野良犬の生活

部活もバイトもやっていない堕医学生の暮らしを記憶するレポート

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

京都・薄紅デイトリップ




  
 大阪モノレール、阪急京都線、烏丸線と乗り継いで、京都観光の玄関口、そして自身にとって丁度三年振りになる京都駅に辿りついた。相変わらず大きな駅である。ランチを摂るのによさそうな時間であったため、まずは腹ごしらえと、大階段をエスカレーターで昇り、駅ビル九階の京都拉麺小路へと向かった。この中にある徳島ラーメンのお店が好きで、この街に来るたびに(とはいえ、それほど京都を訪れる機会はないのだが・・・・)足を運んでいる。徳島ラーメンは甘じょっぱいスープと、やはり甘じょっぱい肉、そして生卵を落として食べるというのが特徴的である。幸い店は混雑しておらず、並ぶことなく食事をすることができた。私が食べ終わって店を出る頃には、店の外には待機の列ができていた。どうやら来客のピークを避けることができたようだ。
 京都市内はバスや地下鉄などの公共交通網がいたるところまで伸びており、観光して回るのに苦労はない。レンタサイクルなどもまた魅力的であるが、荷物の詰まった大きな軍用バックパックを背負いながら、チャリを漕いで回るのはどうも大変そうだったため、今回は素直に交通網のご厄介になることに決めた。見て回りたいところを挙げていくと、バスを使うと都合がよさそうだったため、市内バスの一日乗車券を購入し、早速、ターミナルから出るバスに乗り込み、第一の目的地である東寺に向かった。
 東寺道バス停で降車し、すぐ近くの交差点を横断してそのまま真っ直ぐに歩くと、東寺の東門に行きつく。東寺は世界遺産にも登録された屈指の観光地であるというのに、そこへ続く道は土産屋の類に乏しく、静かな住宅街然としている。東寺といえば、各メディアで「京都」を表現するのに必ずといっていいほど登場する五重塔が有名であるが、私のお目当ては講堂内の立体曼陀羅である。大日如来を中心に据え、五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一体の仏像で、密教浄土の世界である曼陀羅を立体的に表現しているのだ。静寂に包まれた堂内に大小様々な仏像が佇んでいるその光景は、まさしく異次元のもの。現世にいながら奥深い密教の宇宙観に身を置くような体験ができるここは、全く稀有な場所である。また、この日は京都デスティネーションキャンペーンの一環として、特別に五重塔の初層内部が公開されている。東寺の五重塔は高さが約五十五メートルで、国内最高の木造塔である。初層の内部には、大日如来に見立てた心柱を囲むように四如来と八菩薩が安置されている。現在、多少剥落しているが、極彩色の文様が描かれていたと見られ、四天柱に描かれている諸尊も加わり、当時は絢爛豪華な仏教世界が形成されていたことが偲ばれた。大師堂にも参拝に行ったが、国宝の弘法大師像は公開されておらず、少し残念に思った。また、宝物館に収蔵されている千手観音像も楽しみの一つであったが、宝物館の公開もされていなかったため、これは大いに残念に思った。ひととおりの東寺見物を終え、一旦、京都駅に戻ろうかと最寄りのバス停に向かうが、次のバスは約一時間後という、予想外の不便さであった。仕方なく近鉄東寺駅から京都駅に戻る。ちなみに、この時に曇天からぱらぱらと小雨が降ってきたが、勢いが増すことはなく、すぐに晴れ間がのぞいた。
 私の次なる目当ては三十三間堂であった。先に東寺講堂の立体曼陀羅を体験して、こうなりゃ異様な仏教的光景を見て回ろうじゃねえかという意気が湧き出したのである。そういう意気があってもなくても、元々、三十三間堂は一度は訪れてみたいところだったのだ。三十三間堂は、博物館三十三間堂前バス停で降りてすぐにある。私が思っていたよりも大勢の観光客が集まっていた。修学旅行の女学生たちもわんさかいて、彼女たちの姿を目にして、物静かな見物は叶わないだろうなという諦観が兆した。でも、大勢の女子高生に囲まれるというのは、まあ、それはそれで悪くないかな。
三十三間堂は正式には蓮華王院といい、長いお堂の正面の柱間が三十三あることから、「三十三間堂」という通称で呼ばれるようになったのだ。お堂には中央の巨像を中心に、左右五百体ずつ、総じて千一体の観音立像がまつられている。この光景の異様なことといったら!これはもはや一種の狂気である。お堂の奥の方までの雛壇に置かれた無数の千手観音立像が、左右にズラーっと並んでいて、あたかもこの景色が無限に続いているかのようだ。東寺の立体曼陀羅と異なり、数や配置に特に意味合いはなさそうで、少し俗っぽいところもあるが、それでもこの堂内に創られているのもまた、仏教的宇宙なのではないだろうか。千手観音の軍団に圧倒されて見落としてしまいがちだが、観音の前方に安置されている雷神・風神像や観音二十八部衆像は国宝であり、素人目に見ても写実的な作りがされてあって中々見応えがあった。
 再びバス停に舞い戻り、そのまま東山方向を目指す。一日目最後の目当ては建仁寺であったため、祇園で降りればいいのだが、時間が余りそうだったので、一つ前の東山安井で降車し、高台寺エリアを見て回ることにした。この辺りはねねの道をはじめ、いかにも京都らしい風情の街並みで歩くだけでも心躍り、人気を集めている。しかし、ねねの道は普通に車も走るので、カメラのファインダーに夢中でふらふらと歩いていたらとても危ないので注意されたし。
バスから降りてすぐに気づいたが、この日、やけに着物を着ている女性の姿を見かける。着物といっても、格式高い本物の着物でなく、けばけばしい柄のカジュアルな着物なのだが。カジュアルとはいえ、一応、着物姿の女性が歩く京の景色というのは、多少はそれらしい雰囲気が出て一見よさそうである。だが、ここに大きな問題がいくつかあり、それは、着物で着飾って歩いている女性がすべからく、衣装の華やかさに釣り合わないような器量の悪い仕上がりだということ、そして、髪を薬品で茶色に染め、それでいて盛り上がった品のない髪型にしているということである。嗚呼、大和撫子は遠くになりにけり・・・・。この光景を嫌というほど見せつけられた私はもう、お金は払いますからどうかやめて下さいとあちらこちらに倒拝して回りたい気持ちだった。
 閑話休題。私がこの地域を訪れて第一に足を運んだのは、観光案内にはあまり記述されていない、霊山観音であった。ここで少し私の回想タイムに付き合って下さい。
 
