンボル・山形市郷土館「文翔館」が見えてきた。遠くから認めても、全く見事な建築である。実は私は、先の銀山温泉の復路に山形市に寄り、この文翔館を見物していた。現代に残る明治建築の威厳と格式に感激した記憶があるが、それはまだありありと、新鮮なまま心に残っている。あの日の山形市はとてつもない雪だったが、今回は対照的に青空が広がっていて爽快である。また、前回は連れがいたが、この日は気軽なひとり旅。気になるところは思いっきり時間をかけて観察ができる。やっぱりこういうところはひとりで訪れるに限るよ。
文翔館の手前の広場は、ベンチが置かれたり芝生が植えられたりして、ちょっとした公園のようになっていて、昼休憩の公務員や、散歩の子供連れが思い思いに憩いの時を過ごしている。地域のシンボルといえば、各地のお城とその周りの公園が思い浮かぶが、こういう歴史的な建造物がシンボル、かつ市民の憩いの場となるのも、中々いいものである。何にせよ、街の歴史を物語る建築は、保存するように努めるのが一等である。「温故知新」とは、まさしくその通りで、住民の魂の拠りどころとなってきた古いものや歴史を蔑ろにして次々と潰してきた街(どことは言わないが)は、これ以上の進歩なく、零落していくのが当然である。品格のない街に、果たして人が集まってくるだろうか。
 「文翔館」こと山形市郷土館は、「旧県庁舎および県会議事堂」というのが正式である。明治の時代に建設されたが、山形市北大火で両棟とも焼けてしまい、その後、大正になって復興が計画されて完成したのが、現在の旧庁舎と議事堂である。国指定重要文化財に選ばれたことを受けて、昭和から平成にかけて行われた復元工事により、今はさらに当時の姿に近づいているのだそうだ。私は明治~昭和初期の洋風建築が好きなのだが、それはどちらかというと邸宅の方に顕著で、果たして庁舎のような政治的な施設はどうなのかが気がかりであったが、なかなかどうして、その豪勢な意匠には大きな感動が湧いてくる。
 旧庁舎は、三階建てのレンガ造りで、外壁には石貼りが用いられている。この白亜の外観の綺麗なこと!威厳や風格から出る迫力もありつつ、軽やかで瀟洒な一面も垣間見せるという、実に絶妙な設計である。決して大袈裟でなく、ずっと見ていても飽きない外観なのだ。議事堂の方は、カントリーな赤レンガ造りで、小ぢんまりとかわいらしい印象。
 館内に入り、中央階段室、正庁、知事室などと順々に巡っていけば、復元工事により忠実に再現された、在りし日の豪華絢爛な姿を目の当たりにでき、思わず息を飲む。ステンドグラスや天井の漆喰花飾りなど、当時そのままの装飾が多く遺されていて、見応えは十二分にある。前回は大雪のために入れなかったバルコニーに出ることができた。赤と黄色のタイルが市松模様に敷き詰められたバルコニーから、正面広場を見下ろす。春の陽気に時おり風が吹いて、何とも言えぬ心地よさであった。また、廊下の窓から見える中庭もいい雰囲気を有っている。旧県庁は外壁こそ白亜の石壁であるが、中庭側の壁は赤いレンガ造りなのである。そして白い石畳が敷かれているところは、日本とは思えず、ヨーロッパを連想させる景観になっている。渡り廊下から旧県会議事堂に向かう。先日は、何かの楽団が練習に使っていて立ち入ることができなかった議事堂に入る。照明が落とされて薄暗い議場ホールに入った瞬間に、異質な静寂が襲ってきて鳥肌が立つ。議場はかまぼこ型の天井に、柱が何本も並んでいる構造。もちろんこれも当時のように復元されたものである。当時から講演会や演奏会にも使用されていており、現在もそのような役割を有っているみたいである。大方の見学を終え、内設の喫茶室にて休憩をしていくことにした。さくらんぼのケーキとチーズケーキを注文する。ケーキやドリンクメニュウだけじゃなく、軽食類も色々と扱っているみたいで、しかも思ったよりも安価であったので、ここでランチをすればよかったなと、少し残念に思った。別のテーブルで、初老の男女数人が「あの頃は、云々」という話をしていたのが気になった。