 私にとって、高校の部活動最後の大会が夏の京都で開かれた。残念ながら、チームは一回戦で敗退を喫し、私の部活動はフィナーレを迎えることになった。その後は試合もないので、他のチームの試合観戦などをしていたが、突然に、ほんのわずかながら京都観光(というか、“京都駅”観光)の時間ができて、私と戦友は京都タワーに上ってみることにした。煙となんとかは高い所が好き、というやつである。京都タワー頂部の展望台で、私たちはヤイヤイとはしゃいでいたが、近くでコイン式の望遠鏡を覗いていた外国人が、突然こちらの方を向き、実に楽しそうな顔で“Buddha!”とアピールしてくるではないか。仕方ないからグラスを覗かせてもらうと、たしかにそこには巨大な白亜の観音が映っている。ん~?京都に観音なんていたかあ?その時は、持ち前の運動部テンションで『イェー!ホワイトブッダ!』などと言って応じたのだが、私には、あれは一体何なのか、その真相が気になってしょうがなかった。後日、望遠鏡が向けられていた方向を考えるに、あれは高台寺そばの霊山観音だという結論に辿りついたのだ。

というわけで、霊山観音は私にとってちょっとした因縁のある場所であったのだ。これは一度は訪れなくてはいけないと思って、実は三年前に観劇旅行で京都に立ち寄った際にも足を運んでいるのであるが、すでに拝観時間が過ぎているという不覚をとってしまった。今回はそのリベンジということになる。とはいえ、霊山観音に対してその程度の思い入れしか持っていないために、内陣に参拝をしてからは、何とも気の張らない見物をしてしまった。実際に、この観音は建立してから百年も経っていないため、他と比べると貫禄や歴史の重みというものに乏しいように思える。本来、仏閣に歴史の有無による貴賎はないのかもしれないが、あの胡散臭い「願いの玉」などを見てしまうと、やはりどうも俗っぽい印象は拭うことはできなかった。
 再びねねの道に下りて(霊山観音は高台の上に建てられている)、さて、今度こそ建仁寺を目指そうかと思っていたところ、ねねの道の途中から東大路通り方向に、なんとも旅情を誘う小路が伸びているのが目についた。名を石塀小路というらしい。私はちっとも知らなかったが、これ、結構有名なんだそうだ。木塀で囲まれた料亭や住居が多く軒を並べ、石畳が敷かれた路は迷路のように入り組んでいて、どこか秘密めいている。金沢の武家屋敷通りを思わせる、何とも心地のよいタイムスリップ感を味わうことができる。路の両脇には灯篭のようなものが置かれていたが、どうやら翌日からこの小道に灯りを灯すイベントが開催されるらしい。少し興味の湧くところもあるが、このような催物があっては、きっとこの小路もたくさんの人で賑わうだろうから、すんでのところで回避ができてよかったと思う。この日は、ここを歩く人もまばらで落ち着いている。いろいろな分岐に進んだりして、何度も歩いた。
 石塀小路から下河原通に出て、そのまま東大路通を横断して、いよいよ建仁寺に向かって八坂通に歩を進める。霊山観音と同じく、建仁寺も三年前のリベンジということになる。やはり前回は拝観時間の関係で参拝をすることができなかったのだ。建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山で、京都最古の禅寺ということで名高い。私個人としては、臨済宗には何の縁(えん)も縁(ゆかり)も有たないのであるが、高校時代の修学旅行前(行き先は京都・大阪であった)に京都について調べていたときに知ってから、ここに展示されている美術品に強い興味を抱いて、それ以来、拝観を願っていたのだった。この日も夕方の微妙な時間に訪れてしまったが、まだ受付は終いになっておらず、むしろ閉門の時刻まで余裕があり、だいぶ落ち着いて拝観することができそうであった。これまで訪れた寺社仏閣のたいていは、堂内や収蔵品の撮影は厳格に禁じていたのであるが、本坊にて拝観料を納めていざ踏み入るという段に、受付の人から「写真撮影は自由」という説明を受け、とても驚いた。常設展示されているものの多くは複製品だったからだろうか。
 ここでの目当ては、私の“内なる中学二年生”が胸を焦がしそうな品々で、単純にかっこいいものばかりである。第一に対面を果たしたのは、俵屋宗達の代表作である、国宝・「風神雷神図屏風」である。そのスジに疎い人でも知っているような有名な作品である。寺内に入ってすぐの小部屋に展示がされているのは精巧なレプリカであるが、二曲一双の屏風にまんべんなく金箔が貼られていて、大層煌びやかだ。複製品とはいえ教科書に載るような有名品を実際に目にするというのは、中々に感慨の浅からぬものがある。観光客の悲しい性として、こういうものはもれなく撮影してしまうのだが、いくら自由と言えども、美術品に向けてシャッターを切るのにはいくらか罪悪感が伴う。方丈の部屋の襖には、「雲龍図」(複製)や「竹林七賢図」(複製)が描かれている。桃山時代に描かれたものの高精細なレプリカであるが、特に「雲龍図」は双龍の顔つきや墨の濃淡により、力強さや迫力が生まれ、単純にかっこよかった。そして最大の目玉である、法堂の天井画に会いに行く。方丈から法堂まではほんの少し屋外を歩くことになり、そのためにスリッパが用意されてある。方丈と法堂を結ぶ屋外通路にはゲートのようなものがそれぞれの側に一つずつ作られていて、出る時は勝手だが、入る時には自分でロックを解除しなければならないというシステムになっている。このロックの解除方法は直前にアナウンスされてあるが、実際にロックを解除するところまで進んでしまうともう参考にできる案内がなくなるので、やり方を忘れた拝観者が困惑するという場面をちらほらと見かけることになった。私は親切心で、戸惑っている様子の人に方法を教えてあげようと思ったのだが、どういうわけか、無視という、実に不当で残念極まりない扱いを受けてしまった。私は何か悪いことをしただろうか。これからは、他の旅行者には絶対に話しかけねえぞと強く決意した。肝心の法堂の天井画「双龍図」は二〇〇二年の筆で、実はかなり新しいものである。歴史は浅いが、お堂の広い天井に描かれた二匹の龍は、えも言われぬ迫力があって思わず息を飲む。堂内に残っているのは私ひとりという時間がしばらくあったが、他に誰もいない森閑とした法堂の中で、ひとりで巨大な双龍を見つめていると、不思議と身体中にエネルギーが満ちていくように感じた。普段、滅多にできない体験である。このような自分ひとりだけが取り残されたような時間こそ、ひとり旅の大きな魅力であり、目的でもある。
 この頃になると、だいぶいい時間になっていたので、ぼちぼち本日の宿舎に行っておこうと、花見小路通から四条通を河原町の方向に歩く。花見小路通はたくさんの料亭が軒を連ね、祇園の風情を醸している人気の通りだが、ねねの道のように車が走っているうえ、思ったよりも車の往来は多いので、カメラ片手に惚けているととても危ないので注意されたし。四条通にはお土産屋や甘味処が多く並んでいて思わず目移りしてしまう。南座で歌舞伎の公演が催されていて、少し心魅かれるものがあったが、残念ながらその日の公演は終わっていた。チャンスがあれば是非観たかった。途中、小雨がちらちらと降る場面もあったが、それからは早春を感じさせる清々しい天気になり、四条大橋から眺める鴨川の流れも実に清廉であった。大橋の袂に、バケツや灰皿さらにはちりとりなど、生活感のあるアイテムをパーカッションにして演奏しているパフォーマーの姿があり、面白いのでしばらく見ていた。そういえば、河原町の街角でも三味線を演奏している人を見かけたが、その度に、この街にはいろんな人がいるんだなぁとしみじみ思った。自分のやりたいことをやる、ということを受け入れる素養が、都市の発展の条件なのかもしれない。
 ちょうど、宿舎までの道の途中にあったので、前々から気になっていた河原町の喫茶店に立ち寄ることにした。昼過ぎから動きづめで疲れていたから、少し休憩したかったところもあった。阪急河原町駅からすぐ、高瀬川沿いにひっそりと佇む、喫茶店S。一九四八年創業の老舗である。私はことりっぷを愛読しているのだが、この店もその伝で知り、レトロで幻想的な店内の様子に、今度、京都を訪れたときに行ってみたいと思っていたのだ。店を外からスマートホンで撮影している若い女性のグループがいたが、彼女たちもこのお店に憧れていた人たちだったのかもしれない。店は二階建てになっているが、一階は席が埋まっていそうだったため、二階への階段を上った。二階も人お客でごった返していたらどうしようと少しは心配なところもあったが、それは杞憂に終わった。店内は小ぢんまりとしていて、図体が大きく、軍用の巨大なバックパックも背負っていた私には少し動きづらい。エメラルドグリーンのベンチとアンティーク調のテーブルや衝立が、青色の照明に控えめに照らされて、幻想的な光景が創られている。東郷青児の絵画も、この不思議な空間を演出している。人気のありそうな喫茶店だから、がやがやとしているのかなと思っていたが、静かで落ち着いていたのでとてもよかった。店員さんもかわいい(←)。私は、この店の名物・ゼリーポンチと、チーズケーキと紅茶のセットを注文した。ゼリーポンチは、ソーダ水のなかに色とりどりのゼリーを浮かべた、店と同じく幻想的なデザートだ。爽やかな甘みがあっておいしい。私は普段、飲食店で料理の撮影をするのは是としないのだが、こればかりは写真に収めておきたく思い、店員さん(かわいい)の許可をとって撮らせてもらった。嗚呼、恥ずかしい・・・・(赤面)。他にもメニュウは充実していて、何より店内の雰囲気がいいので、いつかまた京都に来た際には、是非立ち寄りたいなと思った。
 河原町は京都有数の繁華街で、様々な店があって人通りも激しい。私の今宵の宿は、四条通から藤井大丸の角を曲がった寺町通に建つ、新感覚カプセルホテルNである。このホテルは何かと話題になっていたし、何より宿泊代がかなり安いので今回の宿舎として選んだのだが、実際の徒歩のスケールで測っても寺町京極や新京極から近く、立地も物凄くいいということに改めて気づいた。ホテルNの宿泊体験談は、他の人が書いたものがネットにあった(私もそれを参考にした)ので、ここには記述しない。違うレポート(赤面)として、これとは別個に記録してもいいかもしれない。
 ホテルに荷物を置き、身軽になったところで、今度は夕食(あるいは晩酌)を求めて街を歩くことに。最初は京極とは反対の方向に寺町通を歩いてみる。この通りには、観光客にも人気というオシャレな居酒屋があるが、まずはそれを確認。昔ながらのいかにもな居酒屋があることも把握した。だいぶ奥の方まで歩いたが、古本屋が数件ある以外は目ざとい店はなく、引き返して今度は京極の繁華街へと歩く。
 寺町京極、新京極、あるいは三条名店街。高校時代の修学旅行で、夜間の自由行動の時間があったが、一緒に歩く友人がつかまらず(別に友人がいなかったというわけじゃないからな!)、結局ひとりで見て歩いた記憶が甦ってくる。今回は完全にひとりの旅行であるため、当時のようないたたまれなさや情けなさは皆無で歩くことができる。いま思えば、この辺りをゆっくり見て回ることは案外なかった。途中で、「けいおん!」の聖地にも立ち寄りつつ、夕げによさそうな店を探して、ぐるぐると歩き回る。せっかくなので、京の街でアルコオルに溺れたい欲もあったが、歩きながらじっくり考えてみると、アルコオル欲はそれほど強くないことに気づいた。それに、今回の宿舎に泊まるのは初めてで、アルコオルで判断能力が鈍ってしまうと色々と大変だろうから、アルコオルは控えめにする方針に舵を取った。そうなると、別に京都だからって特別なことしなくていいやと思うようになり、食べたいものを食べようと、なんだかんだかんだなんだでいちばん心ときめいたお好み焼きの店に落ち着いた。家族でやっているような店で、どこか垢抜けないところに好感がもてる。アジア圏の旅行者一家が店内にいたが、注文したオムそばをなぜか開いて食べていて、それを見たお店の人が苦笑いしているのが面白かった。生ビイルとお供に、二種類のお好み焼きを食べる。京都らしさはないが、好きなものが食べれて満足だった。お好み焼きを食べていると甘いものが欲しくなったので、店を出てすぐ、先ほど目星をつけていたファミリーレストランに行って、いちごパフェを食べる。カロリーの悲劇!店員さんも、夕食時に店に来たいかつい男性客がまさかいちごパフェだけを食べて帰るとは思いもしなかっただろう。パフェの注文をした後、「以上ですか!?」と意表をつかれたような確認をされた。
 結局、寺町通の人気の居酒屋にも行かずにホテルに戻った。旅先で夜更かしをしてもいいことは一つもないので、シャワーを浴びて明日の計画を立てるとすぐに眠りにつく。やはり一日中歩き回った疲れや長旅の疲労があったのだろう、寝付くのは早かった。