 文翔館を後にして、次なる目的地へ、徒歩で向かう。最上義光記念館、山形美術館を通り過ぎて、山形城跡二ノ丸東大手門から霞城公園に入る。東大手門前の橋の下には、奥羽本線と仙山線の線路が走っていて、電車がよく見える。山寺から山形への電車に乗っているときにもこの橋の下を潜った。やはり城跡に作られた公園はいいなと思う。博物館や体育館などの施設もあったりして、園内にはたくさんの住民の姿がある。子供たちが遊んでいるのもポイントが高い。
 最上義光公の像や、平成の時代に復元された本丸一文字門石垣を見て、さらに公園の奥へと進んでいくと、ついに、そこに佇むこの旅最大の目的を認めた。山形市郷土館こと旧済生館本館、山形が誇る頓狂な擬洋風建築である。旧済生館は、明治十一年に落成の山形県立病院で、後に「済生館」という命名がされた。国の重要文化財にも指定された近代化工業遺産で、長野・松本の開智学校と並び、明治初期に日本全国に造られた擬洋風建築の最高傑作とも呼ばれているのだという。
 正面に構えるのは、この建築の特徴である三層楼である。クリィム色を基調に、青や橙、チョコレイト色を配した外観は、どこかオリエンタルな風情を醸している。シンメトリーではあるが、多角形の塔や二階のドーム型屋根、バルコニーのステンドグラスなど、色々なパーツが融合したような、奇妙奇天烈な設計になっている。これほどまでに頓狂な建築は見たことがない。
 正面玄関ではなく、その真後ろから入館する。ロビーを抜けると、再び頓狂な光景がそこにはある。言葉で説明するのは難しいのだが、三層楼の後ろに円形の中庭があり、それを取り囲むように廊下が一周しており、それに面して部屋も円形に並んでいる回廊になっているのだ。どこまでも奇妙な建築であるらしい。各部屋には当館の医学校にてドイツ医学の指導に従事していた、アルブレヒト・フォン・ローレツ氏にまつわる展示や、当時の医学教材・機材などの貴重な資料が多数収蔵されている。やはり私も堕医学生のはしくれ、当時の手術器具などは、なかなか興味深いものがあった。あの頃の手術は大変だったろうな・・・・。
 三層楼には二階まで上ることができる。一階から二階に上がる階段が、細く狭く、複雑な走り方をしている。途中で一階部や扉上のステンドグラスを見下ろすと、なんだかいいちこのコマーシャルに出てきてもおかしくなさそうな雰囲気を感じられる。三層楼の二階は、当時の山形市の様子についての資料や、済生館建築の資料がある。三階への螺旋階段が、凄まじく現実離れしているビジュアルだったが、これを上るのは危険だということで、立ち入りは禁止されている。残念なことである。
 擬洋風建築とは、日本の職人が西洋の建築を見よう見まねで造った建築のことをいう。つまりは、基本的に我が国にしかない建築様式なのである。洋風に見せようという努力も垣間見せながら、結局日本的な意匠も取り入れたりして、和洋折衷、異国情緒たっぷりに仕上がっていることが多い。旧済生館は、まさしく擬洋風建築を象徴するようで、確かにこれは最高傑作だと思った。私は洋風建築が好きでこれまでいろいろと足を運んできたが、これから擬洋風建築特化にシフトチェンジしても面白そうに思える。
 霞城公園から山形駅まで、歩いて戻った。この一日で、山形は歴史を大切にする街だということがよく分かった。風土によるものであろうか。城のある街は、みなこのような傾きがある気がする。地域の魂のシンボルとして、やはり城の存在は未だに大きいのかもしれない。奥羽本線に乗って、帰路に着く。


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  1. 2016/01/05(火) 19:00:00|
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筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

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