CIMG7208.jpg

CIMG7221.jpg

CIMG7228.jpg

CIMG7256.jpg

CIMG7229.jpg

CIMG7231.jpg

CIMG7241.jpg

CIMG7260.jpg

CIMG7274.jpg

CIMG7310.jpg

CIMG7292.jpg

CIMG7317.jpg

CIMG7303.jpg

CIMG7319.jpg

CIMG7323.jpg

CIMG7329.jpg

CIMG7337.jpg

CIMG7335.jpg

150305_182709.jpg

150305_182805.jpg


  
 起床は午前の七時過ぎ。本当はもう少し早くに目覚めたかったが、それでも前日の疲れもあったのに、アラームなしで自然にこの時間に起きることができたのは上出来である。シャワーや着替え、荷物の整理等を手短に終わらせて、息つく間もなく宿舎をあとにする。このカプセルホテルはカプセルも広いし、その他の部門も清潔清廉。そして何よりも宿代が安価で、シャワーや寝床など最低限のものさえあれば十分の私にとっては最適のホテルだった。
 すぐさま目的地に向かってもよかったが、ホテルを出るときに何かと慌ただしくなってしまったので、朝一番だというのにいくらか気疲れして、朝食も兼ねてコーヒーショップで一息つくことにした。私にとっては気楽な春休みの一日であるが、世間の人々にとってはただの平日に過ぎない。京都市内随一の繁華街・四条河原町は、朝から通勤、通学の人でいっぱいである。サラリーマンやOL、小学生など、色々な人種が通り過ぎていくのを眺めているのは、どこか水族館の水槽を見ているときに似ている。旅先で、朝から自分の生活の遂行に励んでいる人たちを見ながらコーヒーを飲んでいると、学生の特権というものを改めて実感して、いくらか優越感に浸ってしまう。ここでのんびりしても仕方がないので、程なくして店を出た。朝の京都の空気は澄んでいる。
 この日、私が朝から行きたかった場所は、千本鳥居で高名な伏見稲荷大社である。先日の東寺に続いて、アニメ「恋物語」の聖地巡礼の意味合いも出てくるが、それがなくても、千本鳥居の、あの一度見たら忘れられないインパクトある景観を実際に目に映したいと思っていたのだ。鴨東線に乗り込み、伏見鳥居駅に降りる。そこから稲荷大社までは歩いて数分だ。こういうスポットは、早朝の方が他の人もいないだろうし、朝の空気で神妙さも増していいだろうと思っていたが、起床の時点で予定よりも遅れをとってしまったせいか、境内には思ったよりも観光客の姿が目立ってしまっている。
 伏見稲荷大社は全国に三万以上ある稲荷神社の総本宮で、鮮やかな朱塗りの本殿は大きくて豪勢だ。その裏にある稲荷山は全体が神域となっていて、それを巡る参道には信者が奉納した無数の鳥居が建てられている。特に、奥の院に続く二本の小道には鳥居がぎっしりと並べられたトンネルができていて、その景観を称して“千本鳥居”と呼ばれているのだ。初めて訪れてみて、鳥居の道が二本あったのに意表を突かれたが、鳥居をくぐってしばらく歩いてみると、まるで終わりなどないように鳥居が前後に続いている奇妙な光景が目に映ってくる。なぜか他に歩いている人がいなく、辺りが変な静寂に包まれていたこともあって、状況の奇妙さに拍車がかかる。いま思い返してみても、キレイというよりは、やはり奇妙な光景だという感想が正しい。一種の狂気すら感じる。ちなみに案内書によれば、千本はおろか、実際には約一万の鳥居があるのだという。
 先述の通り、これらの鳥居は信者によって奉納されたもので、決して徒に建てられたというものではない。鳥居の二本の脚の裏には奉納者と奉納年月日が刻まれているが、時おり、我が国に名だたる大企業の鳥居も発見する。割と最近に奉納されたものもあることが少し意外であったが、これによって、江戸時代に端を発する信仰が現代にも未だに息づいていて、それによってこの景色が創られているのだということを知ることになった。坂口安吾先生は「日本文化私観」において、「伏見稲荷の俗悪極まる赤い鳥居の一里に余るトンネルを忘れることができない。見るからに醜悪で、てんで美しくはないのだが、人の悲願と結びつくとき、まっとうに胸を打つものがあるのである。」と書いている。この景観そのものではなく、この景観が創られることになった背景、何百年もの間連綿と生き続ける人の信仰心にこそ感動を覚えるのだ。
 繰り返しになってしまうが、この稲荷山は全体が神域になっていて、千本鳥居を抜けた先の奥の院の、さらに奥の方にも鳥居に包まれた参道が伸び続けている。この先になにがあるのか、それを求める好奇心が疼いてしまうのが人間の性であり、迷いなくそのまま参道を進んでいくが、次第に道の傾きは増していき、ちょっとした登山のような格好になってくる。途中で無数の小さな祠が階段状に祀られている場所に出るが、これまた異質な風景で、ひとりでいると少し怖かった。にしても、巨大な軍用バックパックを背負っての参道(山道)とはいえ、明らかに以前よりも体力が落ちていることを強く実感せずにはいられなかった。すぐに息も切れてしまうし、足腰の持久力も落ちている。景気づけに、自分で勝手に今回の旅のテーマソングに決めている「薄紅デイトリッパー」(デイトリップじゃないのに・・・・)などを口ずさんでみるが、息も切れ切れで調子が出ない。これでは稲荷山ではなく「愛宕山」である。途中の自動販売機の値段設定が強気すぎて、これには思わず笑ってしまった。朝からやたらに疲れを重ねてもいいことはないし、参道にも終わりが見えないので、京の街を一望できるスポットに達してからは、元きた道を降りることにした。脚に疲れがきている人間にとっては、下りの行程も辛いものである。登山口に戻ったときには、私の脚はバンビであった。
 せっかくここまで来たので、今度は奈良線に乗り込んで、宇治の方にも足を運ぶことにした。宇治駅から宇治橋まで伸びる宇治橋通り商店街は、当地らしくお茶を出す店が多い。現代的なカフェーもあったりして、思ったよりも垢抜けている。宇治川にかかる宇治橋は所々の飾りに木が使われていて平安的な雰囲気のある大きな橋だ。袂には「源氏物語」の作者である紫式部の像が設置されている。宇治は「源氏物語」の「宇治十帖」の舞台ということは知っているが、当作は少しも読んだことはないので、感情移入することはできない。橋の上からは奈良線の鉄橋を眺めることができ、橋上の線路を電車が走る光景は、なかなか清々しい。平等院の表参道は、これでもかというほどお茶が推されていて抹茶の町らしさが滲み出ている。茶店も軒を並べ、「宇治抹茶ソフトクリイム」だの「宇治抹茶パフェ」だの、非常に魅力的な言葉ばかり示している。宇治抹茶パフェ、食べたい(ゴクリ)。でもまあ、これは戻りの楽しみに取っておこうか。
 駅から歩くこと十数分、宇治観光のハイライトたる世界遺産・平等院に辿りつく。平等院とは、藤原頼道が父親である道長の別荘を寺院に改められたものである。阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂は、屋根に二羽の鳳凰が翼を広げていることから、鳳凰堂という俗称で呼ばれているのだ。そしてこの鳳凰堂といえば、現在の十円玉に描かれていることで有名だ。硬貨の模様をまじまじと見つめる機会は普段はあまりないのだが、実物と対面しながら確認してみると、成程、確かに鳳凰堂が描かれている。鳳凰堂は昨年の九月に平成の大改修を終えたばかりで、建物は創建時のような朱色に、そして鳳凰は金色に輝いていて、とても鮮やかだ。このお堂は経典に描かれる極楽浄土の宮殿をモデルにしたもので、如来が鎮座する中堂と左右の翼廊、尾廊からなる珍しい建築でもある。左右対称に横に大きく伸びているのが、鳳凰が翼を広げている姿に似ていることも、このお堂が鳳凰堂と呼ばれる理由の一つになっているらしい。
 三十分ごとの案内で鳳凰堂の内部を拝観することができ、タイミングがちょうどよかったので、私も一期一会の気持ちで臨んでみる。中堂内には、巨大な阿弥陀如来像が二重天蓋の下に穏やかに佇んでいた。ご本尊を囲むように四方の壁の上方には、五十二体もの雲中供養菩薩像が配置されている(お堂内の像はレプリカである)。現在は色褪せてしまっているが、壁や扉には来迎図が描かれていて、極彩色で鮮やかであった当時を思うと、このお堂の中には一つの仏教的空間が出来上がっていたのだろうと感じられる。私は時間等の都合で断念したが、供養菩薩像の本物や来迎図が復元されたものは鳳翔館というミュージアムで閲覧することができるらしい。拝観の帰りに、表参道のお店で抹茶パフェをいただいた。バニラアイス、生クリイム、小倉、白玉の甘みと、抹茶アイス、抹茶粉のほどよい苦みの組み合わせがとてもおいしかった。この日はこれを昼食代わりとする。
 再び京都駅に戻ってきた。今回の旅で観に行きたいところは大体回ったが、帰りの列車まで時間もあるし、京都で一、二を争う人気エリアである嵐山に向かうことにした。嵐山といえば「けいおん!!」四話の修学旅行回の舞台であるが、その聖地巡礼は三年前の春休みに実現させている。実は私は、嵐山を代表する名所である天龍寺を一度も見たことがなかったのだ。
 観光ガイドさんにバスより電車の方が早いと教えてもらったので、嵯峨野線で嵯峨嵐山を目指す。駅に降りるとなんだか妙な活気が湧いていたので不思議に思ったら、ここ嵯峨嵐山駅は嵯峨野トロッコ列車への乗り換えがあり、いま正しくトロッコ列車が出発するところであったのだ。観光客に人気のあるトロッコ列車は、ついこの間運転を開始したばかりだ。そりゃあ、賑わうはずだよな。トロッコ列車・・・・機会があったら乗ってみたいが、いまは天龍寺を目指そう。
嵯峨嵐山駅から嵐山観光のメインストリートまでは少し歩かなきゃいけない。地図もらっていたが、魔がさして一本前の通りで曲がってしまい、しばらく迷いながら歩くという不覚をとってしまった。とりあえずたくさんの人が歩いている方向についていくと、無事に例の通りに至ることが叶った。平日だというのに、嵐山は多くの観光者でごった返している。内容は、外国人旅行者やツアーの中高年がほとんどであっただろう。とにかく歩きづらい。嵐山のシンボル・渡月橋を目に焼き付けて満足すると、いよいよ天龍寺に向かう。
 天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山。京都五山第一位の寺格を誇り、世界遺産にも登録されている。特に見どころとされているのは、開山・夢窓疎石による曹源池庭園であり、これは国の史跡・特別名勝第一号に指定されている。私は法堂の天井画・八方睨みの「雲龍図」を観たかったのだが、これは土日休日のみの公開であったため、対面することは叶わなかった。ちぇっ。お目当てのものが観れないとなると、すっかり観光する意気も落ちてしまうが、せっかくここまできたのだから、多くの人が称賛する庭園の参拝をすることにした。しかし、私は庭園の探訪を特に好んでいるというわけでなく、とりわけ巨大な庭園というものにあまり心動かされない性質である。昨年の夏に金沢を訪問した際にも、唯一退屈を覚えたのは、本来、観光のメインとなる兼六園においてであった。いろいろと趣向を凝らしているのは分かるのだが、いかんせんスケールが大きすぎて、一回りするのに躍起になって、ふと足をとめる余裕が、景観に感動をする余地が、いつの間にかなくなってしまうように感じるのだ(武者屋敷野村家のような小ぢんまりとした庭は、素直にいいと思えるのだが)。その例にもれず、この天龍寺曹源池庭園あるいは、その奥に広がる広大な庭園での時間もどこか落ち着きなく、一周のノルマを達成することにばかり執心してしまった。おそらくその他多くの人にはこのよさが分かるのであろう。これは私の側に問題があり、寺になんら落ち度はない。私の性格的特性と、そもそもの「庭園」という芸術に関する知識の乏しさが、こういう顛末を招くのである。
 味気ない気持ちになりながら、北門から天龍寺を後にする。するといきなり、以前から私が気にかかっていた景色が目に飛び込んできた。嵯峨野の竹林の道。およそ百メートルにわたってずっと竹林が続いている散歩道だ。京都の旅行案内書で知り、このなんとも涼しげで日本的な風景が忘れられなかったのだ。竹林なんて田舎の祖父母宅の裏にあるのにね。ここもすっかり人気の観光スポットになったと見えて、多くの旅行者があるいているが、誰も声高に騒ごうとはしないので、妙に森閑としている。竹林が人々の声も吸収しているのだろうか。とても清廉な空間ができている。しかし、実際に歩いてみて初めて思ったが、結構竹以外の木も生えていて、それでいて、いやに目についしまう。そういう意味では、徹底した景観ではない。何かにつけて「○○の方が~。」などと比較して考えるのは大野暮の行動であるが、以前、鎌倉へ報国寺の竹の庭を訪れたときに並ぶほどの感動は覚えない。
 この竹林の道を野宮神社方面へ歩けば再びメインストリートに出るが、この日の私は何の気なしにそれとは反対の、大河内山荘庭園方向へと歩いていった。すると、その道の終わりに立っている案内看板で、すぐそばにトロッコ嵐山駅があることを知った。先ほどからトロッコ列車が気がかりであったが、この状況は完全に偶然であり、シンクロニシティの産物である。この状況に運命めいたものを感じたし、トロッコで嵯峨駅に行けば嵯峨野線との乗り換えで容易に京都駅に戻ることができて都合も悪くないので、こりゃいいぞとばかりに、意気揚々と駅に下りる。しかし、駅員さんに尋ねてみると、嵯峨駅方面への列車は遅れていて、あと一~二時間くらいしなきゃ来ないというではないか!こんなに遅れることってあるの?すると、切符販売窓口の女性が、以下のような提案を持ちかけてきた「列車に乗りたいなら、もうすぐ来る列車で終点の亀岡まで行ったら?その近くにJRの駅があるからそれで京都駅に帰れるし。」
 え、マジで!?
 そんなこんなこんなそんなで、唐突ながら、私もトロッコ乗車が正式に決定した。先の時点で、幸いにも座席も残っていた。嵯峨嵐山駅にいた自分は、後であのトロッコ列車に乗ることが、これほどまでにトントン拍子で決まるとは少しも思ってなかった。しかも、当初考えていた嵯峨駅行きではわずか一駅間しか楽しめなかったが、この号に乗れば、終点の亀岡までじっくり堪能ができるときている。いろんな偶然が、私にとってプラスに働いている。もし天龍寺にもう少し長居をしていれば、あるいは竹林の道を野宮神社へと歩いていたら、この体験をすることはできなかっただろう。
 切符を買って数分で、列車がホームにやってきた。先頭はディーゼル車ではなく客車(一号車)で入ってくる。嵯峨嵐山で見かけたときを考えると、成程、たしかにこういうふうな走り方になるよな。ちなみに五号車は「リッチ号」といって、窓がフルオープンになっているが、この肌寒い季節だとリッチどころか、むしろとても侘しくみじめな気持ちになるだろうと思う。客車はやはり多くの乗客で賑わっている。アジア諸国からの旅行者が多いような印象だ。トロッコはすべて指定席であるが、私の席はというと、ついさっき買ったばかりなんと窓側であった。嵯峨野トロッコ列車は、保津峡などの見下ろす車窓に定評があるので、窓側は嬉しい。だがしかし、窓側は窓側でも、背を向けた方向に列車が走る方の窓側である。これでは背後から追い抜かれるように景色が流れて行ってしまって、どうも気持ちが悪い。車内を観察してみると、まるまる空いているブロック席があったので、発車して他の乗客がいないことを確認してから、その席に移動をした。なに、本来この席に座るべき人が来たら、もとの席に戻ればいいだけだ。
 嵯峨野トロッコ列車は、これからひたすら嵐山と小倉山の間の山林を走る。この日はまだ枯木が目立っていたが、紅葉の時期などはさぞ美しいことだろう。車窓からは常に保津川の流れを眼下に収めることができる。その流れは思ったよりも速くて豪快で驚く。雪解け水の影響もあったのだろうか(京都ってどれくらい雪降るんだろう)。保津川下りの船旅も評判だと聞いたが、この急激な流れのなか丸腰で船下りするのは、あまりにもスリル・ショック・サスペンスではないだろうか?普段、鉄道旅行をしているときは、座席に座ってアンニュイな感じになっていることの多い私だが、今回は、終点の亀岡まで二十分の短い旅だったので、車内をあちらこちらに移動して、なんとも落ち着きなくはしゃいだ過ごし方になったように思える。こういうのも、まあ悪くないかな。
 車内ではアテンダントさんが、各乗客グループを回って記念の写真撮影を促してくる。あとで現像したものを販売するとのことだったが、特に断る理由もないので素直に被写体と相なった。あとで現像したものを見せてもらうと、ひとりだというのに素晴らしい笑顔の自分がいたので、母方の祖母へのお土産に購入を決めた。祖母にとって、孫は姉と私の二人しかいないので、私たちがすっかり大人になってちっともかわいくなくなってからも、とてもかわいがってくれる。祖母は何よりも私たちの写真を喜んでくれるので、私はひとりで旅しているときも、祖母のために周囲の人々に頼んで自分の写真を撮ってもらうのだ。そして終点・亀岡駅に着いた。ホームにはなぜか信楽焼のたぬきの軍勢が立っていてひょうきんな感じだった(たぬきの軍勢は保津峡駅にも立っていた)。亀岡駅周辺は田畑がひたすら広がっていて、凄絶な「すごいトコロに来てしまった感」に襲われる。駅近くの広場で乗馬体験をすることができるみたいで、乗馬に憧れのある私はトキメキを抑えられずにいたが、途端に、ひとりで馬に乗ってもアレだよなと臆病風が吹いて、結局、思ったよりも簡単にトキメキを抑えて、予定通りにJRの駅に歩いていった。
 京都駅に戻って帰りの電車の時間まではのんびりと過ごすことに。田舎の家族へのお土産にはお菓子と京野菜の漬け物を買った。試食した漬け物がとてもおいしくて、すぐきという野菜の漬け物とごぼうの白みそ漬けの二種類を買っていった。あと、自分へのお土産にまたしても赤福を購入した。ドーナツとコーヒーをで人心地ついてからホームで列車の入線を待つ。特急サンダーバードに乗るが、夕方という帰宅の時間帯もあってか、自由席は物凄く混んでいる。幸い座席に座ることはできたが、金沢に向かう進行方向の左側であったため、車窓から琵琶湖や立山連峰を眺めることはできずに終わった(まあ、チラチラとは見えたけど)。右側に座ってんなら、せめて琵琶湖は見ようよ。そして寝るなよ!
 金沢で乗り換えるのは、特急北越。次のダイヤ改正で廃線となる特急列車だ。金沢への鈍行旅行の帰りに、富山にて新潟に向かう北越を見送る(それに乗れば鈍行よりも早く帰れるため、心底乗りたかったが予算がないので断念した)ということもあったが、廃線前に乗ることができて本当によかった。サンダーバードでは廃止された一方で、北越ではまだ車内販売が行われていたのだが、さすがに夜の時間には行われない。しかし、乗り継ぎの時間的に夕食を調達するのは困難であったため、これから四時間の間、飲みかけのジャスミンティーだけで凌がなくてはいけないという危機的状況に陥った。場合によっては先に買った赤福を食べなきゃいけないぞと戦々恐々としていたが、思ったよりも人間は空腹に耐えることができるようで、体調もおかしくならず、無事に新潟駅に戻ってくることができたのだった。


CIMG7351.jpg

CIMG7389.jpg

150306_084054.jpg

CIMG7385.jpg

CIMG7394.jpg

CIMG7409.jpg

CIMG7422.jpg

CIMG7445.jpg

CIMG7453.jpg

CIMG7451.jpg

CIMG7462.jpg

CIMG7464.jpg

CIMG7477.jpg

CIMG7484.jpg

CIMG7501.jpg

CIMG7506.jpg

CIMG7519.jpg

CIMG7537.jpg

CIMG7553.jpg

CIMG7573.jpg

  1. 2016/01/04(月) 19:00:00|
  2. 旅行記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<山形鈍行旅日記 | ホーム | 新年のごあいさつ>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://shibakeneet.blog.fc2.com/tb.php/618-a907f4ec
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

筆者紹介

シバケン-いかれたNeet-

Author:シバケン-いかれたNeet-
Sex:\(`・ω・´)
Work:堕医学生
Base:新潟死期終焉都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

筆者結語

日常系赤面ブログ「野良犬の生活」を応援していただきありがとうございました

「野良犬の生活」の物語

 はじめましての皆さんへ

長い間ありがとうございました

レポート検索

最新レポート一覧

アーカイブ

2016 04 【1】
2016 03 【4】
2016 02 【4】
2016 01 【5】
2015 12 【12】
2015 11 【10】
2015 10 【14】
2015 09 【8】
2015 08 【15】
2015 07 【14】
2015 06 【11】
2015 05 【17】
2015 04 【12】
2015 03 【12】
2015 02 【9】
2015 01 【9】
2014 12 【8】
2014 11 【13】
2014 10 【22】
2014 09 【18】
2014 08 【2】
2014 07 【14】
2014 06 【13】
2014 05 【13】
2014 04 【22】
2014 03 【17】
2014 02 【28】
2014 01 【29】
2013 12 【28】
2013 11 【28】
2013 10 【29】
2013 09 【22】
2013 08 【20】
2013 07 【30】
2013 06 【18】
2013 05 【15】
2013 04 【19】
2013 03 【3】
2013 02 【6】

カテゴリ

コメント

トラックバック

メッセージ

質問・要望どんとこいです!

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。